生 贄2
庭園には、溢れんばかりに薔薇の花が咲いている。
隅々まで手入れが行き届いた華やかな庭を横切り、屋敷の中へ乗り込んだ。
「クレイ! 出て来い!」
広いロビーに入り、リュシアンが声を張り上げる。
間もなく現れたのは、クレイに仕えているコウモリ人間だった。一見すると人間の中年男性のようだが、肌の色はフランクよりも黒かった。
「ようこそいらっしゃいました。只今旦那様をお呼びしますので、少々お待――」
「ヴィドック、サーガ」
「「ああ」」
彼が言葉を言い終わる前に、リュシアンは友に声をかけた。
二人はうなずき、それぞれの準備に取り掛かる。
ヴィドックは人型を解き、大きな狼へと姿を変えた。
サーガはポールを封印し、体を小さくして屋敷の中でも動きやすくした。
「ティティーヌを、探してくれ」
リュシアンの声に、二人は再びうなずいて動き出す。屋敷の右手と左手に分かれ、ヴィドックとサーガはティティーヌの捜索を開始した。
彼らを見送り、リュシアンは厳しい表情をコウモリ人間へと向ける。
「クレイを呼んで来い」
低い声で脅しをかけると、彼が強張った顔でたじろいだ。
「……只今」
どんなに優れていても、コウモリは所詮吸血鬼の僕でしかない。力の差が歴然としている上に、強者の脅しを受けた彼は、表情に恐怖を滲ませていた。踵を返し、すぐに主人を呼びに行こうとした彼だったが、頭上から呑気な声が響いて足を止めた。
「来て早々、声を荒げただけでなく、勝手に人の屋敷を駆け回るとは、君らしくないね、リュシアン」
ヴァンパイアにあるまじき行為だと、現れたクレイは嘆いた。
中二階の踊り場で、手すりにもたれて脱力した様子を見せている。
「先に無礼を働いたのはそっちだろう。とっととティティーヌを返せ」
鋭い眼差しで怒りを露にするリュシアンに、クレイはクスクスと笑いを漏らした。
「残念ながら、君に返すことはできないな」
「断るなら強引に奪い返すまでだ」
言い切って自分の元へと駆け出したリュシアンに、クレイはあくまでも落ち着いていた。飛び掛かる彼を優雅にかわし、ひらりと宙を舞う。重力をまるで感じさせない軽やかな動きに、リュシアンは眉間のしわを深めた。
「……また、血を飲んだのか」
クレイは穏やかな微笑みを浮かべていた。
「君は私に勝てない。ここにヴィドックとサーガが戻ってきてもね」
リュシアンの言葉を肯定する答えに、嫉妬と怒りが湧いてくる。
「彼女は深手を負ってるんだぞ? 瀕死でなくとも、そんな相手から血をもらうことこそヴァンパイアにあるまじき行為だ」
これでもしティティーヌが死ぬことになれば、再び貴重な血を失うことになる。次に手に入るのは、何年先になるかも分からない。すぐにでも味わいたい欲求を必死に押し殺し、なんとかティティーヌの傷が癒えるのを待っていたリュシアンの努力も、全て水の泡になってしまう。
「まだまだだね、リュシアン。弱った相手からでも、同意を得られれば血をもらうことはできる。私は別に、無理矢理彼女の血を奪ったわけではないんだよ?」
次々と襲い掛かってくるリュシアンの攻撃を確実にかわし、クレイは余裕の表情を見せていた。
「昔の誰かさんじゃあるまいし、私がか弱い女性を襲うわけがないだろう?」
彼の言葉に、リュシアンの表情が歪んだ。
「黙れ……」
過去の記憶が蘇り、集中していた意識が乱れていく。
「君は人間の血が絡むと非常に危険だ。賢いティティーヌは、君の凶暴な性質に気づいて私を受け入れたんだよ」
「黙れ」
「言うなれば、私は彼女を保護すると共に、君を暴走から救ったことになる」
感謝こそすれ、恨まれる筋合いはない。
そう平然と告げるクレイに、リュシアンの怒りが頂点を越えた。
「お前が……、それを言うのか」
ゆらりと、体勢を整え、一歩前に踏み出した。
「俺から両親を奪ったお前が、それを言うのか」
感情の欠落した表情でうつむき、低い声でつぶやいた。
「そうやって、俺を救うという名目で……、俺の大事なものを奪っていく」
いつでも有利な立場に立ち、自分よりも一段上にいるクレイに、怒りを越えた憎しみが生まれていく。
「その余裕の面で平然と弱みをつつき、さも親切そうに見せて手玉に取る。お前の得意な手段だよな」
握り締めた拳を震わせ、リュシアンはクレイに詰め寄った。それでもクレイの態度は変わらない。
「失礼だね。私はこんなにも君のことを案じているのに」
その言葉すらも心無いものに聞こえ、リュシアンは据わった眼で彼を見上げた。
「何度も同じ手が通用すると思うな。二度とお前の芝居には惑わされない」
「私は本心を言ってるんだよ?」
「ティティーヌを出せ」
「また暴走することになってもいいのかい?」
「彼女を返せと言ってるんだ!」
叫び、リュシアンは勢い良くクレイへ飛び掛かっていった。
いつもなら、大差のない互いの実力が、今夜は大人と子供のようになっている。
自分の二倍も、三倍も、力を得たクレイを相手に、リュシアンの攻撃はあまりにも頼りないものだった。殴りかかった拳を軽々と受け止められ、思わず驚きを顔に出す。
「そうやって剥きになる時点で、君はすでに血に憑りつかれてる。気づかないかい?」
握られた拳が、強い力で下げられる。必死に力を込めて抵抗しても、腕を動かすことができなかった。なんとか振り払おうともがいたリュシアンを、クレイは突然解放する。勢い余って階段を落ちそうになったリュシアンは、その場で宙返りをしてロビーの床に着地した。そこに、サーガとヴィドックが駆けつける。
