吸血鬼2
『ハンター』。
この言葉を聞き、エレナに内緒で命を狙っているのかと誤解しかけたティティーヌを、カルロスは笑顔で否定した。
「俺は、エレナを心から愛しているんだよ」
要するに、ハンターをしていた彼はエレナと出会い、恋に落ちてしまったのだ。駆け落ち同然で故郷を捨て、彼女と共に過ごすことを選んだ。欲深い他のヴァンパイアから狙われることはあっても、ハンターをしていた彼は、自ら敵を蹴散らした。自分で自分の身を守ることができるのだ。だから身の危険に脅えることもなく、妖魔の世界でもこうして動き回れるのだと、品良くマドレーヌを食べながら彼は言う。見境なく襲いかかるミックスは、エレナの存在が抑止役になってくれた。
「むしろ、こっちの世界に来た俺にとっては、同族の男の方がよっぽど危険だ」
ヴァンパイアに心を奪われ、寝返るハンターは徐々に増えているらしい。今は自分が彼女の一番になれていても、いつこの座を奪われるか分からないのが現状だ。その一方で、寝返ったハンターを裏切り者として狙うハンターもいる。心変わりすることなく、ヴァンパイアを駆除しようとするハンターから、エレナを守ることもしなければならない。
カルロスにとっての真の敵は、まさしく人間だった。
もちろん同族でも女性は別だと、しっかり付け足して彼はウインクをする。そして彼は、胸元から真っ白なハンカチを取り出し、丁寧に口元を拭った。
「……カルロスさんは、妖魔が憎くてハンターになったんじゃないんですか?」
そう簡単に寝返ることができるものかと、尋ねるティティーヌに彼は頭を振った。
「別に恨みなんてなかったよ。ただ、一番効率良く稼げるのがハンターだったまでだ。その分危険も伴うけど、報奨金目当てでハンターになる連中は多いんだ」
そして紅茶を含み、充分に味わってから彼は続けた。
「ティティーヌと言ったね。君は、初めてリュシアンに会って驚きはしなかったかい?」
「……どういうことでしょう」
「リュシアンだけじゃない。フランクや、他の妖魔と実際に会って、意外だとは思わなかったかい?」
ティティーヌは出会った当時のことを振り返った。
暴動に巻き込まれ、虫の息になっていたティティーヌを救ってくれたのはリュシアンだった。手当てをしてくれたのはフランクだった。慰め、励ましてくれたのはヴィドックだった。アンリから彼らの正体を聞かされた時は、ひどく驚いたものだ。
妖魔が、こんなにも理性を持つ生き物だったなんてと。
人間と同じじゃないかと、当時の気持ちを思いだしたティティーヌに、カルロスが言う。
「俺は信じられなかった。まともに会話ができるなんて思いもしなかった。人間の町に多く現れるミックスこそが妖魔なんだと、思い込んでいたんだ」
自我を失い、夜の町を徘徊するミックス。人間を前にすると、涎を垂らして飛び掛かる。それこそが妖魔なのだと。本物のヴァンパイアに出会うまでは、ずっとそう思っていた。
「ミックスは……、妖魔ではないんですか?」
カルロスは、深くうなずいて見せた。
「欲に負けて、堕落した人間がミックスだ」
息が詰まり、言葉が出なかった。
ミックスが人間。頭の中で、何度も彼の言葉を反復した。アンリの誘惑に負け、狂気の眼差しを向けてきた彼女達が。血どころか、肉までも食いちぎりそうな勢いだった。それが。
「人間……」
では彼女達は、同じ人間を食おうとしていたわけか。
「どうして……」
そこまで狂ってしまうのか。
思い起こせば、最初から狂っていたわけではなかった。アンリの言葉を聞いたとたん、彼女達は急変したのだ。おこぼれをもらえると、分かったとたんに。
「元を辿れば、ミックスも妖魔もみんな人間なんだけどね」
カルロスは軽い口調で話を進める。
わけが分からなかった。ミックスは妖魔ではないと言いながら、どちらも元は人間だと言う。この違いは一体なんなのか。眉根を寄せたティティーヌに、彼は穏やかに言い聞かせた。
「人間の世界には、妖魔の血を飲むと不老不死になれるという、非常にバカげた迷信があった。そもそもミックスの根源はそこにある。人間が妖魔の血を飲み、拒否反応を起こした成れの果てがミックスだ」
欲に負けて人間を捨てたミックスは、自制の能力が低い。誘惑に弱く、思考能力が極端に欠けた。ただの化け物に退化した彼らは、完全な妖魔にはなれない。かと言って、もう人間にも戻れない。一説では、彼らがヴァンパイアのように人間に強い執着を見せ、襲いかかるのは、無意識に人間に戻りたいという気持ちが潜在しているからだとも言われている。人間を襲い、食らうことで、自分も人間に戻ろうと。だが一度ミックスになった彼らは、もう何者にもなれない。ミックスはミックスでしかないのだ。自制心に欠け、思考能力が低い彼らは、本能にこそ忠実で、やたらと繁殖行為も多い。その結果、ミックスがミックスを生み、ねずみのように増殖していった。
