生 贄8
「フランク!」
張りのある男の声が響き渡った。
ティティーヌに付き添い、看病をしていたフィーナがガタリとスツールから立ち上がる。
「フランク! バーンズ! 出てきてくれっ!」
しゃがれた声を必死に張り上げ、フランク達を呼んでいる。
(この、声は)
ティティーヌがいる部屋は、窓を開けることができない。
フィーナは一刻も早く確かめるべく、部屋を飛び出した。
丈の長いドレスが煩わしい。
「中へ運んでくれ!」
聞き覚えのある声が、ロビーに反響していた。
涙で視界が歪んでいく。
「ミックスが脅えてんじゃねえか! 早く扉を閉めろ! 日差しが入ってんぞ!」
「兄さんっ!」
階段を下り切る途中で叫ぶと、自分と同じ橙の髪をした男が顔を上げた。
足元に、石化したリュシアンが置かれている。
男は顔いっぱいに口を広げ、ニカっと笑った。
「よお! 今戻ったぞ!」
服はボロボロに破れ、全身をべったりと赤黒い血で染めながら、適度なサイズに縮めた蛇に寄りかかっている。
「よおじゃないわよ……、バカ……」
フィーナは泣きながら笑みを浮かべた。
石化したリュシアンに、アンリがしがみついて泣いている。
「こらこら、アンリ。勝手にリュシアンを殺すな」
サーガは眉尻を下げ、苦笑しながらアンリの頭をくしゃりと撫でた。
「死んじゃいねえから安心しろ」
「ありがと、サーガぁ!」
「うお! 痛えっ! バカ! 足折れてんだから触るな!」
「え、ごめん。どっち? こっち?」
「!」
抱きついたアンリに足をつつかれ、サーガは涙目で絶句した。
「故意じゃない。わざとじゃねえんだ。怒るな。サーガ、大人気ねえぞ。怒るな怒るな……」
感極まって涙を見せていたフィーナの頬が引きつった。
目の前で何やらぶつぶつ自分に言い聞かせている兄を見て。
「これは私の兄じゃない。彼と私に流れる血は同じじゃない。そう、同じじゃないわ……」
フィーナもぶつぶつつぶやいた。
そこに、フランクが申し訳なさそうに口をはさむ。
「どちら様でもいいですが、そろそろご主人様を元に戻して頂けませんでしょうか」
「おっと、そうだった! アンリ、離れろ!」
「うん」
気づいたサーガが、ポールの助けを借りてしゃがみ込む。
石化したリュシアンとしっかり目を合わせ、一瞬にして彼を元の姿へと戻した。
「……着いたのか」
リュシアンはぼーっと辺りを見回し、どことなく腑抜けている。
「お帰りなさいませ。ご無事で何よりでございます」
フランクが頭を下げると、無言でうなずいた。
そしてちらりと視線を動かす。目が合ったフィーナは、無意識のうちに唾を呑み込んで身構えた。
「ヴィドックとティティーヌは」
「……二人共休んでるわ。衰弱してるけど、命に別状はないそうよ」
その言葉を聞き、リュシアンはすぐに思考を切り替えた。
「フランク」
「はい」
「医者を呼んでサーガの手当てをさせろ。俺は風呂に入る。その後はすぐに寝る。着替えの用意をしてくれ。念のため、医者はひと月ほど住み込みにさせろ」
「畏まりました」
フィーナは、胸が押し潰される思いで彼の言葉を待っていた。
事件が片付いた今、叱られる覚悟はできている。しかし、どんな罵声を浴びせられるかと考えると、胃が縮まる思いだった。普段は紳士な彼だけに、怒らせるのは怖かった。
「サーガ。腹はすいているか?」
「ペコペコだ」
「分かった。すぐに用意させよう。バーンズ。サーガを部屋に運んでやれ」
「御意」
フィーナの思いなど気づいてもいないのか、リュシアンはふと目を細める。
「アンリ」
バーンズの影で立ち尽くし、先ほどからずっと視線を注いでいた彼を呼んだ。
「……はい」
アンリはうつむきながら、素直に返事をして歩み寄る。その頭を、ぽんとリュシアンは撫でた。
「隈ができてるな。寝てなかったのか」
アンリの顔が歪んだ。
「だって……」
