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デーモン・ワークス  作者: 里予ロマリック
序章
1/10

日常

1999年生まれの男。フィクション作品書きになりたいです。よろしくどうぞ?

   1


 俺は何の変哲もない、ほんとうに何の変哲もない男子高校生だ。嘘じゃない。ライトノベルによくいる『やれやれ系主人公』に憧れて血迷った時期はあったけれど、ある日、俺の知り合いが女の子と手を繋いでショッピングモールを歩いているのをカードゲーム屋から見かけたとき、俺は更生した。学力は中の上で、中学時代、バスケットボールで関東大会まで勝ち進んだことがある程度の一般市民である。


 他人ひとと違った特別な事情を強いて挙げるとするならば、家庭に養子の姉|(といっても同学年)が一人いること、それと、母がイギリス人の祖母と日本人の祖父とハーフということくらいだ。つまり俺はクォーターであるが、母と比べても殆どコーカソイドの血は感じられない。蒙古ひだがないくらいである。

 しかし義姉の方がよっぽど特別な事情を抱えているから、俺や妹の置かれている環境というのは大したことではないように感じるのだ。


 17年間弱、荏苒(じんぜん)とした時間を送ってきた人生である。俺の日常は倦んでいた。思春期にはよくあることだと思う。

 なんというか、言ってしまえば俺は生まれてくる世界を間違えてしまった。今のところ人生最大の過ちと言っていい。俺はドラゴンと剣と魔法の世界に生まれたかったのに、カミサマというのはまったくもって融通が利かない。


 来る日来る日も暑苦しい背広を着、満員電車に詰め込まれるサラリーマンにだけはなりたくなく、いずれ来る就活やその後の労働からは目を背けている。俺という1人の存在だけでは社会の歯車は壊せないことは既に知っていた。だが、あわよくばのヒモ人生という希望も棄てられない。


 俺はポジティブシンキングを欠かさない。

 俺が思う俺なりの『勝ち組』の図案はこうだ。高校卒業までにライトノベルを書き上げる。それが大手レーベルの大賞ないし金賞に選定され、晴れて俺はプロデビュー。大学で遊びながら、勝手に入ってくる金でパソコンとバイクを買う。大学卒業後も、好きなだけ遊ぶ。なにより《出勤》たるものが存在しない小説家という職業は、俺の性格にマッチする職業だろう。そうだ、たまにゲーム実況をしてもいい。……だが分かっている。人生そう甘くはないなんてことは16年ぽっちの人生でも、吐き出したくなるくらい濃いヤツを味わっているのだから。そもそも小説家なんて英哲な人間にしかなれない、そうに決まってる。自尊心が薄い俺が、無何有(むかう)(さと)で一生を送ろうなど土台無理な話である。


 ……大いに脱線したが、生まれた世界を間違えた件については、親を憎むというのは筋違いであるから諦めはついている。仮にタイムマシンがあったとして、両親のセックスを阻止するかと言われたらしないだろう。母に恋に落ちられても困るしね。


 さて現実的な話をすると、俺は高校の選択を間違えた。過去の俺は、家から徒歩5分という理由だけで、なんのドキドキやワクワクもイチャイチャもエロエロも、おっぱいもぽろりもその他諸々ラッキースケベが嘘みたいに存在しない男子校へと進学してしまった。中学3年の頃の自分をぶん殴りに行きたい。タイムマシンがあったらむしろそっちに行きたい。


 豪語するわけではないが、俺はコミュニケーションスキルたるものを母の腹か父の股に忘れたので、運命の出会いとやらは一度も経験したことがない。というか、2年間の高校生活で、同性の友達ができたこともない。

 俺の過ちを挙げようと思えば、100を超えるのは造作もないのだが、思い出すたびにカードゲーム屋以前の俺が脳裏にチラつくのでここらで止しておく。


 下校を促すアナウンスが図書館内に響いた。気づけば時刻は17時を回っていた。外を見やると既に逢魔が時であった。


 退屈で憂鬱な一週間がまた終わりを迎えたのだ。俺は部活動には所属しておらず、遊んで帰る親しい友人もいないから帰りは早い。今日は図書館で勉強していたから、普段より1時間遅い下校であった。


