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ROSA  作者: HATASUTA


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吸血鬼10

「……何を考えてるの?」


 思いがけない展開に、フィーナは警戒した。

 エレナとカルロスが、荷造りをしていたのだ。


「何って、私たちの仕事は終わったもの。誰かさんたちみたいにいつまでも居候して迷惑かけちゃ悪いでしょ?」


 元々、エレナたちがウィケット邸を訪れたのは、増設の協力を頼まれたからだ。こうして完成した今、これ以上長居する必要はどこにもない。にっこりと無邪気な笑顔で嫌味まで含ませながら答える彼女に、フィーナはますます疑いを強めた。


 なぜって。


 あまりにもあっさりしすぎているのだ。今まで散々ティティーヌにちょっかいを出して、くだらない企みを企てていたくせに、なぜ急に手を引く気になったのか。ミシェルを使って密かに彼らの動向を見張っていたフィーナだったが、今回の理由は分からなかった。何しろ相手は二人だ。ミシェルだけでは必然と手が足りなくなってしまう。エレナを監視している間に、カルロスが何らかの動きを見せたとしたら、もしくはその逆があったとしたら、ミシェルには分からない。つまりは、フィーナにも分からない。バレないよう行っていた監視によって、収拾していた情報は完全ではなかった。


「リュシアンの怪我も治ったことだし」


 従者のコウモリ人間に荷物を運ばせながら、エレナは軽い口調で言葉を続ける。


「もう暮れも近いわ。私たちだって年末年始はいろいろ忙しいのよ。そろそろ屋敷に戻っておかないとね」


 今のうちに片づけておきたい仕事も残っているのだと、大袈裟にぼやいたりなんかして。


「たまにはうちの方にも遊びに来てちょうだい」


 上等な黒いストールを優雅に羽織りながら、誘いの言葉まで吐いた。その機嫌の良さが非常に怪しい。眉間にしわを寄せながら、フィーナは無言で彼らを見つめた。どうしても心変わりの理由が分からず、腑に落ちない。そんな彼女に、カルロスが小声で耳打ちした。


「勝負は、俺たちの勝ちのようだね」


 反射的に顔を上げたフィーナに、彼はくすくすと笑みをこぼす。エレナへと視線を戻せば、彼女もまた艶めいた笑みを浮かべていた。


「可愛いあの子に野蛮な獣は似合わないわ。あなただってそう思うでしょう?」


 邪気のない笑顔で、当然のようにエレナは話す。


「無愛想だし、頭は固いし、口も悪い。ああいうタイプ、一番嫌いなのよね。種族の中でどれだけモテるのか知らないけど、女なんか歯牙にもかけないっていうか。いつも澄ましちゃって礼儀知らずだし。しかも面倒なしがらみで雁字搦(がんじがら)めになってる。そんな男を選んだって、辛い思いをするだけだわ」


 軽い口調で続けつつも、その目が徐々に鋭さを増していく。


「一方、リュシアンは正反対。物腰は柔らかいけどちゃんと芯があるし、礼儀もきちんとわきまえてる。聡明で誠実だし、センスもいい。決して女性をバカにしたり、卑下することはないわ」


 まさに、ヴァンパイア至上主義を窺わせる言葉だった。

 妖魔の中でも、ヴァンパイアは特殊な種族だ。独占欲が強く、常に自分が一番でありたがる。だからこそ群れることを好まず、多くの劣等種族を(しもべ)に持っているわけだが、ヴァンパイアとしての誇りや思いが強すぎるために、ほかの種族を軽視することにも繋がりやすい。その結果、普段は群れないヴァンパイアが同族に情を抱き、ほかの種族を攻撃するケースは決して少なくなかった。

 フィーナの口から、ため息が漏れる。


「それで? ティティーヌがリュシアンを選んだと?」


 だから満足して帰るのかと聞けば、エレナは嬉しそうに目を細めた。


「ま、当然の結果よね。別に私たちがお膳立てしなくてもこうなったでしょうけど」


 自信に満ち溢れた言葉と態度。

 単純で器が大きく、大雑把で根がないと同時に、腹黒で残酷な一面も合わせ持っている。

 ティティーヌはそれにまんまと騙されてしまったらしい。


(こういう女こそ、高慢というのよね)


 エレナに比べたら、自分なんて可愛いものだと、密かに鼻で笑う。


「確かに、リュシアンの方が魅力的というのは同感できるわ。無礼者の狼より、真摯なヴァンパイアの方が何倍も幸せにしてくれそうよね」


 吐き捨てるように言ったフィーナの言葉に、エレナはますます気を良くして出て行った。


「あなたもヴァンパイアの男を探すなら、声をかけてちょうだい。協力するわよ」


 滞在中、エレナはしきりにティティーヌを誘惑していた。それは単に彼女の性癖からくるものではない。ティティーヌを油断させて誘導しようとしていたのだ。

 ヴァンパイアの洗脳が利かない以上、ティティーヌの気持ちを操ることはできない。それでもクレイが一時的に洗脳できたときのように、言葉に魔力を乗せてたたみかければ説得力が増す。エレナは、ティティーヌの心を強く揺さぶり、彼女が動揺したところでリュシアンの手中に落とそうと企んでいた。恋人のカルロスも、ティティーヌと同じ人間という立場を利用して彼女の心をリュシアンに傾けさせようと画策した。結果的にティティーヌはリュシアンを受け入れ、めでたく結ばれたというわけだ。

