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ROSA  作者: 藤 子
42/65

愛 慕3

「お前、人間か?」


 分厚いガラス越しに、少年が尋ねてくる。


「分かるの?」


 聞くと彼は、横柄に肯いた。


「人狼の鼻は人間の何百倍も優れてるんだぞ? 当たり前だ」


 髪の色からして、もしやとは思ったが、やはり人狼らしい。小さく聞こえてくる彼の言葉に、ティティーヌも頷いた。


 ヴィドック以外の人狼を見るのは初めてだ。彼の短い銀髪も美しいが、この少年の髪も美しい。リュシアンよりも少し長めの銀髪は、ヴィドックよりも柔らかそうだった。白いシャツは真っ黒に汚れ、どこかに引っ掛けたのか右の袖口は破れている。首には左右の紐を結んだブーツがかけられ、少年は裸足だった。


「君、一人?」


 ここは私有地だ。もし近くの森で遊んでいて、うっかり迷い込んでしまったのなら、外に出るよう教えてやろうとした。

 しかし、


「君じゃない。マルコスだ。デュ・シェーヌ・マルコス」


 胸を張って言われたこの言葉に、ティティーヌは硬直した。


「もしかして君、ヴィドックの……」


 最後まで言葉にならず、息が詰まる。

 少年は誇らしそうに肯き、声を張った。


「デュ・シェーヌ・ヴィドックは俺の父だ」








 ◇◇◇








「前に来た時はこんなのなかったけどな」


 きょろきょろと見回しながら、温室内を歩いていく少年。

 ティティーヌの計らいでキティに案内されてきた彼は、薔薇園を興味深く探索していた。最初は後について歩いていたティティーヌだったが、次第に道なき道へと進みだした彼に、ついていくのをあきらめた。椅子に座って離れた場所から彼を見守る。ひと通り辺りを見終えた彼は、蔓薔薇が咲く木製のアーチに登りだした。


