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ROSA  作者: 藤 子
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微笑の仮面5

「もう昼過ぎだぜ」


 あくびをしながら起きてきた妹に、サーガは呆れた言葉を投げた。太陽は高い位置まで昇っており、ヴァンパイアは就寝の時間帯だ。逆にメデューサの種族にとっては、すこぶる良い天気の昼下がりである。食事などの用意は、昼間でも活動できるコウモリ人間が取り仕切っていた。夜行性である人狼のヴィドックも、今はぐっすり眠っているらしい。そんな中、あくまでも自分の生活スタイルを維持しようとするサーガに、フィーナも負けじと嫌味を吐いた。


「人間の言葉で言うなら『郷に入っては郷に従え』よ。協調性のない者は嫌われるわよ」

「どうせ上っ面だけじゃねえか」

「お腹すいたわねぇ。昼食でも頼もうかしら」


 兄の棘のある言葉など耳に入らないようで、フィーナは軽く流して伸びをした。


「その前に着替えを済ませないとね」


 隣の部屋に移り、女のコウモリ人間を呼んで着替えを手伝わせると、その間に昼食の準備を言いつけ、着替えが終わると同時に食卓についた。親友のミシェルは、好物の卵を丸呑みしてご満悦である。彼女のお陰で、昨日はなかなかおもしろい情報を手に入れた。遅くまで起きて待っていた甲斐があったというものだ。優雅にスープを飲みながら、フィーナは頭の中で考えを巡らせた。

 日暮れまでまだ時間がある。今のうちに自分で確かめ、情報の秘密を探ってみるのもいいだろう。クレイに教えるかどうかは、その後に判断する。

 自分も参加するとはいえ、フィーナは別にクレイに味方をすると言ったわけではないのだ。内容によっては、黙っておくつもりもあった。

 野菜をふんだんに取り入れた朝食らしい昼食を堪能すると、フィーナは呑気に爪の手入れを始めた。薔薇の匂いが漂う室内で、更に自分にも香水を噴きかけ、ミシェルには優しく体を磨いてやる。乙女のたしなみだった。時間をかけて自分達を磨き上げると、隣の部屋に戻る。兄の姿は消えていた。


「散歩にでも行ったのかしら」


 暇を持て余しているようだったし、特に気に留めることはなかった。単純な兄のことだ。おそらく近くの森で狩りでもしているのだろうと勝手に結論づけた。


「さ、ミシェル。館内探検に行きましょ」


 床を這っていた親友を軽々と拾い上げ、首元に巻きつけて部屋を出た。




 ◇◇◇




「具合はどうだ?」

「うん……。だいぶいいわ」


 互いの声を少しでも正確に聞き取ろうと、分厚い扉に耳を当てて会話をした。

 いつもより早く起きたヴィドックは、人目を忍んで地下へと足を運んでいた。


「起こして悪かったな」


 屋敷に来てから、ティティーヌはヴァンパイアの生活に合わせている。今の時間はまだ早朝なのだ。だがこんな時でもない限り、奴らに勘付かれずに来ることは難しかった。当然ティティーヌはぐっすり眠っていたが、軽く扉を叩くとすぐにキティが気づき、彼女を起こしてくれた。


「ううん。来てくれてありがとう。ヴィドックは眠くない?」

「問題ない。不規則な生活には慣れてる」


 扉越しに聞こえるささやきに答えると、くすくすと笑い声が返ってきた。


「それは、問題ないと言えるのかしら」


 思わずヴィドックも苦笑した。


「確かにな」


 不規則な生活を送ること自体が問題だ。体のリズムも崩れやすくなるし、身体能力も落ちる。元々、普段からあまり熟睡する方ではなかったが、理想を言うならこの時間は寝るべきだった。


「だが俺のことは心配するな。お前は自分のことだけを考えろ」

「それって……、何かあったってこと?」

「何もないってことだ」


 正確には、今のところは何もない。この先どう展開していくかは分からない。クレイ達が帰るまでは、一時も気を抜けない状況だった。クレイの歪んだ性格には、ずっと目を瞑ってきたヴィドックだが、今回ばかりは話が別だ。場合によっては、一戦交えることも頭に置いていた。


(できれば、そうなって欲しくはないが)