 しかし、彼らは重要なことを見落としている。ティティーヌにかかる洗脳は簡単に解けるということを。外からの誘導で見事に落とせたとしても、それはあくまでも上辺だけ。元から彼女自身の気持ちがリュシアンに注がれていたなら関係を進展させるいいきっかけになっただろうが、実際は別だ。影響を与えることはできても、完全に刷り込むことは不可能だろう。相手は普通の人間ではなく、洗脳できないティティーヌなのだから、彼女の心を強く揺さぶって誘導できたとしても、それもまた簡単に解けてしまうのだ。

 見送ったフィーナは、静かになった客間で一人呟く。


「まったく、大きなお世話よね」


 忌々しく扉を睨み、次には意味深な笑みを浮かべた。襟元で、首輪のように丸く巻きついている親友を撫でながら。


「これでヴィドックが来ると分かったら、慌てて引き返してくるくせに。滑稽だと思わない? ミシェル」


 ヴァンパイアであることに強い自信を持ち、ティティーヌがリュシアンを選ぶのは当然だと豪語しながらも、実はその自信は不完全。


「もちろん、教えてやる気はこれっぽっちもないけどね」


 やっと目障りな存在が消えるのだ。わざわざ呼び戻す必要はない。


「勝負はこれから。果たして勝つのはどちらかしらねぇ?」


 ティティーヌはまだヴィドックのことを知らない。リュシアンだけでなく、ヴィドックの真実にも触れた時、最終的に彼女はどちらを選ぶのか。エレナたちが言った通り、ティティーヌがリュシアンを受け入れたというのが本当なら、今頃リュシアン自身も複雑な思いに駆られているだろう。


 数日前のことを思い出し、フィーナはほくそ笑んだ。


 リュシアンがハンターを追い払いに出かけたあの日、フィーナは彼の執務室で一枚の手紙を見つけた。なんとなく手にとってみると、裏面にヴィドックの名前があった。フィーナは、迷うことなく中身を抜き出し、こっそりと盗み見た。手紙に書かれた短い文章は、近々こちらに来る旨を告げていた。

 この来訪で、ティティーヌの気持ちがぐらつきはしないかと、さぞかし不安に襲われているだろうリュシアン。そしてそうとは知らず、陳腐な計画がまんまと成功したと早とちりをし、勝利宣言までしてここを去るエレナたち。彼らのことを思うと、おかしくて仕方がなかった。


「リュシアンはいつティティーヌに教えるつもりなのかしら」


 ヴィドックが来ることを。彼はまだ告げていないらしい。繊細で臆病な彼のことだ。このまま教えないということも考えられる。となると、突然現れたヴィドックにティティーヌはどんな反応を見せるのか。もしくは、教えられたとしてもすでにリュシアンを受け入れたティティーヌの反応は。


「わくわくするわね」


 年の暮れになれば、さすがのフィーナも自宅に戻らなければならない。サーガと共に屋敷に戻り、メデューサのしきたりに従って年末年始を過ごすのだ。ここでのんびり遊べるのも、そろそろ限界が見えている。楽しいのはこれからだというのに、見届けられないのは本当に残念だ。けれど仕方がない。ここにいる期間、せいぜい楽しませてもらおう。

 リュシアンがティティーヌに伝えたのは、この日の夜明け近くだった。


「ヴィドックが?」


 入浴も済まし、ゆったりした夜着にガウンを羽織ったティティーヌは、ソファーでリュシアンに肩を抱かれていた。彼にもたれかかり、ウトウトと舟をこぎ始めた時だった。一瞬何を言われたのか分からず、つい聞き返したティティーヌに、リュシアンは窺うような眼差しで頷いた。


「正確な日時は分からないが、来週中に来ると連絡があった」


 彼の目は、一度も逸らされることなくティティーヌに注がれていた。一挙手一投足の全てを見逃すまいと。その心は、フィーナが予想した通り、血を飲める期待や喜びよりも不安に満ちていた。

