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ROSA  作者: 藤 子
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生 贄1

 柔らかい鹿皮の袋の中には、金、銀、銅のコインが入り混じっている。

 そこからクレイは、金貨を5枚取り出した。


「こんなにいいのか? 全部金貨だぜ?」


 受け取った相手は目を丸くしながらも素直に喜び、クレイから答えを聞く前に自分の懐へとしまい込む。


「今回は急だったからね。また何かあったら頼むよ」


 にっこりと笑顔で伝えるクレイに、男は上機嫌でうなずいた。


「そりゃこっちの台詞だぜ。こんなことで良けりゃ、いつでも呼んでくれ」

「ありがとう。助かったよ」


 用事を済ませ、さっさと褒美を与えて追い払うと、クレイは玄関の両扉を閉めた。

 リュシアンの屋敷に負けずとも劣らない広い屋敷。建物の真ん中にある、赤い絨毯が敷かれた緩やかな階段を上り、二階の廊下を右手に進んだ突き当たりがクレイの自室だ。

 だがそこではなく、彼は真逆の突き当たりへと進んだ。

 クレイが主になってからは、ずっと物置きとして使っていた部屋だが、元々は先祖が人間の女性のために設けた部屋だった。寝室には、真下にある浴場に直接行ける専用階段がついている。部屋に置かれていた絵画や彫刻などの荷物は、別室へ移動して掃除をさせた。全ての窓は木戸を閉め、ガラス窓も閉め、隙間は石膏で封じてカーテンも閉めた。新たな家具を運び入れて整った部屋を進み、入った寝室には、大きなキングサイズのベッドで一人の女性が眠っていた。


「あなたはもう私のものだ」


 ベッドの端に座り、クレイはうっとりとささやいた。部屋に運び入れるまでは石のままにしたため、自宅への経路も屋敷内にもティティーヌの匂いはついていない。リュシアンに見習い、屋敷内の全てに薔薇の香水も噴きかけさせた。寝室は最も奥まった位置にあり、扉を開閉したくらいでは廊下まで匂いが漏れることもない。ここまですれば、『彼ら』が来ても場所を特定するのは難しいだろう。


「ティティーヌ……」


 眠る彼女の頬を指で撫で、甘い声でささやく。愛おしそうに見つめる顔には、恋人に向ける眼差しそのものがあった。

 クレイはすでに血をもらい、体は充分満たされている。しかし、こうして横たわる彼女を見ていると、ついその味をまた味わいたくなってしまう。今まで長い間我慢していた欲求が、ここにきて溢れ出ているようだった。

 愛情のこもった眼差しで見つめ、繰り返し柔らかい頬を撫でていると、静かにティティーヌが目を開けた。


「お目覚めかい?」


 クレイは穏やかに微笑んだ。


「……クレイ」

「なんだい?」


 ティティーヌは、目覚めたばかりでぼんやりとしていた。

 熱っぽい瞳が、クレイの目を釘づけにする。


「ここは、あなたの……?」


 彼女は、覚醒しきらずとも事情を察したらしい。

 クレイは素直にうなずいた。


「私の屋敷だ。あなたを保護したんだよ」

「私……、血を……」

「そう。あなたは私を受け入れてくれた。そのお陰で、私はあなたを救い出すことができたんだ」


 あくまでも救ったと言い張るクレイに、ティティーヌは頭を振った。


「……私、あそこにいたかった……」


 ゆっくりとした口調でつぶやいた言葉を、クレイは素直に受け止めた。


「大事にされていたのかい?」

「ええ……」

「それは食料にするためだと分かっていた?」

「ええ。分かっていたわ……」

「いつかは血を吸い尽くされ、殺されてしまうかも知れない。それでも?」

「……ええ」


 ティティーヌはうわ言のようにつぶやいて認め、小さくうなずく。

 涙こそ出てはいないが、その瞳には悲しみが宿っていた。


「ティティーヌ。そのままでいいから、聞いて欲しいことがある」


 クレイは彼女の手を取り、甲にそっと口づけた。


「たとえ君がそれでいいとしても、私には見逃せなかった。リュシアンは、過去に人間の女性を捕らえて、無残に死なせてしまったことがあるんだよ。それも、たった一度の食事でね」


 ティティーヌの細い手に視線を落とし、静かに話す表情はどことなく寂しそうだった。


「彼は致死量を奪ってしまったんだ。人間の血に異常な執着を持っていて、一度飲みだしたら歯止めが利かなくなってしまうんだよ。その結果女性は命を落とし、大量の血を摂取した彼は極度の興奮状態に陥って……、暴走してしまったんだよ」