 「For sturdy」と繋げ字で雑に纏めたノートと、英語文法の問題集を閉じ、筆箱と共に乱雑にリュックへ突っ込み席を立った。司書以外誰もいなかった。


 あとは本屋に寄ってライトノベルを1冊買い、夕飯の食材を買い、5分家まで歩けば平日のルーティーンが完了するわけだが、今日は違うのだと心に言い聞かせる。因みにこれもルーティンワークの一つである。


 グラウンドから部活動に精を出す連中の掛け声が聞こえてきた。何かしらの部活に入部していれば俺の高校生活が何か違っていたのだろうか。競い合うライバルが出来たり、試合会場で可愛い女の子に出会えていたり、黄色い"俺コール"が飛び交っていたかもしれない。


 三年前まで、喉が痛くなろうとも掛けていた部活での鼓舞を小さく復唱しながら道を歩いていると、わき道から出てきた女が見えた。見た。

 普段、女が一人路地から現れたくらいでいちいち注視したりするほど変態ではないけれど、今、目の前を左折し俺の進行方向と同じ方面を向いて歩く少女は、俺のような好奇心旺盛でお節介な人間の気を惹く風采であった。


 彼女は白い杖で道路を叩きながら、石橋を叩いて渡る速度で前を歩いている。

 俺はそういう人たちを、道徳の教科書の中や、自動車の助手席で外をぼんやり眺めている時にたまにしか見てこなかったから呆気にとられてしまった。盲者への耐性がなかった。

 まず(お気の毒様だな)と思った。


 レディース服をよく知らない俺だが、ついでにいうと紳士服もよく分からないが、瀟洒(しょうしゃ)な印象を与える白いニットに紺色のスキニージーンズで、杖以外はどこにでもいる少女の恰好である。この季節に寒くないのかなと心配になるも、年頃の女は大体そんな感じだ。彼女に付き添いはおらず、電柱に突っ込みそうになる度、肝が冷える思いをした。


 3分くらいはなにかあったら助けてあげようと、半分ストーカーじみた行為をしていたが、眼前でふらふら/\されていられたら、そりゃ声もかけたくなるものだ。「ん"んっ」と、正常に発声できるか咳払いをした。今日は朝以来声出していないから心配になったのだ。いずれ声帯が退化し、俺はコウモリとなる予定だ。


「あのぉ、一人で大丈夫ですか?……もう暗くなりますし」


 しどろもどろになりながらも、これは我ながら良い台詞が言えた。心の中でガッツポーズをかます。


 少女が歩みを止め振り返り、一揖(いちゆう)した。だが向きが少しズレていた。急停止に俺はぶつかりそうになったが、なんとか踏みとどまれた。

「えっ、あっ、お気遣いありがとうございます。……でも、今明るい暗いが分からないので……、そうですか、もう辺りは暗いのですか」


 不躾なことを言ってしまったかと血の気が引き、俺はかぶせるように謝罪した。

「ああ、いや、ほんとすみませんっ。そんな気はないんです。ただ、見ててちょっと心配だったので声をかけさサせていただケきましたもので……」


 女は即声優かアナウンサーになれそうな透き通った声を発した。作っているようにも感じた。初対面の人間と接するときの、ビジネスライクな声にも聞こえた。

 彼女は折ったフェイスタオルを、鉢巻のように頭に巻き付けていた。髪がタオルに引っかかり、折角のロングボブ(なのだろうか)が乱れていた。不謹慎ながら、まるでスイカ割りでもするような目隠しのようだと想像してしまった。


シャープな顎のラインに、通った鼻筋。眼が隠れていようと、まぎれもなく美人であるのはすぐにわかった。染めたみたいに真っ黒の髪が特徴的である。


 175cmあるかないかの俺と頭の高さは少し低いか、ほぼ同じ位だった。顔が小さい為、7頭身かそれ以上はありそうだ。安全の為だろう、ランニングシューズを履いているから、身長を盛っているということもない。日本人女性にしてはかなりの高身長である。