 話を聞いたティティーヌは、一度は強張った様子を見せたものの、次には脱力して目を伏せる。


「……そう」


 再び身体をリュシアンに預け、静かに言った。


「やっと血が飲めるわね」


 ずっと我慢してきたリュシアンを労い、穏やかに微笑む。


「……怖くはないかい?」

「平気よ。リュシアンなら任せられるわ」


 上辺だけじゃなく、今は本当に心からそう思える。まったく怖くないわけじゃない。けれど、彼にならいいと。本心を告げたのに、返ってきたのは曖昧な微笑だった。


「リュシアン?」


 不思議に思って尋ねれば、彼は自嘲して首を振る。


「怖がってるのは、むしろ俺の方だと思ってね」


 ちゃんと自制できるんだろうか。


「そのためにヴィドックがいてくれるんでしょう?」


 確かに、その通りだ。


「だがあなたを死なせずに済んだとしても、自我を失った俺は、あなたやヴィドックに襲いかかるかもしれない」


 大事な人たちを傷つけてしまうかもしれない。

 そうして自嘲をこぼすリュシアンを、今度はティティーヌが抱き締めた。


「大丈夫。前回だってあなたはちゃんと自制できたんだから、きっと大丈夫よ」


 血を飲んだ後もちゃんと自分を保った。立派にティティーヌを救い、友を助けたのだ。

 柔らかい口調で言い聞かせながら、恐怖に怯える彼を宥める。ティティーヌの胸に顔をうずめたリュシアンは、子供のように抱きついた。その頭を、ティティーヌは優しく撫でた。さらさらと流れる黒髪は艶やかで、とても肌触りがいい。髪からほんのりと香ってくる薔薇の香りが、辺りに漂う香水よりも強く鼻をくすぐった。

 ふと、顔を上げたリュシアンと間近で目が合う。きょとんとして小首を傾げると、


「キスしても?」


 ストレートな言葉が耳に入ってきた。

 ティティーヌの脳裏に、ヴィドックの顔がよぎる。それを一瞬で掻き消し、微笑んで頷いた。遠慮がちに触れてきた彼の唇は柔らかく、愛おしむようにティティーヌの唇を啄ばむ。小さく濡れた音が響き、一度離れたと思ったら、また目が合った。

 数秒、無言で見つめ合った。縋るような眼差しを向けられ、ティティーヌも見つめ返した。目を逸らすことができなかった。どうしてそんな顔をするのか、尋ねる前に彼の顔が近づいてくる。反射的に目を閉じると、先程よりも深い口づけを受けた。どことなく、甘えるような口づけだった。時間をかけてじっくり味わう彼は、必死にティティーヌの体を抱き締めてきて、なぜか切実さを感じさせる。長い口づけから解放されると、ティティーヌは思わず彼の背中をぽんぽんと叩いた。軽く息をついて乱れる呼吸を整え、笑顔を見せる。


「リュシアンたら、子供みたい」


 照れ臭そうに頬を染めつつも、おかしそうに笑うティティーヌにリュシアンも苦笑した。


「ティティーヌのせいだよ」


 そんな風に無防備な笑顔を見せるから。愛おしくてたまらなくなる。

 独占欲が際限なく膨れ上がって、同時に同じくらい恐怖も強まる。


 失いたくないと。


 本当は、ヴィドックのことを聞きたかった。

 再会して、気持ちは変わらないだろうか。やっぱりヴィドックの方がいいと、思い直すことは本当にないのか。考えれば考えるほど不安で、怖くて、直接尋ねることなんてできなかった。

 そしてまた、リュシアンはティティーヌに口づける。負の感情から逃げるように。自分の気持ちを紛らわすように。それこそ子供のように。

 ティティーヌは一心にリュシアンを受け止めてくれる。決して拒むことはなく、こんなにも温かく包み込んでくれるのに、どうしても不安を拭えなかった。

 そんな自分に気づいて、ようやくティティーヌから離れる。体を起こしてソファーに座り直すと、滅入った気分で息を吐いた。


「すまない……」


 自分が情けなかった。

 ティティーヌも身体を起こし、浅い呼吸を繰り返しながら乱れた髪を撫でつける。ぎこちない仕草で肌蹴た服も整えると、控えめに微笑んで頭を振った。


「リュシアンはいろんなことを考えすぎだわ。もう時間も遅いし、今日はそろそろ休まない?」


 気遣いの言葉をかけられ、胸が詰まる思いだった。


「そうだな……。そうしよう」


 素直に肯き、彼女の頬に口づける。


「遅い時間に悪かったね」


 きちんと礼を尽くして立ち上がると、静かな声に呼び止められた。


「リュシアン」

 

 振り向いたリュシアンの目に、優しく微笑むティティーヌが映る。


「大好きよ」


 自分にだけ向けられるその視線。その言葉。その笑顔。

 それだけでおかしなくらい満たされる心に、改めて苦笑する。

 再び彼女を抱き締めたい衝動に駆られ、理性で自分を保った。


「俺もだ。おやすみ、ティティーヌ」


 心から伝えて部屋を出ると、人知れず自嘲しながら自室に戻る。きっちり着こなしていたシャツの襟元を緩めると、戸棚からワインを取り出してソファーに座った。濃厚な赤ワインを味わいながら、何度でも彼女の言葉を思い出す。目を閉じ、背もたれに深く身を沈めると、先ほどの口づけを思い出しては指先で唇を撫でた。


「俺もだ……」


 ティティーヌがいてくれるなら、何もいらない。

 たとえ彼女自身が拒んだとしても、きっともう手放せない。

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