「落っこちないでね!」


 念のため声をかけると、元気な声が返ってきた。


「馬鹿にするな。こんなもの、怖くも何ともないぞ!」


 やんちゃな彼を微笑ましく見つめていたが、更に上へ登ろうとして足を踏み外した。


「うわぁ!」


 派手に落下した彼の元に、ティティーヌも慌てて駆け寄る。


「大丈夫!?」

「触るな!」


 心配して手を差し伸べたが、乱暴に振り払われた。

 声を荒げ、少年はふたたびアーチに登っていく。


「……馬鹿にするな」


 落下した拍子に擦り剥いた肘から、少しだけ出血していた。気づけば、なぜか表情は歪み、剥きになっているようにも見える。


「薄っぺらい心配なんかいるか」


 呟かれた小声は投げやりで、どことなく切実さが窺えた。ティティーヌは声をかけようとしたが、後ろから低い声が聞こえた。


「マーク。降りてこい」


 振り向くと、すぐ後ろにヴィドックが立っていた。父親の登場だ。息子のことを知らせるよう、キティに頼んでいたため、彼はすぐに現れた。


「父さん!」


 ひょいと地面に飛び降り、嬉しそうに走り寄る少年。

 ヴィドックはそのまま受け止めるかと思いきや。


「何するの!?」


 ティティーヌは悲鳴を上げた。目の前で、ヴィドックが息子を殴りつけたのだ。慌てて駆け寄るティティーヌにもおかまいなしに、彼は冷徹に言う。


「誰が来ていいと言った」


 冷め切った眼差しで見下ろし、威圧感に満ちていた。


「帰れ」


 短く言い捨てると、もう用はないと言わんばかりに息子を通り過ぎて椅子に座った。少年は立ち上がると、めげずに父親の方へと歩いていく。


「帰れと言ったはずだ。マーク」


 冷たく突き放され、顔が歪んだ。


「どうせまた黙って抜け出してきたんだろう」


 低い声で責め立てられ、必死に歯を食いしばっていた。


「父さん、俺……」

「何度も言わせるな」


 鋭い眼差しで睨みつけられ、結局あきらめたらしい。深くうつむき、彼は肩を落として踵を返した。それをティティーヌが引き止める。


「待って。マーク」


 ヴィドックを真似て愛称で呼ぶと、にっこり笑顔を見せた。


「せっかく来たんだから、少しくらい私と遊んでいってくれない?」


 腕を組み、どっしりと座っていたヴィドックの眉間にしわが寄る。

 ティティーヌはかまわず続けた。


「ちょうどこれからおやつにしようと思っていたのよ。一緒に食べない?」


 マークはちらりとヴィドックに視線を向け、


「……帰る」


 一歩、足を踏み出したところでティティーヌが更に言葉を続ける。


「おいしいマカロンにマドレーヌがあるんだけど」


 思わず、マークの足が止まる。しかしすぐにもう一歩、足が前に。


「なんならフライドチキンも作ってもらおうか!」


 踏み出したところで、完全に止まった。

 ヴィドックの領地から、父親の匂いを辿って何も食べずに走ってきたのだ。腹が減っていたマークは、ごくりと唾を呑んで振り返ったが。その先のヴィドックと目が合い、落胆の表情を見せた。気づいたティティーヌが、ヴィドックに言った。


「お願い」


 彼は渋い顔でこちらを見ていたが、ティティーヌが粘り強く見つめていると重いため息をついた。厳しい表情のまま、視線を息子に向ける。


「まずはその格好を何とかしてこい」


 マークが目を見開き、ティティーヌは微笑んだ。温室の入り口にいたキティを呼ぶと、お茶の準備とマークの着替えを頼んだ。


「では参りましょう」


 指示を受け、キティがマークを促したが。


「マルコス様?」


 彼は硬直していた。気づいたティティーヌも声をかける。


「どうしたの?」


 わけが分からず尋ねると、マークはじっとティティーヌを凝視した。かと思いきや、今度は視線をヴィドックに向けて口を開く。


「あの、その、この人間……、この人は……」

「友人だ」


 そっけない父親の返答に、彼は数回目を瞬かせると、ティティーヌに視線を戻した。目が合い、ティティーヌはにっこり微笑む。


「着替えたら一緒におやつにしましょう」


 マークはぎこちない動きで頷いた。

 キティについていく彼を見送り、空いているガーデンチェアに座る。


「ありがとう」


 少年の後姿を見つめながら言うと、テーブルを挟んで隣のヴィドックが小さく鼻を鳴らした。


「リュシアンのことは聞いたか?」


 意外にも彼の方から切り出され、ティティーヌは戸惑いを隠して答えた。


「ええ。それもお礼を言わなきゃならないわね。昨日はありがとう。彼も明日には元に戻れるんでしょう?」

「ああ。今朝様子を見に行ったが、だいぶ落ち着いてきていた。明日中には会えるだろう」


 なんとなく気まずさを感じつつも、ティティーヌは素直に安堵の息を漏らした。


「体調は?」


 無愛想ながらも気遣ってくれるヴィドックに、ティティーヌは体の向きを変えて視線も戻す。


「少しだるさは感じるけど、大丈夫よ」


 告げると、ヴィドックはこちらを一瞥し、すぐに温室内へと視線を戻した。


「立派な箱庭だな」


 改めて感心した様子で辺りを見回す。


「お前によく似合ってる」


 淡々と言われ、ティティーヌは控えめに微笑んで目を伏せた。


「ありがとう……」


 礼を伝えたものの、なんとなく言葉が続かなくて会話が途切れる。互いに目も合わせず、沈黙が広がった。ティティーヌは視線を上げ、目の前に広がる薔薇園を眺める。天窓から入ってくる風が、満開に咲き誇る薔薇を優しく揺らしていた。数枚の花びらが、はらはらと可憐に落ちていく。しばらくそれを眺めていると、ヴィドックが静かに口を開いた。