 ニットの為に胸の大きさは測りかねるが、BないしCカップはありそうだった。いや知らないけど。女子高生の平均も知らないけど。

 脚は細く、やけに健康的に締まっている。盲目の彼女でもこれほどまでに健康的な脚を作り上げられるスポーツなど、皆目見当もつかなかった。


 ところで美女の厄介になるのは光栄の極みである。もちろん口には出さない。

「いえいえ!俺はゼンっゼン平気です。……えっと、失礼ですがその目は?」


 う……、今の質問はいくらなんでも無礼だったかな。完全に空回りしてしまっている。

 しかし彼女の顔に嫌悪感らしきものは伺えず、

「全然のあとには……いえ、なんでも。この目は一月程前に交通事故でちょっと。でもまぁ、この目は治るってお医者さんも言っていましたから、きっと良くなりますよ」

そう言って彼女はクスッと笑ったのであった。ちょっとどころの問題ではないと思うのだ。……というかちゃっかり揚げ足を取られている。


「そうなんですか。目、早く治ると良いですね。ここで立ち話もなんですから、行きましょうか。暇ですし、駅でもタクシー乗り場でもお連れしますよ」


 ……ヤリチンのような決まり文句であった。一応、童貞だから安全ですって付け加えたほうがいいかもしれない。


「……ええ。じゃあお願いします」

「はい。──あっ、ちょっと待ってください」


 制服のズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、愛しき妹に高速で文章を連ねる。


 ―”俺人助けするから遅れる。いっとくけど、学校で遅刻した時に言う「おばあちゃんの荷物持ってあげていました」的なやつじゃないからね。勘違いしないでよね。因みにこれ、ツンデレな。可愛いべ(笑)

PS. 飯は冷凍の米と冷蔵庫にあるものチンして食っといてくれ(*^▽^*)今度うまい棒奢ってあげるから”―


 と、これでよし。「勘違いしないでよね」を挟むことによって信憑性が高まり、且つ雰囲気を和やかにする効果を持たせる。そして万が一妹がツンデレという言葉を知らなかった場合に備え、「半分はジョークなんだよ」という遠回しな解説を挟み込み、最後は駄菓子で抱きこむ。子供なんてちょろいもんさ。本当は縦読み工作もした方がいいだろうが、面倒くさいし彼女を待たせたら悪いので止した。チャット画面では俺の吹き出しが9割を占め、ほぼすべてが既読無視であった。ちなみに妹からの最後のメッセージは4日前の『音ゲで通知うるさいから黙れ』である。あくまでも通知は切らないスタイル、よい。


「……すいません、じゃあ行きましょう」


 心地のよい秋の微風(そよかぜ)は|南半球へ越してしまった。風が吹くたび体が縮み上がる。そろそろカーディガンからセーターに衣替えしなきゃな、と、はてセーターやコートはどこに仕舞ってあるのかな、なんてとりとめのないことを、久しぶりの緊張を紛らわすように脳の抽斗(ひきだし)を開けていく。

 話題の糸口すら見つけられない自分の怯懦(きょうだ)を恥じ、なにか話さねばと焦燥に駆られる。


「あぁ、俺まだ名乗ってなかったですね。七瀬時未ななせときみって言います。時間の時に未来の未。……女みたいな名前ですよね」

 自嘲を交えた自己紹介をした。俺ってホントコミュ力ないでしょ。

 女性は微笑を浮かべて返した。目は閉ざされていれど、1cm口角が動いただけで俺の苦笑が消えた。


「言われてみれば確かにそうとも取れそうです。未来に、七瀬さんの()を刻んでほしい、そういった意味合いでしょうか?私は神川彩音(しんかわいろね)です。色彩の彩と音で、彩を()()と呼んで彩音」


 イロネさん、いい名だ。それはアヤネではないのかとは思ったが、翔をショウと読まずにツバサと読むケースがあるように、そういう名前もあるんだなぁと特に疑問に思わなかった。これが、もし親が出生届をミスったとかだったら、フォローや気の利いた返しが早起きの次に苦手である俺には手に余っていた。というか、俺の名前にはそんな有り難い意味なんて込められてない。さすがの俺でも、「深い意味なんてないんですけどね」なんて彼女の顔を潰すことを言うほど人間辞めてはいない。

 因みにこの名は、親が酔っぱらったノリでつけたということを一年前に知った。キラキラネームよりかはましだと前向きに捉えるよう善処している。


「俺の馴染みは皆トキって呼ぶんで、トキって呼んでください。馴れてるもんで。と、いうかそれ以外で呼ばれたことないんで(……出会って5分足らずであだ名を言わせるってどんな野郎だっつの、なんだよ馴れてるもんでって、知らねーよって感じだよな。これも人と話さなかった代償だ、ああどうしようどうしよう、4月のクラス替えで「俺、ヒデって呼ばれてるんでヒデって呼んでください」って自己紹介したヤリチンDQNとなんら変わらねぇじゃねえか許さねぇぞヒd……ヒデ……なんだっけ名前なんだっけ……、まあいいやとにかく許さねえぞヒデキ、くそぉあの野郎のせいだ末代まで呪うぞヒデアキ)」


