表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ROSA  作者: 藤 子
20/65

生 贄5

「ヴィドック……」


 涙で頬を濡らし、彼を求めるティティーヌに、クレイは目を見開いた。


「まさか……」


 思わず小声でつぶやいた。


(そんなわけが)


 洗脳は完璧だった。ティティーヌの心は完全に操れた。

 確かに彼女は術がかかりにくかったが、一度侵された心を、再び元に戻すことなどあり得ない。過去にも例外の人間は山ほどいるが、それは全て最初から操れない人間だった。能力は、効くか効かないかのどちらかなのだ。一度でも効いてしまえば、人間は自力で解くことができない。解いたという前例もないのに。


「助けて……」


 すでに去ってしまった彼らを求め、ティティーヌは必死に呼びかけている。


「ティティーヌ……」


 戸惑いながらも、クレイは彼女にささやいた。

 こうなった以上、再び彼女の心を支配するより、他に方法はなかった。


「落ち着いて、ティティーヌ。無理をすると傷口が開くよ」

「いや……」

「寂しい気持ちは分かるけど、あなたが決めたことだろう?」

「違う、私じゃない……。ヴィドックっ……、リュシアンっ……!」


 もがく彼女にクレイは眉根をひそめ、強引に抱き寄せた。


「興奮しないで……、落ち着いて……」


 耳元で、彼女の脳へとささやきかける。


「大丈夫だから、怖がらないで」


 甘い声で言いながら、彼女の耳たぶをぺろりと舐め、甘噛みした。


「……や……」


 か細い抵抗を続けるティティーヌを押し倒し、首筋を這うように唇で伝っていく。少しずつ、抵抗が弱まっていくのを感じながら、クレイは彼女の首に吸いついた。包帯の上、耳の少し下辺り、赤ん坊が母乳を飲むように力を入れずに吸っていく。くっきりと印がつくと、間近で顔をのぞき込み、改めて告げる。


「愛しているよ」


 ティティーヌの抵抗が完全に止まった。


「あなただけを愛してる」


 優しく頬を撫で、指先を滑らせていく。


「ずっとここに、私の傍にいて」


 懇願しながら、ブラウスのボタンをはずそうとした。

 突然、部屋の扉が。荒々しく蹴破られた。

 開け放たれた扉の向こうに、ヴィドックが立っていた。

 ティティーヌはびくりと肩を弾ませ、みるみるうちに顔を赤く染めていく。


「帰ったんじゃなかったのかい? ヴィドック」


 クレイが振り返り、微笑んだ。


「……ティティーヌ」


 ヴィドックはティティーヌだけを見つめて言った。


「俺を呼んだだろう」

「ああ。そういえば、人狼は耳もいいんだったね。恥ずかしい声を聞かれてしまったかな」


 笑みをこぼすクレイを、ティティーヌは真っ赤な顔で睨みつけた。


「もう、クレイが変なことするから……」

「ごめんごめん。悪かったよ」

 

 じゃれ合う二人を前に、ヴィドックは立ち尽くしている。


「ヴィドック!」


 リュシアンとサーガも戻ってきた。


「ごめんなさい。なんでもないの。クレイがあまりにもふざけるから……、あの、ほら、クレイもちゃんと謝って」

「分かったよ。悪かったって」


 本人から言われては、どうすることもできない。

 ヴィドックは無言でティティーヌを見つめた後、踵を返した。


「……邪魔したな」


 今度こそ帰ろうと足を進める。


「あのっ……、ごめんなさい、本当に……。帰りは、気をつけてね……」


 申し訳なさそうな顔で、ティティーヌは慌てて声をかけてきた。


「もう……、会えない?」


 後ろから聞こえる頼りない声に、振り向きもせずヴィドックは答えた。


「俺がここに来ることはない」


 違和感を感じたのはその時だった。


「ヴィドック……。待って……。ごめんなさい、私……」


 彼女の声が震え、動揺が見られた。


「ティティーヌ?」


 リュシアンが不審の眼差しを向けている。


「私……」

「ティティーヌ。もう休んでと言ってるだろう?」


 クレイが言葉を遮り、一瞬微笑んだティティーヌだったが、振り返ったヴィドックを見て、ぽとりと涙をこぼした。


「助け、て……」


 クレイが小さく舌打ちした。

 何の躊躇いもなく、ティティーヌの腹に拳を沈める。


「ティティーヌ!」


 とっさに叫んだリュシアンに、彼は妖艶な微笑みを向けた。


「残念。もう少しだったのに」


 気絶したティティーヌをベッドに寝かせ、ゆらりと彼は立ち上がる。


「やはり……、操っていたのか」


 リュシアンが顔を歪め、歯軋りをした。


「同族の血を飲んだ影響だろうね。君のような一般的なヴァンパイアが駄目でも、禁忌を犯した私なら可能なようだよ。まあ、それでも不完全だったけどね」


 悪びれもなく、クレイは平然と言う。


「だからと言って、君達は私には敵わない。大人しく帰ってくれないかな」


 そう言って、にっこり微笑んだ彼を前に、ヴィドックが吼えた。

 一瞬にして狼へと姿を変え、勢い良く飛び掛かっていく。


「無理だと言ってるのに、まだ分からないのかい?」


 クレイは笑顔のまま彼を迎撃し、軽やかに蹴り飛ばした。


「サーガ。隙を見て、彼女を逃がしてくれ」


 リュシアンに小声でつぶやかれ、サーガは深くうなずいた。


「できるか分かんねえが、やってみる」


 互いに視線を交わしてうなずくと、同時にクレイへと飛び掛かった。


「懲りない人達だねえ」


 ベッドの前に立ちはだかるクレイは、その場からほとんど動かずに三人を食い止める。彼の一撃一撃が鉛のように重く、ヴィドックの口から赤い血が滴った。リュシアンの美しい肌に、赤黒い痣ができていく。 サーガが壁に叩きつけられ、呻き声を上げた。部屋の隅で、誰にも気づかれることなくポールが動く。


