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ROSA  作者: 藤 子
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微笑の仮面9

 (ふくろう)に代わり、雀や野鳩のさえずりが森にこだましている。

 空は薄っすらと明るみ、静かな朝を迎えようとしていた。

 白い空が辺りに広がる朝靄と混じり、一帯を広く包み込んでいる。

 木戸と分厚いカーテンで窓を覆い、外光の一切を遮った室内には、いくつもの蝋燭が灯されていた。


「私……」


 意識を取り戻したフィーナが、最初に見たのは安堵のため息をこぼす兄だった。


「だから、気をつけろって言っただろ」


 軽く額をこつかれ、フィーナはぼんやりと考える。

 確かクレイに裏切られ、鏡を向けられて自ら石化したはずだった。


「兄さんが……、元に戻したの?」


 ベッドに横たわったまま、フィーナは兄を仰ぎ見た。言葉にしながらも、信じられない気持ちが強かった。


「力を……、使ったの?」


 兄は苦笑した。


「使わなきゃ戻せねえだろうが。それとも、俺には戻して欲しくなかったか?」


 いつもの調子で嫌味を言われ、フィーナは兄を見つめながら顔を振った。


「だって、その力……、ずっと使わなかったくせに……」


 どんなにひどいことを言われても、自分が危機に陥ったとしても、絶対に瞳の力は使わなかった。相棒のポールを使うことはあっても、瞳の能力だけは頑として使おうとしなかった兄が。


「うるさくて気が強くて、ひねくれてて可愛げのねえ妹でも、いなきゃ寂しいもんだ」


 相変わらずの口調に、今度はフィーナが苦笑した。


「こんな時くらい、労わることができないのかしら」

「自業自得だろ」

「そうね……」


 今回ばかりは、自分の軽率さを認めないわけにはいかなかった。昼間に兄と衝突し、苛立ちに任せて浅はかな行動をとってしまった。本当はもっとじっくり考えてから判断するつもりだったのに、怒りの勢いに流されてクレイにティティーヌの居場所を教えてしまったのだ。


「リュシアン達は? クレイを追っていった?」

「いや。奴はちゃっかり自分の部下を呼び寄せてやがってな。戦闘準備を整えてやがった。こっちは突然のことだったから、連中にすっかり足止めを食らっちまって、片付いた時にゃあ夜明け前だ。おまけに奴はティティーヌの血を飲んで力を増幅してる。(はやぶさ)みてえに逃げてくのを追いかけんのは無理だった」