 大人しく聞き入っていたティティーヌに視線を戻すと、クレイは小さく自嘲を漏らす。


「本当は……、あなたを連れ出したのは彼のためでもあったんだ。従兄弟の私としては、彼が暴走する姿など二度と見たくないからね……」


 ティティーヌの瞳に迷いが生じていくのを感じながら、決して強制はせず、真摯に懇願した。


「わけも言わずに連れ去ったことは、本当にすまないと思ってる。でもどうか、あなたにはここにいて欲しいんだ。あなたさえここに住むことを受け入れてくれれば、リュシアンも納得せざるを得ない。もし万が一、彼があなたの血欲しさに怒り狂っても、私は全力であなたを守ると誓う。だから……」


 言葉を詰まらせ、クレイは再びティティーヌの手に視線を落とす。

 自分の青白さとは違い、薔薇色を帯びた白い肌に、吸い寄せられるようにまた唇を押し当てた。


「リュシアンやヴィドックたちは……、あなたをとても危険な人だと言っていたわ」


 返事ではなく、矛盾を見つけて尋ねる彼女に、クレイは自嘲を浮かべたまま尋ね返した。


「君自身の印象は?」


 ティティーヌはクレイを見上げ、逡巡の間を置いてから口を開く。


「分からないわ……。どちらが本当なのか、私にはまだ分からない」


 だからすぐに返事はできないと、言葉に込められた感情を読み取り、クレイはうなずいた。


「どちらも本当だよ」


 否定と肯定の両方を含んだ答えに、ティティーヌが意外そうに目を丸くした。

 どういうことかと尋ねる前に、クレイが言葉の続きを言い聞かせる。


「暴走したリュシアンを止めたのはこの私だ。力には力で対抗するしかなかった。それがどういうことか、分かるかい?」

「あなたも……、人の血を?」


 次第に覚醒し、強張った表情で尋ねてくるティティーヌに、クレイはゆるく頭を振った。


「惜しいけど違う。私は……、同族の血を飲んだんだ」


 その言葉は、共食いを認めたも同然だった。

 想像するのもおぞましい話を聞かされ、ティティーヌの目が見開いた。


「同じヴァンパイアの血を飲むことは禁忌とされてる。強力な力は得られるけど、血が濃くなりすぎて体がもたなくなるんだよ。おまけに種族の存亡を脅かすことだからね。でも狂ったリュシアンを止めるためには、同等かそれ以上の力が必要だった。だからといって、簡単に人間が見つかる世の中じゃない。あの状況で残された方法はひとつ。私は、同族の血を飲んで対抗するしかなかったんだ」


 それしか方法はなかった。


「じゃあ、あなたの体は……」

「しばらく副作用には苦しめられたけど、飲んだのはあの時だけだから、今はなんとか克服したよ」

「そこまでして……?」

「……ああ。救いたかった。彼は暴走さえしなければ、優秀なヴァンパイアだからね。私の自慢の従兄弟なんだ。でも強力な力を得たことで、私も当時は暴走しかけた。それによって彼の家族を傷つけた。私は彼の信頼を失った。ヴィドックまで私を危険視するのは、彼もその場にいたからだ。私は彼らに、目的のためならどんなこともする奴だと思われてる」


 こんなつもりじゃなかったんだけど……と、クレイは寂しそうに微笑んでいた。


「彼らを慕っているあなたには信じ難いことだろうね……。でもこれは事実だ。私は自分を正当化するつもりもない。禁忌を犯したことも、リュシアンの家族を傷つけたことも事実だからね。それでもこの話が疑わしいと思うなら、直接彼に確かめるといい。きっとあなたを取り返すために、今夜にでも現れるだろうから」


 そしてクレイは立ち上った。


「そろそろ朝食を運ばせよう。普通食は食べられるかい?」

「誤解を……、解きたいとは思わないの?」


 これで話を終了したつもりでいたクレイに、ティティーヌは淡々と問いかけた。


「本当の意味で、仲直りしたいとは思わないの?」


 クレイは、微笑みを保ったまま頭を振った。


「無理だよ。私達の関係は、すでに修復できないところまで決裂している」

「本当は昔に戻りたいんじゃないの?」

「ティティーヌ……。無理なんだよ」

「心を許し合える相手が欲しいくないの?」


 鋭く胸の内を見透かそうとするティティーヌに、クレイは尋ね返した。


「あなたがなってくれるのかい?」


 今度はティティーヌが頭を振った。


「あなたにとって私はそういう存在じゃない。普通、知り合ったばかりの相手にそういうものは求めないわ」


 答えを聞いて、クレイは再びティティーヌの元に戻った。


「そこまで考えられるあなたは賢い。でも私はもう自分の道を選んだんだ。リュシアンの道と、再び交わることはあり得ないんだよ」


 話しながらベッドに腰を下ろし、ティティーヌの頬にそっと触れる。


「彼らが気に入るのも分かる気がするよ、ティティーヌ。あなたは賢く、強く、美しい女性だ。私があなたに求めているのは確かに友情ではない。私が求めているのは、愛だからね」