「君達と遊ぶのはもう飽きたんだよ。悪いけど、降参してもらうよ」


 クレイの動きに速さが増した。

 防御から攻撃主体に切り替え、自ら向かっていく。

 リュシアンとサーガをかわしながら、手始めにヴィドックの腹を殴りつけた。

 手応えは充分。骨に亀裂が入る感触が拳まで伝わり、確実に折れたことを察した。倒れ込んだヴィドックは派手に血を吐き、動けない。その隙に突破しようとしたサーガの襟首を掴み、クレイは片手一本で投げ飛ばした。彼は勢い良く窓に当たり、崩れ落ちたところに鋭いガラスの破片が襲う。


「うあぁっ!」


 難なく二人を片付けたクレイは、リュシアンを見てにやりと笑った。


「同族を傷つけるのは不本意だけどね」


 言うと同時、瞬時に彼の懐へ踏み込み、下から拳を振り上げる。


「……っく!」


 かろうじて、リュシアンはそれをかわした。


「さすがリュシアン。素晴らしい反射神経だ」


 だがクレイがそう言う間にも、新たな一手が迫っていた。

 振り上げた腕は向きを変えて空気を裂き、リュシアンの頬を彼の肘が襲う。


「!」


 当たる寸前でとっさに手を挟んだが、掌ごと肘を叩きつけられた。

 リュシアンの体が倒れ込む。


「やっぱり、同じ血が流れているだけのことはある。素晴らしい能力だよ。それに体術だけは、昔から君が上だったね。リュシアン」


 互いの距離を埋めるべく、再びクレイが歩み寄る。


「でももう、終わりだよ」


 そう言ってリュシアンを見下ろし、右足を上げたクレイにサーガがほくそ笑んだ。


「終わりは……、てめえだろ」


 気づいたクレイが振り返った瞬間、ベッドの上でポールが巨大化し、一瞬にしてティティーヌの体を飲み込んだ。


「ティティーヌ!」


 慌てて捕まえに行こうとしたクレイの左足を、リュシアンが両手で掴んで邪魔をする。


「このっ……!」


 剥きになったクレイは、右足で容赦なく顔面を蹴りつけたが、リュシアンは手を放さなかった。


「ポール! そのままここを出ろ!」


 サーガの声に、ポールは巨体をひきずって逃げていく。完全な大きさには戻っていない。人を飲み込める限界まで戻されたポールの体は、かろうじて部屋の入り口をくぐり抜けた。

 クレイは舌打ちした。身体能力の優れたヴィドックよりも、同族であるリュシアンよりも、一番にサーガを始末するべきだった。能力的に最も劣るメデューサという種族を、甘く見ていたのだ。中でも落ちこぼれであるサーガを。


 蛇の大きさを操るには、主人の技術と力量が必要とされる。一般的なメデューサは、相棒を大きくするか、小さくするかのどちらかしかできない。メデューサの能力に自信を持っているフィーナでさえ、蛇の大きさは操れない。つまり相棒の能力を自由に調節できる者ほど、優れたメデューサということになるのだ。同族からも蔑まれている彼が、実はフィーナよりも優れているとは思わなかった。


 自在に大きさを変える蛇は厄介だ。室内でも戦力になる。蛇というのは機敏で、足でも取られようものなら一気に動きが封じられる。締め付けられれば骨を折るほどの力もある。いくら血を飲んだヴァンパイアと言えど、同族や人狼、メデューサまでもを敵にした中で、ポールをも相手にするのは無理があった。ある意味、主であるサーガよりもこのポールの方が危険だ。早く捕らえて始末し、さっさとティティーヌを奪還しなければこちらが危ない。クレイはリュシアンをひきずったまま、強引に後を追った。


 が。


 その入り口で、血を滴らせた銀色の狼が行く手を阻んだ。


「邪魔だよ。死に損ない」


 クレイが左足を大きく振り上げる。勢いに負けて引き離されたリュシアンの体が飛んだ。ヴィドックはそれを難なくよけ、後ろにいたポールが飛んできたリュシアンをも丸呑みする。


「っく……」


 クレイが顔を歪めた。


「そんなに死にたいなら、望みを叶えてあげようか」


 深手を負ったヴィドックに向けて、クレイが渾身の一撃を振りかざした。


「させるかよ!」


 頭蓋を叩き割ろうとした彼の体を、サーガが後ろから羽交い絞めにする。

 ポールはみるみる遠ざかり、あっという間に姿を消した。


「邪魔だ!」


 クレイはサーガの脇腹に肘打ちを食らわす。

 よろめく彼を突き放そうとしたところに、ヴィドックが飛び掛かった。


「うあっ……!」


 肩を噛みつかれ、クレイが悲鳴を上げる。


「こ、のっ……!」


 深く牙を食い込ませたヴィドックの腹を、彼は再び殴りつけた。

 完全に骨が折れたはずの場所だ。

 なのに。


「離れろ!」


 力強く殴りつけても、ヴィドックは離れない。

 噛み付いた口元から大量の血を噴き出そうと、彼は決して離れなかった。


「やめろ!」


 剥きになって殴るクレイを、サーガが後ろから襲う。

 振り返った拍子に肩が抉れるように痛み、クレイは顔を歪めた。

 そこにサーガの拳が叩き込まれる。

 ヴィドック共々倒れ込んだクレイは、怒りに体を震わせた。


「殺してやるっ…!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