 悔しそうに顔を歪め、事情を話してくれた兄に、フィーナもつられて顔を歪めた。


「私のせいだわ……」

「そうだな」


 あっさりと認められ、思わずカっと頭に血が上る。


「本っ当に思いやりの欠片もないのね」

「だって事実だろうが」

「傷ついた妹に言う言葉がそれなわけ?」

「全てじゃなくてもお前に原因があるのは確かだろ」


 さらりと言われ、剥きになったフィーナが体を起こした時、


「でも俺にも非はある」


 真顔でつぶやかれ、一気に毒気を抜かれてしまった。


「元を辿れば、お前をクレイに走らせた原因は俺だ。そのせいでお前を苦しめて、大事な友人まで傷つけちまった。俺が……、力を使わなかったのはこんなことのためじゃねえ」


 フィーナは呆気にとられて目を瞬かせた。いつも適当でだらしない兄が、今は真面目な表情を見せている。眉を吊り上げ、強い光を瞳に宿して。


「俺はクレイを許さねえ」


 固い決意を溢れんばかりに滲ませ、はっきりと言い切った表情は凛々しくて。

 フィーナの心に、熱いものが込み上げた。


「お前はゆっくり休んでろ」


 くしゃりと、頭を撫でられ、フィーナは再び体をベッドに沈めた。


「気をつけて」


 枕に顔をうずめ、小声で伝える。涙が溢れて、もう顔を上げることはできなかった。

 サーガは短く答えると、立ち上がって部屋から出て行った。




 ◇◇◇




 小さな体が、容赦なく壁に打ちつけられる。

 崩れ落ちたアンリの腕を乱暴に掴み上げて立たせると、加減もせずに平手を浴びせた。

 ずっとこらえて見ていたバーンズが、たまらず悲鳴を上げてすがりつく。


「それ以上はおやめ下さい! お願いします!」

「うるさい。黙ってろ」


 リュシアンは冷たく一蹴すると、更にアンリを突き飛ばした。倒れ込んだ彼の腹に蹴りを沈ませ、呻き声を上げるアンリをおかましなしに踏みつける。


「お前の軽率な行動のせいで、何人の被害者が出たと思う。クレイにそそのかされたことなど、情状酌量に値しない。約束を守れなかった罪は重いぞ、アンリ」

「ご、ごめ……なさ……」

「今更謝っても遅い。ティティーヌは奴に奪われた。クレイは更に強大な力を手に入れ、お前を含む俺たち全てを潰そうとするだろう」


 全身を襲う痛みから立ち上がれずにいるアンリを、胸倉を掴んで持ち上げた。


「俺からもひとつ教えてやろう。なぜお前にティティーヌの血を飲ませなかったか」


 強い殺意を宿した眼差しを向け、リュシアンは低い声で言い聞かせた。


「お前こそが未熟だからだ。心も体も幼いお前が彼女の血を飲めば、体が刺激に耐え切れず、お前自身が呑み込まれてしまうからだ。人間の領地で暴走するミックスのように、自我を失って飢えた鬼と化す。確実に身を滅ぼすと分かっていて、飲ませるわけがないだろう。一人前のヴァンパイアにしてやろうと思っていた俺の厚意を、またもやお前は踏みにじったんだ」


 そして再び壁へと叩きつける。倒れ込んだアンリの口元から、鮮やかな赤い血が伝い落ちた。


「それだけじゃない」


 言いながらリュシアンは歩み寄り、立ち上がれずにいたアンリの頭を踏みつける。


「先日、お前の命を助けたのは誰だ? 俺はあの時お前を殺すつもりだった。何度となく裏切られ、自ら暴走の道を選ぼうとするお前に失望してな。それを止めたのは誰だ? 答えてみろ」

「……ティ、ティーヌ……です……」

「そうだ。ティティーヌだ。お前は命の恩人をクレイに売り渡したも同然のことをしたんだ。彼女がお前と同じ境遇であることも知っていたくせにな。彼女の厚意をも踏みにじった」


 掠れた声で、かろうじて答えたアンリの頭を、リュシアンはぐりぐりと力を加えて踏みつけた。


「ヴィドックだってそうだ。あいつがなぜお前に厳しくしたと思う。家族を失ったお前が横道に逸れないよう、導いてやろうとしたからだ。そうやって、お前に目をかけてくれた全ての人を裏切り、恩を仇で返したんだ」