「リュシアン!」
サーガの声に振り向いたリュシアンは、二人を目にしてわずかに顔を歪めた。ティティーヌの姿はない。
「見つからなかったか」
「こっちにはいなかった。ヴィドックの方もか?」
答えながら、ヴィドックに尋ねたサーガに、銀色の狼は低く呻って頭を振った。
「やはり二階か」
すぐに結論を出し、三人は視線を上げる。その先では、階段の踊り場でクレイが微笑んでいた。
「あいつはまたティティーヌの血を飲んで強くなってる。気をつけろ」
リュシアンの言葉に、ヴィドックが短く吼えた。
「三人がかりで襲うつもりかい? 汚いなぁ」
「今のお前が相手なら、充分フェアだ」
答えたリュシアンの言葉を皮切りに、三人は同時に飛びかかった。
噛みつこうとしたヴィドックを片手で叩き落し、彼を越えて迫るリュシアンの飛び蹴りを素早くかわし、殴りかかるサーガの拳をクレイは軽々と受け止めて逆襲を図る。
掴んだ拳を引き寄せてサーガのみぞおちに膝蹴りを沈めると、脇腹を蹴ろうとしたリュシアンの足を払って逆に蹴り飛ばした。倒れ込む彼を追い越し、真正面から飛び掛ってきたヴィドックを素早くよけてその背中を勢い良く踏みつける。
有無を言わさぬ力で押さえ込み、クレイは微笑んだ。
「まったく、やり方が野蛮だね。サーガの気持ちはまだ分かる。大事な妹を傷つけられたんだからね。でもリュシアン、ヴィドック。君達は本当に自分勝手で、横暴な人達だ。なぜか、分からないかい?」
呼吸も乱さず、いつもと変わらない様子で言いながら、徐々に足へと体重をかけていく。踏みつけられたヴィドックが、低く呻り声を上げた。
クレイは、諭すように優しく二人に話した。
「肝心なティティーヌの気持ちを、まるで無視してる。私さえ倒せば、彼女を取り戻せると思い込んでる。果たしてそれは正しいのかな」
その答えを気づかせようとして、導く彼の言葉に、リュシアンが歪んだ笑みを浮かべた。
「脅しをかけて揺さぶろうとしても無駄だ。彼女にヴァンパイアの『能力』は通じない。すでに実践済みだからな」
かつてヴァンパイアは、人間の血だけを食料としていた。生き抜くためには、複数の人間を常に確保しておく必要があったが、誇り高いヴァンパイアは、相手を強引に拉致することを良しとしなかった。血は自身の体を作るため、慎重に自分に合う相手を選び、同時に相手にも選ぶ権利を与えていた。両者の合意を得て初めて血をもらっていたのだ。
しかし、必ずしも目をつけた相手が受け入れてくれるとは限らない。だからといって、血を得られなければ命に関わる。そこでヴァンパイアは、人間を惹きつける能力を手に入れた。相手を自分の虜にすることで血を得るためのものだが――。全ての人間に通じるほど確実ではなかった。意志の強さや、愛情が他の対象に注がれているなど、いろいろな理由は考えられるが、どれも推測の域を出られず、断定できるものはまだない。
とにかく、人間が貴重になった環境で、リュシアンは当然ティティーヌを虜にしようと試みた。しかし、彼女の心は得られなかった。彼女は、例外に当たる人間だったのだ。リュシアンはティティーヌが自分に見惚れたのは感じたが、心まで手に入れることはできなかった。
なのに。
「じゃあ彼女が直接私を選んだと言えば、君らは信じるということだね?」
クレイは余裕の表情を崩さず、笑顔で言った。
そんな彼の足が、徐々に浮いていく。
踏みつけられていたヴィドックが、力を込めて彼の足を押し返そうとしていた。
「おやおや。彼女がそんなことを言うわけがないとでも思っているのかい? ヴィドック」
クレイは意外そうに目を丸くし、甲高い声を上げた。
「言っただろう? もう遅いって。彼女は頭のいい女性だ。私が真摯に話をしたことで、公平に判断をしてくれたんだよ」
起き上がって足に噛みつこうとしたヴィドックを軽々と飛んでかわし、彼は階段の手すりに着地した。
「信じられないなら、会わせてあげてもいいよ」
手すりに座って優雅に足を組み、クレイは微笑む。
「その代わり、ヴィドック。君の嗅覚だけで彼女を見つけられたなら、面会させてあげるよ。ただし、扉は一切開けずにね。話しかけても無駄だけど、一応それも禁止としよう。ヴァンパイアよりも優れたその嗅覚のみで彼女を見つけられたなら、君達三人とも会わせてあげるよ」
サーガも会いたいかどうかは分からないけど。と、笑ったクレイに、リュシアンは疑いの眼差しを向けた。
「……どういうつもりだ?」
何か裏があるように思えてならなかった。彼の言う通り、ヴィドックの嗅覚は並じゃない。狼の姿でいる今は、その能力が更に増しているのに。よほど見つからない自信があるのか、それとも本当に会わせてもいいと思っているのか。
クレイの考えが読めなかった。
「別に。三人がかりでも私に勝てない、君達へのハンデだよ」
小首を傾げておどけて見せる彼に、リュシアンは得体の知れない不安を感じた。
だがここで断っても状況は変わらない。ヴィドックに窺うべく視線を向けると、銀色の狼は小さくうなずいて二階へと駆けていった。
「人狼エリートのお手並み拝見だね。さて、何分かかるかな」
楽しそうにつぶやいたクレイに、リュシアンはサーガと顔を見合わせた。