上半身裸のまま、リュシアンは膝をついてアンリの顔をのぞき込む。
「死んじゃったらどうしようって……、僕、僕のせいで……、ごめんなさい……」
ぽろぽろと大粒の涙をこぼすアンリに、彼は微笑んだ。
「心配をかけて悪かった。俺は大丈夫だから、お前ももう寝ろ」
労ってもらったことが意外だったのか、アンリは目を見開いてリュシアンを見ている。少し腫れてきた瞼を大きく持ち上げ、呆然としていた。
そんな彼に、リュシアンの表情が引き締まる。
「まだ罰が終わった報告は受けていない。今日一日休んだら、すぐに再開しろ。いいな?」
アンリは笑顔でうなずいた。
「はい!」
元気良く自室に戻っていく。嬉しそうに。軽い足取りで。
「……罰を与えられてなぜ喜ぶのかしら」
思わず口に出してしまったフィーナに、リュシアンが振り返る。
いよいよ自分の番だと悟り、彼女は背筋を伸ばした。
アンリが許してもらえたなら、もしかして自分も許してもらえるかも知れない。
しかし彼はまだ子供だ。大人のフィーナまで同じとは限らない。
でもリュシアンは紳士だ。まさか手を上げることは――
ゆっくりとリュシアンが近づいてくるその間に、様々な思いが脳裏をかすめた。
「フィーナ」
彼が静かに、低い声で呼ぶ。
目が逸らせなかった。言葉も出ない。
「申し訳ないが、俺は今回君がしたことをなかったことにはできない」
ゆっくりと紡がれる言葉が、フィーナの心に深く突き刺さっていく。
「君はアンリとは違う。自分の力できちんと分別ができる。にも関わらず、一時の感情で勘気を起こし、子供染みた行動をとった」
気圧され、相槌さえできなかった。
「こうなった責任をどうとるつもりか、教えて欲しい」
恐怖から喉が詰まったような感覚がした。
それを強引に押し開き、声を絞り出す。
「どんなことでも……、受けるわ」
唇が震えた。
リュシアンは真剣な表情でうなずいた。
「サーガを思う君の気持ちは分からなくもない。その気持ちに免じて今回は見逃そう。ただし、二度目はないと思ってくれ」
ようやく結論を聞き、どっと安堵が押し寄せる。
「……ええ。分かったわ。ありがとう……」
胸を撫で下ろし、大きく息をついた。
気づけば、額から玉のような汗が噴き出していた。
忙しなくハンカチで冷や汗を拭うフィーナに、リュシアンがくすりと笑う。
「そんなに脅えなくとも、君に危害は加えないよ」
いつもの彼に戻ったと気づき、フィーナは口を尖らせた。
「今回は本当に悪かったと思ってるわ。殴られる覚悟までしてたんだから」
彼に限ってそんなことはないと思いつつ、確信は持てなかった。
実際に、彼の親友であるヴィドックがあそこまで大怪我を負っているのだ。
張り手の一発や二発はあるかも知れないと、内心肝が潰れる思いだった。
「サーガが動けるようになるまで、ここに留まるといい。足が折れてるから、看病をしてやってくれ。あれでは何かと不便だろうしね」
「兄妹揃ってご迷惑かけるわね」
「今回は彼にも本当に助けられた。留まることに関しては気にしなくていい」
「ティティーヌの看病はいいの?」
肩の力が抜けると同時、そういえばと思い出したフィーナに、リュシアンは小さく口元を上げた。
「彼女には、どうしてもと名乗り出てる者がいるんでね。そちらに頼むよ」
「……そう」
使用人はミックスだから危険だし、自分以外に傍につける女がいただろうか。
首を傾げるフィーナだったが、彼がそう言うならいるんだろうと納得した。
(彼女に私を近づけたくないのかも知れないし)
こればかりは身から出た錆だ。助けてやりたい気持ちはあるが、仕方ない。
そう考えていたところ、屋敷中に響き渡るような悲鳴が轟く。
「痛えー! 先生痛えよ! もっと優しっ……うぎゃああぁぁ……」
フィーナはこめかみを押さえた。リュシアンがくつくつと笑っている。
「あのバカ兄……」
