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ROSA  作者: 藤 子
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淡 恋4

 もう、ヴィドックは頼れない。

 キティとの馴れ合いも許されない。友達もいない。

 故郷にも帰れず、部屋から出ることすらできない。

 この未知の世界で、自由を失い、危険と共存していかなければならないのだ。


(傷が治るまで)


 完治するまでの我慢。その間、できる限りの恩返しをしよう。

 ベッドで横になりながら、ティティーヌは改めて考えていた。

 この傷が治ったら、故郷に帰らせてもらおうと。




 ◇◇◇




 重厚な雰囲気が漂う書庫は、さすがに少し埃っぽい。

 地下という場所のせいもあるかも知れない。

 ひと気がなく、静まり返ったそこで調べ物をしていたリュシアンに、ヴィドックが声をかけた。


「あいつの護衛は女一人で大丈夫なのか?」


 リュシアンはページを見つめながら答える。


「一応、他の見張りもつけるつもりだ。彼女には内緒でな」


 たとえキティが二度目の失敗をしなくとも、やはり女一人では頼りない。再発を防ぐためにも、そのことについてはリュシアンも考えていた。だがあからさまに何人もの護衛をつけて、彼女を脅えさせるのは避けたい。そこでフランクの部下に命じ、本人に気づかれないよう護衛をさせようと思っていたところだった。


 今月中はヴィドックがいるといっても、今の彼はまだ万全じゃない。完治してから残りの期間もわずかだ。その頃にはリュシアンも今以上に彼女の傍にいられるとは思うが、常に付き添うことはできないし、どちらにしろ対策は必要だった。

 ぱたりと開いていた本を閉じ、リュシアンは振り返る。


「人狼は、一夫一妻制だったか」


 腕を組み、本棚に寄りかかっていたヴィドックは、体を起こして答えた。


「基本はな。だが他の種族に比べて婚姻を結ばない連中が多い」

「お前には当てはまらんだろう?」


 意味深な言葉。二人の視線が交わった。

 互いの目が合ったまま、静かに言葉を交わす。


「そういうヴァンパイアは一夫多妻制だったな」

「ああ。正確には重婚制だ。一妻多夫という場合もあるからな。元々は人間という愛人を多く持っていた種族だ。同時に複数の異性を愛することが問題視されたことはない」

「お前自身は?」


 目を逸らし、リュシアンは再び本棚を見つめる。


「食欲と性欲は別だ。なのに同じ対象に両方を感じるというのはおかしいと思わないか?」


 新たな本を選びながら、皮肉を交えて言ってみると、抑揚のない声が返ってきた。


「ヴァンパイアのことはよく分からん」

「同じ男として聞いてる」

「そもそも、それはヴァンパイア特有のものだろう。同じ男として言える意見はない」


 彼らしい答えだ。

 思わず口元を緩めたリュシアンに、ヴィドックの淡々とした声がかけられた。


「ティティーヌに惹かれてるなら、そう言えばいい」


 何の躊躇いもなく核心を突かれ、一瞬言葉に詰まった。だが次には、自嘲をこぼす。


「お前はいつでも単純明快だな」


 人狼のリーダーという立場柄もあるかも知れない。元々狼は群れで行動する動物だ。上下関係や階級が確立し、群れをまとめるためにリーダーが常に独断的でなければならない。そのためか、彼は思い悩むということがあまりない。それでも人間が基盤だから、純粋な狼と異なるところも多いだろうが。


「その潔さが羨ましいよ」


 逆にヴァンパイアは、単独で動く種族だ。群れることはあまりない。他の種族と手を組むことはあっても、同族の、特に同性とはよほどのことがない限りあり得ない。だからこそ、ミックスだけでなくコウモリ人間などの(しもべ)がいる。小さなことにこだわったり、長い時間思い悩むこともしばしばだ。

 そういう意味では、リュシアンとヴィドックは対極だからこそウマが合っているのかも知れない。


「クレイが言ってたんだが……、ヴァンパイアと人間の間に、対等の友情や愛情というものはないらしい」

「それは奴の考えだろう」

「ヴァンパイアの考えだと、強調された」

「だがお前も同じとは限らない」


 確かに。リュシアンも同感だった。

 でも今は、クレイの言葉が正しければと、つい思ってしまう。

 自分の中に、ティティーヌへの特別な感情を見つけてしまったから。それはおそらく、彼女にとって信じられるものではないだろう。血への執着がなくならない限り。

 正直、リュシアンにも分からない。呪縛が消えても、本当に気持ちは変わらないのか。

 だからいっそ、この気持ちが偽りならばと。

 ティティーヌはヴィドックに懐き、ヴィドックはティティーヌに惹かれている。それが分かるから。


(俺は……)