「唯一、彼らを制御できるのが妖魔だ。ヴァンパイアの血が混ざったミックスはヴァンパイアに、人狼の血が混ざったミックスは人狼に従う。それによって連中に規律を与え、暴走を阻止することは可能だが……」
最近はハンターによって純粋な妖魔にも被害が及ぶようになり、暴走するミックスは増える一方だった。
「……つまり、ミックスというのは妖魔の血を飲んだ人間で、妖魔というのは……?」
「奇形の人間から生まれた種族と、人間と獣の子が始まりの種族がいる」
ヴァンパイアやメデューサ、フランケンシュタインなどは、前者に当たる。
人狼やコウモリ人間などは後者だ。
当然、人間の部分をどれほど残しているか、受け継いだかはそれぞれ異なる。だから劣等種族や優等種族なんて部類ができたわけだが、自制心、言語能力、思考能力、理性などをきちんと備え持って繁栄を遂げ、また進化したこれらの種族を総称して妖魔と呼ぶ。ミックスとは、生まれが違うのだ。
「奇形児が生まれるのを防ぐことなんてできないし、愛し合って生まれた子供は望まれて生まれている。妖魔とは、生まれるべくして生まれた種族だ。だがミックスは違う。彼らは生まれるはずのなかった生き物」
だから神の怒りを買ったのかもしれない。低すぎる知能も、欠けた理性も。
確かに、一言で言ってしまえば、ミックスも妖魔も起源は人間。だが独自の進化を遂げ、今では妖魔として確立している種族と、退化したミックスは違うのだ。
どちらも人間が元とは言え、この違いは大きかった。
「今でも誤解しているハンターはかなりいる。人間は、狩猟禁止区域を無視して妖魔が現れていると憤怒してるが、その大半がミックスだ。本物の妖魔はきちんとルールを守っている。中には傲慢な人間に腹を立てて逆襲を図る妖魔もいるが、ほとんどは人間と同じ。争うことなく穏やかに過ごすことを望んでいるんだよ。それを壊し、自らの首を絞めているのは人間だ」
以前、人間は別格なんだと、フィーナに言われた言葉を思い出す。
今なら、彼女が何を言おうとしていたのか、分かる気がした。彼女はメデューサであることを誇りに思っている。そのメデューサの元となった人間は、当然誇り高い生き物でなければいけない。それをティティーヌに気づかせようとしたのだ。退化した人間ではないのだから、自分を卑下せずに品格を持てと。彼女は人間と妖魔ではなく、全てを人間として捉え、その中で分類していたのだ。
「本当の敵は、果たして誰なんだろうね」
穏やかにつぶやかれたカルロスの言葉に、ティティーヌは何も返せなかった。
◇◇◇
「こんな時間にすまないな」
そろそろ朝日が昇ってくるという時間、リュシアンはティティーヌの元を訪れていた。
「まだ眠くないから平気よ」
ティティーヌは快く彼を迎え入れ、ソファーに促した。
就寝前ということもあって、紅茶はストレートではなくミルクティーが出されている。リュシアンはキティを退室させると、昼間と同じようにティティーヌの隣に座った。
「カルロスから、何かいいことが聞けたかい?」
ゆったりとくつろぎ、紅茶を味わう。
「いろんなことを教えてもらったわ。妖魔の起源なども」
「興味深いね」
返された言葉に、ティティーヌはむくれた。
「リュシアンなら、とっくに知ってるんじゃないの?」
子供扱いされてるようで、気に入らなかった。しかし、彼はおかしそうに笑って頭を振る。
「俺が興味深いのは、それを聞いたあなたの気持ちだ」
リュシアンが話すのと、カルロスが話すのとでは、やはり違うものがある。同族として、同じ目線で教えられたことにティティーヌはどう感じたのか。
「……反省したわ」
控えめに言われた言葉に、リュシアンは身を起こした。
「こうやって普通に接していても、心の中ではあなた達に恐怖を感じていたわ。正直……、今でも拭いきれてない」
危険に囲まれた中で、自分を保つことに必死になっていた。
「でもカルロスさんに言われたのよ」
本当の敵は誰なのかと。
「自分と同じように感情を持ってる。思考や理性を持ってる。同じ言葉も話すし、同じ人間の姿をしてる。違うのは、特別な能力があるかどうか。それだけなのに、化け物扱いするなんて失礼よね」
人間の中にもいろんな人種がいるように、妖魔にもいろんな種族がいる。人種や種族が違うというだけで、駆除の対象にするのは間違ってる。