「初めて見る妖魔の世界はどうだ?」

「え?」

「この地に来てから、外の景色を見るのは初めてだったろう」


 確かに。ティティーヌは彼の方に向き直って答えた。


「人間の領地と何も変わらないわ」


 森も、空も、空気も。


「見る前はどんなところだと思ってたんだ?」


 彼の言葉に、ふたたびび目を伏せた。


「正直、地獄のような場所だと思ったわ」


 理性を持たない化け物が横行し、危険に満ちた血生臭い場所だと想像していた。

 ヴィドックがおかしそうに笑う。


「お前に限っては あながち間違いでもないだろう」


 人間だから。暴走するミックスが溢れ、人間が希少となったこの地で、もしティティーヌが護衛もつけずに出歩いたら、間違いなく狙われると断言できる。

 ティティーヌは小さく苦笑し、肯いた。


「そうね……。でも持っていた偏見とは違うものだったわ」


 そして真っ直ぐ彼を見つめた。


「ずっと、あなたに謝りたいと思ってたの」


 ヴィドックの片眉がわずかに上がった。彼の視線を受けながら、ティティーヌは心から伝えた。


「先月……、あなたがここから出る直前のことよ。フィーナを威嚇するあなたを見て、私は恐怖を感じたわ」


 怯えたティティーヌを見て、ヴィドックの目に落胆の色が浮かんだのを覚えている。


「戦いと縁のない環境で過ごしてきたなら、怯えるのも当然の反応だろう」

「そうだけど……、違うのよ」


 彼が言ってるのは、それが人狼じゃなくても、同じ状況に置かれれば怖がって当然という見解だ。普通の女なら、男が本気で怒るのを見て怖いと思うのはよくあることだと。

 でも、ティティーヌにとっては違う。


「私はあなたが妖魔だから怖いと思ったの。人間にはない一面に身の危険を感じて、それで怯えたのよ。他の人狼ならともかく、あんな怪我を負ってまで助けてくれたあなたに……、ひどいことをしたと思うわ」


 言って、深々と頭を下げた。


「ごめんなさい」


 ヴィドックは真顔で見つめている。怒るでも嘆くでもなく、淡々としていた。


「今は」

「え?」

「今はどうなんだ」


 彼の言葉に、ティティーヌは顔を上げた。


「怖かったら、こんな風に話してないわ」

「……そうか」


 納得して、彼は頷く。優しい眼差しをしていた。

 その小さな反応に気づき、ティティーヌは安心して顔を綻ばせた。

 そこにお茶を持ったキティと着替え終えたマークがやってくる。彼の手には、すでにキティが持つトレイからつまんだであろうフライドチキンが握られていた。口の周りにも、衣のクズがついている。


「よっぽどお腹がすいていたのね」


 ティティーヌは彼を招き寄せると、ハンカチで油まみれの口を拭いてやった。直後、マークに慌てて払いのけられる。


「お、大きなお世話だっ」


 顔を赤くして戸惑う彼に、思わず吹き出してしまった。そのせいで、マークは更に剥きになる。


「バカにしてるのか!?」


 怒り出した彼に、ティティーヌは笑いながら謝った。


「ごめんなさい。『誰かさん』と違って、マークは素直ね」


 傍らで紅茶を飲もうとしていたヴィドックの眉が、ぴくりと動く。


「……似てないと言いたいのか?」


 ヴィドック本人もそう思っているんだろうか。開き直った様子で聞かれ、ティティーヌはまた笑った。


「こんなに可愛らしい息子を持って、羨ましいわ」


 褒め言葉のつもりだったのに、ヴィドックの表情は変わらない。


「こいつの相手をして、そんなことを言うのはお前くらいだ」

「そうなの?」


 心底意外に思ってマークを見れば、彼は照れ臭そうに顔を逸らす。そんなところも分かりやすくて可愛いと思うのだが。


「サーガは会う度に噛まれてる」


 時々ヴィドックのところに顔を出すサーガは、行く度にマークに捕まり、手荒い歓迎を受けているらしい。帰る時には必ず傷だらけになっているが、それでも懲りずにまた来てくれるものだから、ますますマークのお気に入りになっていた。

 それを聞いて、ティティーヌはマークに話す。


「じゃあ私は女だから優しくしてくれるのね」


 女でも、マークは関係なく噛みつくのだが。

 実際にフィーナは被害に遭った一人だ。にも関わらず、マークはティティーヌに遠慮しているようだった。不思議に思いながらヴィドックは、楽しそうにじゃれ合う二人を無言で見つめた。

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