 彼らを困らせたいわけじゃないのだ。何が最良か、答えは分かっているのに。


「自信がないなら、もう一人人間を探したらどうだ」


 鋭く胸の内を見抜いて、ヴィドックが言う。


「そんな簡単に見つかるなら、とっくにそうしてるさ」


 投げやりな笑みと共に、ゆるく頭を振った。

 もし、もう一人人間を手に入れることができたら。

 ティティーヌと同じように、もう一人も愛せたなら。


「俺がティティーヌを手放したら、お前は引き取るか?」


 振り向くと、彼の視線がこちらに向けられる。


「新しい人間が手に入っても、お前はティティーヌを手放さない」


 ヴァンパイアは一度に複数の対象を愛せる。それを分かった上で、ヴィドックは冷静に答えた。


「だが、別の女と同時進行であいつを想うというなら、俺は奪う」


 今までと同じ、淡々とした口調だったが、そこには有無を言わさない強さがあった。


「……そうか」


 リュシアンは小さく口元を上げた。


「それを聞けて良かった」


 かすかに感じていたヴィドックへの引け目が、消えていくような気がした。

 やはりヴィドックはティティーヌに惹かれているのだ。最初は同類に対する親近感だったかも知れない。だが命を懸けてまで救おうとしたのは、愛情からだ。場合によっては、友から奪うことも厭わないと宣戦布告を受け、逆に靄がかかっていた気持ちが晴れていった。

 リュシアンは向き直り、真っ直ぐヴィドックを見つめた。


「俺も彼女に惹かれてるのは確かだ。それは伝えておく」


 友人だからと、気持ちを隠すことはしない。だがヴィドックとの間に軋轢を作るつもりもないと。

 伝えると、今度はヴィドックが笑った。


「気持ちは個人の自由だ。好きにしろ」


 俺も好きにするからと、言っているのだと分かって、リュシアンはうなずいた。




 ◇◇◇




 冷や汗が止まらない。

 忙しなく服の袖で拭いながら、引きつりそうな顔を必死にこらえていた。

 こんな時、せめてポールがいてくれたら少しは心強かったと思うが、相棒はまだ森に行ったきり帰ってこない。妹がいない今のうちにと仕方なく部屋を抜けてこうして来たわけだが、どうにも緊張がほぐれなくて半ば石化した気分だった。

 目の前では、枕を背もたれにしてベッドに座っているティティーヌがいる。なかなか直視できず、ちらちらと窺うように彼女を見ていたが、いよいよ場の空気に耐えられなくなり、スツールから立ち上がって勢い良く土下座をした。――が、正確には左足が骨折のため曲げられず、リハビリでもしているかのようなおかしな格好だ。


「悪かった!」


 床に額をこれでもかとこすりつけ、とにかく謝る。


兄妹(きょうだい)揃って迷惑をかけちまって!」


 傍らでは、キティがぽかんと口を開けて見ている。謝られたティティーヌもきょとんとして、どこか呆気にとられた様子だ。しかしサーガは、そんなことはおかまいなしになりふり構わず頭を下げる。


「本当に申し訳ねえと思ってる!」


 何しろ、クレイの屋敷では見事に一刀両断されている。それが洗脳によるものだったとしても、自分達の非を静かに非難するティティーヌには凄みがあった。お陰で、完全に苦手意識を抱いてしまった。これ以上怒らせないためにも、ここできちんとけじめをつけておく必要があったが。


「先日、フィーナも謝りに来てくれたわ。二人とも律儀なのね」


 その穏やかさが逆に怖かった。


「あいつが……、フィーナがクレイに加担したのは、俺のせいなんだ。俺があいつを逆撫でするようなことをしたから……」


 ティティーヌを危険に晒してしまった。


「リュシアンにもでかい借りを作っちまったし、ヴィドックにも迷惑をかけちまった。それもこれも、みんな俺達の責任だ」


 クレイにつけ入る隙を与えたりしなければ、防げたかも知れないことだ。リュシアンもヴィドックも、優秀な能力を持っている。自分達がヘマをしなければ彼らは――


「……変わった兄妹ね」


 ひたすら自分を責めていたサーガの耳に、静かな声が入った。恐る恐る顔を上げると、優しく微笑むティティーヌがいる。


「迷惑をかけたのはお互い様だわ」


 そんなことしないで座ってくれと、促されて今度はサーガが呆気にとられた。


「……怒ってるんじゃ?」


 そうじゃなければ、脅えられるだろうと思っていたのだが。


「怒ってるように見える?」


 聞き返され、慌てて首を横に振った。


「なら怒ってないのよ」


 その笑顔に、頭が真っ白になっていく。許してもらえたのだと分かったとたん、一気に体の力が抜けていった。


「あぁー……、良かったぁ……」


 心からつぶやいた。大きな安堵が津波のように押し寄せて、だらしなくスツールに腰かけた。


「俺はてっきり追い返されるかと思ってたよ」


 ばつが悪そうに頭を掻くと、くすくすと笑われる。今の穏やかなティティーヌこそが普段の彼女なのだと感じ、ようやく気持ちが楽になった。情けない姿を平気で見せる彼に、警戒していたキティまでもが笑っている。

 ティティーヌの方も、ホっとして肩の力を抜いた。

 あのフィーナの兄というくらいだから、どんな人なのかと内心ではかなり緊張していたのだ。しかし実際に会ってみると、あまりにも気さくな人で恐怖がいっぺんに吹き飛んだ。素直で実直な人らしい。この人の妹なら、フィーナも本当はいい人なのかも知れない。そう思わせるだけの魅力がサーガにはあった。それに、リュシアンやヴィドックと交流があるのなら、悪い人だとは思えない。密かに安心するティティーヌに、サーガが苦笑交じりに言った。