「でしたら、私のことも下の名前で彩音と呼んでくださいな。……声や話し方からして、高校生か大学生ですか?」


 声でよわいがわかるとは、なかなかやりおる。目が見えないと他の器官が失われた視覚のカバーしようと発達すると聞いたことがあるが、こういうことなのだろうか。


「あ、そうです、申し遅れました、高校生です。よくわかりましたね。すんません年齢言ってなくて。……彩音。ああやっぱ無理! さんづけさせてください」

 女の子を下の名で呼ぶとはどこかもどかしい。はっきり言って苦手だ。まあ世の男子高校生なんて皆そうだろ。……そうでしょ?俺だけ? んなまさか。


「何年生なんですか?」

「二年です。16歳」


 正確にいうと16歳と9ヶ月である。今が11月中旬なので、あと3ヶ月で歳を取る。学年でほぼ最年少の俺は、あの理不尽で不合理な身体測定や体力測定を幾度となく体験した。早生まれのセコ野郎に何度50m走の記録を比較させられたことか。我ながら俺はよく頑張って耐えてきたよ。


「フフ、同い年ですね」

「え?じゃあ彩音さんも二年生?」

「いえ、1年です。……アメリカ式(注:学年が9月に分かれる)では同学年ですね」


 5月~8月のどれかということか。

「ははぁなるほど。てことは、えーと、タメがいいってことカナ?」

 こんな事をいうのは初めてで、声が上ずってしまった。


「うん。私もそっちの方が話しやすい……カナ」

「じゃあ、改めてよろしく……い、彩音さん」


 久しぶりの会話に気持ちを上の空にしていたその隙に、彩音が今にでも電柱に頭突きせんと突っ込もうとしていたので、俺は咄嗟に彼女の両肩を鷲掴んだ。

「危ない!」


 俺の手は危機一髪で彩音を踏みとどませることができた。なんて、狭い肩幅なんだろう。女性は大切に接しなければならないと、男の本能に語り掛けてくるようだ。

 だが、俺はその華奢な体にはそぐわない強靭さに、強い違和感を覚えた。


 女子の身体なんてろくに触ったことはないけれど、少なからずこれは違う。肩から手を放し、自分の掌と彩音の上半身と視線を行き来させた。

 女子のか弱さなんてものはなく、鋼のような体幹を感じた。生半可な筋肉トレーニングでこうはなるまい。交通事故から何ヶ月経っているのかは測りかねるが、目が見えなくて運動をし続けることはそう簡単ではないだろう。トレーニング器具一式とそれらを置く部屋がある家にあるほど裕福な家庭の子だとしても、では訓練を怠らないはなんだ……。──訓練、そう、これは訓練で得られる身体といえる。


 違和感の分析を開始する前に、俺は我に返りとんでもないことをしてしまったのだと気づいた。彩音が「きゃっ!」と叫んで飛び上がり、激しい息遣いをしていたからだ。それは怖いに決まっている。盲目者に突然触ってはいけないと教わりはしたが、やはり日頃よりハンディキャップを背負った人間と接していないと、配慮に配慮を重ねて鯱張(しゃちほこば)っても失態を犯してしまう。


「―ああっ、驚かせて、そのごめんなさい。もっと早めに気付けていれば」

「いや、大丈夫」


 彩音は杖を電柱に突いて確認すると、またも微笑んでくれた。

「これに頭をぶつけるよりかはマシだから」

「次からはもっと事前に対処できるよう注意します……」


 それから歩くこと暫くし、日が完全に暮れた。等間隔に設置された街灯と、時折通過する自動車のヘッドライトが俺たちの影を映し出す。


 がやがやとした喧騒が前から聞こえたので、ふと顔を上げた。障害物の確認ばかりしていたので、前方からやって来る4人の女子高校生の集団の存在に気付くのが遅れたのだ。向こうもこちらに気付き、声のトーンを少し落とした。

 女子高生たちが彩音の杖とタオルに気付き、互いで何やら耳打ちをしている。遠すぎて何も聞こえてこないが、内容は大体分かった。目を伏せ、俺は一旦障害物を探すフリをし、そっと彩音を歩道の端に誘導した。すれ違いざま、女達は明らかに好機の目で彩音を盗み見ていた。後ろからひどく視線を感じる。その不謹慎な態度を注意するのは憚られた。俺が何も言わないことで、彩音は不快にならずに済むからだ。


 とは言え、彩音がこの異変を察知していてもおかしくない。俺は気を取り直すように話を振った。

「そういえば、彩音さんはいつも一人でお出掛けするの?」

「え?うん。そうだけど」

「毎日危なくないの? あー……その、さっきみたいに」

「ええっと……うん、まあ、大丈夫。バィ──そういえば今どこらへん?」


 バ?