最後まで言葉が続かない。
フィーナは荒い足取りで階段を上っていった。
「あ、フィーナ!」
中二階についた辺りで、下からリュシアンが呼び止める。
「俺達がいない間、ここを仕切ってくれたのは君だろう? 感謝するよ」
艶のある笑みで言われ、思いがけない言葉に驚いた。
「……落ち着いたら、ティティーヌ達にも謝りに行くわ」
なんだか照れ臭くて、そっぽを向いて答えた。
足早に階段を上っていく彼女を見送り、リュシアンは小さく笑う。
踵を返し、何歩か歩いたところで壁に手をつけた。
その場に崩れ落ち、大きく息を吐く。全身が悲鳴を上げていた。クレイに勝ったとはいえ、こちらも無傷ではないのだ。相手は同族。互いに血を飲み、力が増した者同士の戦いは、正直壮絶だった。一発一発の威力が大きく、その分ダメージも大きい。リュシアンもまた、クレイから多くの拳や蹴りを受け、傷だらけだった。
「ご主人様……。今夜のご入浴は控えた方がよろしいかと」
戻ってきたフランクが声をかける。彼の後ろには、数人のコウモリ人間がいた。フランクの部下達だ。
「お部屋にお湯の用意をしております。今日のところはお体を拭い、汚れを落とす程度にいたしましょう。早めの手当ても必要です」
リュシアンはわずかに自嘲を漏らし、うなずいた。
「そうだな……。部屋まで手を貸してくれ」
両腕をコウモリ人間に支えられながら、おぼつかない足取りで自室へ向かった。
◇◇◇
「派手にやったもんだなぁ」
竜巻にでも遭ったかのように悲惨な状態と化した部屋で、呑気につぶやいた。こちらもまた、全身が痛く、起き上がれない。静けさを取り戻したその場所で、クレイは動くことができずにいた。
そこに、一人のコウモリ人間が姿を見せる。フランクよりも肌が黒い、中年の男だった。
「シモンか……」
クレイが最も信頼を置いている僕だ。
「宜しかったのですか?」
言葉少なに尋ねられ、クレイは笑った。
「なんだ、手助けの準備でもしてたのかい?」
「追いかけるなら今すぐにでも可能ですが」
急な命令にも守備良く応えられるよう、すでに精鋭達を待機させていたらしい。
有能な部下を誇らしく思いながらも、クレイはゆるく頭を振った。
「もういい……。負けは負けだ………」
正直、これ以上戦う気力がない。部下を向かわせ、運良くティティーヌを奪えたとしても、また奪い返されるのがオチだ。こっちはヴァンパイア一人とコウモリ人間。向こうはヴァンパイアに人狼にメデューサまでいる。そして自分はもうティティーヌの血を飲めず、逆にリュシアンは彼女から血をもらえる。勝敗は目に見えていた。彼らと再戦するくらいなら、新たな人間を探しに行った方がまだ利口というものだ。
「私も……、探してみるか……」
奪うのではなく。ティティーヌがリュシアンを望んだように、自らそばにいてくれる人間を。
クレイだけの『生贄』を。
思って、クレイは声もなく笑った。
脳裏にリュシアンの言葉が蘇る。
――彼女は俺の友だ。
それこそ、あり得ない話だと思う。ヴァンパイアと人間の友情など、聞いたことがない。人間をペットとして可愛がるのであれば、絆や情が生まれることもあるだろう。だがあくまでも互いの関係が対等になることはないのだ。
恋愛についても同じようなことが言える。ヴァンパイアにとって人間は、愛人にはなれても恋人にはなれない。血の呪縛がある限り、食欲を感じてしまう対象を伴侶になどできるわけがないのだ。
リュシアンの言葉は所詮きれいごと。彼もいつかは気づくだろう。誇り高いヴァンパイアが最後に選ぶのは、やはり誇り高いヴァンパイアであると。それでもティティーヌを手放すことはできない。結局、彼女はリュシアンにとって血を供給する生贄でしかなり得ないのだと。
「自室に戻る……」
「御意」
差し込む日差しを避けながら、クレイはシモンの手を借り、崩壊した部屋を後にした。