 そう言うと、ティティーヌがわずかに目を見開いた。


「私達は……、知り合ったばかりよ?」

「人間にも一目惚れというものはあるだろう? 私があなたをさらったのは、もちろん救うためでもあったけど、同時に手に入れたいと思ったからでもあるんだよ。食料としてじゃない。一人の女性としてだ」


 小さく、ベッドが軋む音が響いた。




 ◇◇◇




 森の中、ずるずると長い巨体が地面を這う。

 硬い鱗で覆われた体は、行く手を阻む木々をいとも簡単になぎ倒し、触れる枝をパキパキと折っていく。闇が下りた暗い森に、黒と黄色のまだら模様が時折月明かりに照らし出され、異質な色彩を映し出していた。


「速いな」


 障害物をものともせず、まるで泳ぐように突き進んでいく巨体に、ヴィドックが静かに驚きを示した。


「森はポールの遊び場だ。『誰かさん』の蛇とは違って、鍛え抜かれたポールの速さに敵う蛇はそういねえ」


 サーガが誇らしそうに胸を張って言う。『誰かさん』というのは、言うまでもなく妹のことだ。


「ヴィドックと競ったらどちらが速いだろうな」


 小さく笑みをこぼし、からかうような視線を向けるリュシアンに、サーガは低く呻り声を上げた。


「そりゃあ……」

「俺だな」


 言葉に詰まるサーガの代わりに、ヴィドックが平然と答えを言う。彼ら三人を背中に乗せたポールが、悔しそうに振り返った。ヴィドックは巨大な顔に向かって、小さく微笑む。


「だがこいつは本当に速い。大したもんだ。メデューサに仕える蛇の中でも、優れた部類に入るだろう」


 彼らの顔を立てて告げると、ポールはどことなく嬉しそうに顔を前へと戻した。

 能力を解放したポールに乗っていこうと、提案したのはサーガだ。クレイはティティーヌの血を飲んでいる。こちらは三人とはいえ、血を飲んだヴァンパイアは油断できなかった。そこで、できる限り万全の状態で奴と会うために、体力の無駄遣いは極力避けていくことになったのだ。

 彼のこの提案には、リュシアンもヴィドックも素直にうなずいた。いつになく本気な様子に彼が目覚めたことを察し、全身から闘志を滲ませる彼の姿から、任せられると判断したのだ。この判断は、あながち間違いではなかったと、二人はすぐに実感した。


「お前はいい相棒に恵まれたな」


 煽てるでもなく、心から告げたヴィドックの言葉に、サーガは嬉しそうに顔を綻ばせた。

 ポールは速い速度を保ったまま、一度も止まることなく突き進む。その速度は、野性の馬ともいい勝負ができそうだ。鳥のように風を切り、道なき道を進んでいく。幅の広い激しい水流の川さえも、難なく跨いで越えていった。

 メデューサに仕える蛇は、元々は一匹の普通の蛇だ。だが主人を与えられた時点で、様々な能力を身につける。強大な力を蓄えた体は、とてつもなく大きくなり、樹齢数百年の大木よりも太い胴回りになっていく。普段は主人に封印され、他の蛇と大して変わらない大きさでいるが、ひと度解放されれば、象でさえ丸呑みしてしまうほど巨大化する。更にはメデューサと会話ができる能力を身につけ、人間の言葉まで理解する。一人の主人に仕えて一生を終えるこの蛇は、主人を持つことで特殊な蛇へと生まれ変わるのだ。


「これなら、『午前中』には着けるだろう」


 前方を見据え、つぶやくように言ったリュシアンに、ヴィドックもうなずいた。

 空を見上げれば、か細い月が頼りない明かりを灯している。それを補充するかのように、一面に輝く星達が鋭い光を放っていた。


――意識を手放す瞬間、ティティーヌは君を呼んだよ。


 ヴィドックは、密かに拳を握り締めた。クレイの挑発だと気づきながらも、怒りを抑えられない自分がいた。引き取ったリュシアンではなく、自分を求めてくれたティティーヌ。

 家族を失った痛みを察し、気にかけていたことをちゃんと彼女は感じ取っていたのだ。だからこそ、危険に冒された中でティティーヌはヴィドックを呼んだ。心から信じ、頼ってくれた彼女の気持ちに、応えてやることができなかった。


(必ず、取り返す)


 脅えながらも、心配をかけまいと気丈に振る舞っていたティティーヌ。

 首の怪我はひどく、まだ安静が必要な状態だったのに。

 クレイのことだ。彼女の怪我が治るまで、奴が大人しく待ってくれるとは思えない。

 実際に、奴はすでに彼女の血を飲んでいる。もしかしたら今夜も。


(無事でいてくれ)


 ヴィドックは唇を引き結び、強く奥歯を噛み締めた。


「見えてきたぞ。クレイの屋敷だ」


 ポールの背の上で立ち上がったサーガが、暗闇に浮かぶ屋敷を見つめてつぶやいた。

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