「現にリュシアンはこんなにも良くしてくれてる。他のみんなも。改めてそれに気づいたから、反省したわ」
本当は、彼らに助けられた時点で気づいていたはずなのに。
大事な家族を奪ったのは人間だった。死にかけたティティーヌを救い、守ってくれたのは妖魔だった。
「いい人もいれば悪い人もいる。それは人間も妖魔も同じよね」
自分に言い聞かせるように話したティティーヌに、リュシアンは微笑んだ。
「そう言ってもらえると、血を我慢している甲斐があるね」
さらりと言われた言葉に、ティティーヌは思わずびくりと反応する。
気づいてリュシアンは、ゆっくりカップをテーブルに置いた。彼女の方に体を向け、のぞき込むように表情を窺う。
「……怖い?」
ティティーヌは強張った表情で小さく唾を呑み込んだ。
「俺を信用できる?」
尋ねられ、怯えつつも無言でうなずく。
リュシアンなら信用できる。今までの彼を見ていれば、確信を持ってそう言えると思った。しかし怖いものは仕方がないというのが本音だ。飢えた彼を前に平然としていられる自信はなかった。
くすりと、リュシアンが笑う。
「なら安心してくれ。約束は守る。血をもらうのは月に一度。ヴィドックがいる時のみだ」
それ以外では決してもらわない。
「……辛くない?」
「辛い時は正直に言うよ。その上で退室する。もしくは、あなたとは会わない」
飢えて襲いかかるようなことは、決してしない。したくない。
「血の匂いがあまりしない今のあなたなら、大概は平気だと思うけどね」
こうして普通に過ごすこともできる。むしろ今は食欲よりも――
「リュシアン?」
「少しだけ、こうしてて」
彼女の膝枕を借りて横たわり、目を閉じた。
しばらくして、頭上からか細い声が聞こえてくる。
「温室造り……、忙しいの?」
「大変なことなんて何もないよ」
かすかに漂う血の匂いと、彼女の温もりが心地良かった。
「体……、大事にしてね……」
恐る恐る乗せられた手が、優しく頭を撫でてくれる。
「……ティティーヌ」
「……うん?」
俺が気持ちを伝えたら、あなたは困るだろうか。
「……いや、なんでもない」
「どうしたの? リュシアンらしくない」
何も知らない彼女は、くすくすと笑っている。
エレナから言われた言葉が、脳裏に蘇っていた。
まずは男として見てもらえなきゃ、何も始まらないのだと。
ゆっくりと目を開け、彼女を見上げる。
なんとなく手を伸ばし、彼女の頬を指の背で撫でた。
「……リュシアン?」
柔らかい頬が、ほんのりと赤みを帯びていく。そのまま指を滑らせ、唇に触れた。
「あの……」
動揺しきった声を紡ぐ唇が、小さく震えている。唇の端から端へと、紅を引くように指でなぞった。ティティーヌの顔はますます紅潮し、次第に目が潤んでいく。
――まるで誘ってるようだな。
彼女が困っていると分かっていても、そう思わずにいられなかった。
何かを言おうとしているのだろうが、唇に触れられているのが気になるのか言葉が出てこない。それが分かっていて、わざとリュシアンは続けた。この空気を壊したくなくて。もっと味わっていたくて。じっと彼女の表情を見つめながら、柔らかい唇に触れ続けた。
いよいよ耐えかねた彼女が、固く目を閉じて唇も引き結ぶ。惜しいと思いながらも限界を察し、リュシアンは指を離した。
「からかわないで!」
彼女が言うのと、ほとんど同時だった。
リュシアンは体を起こし、間近でティティーヌを見つめる。
「……酔ってるの?」
「いや」
「じゃあ、なんで……」
困惑して今にも泣きそうな様子の彼女に、そっとささやく。
「食欲と性欲は別なんだよ」
茹でた蛸とはよく言ったものだと思う。まさしく彼女は、茹で蛸のように顔を真っ赤に染めた。あまりの分かりやすさにうっかり声を出して笑うと、紅潮した彼女の頬が一気に膨れ上がっていく。
「やっぱりからかってるじゃない!」
「……悪い。あなたがあまりにも素直なんでつい、ね」
これ以上怒らせるのはさすがにマズいだろう。
引き時を鋭く感じ取り、リュシアンは立ち上がった。
「そろそろ戻るよ。おやすみ」
今度は挨拶のつもりで頬に口づけたのだが、先ほどの延長でこれは失敗だった。
「もうっ!」
クッションを投げつけられ、リュシアンは笑いながら退散した。
男として見てもらいたい気持ちは当然ある。だがリュシアンとヴィドックでは、全くタイプが違う。だからこそ気持ちを言葉で告げるのは、まだ勇気が足りなかった。言わずとも、こちらの行動の意味に気づいてくれたら。態度から感じ取って、俺のことも意識してくれたら。そう思わずにはいられなかった。