「考えてみりゃあ、あのヴィドックが気に入るくらいだもんな。悪い人じゃねえよな」


 思っていたことと同じことを言われ、驚いた。


「……彼が、……私を?」


 聞き間違いかと思って尋ねれば、サーガは当たり前のようにうなずく。


「あいつはいい奴だ。一見気難しそうに見せてるが、そりゃわざとなんだよ。根は熱いもんを持ってんだが、いろんなしがらみのせいでそれを隠してんだ。そんなあいつがティティーヌちゃんを助けるためになりふり構わず突っかかっていったんだぜ?」


 つまりそれほど気に入っていると。普段の強固な仮面を剥がし、素の自分を曝け出してでも助けようとしたくらい。


「普段ならあり得ねえことだよ」


 ティティーヌはかすかに目を伏せた。


「……彼のことを信頼してるのね」

「俺が一方的に気に入ってるだけだけどな」


 元々人狼という種族は馴れ合いを好まないから。

 嫌ってるわけじゃない。むしろ好きだと思っても、完全に心を許すことはしない。

 ヴィドックは特に、種族の中でも拍車がかかっていると思う。


「人狼ってのは厳しい種族だ。ことに、あいつに関してはな。人一倍苦労してると思うぜ? 普段のあいつは『ヴィドック』じゃなくて『頭首』なんだ。フィーナの厚化粧なんか比べもんになんねえくらい分厚い面の皮を被ってる」


 誰にも心を許さない。常に冷静沈着であり、孤独でなければならない。

 長になるからには、私情の一切を捨て、種族のことだけを考えなければならない。

 平等な判断能力を保つために、伴侶以外の特別な対象を作ってはいけない。


「でもあいつは神様じゃねえ。俺達と同じように感情がある。だから時々ここに来てこっそり息抜きしてんのさ」


 決して弱みは見せない。弱音を吐くわけでもない。ただここで『ヴィドック』として友人と過ごすことで、気休めにしている。


「そんなあいつが気に入ってんだから、ティティーヌちゃんもいい人だってことだ」


 言って、にっこりと無邪気な笑みを浮かべた彼に、ティティーヌもつられて口元を上げた。


「……サーガ。励ましてくれるのは嬉しいけど、そろそろ戻った方がいいんじゃないかしら」

「え?」


 いい調子で話していたサーガは、ふとティティーヌの視線が自分に向けられていないことに気づき、振り返る。その先には、


「誰が厚化粧ですって?」


 部屋の入り口で扉にもたれ、恐ろしいまでに穏やかな笑みを浮かべるフィーナがいた。


「げ」


 とたんに顔を引きつらせたサーガの襟首を、彼女は容赦なく掴んでイスから引き摺り下ろす。


「痛え! お前足! 俺は足を怪我してんだぞっ⁉」


 悲鳴を上げる彼をさらりと無視し、フィーナはティティーヌに微笑んだ。


「兄が邪魔したわね」


 ティティーヌもにっこり微笑んだ。


「素敵なお兄さんね。私には兄がいないから羨ましいわ」

「なんなら、俺が兄ちゃんになってやっても……」

「兄さんは黙って部屋に戻ってちょうだい。まだ安静にしてろって言われたでしょ」


 調子に乗って口をはさもうとしたサーガを、フィーナはぴしゃりと言い伏せた。


「あーあ。こいつがいちゃのんびり話もできねえぜ。ティティーヌちゃん、またな」


 長居は得策ではないと悟ったのか、サーガも大人しく出て行った。

 すぐにフィーナも後を追うかと思いきや、彼女は真顔でティティーヌを振り返る。


「あの通り、兄は単純なの。その気にさせるようなことはしないで」


 ティティーヌは微笑みを保ったまま答えた。


「大事なのね」

「……ヴィドックのことが知りたいなら、私が教えてあげるわ」


 口調には明らかに棘があった。


「兄をたぶらかすのだけは許さないから。覚えておいて」


 言い捨て、彼女は出て行った。

 と同時に、一気に緊張の糸がほどける。ティティーヌがほっと胸を撫で下ろす一方で、キティは顔をしかめて扉を睨んでいた。


「嫌な感じですね。サーガ様とご兄妹とは思えません」


 ティティーヌは答えず、苦笑するにとどまった。


「頭が重いから、少し休むわ。まだ本調子じゃないみたい。夕食になっても起きなかったら起こしてくれる?」

「分かりました」


 ベッドに横たわり、布団をかぶって彼女に背を向けた。

 ヴィドックの優しい眼差しが脳裏に蘇る。


(彼が、私を)


 気に入ってくれてるのだと知って、素直に喜ぶ自分がいた。だがその一方では、種族の違う彼が本気で見てくれるわけがないと、冷静に捉える自分がいる。たとえ気に入られていても、傍にいたいと思うほどじゃない。手に入れたいと思うほどではないのだと、舞い上がりかけた自分を説き伏せた。

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