「……分かったわ。ヴィドックも、気をつけてね」

「ああ。また来る」


 長居を避け、ヴィドックは扉から離れた。去り際に、新たな香水を噴きかける。優れた嗅覚で匂いを確認し、ティティーヌの匂いが分からないよう、薔薇の匂いを上塗りした。出口は一階ではなく、地上の外だ。来た道とは違う通路を通って外に出ると、人知れず小さくため息をついた。

 正直なところ、ずっと気の張りっ放しで気疲れしていた。いっそのことティティーヌを屋敷から連れ去り、すぐにでも自分の領地に移してしまいたい気分だ。クレイは気まぐれで、いつ帰るかも分からない。まだまだこの状況が続くと思うと、疲れが肩にのしかかってくる気がした。

 中庭を横切ってから屋敷に入ろうと、足を進める。燦々と降り注ぐ日差しが煩わしかった。


「お、ヴィドック。今日は早いな。もう起きたのか」


 声をかけてきたのはサーガだった。その右手には、相棒の蛇が巻きついている。フィーナの蛇とは種類が違う、黄色と黒のまだら模様だ。


「一度起きたら眠れなくなった。お前は『ポール』の散歩か?」

「おやつの時間だ。ここで出される食事はどうも上品すぎてね。食った気がしねえらしい。運動がてら遊ばせてやったら、雛鳥を二羽も呑み込んだんだぜ? 見ろよ、この腹!」


 張りのある声で笑ったサーガは、上機嫌で蛇の腹を見せ付けた。まだ吸収しきっていないのか、しなやかな体の一部にふたつほどコブができている。『ポール』と呼ばれるこの蛇は、飼い主に似て食欲が旺盛らしい。その顔から感情は読み取れなかったが、どことなく誇らしげにも見えた。この場にフィーナがいたら、間違いなく野蛮だの下品だの言われるところだ。


「本当、野蛮よね」


 噂をすれば。絶妙なタイミングでフィーナが現れ、サーガは嫌そうに顔をしかめた。


「これが自分の兄だなんて、何度考えても嫌になるわ」

「お前の陰険なところは俺も同感だ」


 いつ会ってもこの兄妹は仲が悪い。そのわりにはいつも一緒にいるのはなぜなのかと、ヴィドックは内心不思議で仕方がなかった。こうしていがみ合うことは、二人にとってはスキンシップのひとつなのかも知れない。

 ねちねちと嫌味の言い合いを始めた二人を眺め、考えていたヴィドックにサーガが見下すような笑みを浮かべて腕を回してきた。


「俺らはこれから森に行くんだ。男同士の遊びに女はついてくんなよな」


 ヴィドックは、無言でサーガを見つめた。肩に回された腕を伝い、蛇のポールがやってくる。その小さな目と合うと、思わず噛み付きたい衝動に駆られたことは自分だけの秘密だ。


「誰がご一緒したいなんて言ったかしら。野蛮な遊びに付き合うつもりなんかないわよ。どうぞご勝手にすれば?」


 フィーナはさらりと兄をかわし、踵を返した。


「ミシェル、行きましょ」


 首元に巻きつく蛇に微笑むと、意味深な眼差しでこちらを流し見る。


「まだ探検が途中だったわね。うっかり外に出て、とんだ足止めを食らってしまったわ」


 ほんの一瞬、わずかにヴィドックの眉が動いた。


(この女)


 嫌な予感がした。屋敷の周囲を歩き回っていたサーガはともかく、庭園でもないこの裏口にフィーナが用もなく現れることは考えにくい。だが後を尾けてきたのなら、この場所にこのタイミングで現れたことも納得できる。


(まさか)


 バレたのかも知れない。

 とっさに引き止めようとした体を自ら制し、ヴィドックは平然を装った。


「……初めて来た場所でもないのに、今更探検か?」


 態度は変えず、あくまでも普通に声をかける。

 フィーナはころころと無邪気に笑った。


「暇潰しもやり尽くしたわ。初心に戻って屋敷を見るのも悪くないと思っただけ。新しい発見があるかも知れないでしょう? そう、例えば――」


 言葉を区切ると、うっとりと悦に浸る表情で振り返った。

 そしてフィーナは、妖艶な眼差しを向ける。


「囚人とか、ね」


 ヴィドックは静かに息をついた。


「……狙いはなんだ」


 念のため、扉の小窓はふさがせた。蛇が通れる隙間もない。女の囚人がいると分かっても、それが人間だとはまだ気づいていないはずだ。メデューサは匂いに疎い。加えてあれだけ香水をバラ撒いていれば、人間の匂いなど分からないだろう。だがここまで知られれば、それもいつバレるか分からない。この辺で口止めをしておきたかった。