 厳しく責められ、アンリの目から静かに涙がこぼれていく。

 子供らしく泣き喚くわけでもなく、しゃくり上げるわけでもなく。

 浅い呼吸を繰り返しながら目を閉じ、歪んだ顔を右手で覆った。

 その指の隙間から、溢れた涙が流れ落ちた。


「ごめ……なさぃ……」


 自分が犯した罪の重さに押し潰され、アンリは歯を食いしばった。

 自分の行動がどれほど愚かで、浅はかなものだったかを思い知った。

 表面だけで物事を判断し、本当の意味を考えようともしなかった。


 クレイは、優しいから好き。


 その優しさはすでに見捨てているからだって、気づかなかった。

 僕に感心がなく、どうでもいいから適当にあしらわれてたんだ。

 だからクレイは怒らなかった。


 ほかのみんなは、怒るから嫌い。


 それは僕のことを考えてのことだったのに。

 口うるさく言うのは、厳しくするのは、真剣に考えてくれてたからだ。

 ちゃんと向き合ってくれてたからだって、気づかなかった。


 僕はこんなに苦しんでいるのに。


 家族も家もなくして、傷ついているのに容赦ない人達が憎かった。

 この気持ちを分かって欲しいのに、気遣って慰めて欲しいのに。


 同じ気持ちを抱えていたティティーヌを裏切った。


 自分の殻に閉じこもっていただけだって、今になって気づいた。

 自分だけが辛いなんて、思ってた。


 ずっと屋敷にいるわけじゃないのに、来ると保護者面するヴィドックが憎かった。

 ヴィドックだって、自分と同じだったのに。だから真剣に考えてくれてたのに。



「ごめんなさい……」



 クレイに捨てられて、初めて気づいた。


「……今更遅い」


 足をどかしたリュシアンは、険しい表情のまま言い捨てた。


「お前は取り返しのつかないことをしたんだ」

「……はい」


 涙を流しながら、弱々しい声で答えるアンリの前で、リュシアンは片膝をついた。


「起きろ」


 彼の言葉に、アンリはよろめきながら体を起こす。


「立て」


 言われた通り、体の痛みをこらえて立ち上がった。目の前でしゃがんでいるリュシアンを、涙で歪む瞳で見下ろした。


「今のお前は、ティティーヌによって生かされている。クレイの手によって、彼女の心もしくは命が死ぬことになった時には、俺はお前を殺す」

「はい……」

「お前が犯した罪はそれほど重いものだ。失った信用を取り戻すためには、信用を得るために尽くした努力の何倍もの時間と努力が必要になる。生きている間、裏切った人達へのお前なりの誠意を示せ。自分が何をするべきか、一人できちんと考えろ」

「はい……」


 リュシアンの言葉を真摯に受け止め、アンリは心に刻んだ。乱暴に涙と血を拭い、唇を引き締めてリュシアンを見つめると、立ち上がった彼にぽんと頭を撫でられた。


「お前は出来損ないじゃない。やればできる子だ」


 頭上でさらりと言われ、アンリが驚いて見上げた時には、リュシアンはもう背中を向けていた。


「バーンズ。アンリを部屋に戻せ。それとフランクを呼んでこい」

「畏まりました。アンリ様、参りましょう」


 バーンズに促され、呆然としていたアンリは振り向いた。

 いつも通りの、温かい眼差しで見つめてくるバーンズがいた。

 アンリは再び込み上げた涙を強引に押し戻し、こちらに背を向けているリュシアンに深々と頭を下げた。


「失礼します」


 はっきりとした口調で言い残し、バーンズの手を借りて部屋を出た。

 嬉しかった。初めてリュシアンに認められて。

 出来損ないなんかじゃないって、言ってもらえて。


「バーンズ。ごめんね」


 彼にも心から謝った。バーンズはにっこりと微笑んでくれた。


「お部屋に戻ったら手当てをしましょう」

「うん……。僕、本当に頑張るから」

「アンリ様ならできますよ。それに、ティティーヌ様は絶対助かります」

「うん……。そうだね」

「そうですとも」


 大きなバーンズに両手で抱えられながら、目を閉じたアンリも微笑んだ。

 全ての窓を封じた屋敷の中は、それでもどことなく明るかった。

 まるで建物の中に月でも浮いているように、薄暗くも明るい夜が保たれた廊下は、蝋燭の灯火によって更に明るく照らし出されている。目には分からないゆっくりとしたスピードで太陽は空に孤を描き、やがて西の空を赤く染めた。


「リュシアン」


 軽い睡眠をとり、体を休めたサーガがリュシアンの部屋を訪ねた。


「俺も行くぞ」


 ソファーに深く腰かけ、目を閉じていたリュシアンは、そのままの姿勢で答えた。


「ああ」


 彼は答えても、目を開けていない。背もたれにどっしりともたれて足を組み、その時が来るのを待っていた。部屋の隅には、それこそ彫像にでもなったかのようにフランクがひっそりと控えている。リュシアンと向き合うようにして、空いているソファーに座ったサーガも、珍しく言葉を慎んで静かに待った。

 傾いていた太陽が完全に沈み、再び空に濃紺の絨毯が敷き詰められた頃、部屋の扉が軋んだ音を立てて開かれた。


「行くぞ」


 ヴィドックだった。すっかり人型に戻り、手には着替えを入れた袋を持っている。

 リュシアンが目を開けた。正面に座っていたサーガに視線を送り、二人同時に立ち上がる。


「フランク。留守を頼むぞ」


 主人の言葉に、フランクは深々と頭を下げた。


「行ってらっしゃいませ」

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