 しかしフィーナは、おかしそうに笑みをこぼす。


「別に望むものなんてないわよ。私はただ、退屈なだけ」


 一番性質(たち)の悪い答えだった。


「でも、そうねぇ」


 もったいぶった言い方で考える振りをし、こちらの反応を楽しんでいる。

 つくづく意地の悪い女だ。


「うちの兄と今後一切関わらないというのはどうかしら」


 これには、ヴィドックより先にサーガがキレた。


「お前、自分が何言ってるか分かってんのかよ」

「もちろん、分かってるわよ。獣と親しくなんてしてるから兄さんは野蛮なんだってね」

「なんだと!」

「一応は私の兄だもの。これ以上恥ずかしい思いをしたくないと思うのは当然でしょ?」


 とうとう、サーガの手が伸びた。


「きゃあ!」


 乱暴に妹の胸倉を掴み、据わった目つきで睨みつける。


「いい加減にしろよ、フィーナ。いくらお前が女だからって許されることとそうじゃねえことがあるんだ。たとえ妹でもだ。俺の交友関係にまで口出しする権利はねえ」

「……権利ならあるわよ。兄さんのお陰で私がどれだけ恥をかいてきたと思ってるの? 被害者が口出しせずに誰がすると言うのかしら」


 多少気圧されつつも、妹も負けじと食い下がっている。間近で凄まれて笑みさえ浮かべる度胸は天晴れだった。


「私は兄さんのことを思って言っているのよ? 感謝をされても怒られる筋合いはないわ」

「それを言うなら俺も妹のことを思って言ってやるぜ。クレイみてえな性悪とつるんでると、よけい性格が歪んじまうぞ。せいぜい気をつけるこったな」

「あら。兄さんの友人と違ってクレイはとても紳士よ。礼儀をわきまえているし、女性に暴言を吐いたりしないもの」

「うるせえ! 俺はともかくヴィドックまで悪く言うのは許さねえ!」


 激昂したサーガの気持ちに呼応し、彼の肩に乗っていたポールが口を開けて威嚇する。対するフィーナの首に巻きついていたミシェルも、今にも襲いかからんばかりに威嚇の体勢をとっていた。

 サーガの目の色が変わる。

 深い焦げ茶の瞳が明るみ、徐々に鮮やかな橙へと変化した。

 フィーナはじっと、彼の目を見つめていた。

 怖気づくでもなく、逃げようともせず。


「どうしたのよ。やりなさいよ」


 一瞬も目を逸らさず、フィーナは兄を見つめて静かに挑発する。


「私を石にしてしまいたいんでしょう? やればいいじゃない」


 しかしサーガは、怒りながらも顔を歪める。


(いつもそうなのね……)


 その表情が苛々する。兄さんはいつだって自分の殻に閉じこもっている。

 ずっと、私がどんな思いでいたか。周囲から兄を無能扱いされ、どんな気持ちでいたか。


「メデューサのくせに自分の能力を忘れたとは言わせないわよ! この場で私を黙らせる実力を見せてみなさいよ!」


 昔の兄妹喧嘩以来、一度も能力を使わない兄が歯痒かった。

 自信を失い、腕を奮うことを恐れ、自分は無能だと思い込んでいる兄が歯痒かった。

 罵られ、蔑まれ、それでも抵抗せずに甘んじて受け止めてしまう兄が。

 強い眼差しで叫んだフィーナに、睨んでいたサーガは顔を逸らした。

 乱暴に妹を突き放し、憮然としながらも背を向ける。


「本当に……、みんなの言う通りよね」


 フィーナは、怒りの宿った瞳で壊れた笑みを浮かべた。


「臆病者で、度胸もなくて、頭がおかしいのよ。侮辱されても平然としてる。メデューサの誇りを持たない落ちこぼれだわ。こんな人が私の兄だなんて、一生の恥よ」


 吐き捨てるように言うと、荒い足取りで去っていった。サーガはうつむいたまま立ち尽くしている。肩に乗っていた蛇が心配そうに顔をのぞき込むと、彼は小さく苦笑した。


「ああ。大丈夫だ、ポール」


 指先で相棒の頭を撫でてなだめると、顔を上げてヴィドックに向いた。


「悪ぃな、ヴィドック。俺が不甲斐ねえばっかりに」


 ヴィドックは表情を崩さず、淡々と答えた。


「気にするな」

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