 

 なぜか茶を濁されてしまったのが歯がゆかったが、彼女には彼女なりの事情があるのだろう。興味はあるが穿鑿(せんさく)しないように気を配り、電柱に記載された住所を読み上げる。何を言い間違えたのだろう。


「んん?えーと、7番地」

「7番地……近くに赤い屋根の家はない?ちなみにそこに住む人には、会わないようにしてね。いや、目を合わせちゃダメだよ。絶対に。はげが目印の2mくらいのジジイなんだけど」


 知らねーよと思いつつ(こういうのって女らしい)、俺は適当に相槌を打った。


 辺りの家の屋根はすべてパッとしない色なので彼女が指す家はすぐ見つけられた。

「あった。(駐車場に)でかいSUVがある家?」

「そ」

「りょーかい」


 明かりが漏れる窓大きくなるにつれ、俺と彩音の時間が終わりに近づいているのを悟った。俺たちの関係がこれっきりで、後はもう一生会えないと思うとすこし寂しかった。


「着いたよ」

「うん、ありがとう」


 表札に神川とある。何人家族だろう、5、6人までなら一人一つ部屋を持てそうな大きさの一戸建てである。

 彩音をドアの前まで誘導した。


 自然と手を引いている事態に、思い出したように心臓が跳ね上がる。でも離すわけにはいかない。なんで今気づいてしまったんだろう、ありがたい。

 彼女の手は、強く握れば潰れてしまいそうに華奢なのだが、皮膚に厚みがある気がする。熱が伝わってきた。もうずっとこのままでいたい。


「ありがとう、じゃあここで」

 俺は握っていた手を解く。汗とそれ以外のなにかでベトベトになっていなくて良かった。

「あ、彩音さん。ちょっと待って」


 これっきりというのがどうも惜しかった。リュックを前側に廻し、シャープペンシル機能付き3色ボールペン(妹がテーマパークのお土産で買ってきてくれたもの。4年選手。)とゴミ箱行の学年通信を取り出し、自分のラインIDと、メアドを書き記した。彼女は文字が読めないから、自分の電話番号を口頭で伝える。彩音は反芻することなくあっさり覚えてくれた。


「何か困った事があったら気軽に呼んでいいから。後、目が治った時のために俺のライン書いとく」


「えー?いいよぉ。──あ、いやほんとに要らないから。ゴミ増えるし。うん」と言われてしまったあかつきには、異世界への転生を願ってこの世からおいとまするところであった。

 ……余計なお世話だったかな。彩音には親身になって駆けつけてくれる友達くらい居るだろう、俺と違って。そう、俺と違って。


「ほんとに?ありがとう。助かるよ。最初は、変な、……そのぉ、えーと、speculationっじゃなくてスペキュレーションがあるんじゃないかって思ってたんだけど、話しててトキなら頼っても信用できるし、じゃあ頼んじゃおうかな」

「す、すぺ……?え?」

「いやなんでもない、ただ日本語が思いつかなかっただけだから。──そうっ、思惑。思惑があったんじゃないかって」


「大声で言わんどくれ」笑いながら言った。


 日本語忘れちゃったとか言ってみたいセリフベスト10だ、羨ましい。どうも日本人とは違う容姿や、「全然」を指摘するところや今のやり取りからして、帰国子女という可能性が見受けられた。


 彩音は手を差し出した。ここに置いてくれという意味合いなのだろう。握手がしたかったがそっと掌に紙を置いた。

 

「じゃあ、頼み事はなんでもいいぞ。どんとこい」

 彩音は一息ついて顔を上げた。顔の向きがずれていたので、俺は正面に立つように、一歩横に移動した。


「お、頼もしい!…………あの、この目が治ったら、その、トキの顔を見たいからその、も、もう一度会ってくださ……くれる? ──あ、でももっと早くてもいいかなっ」

神川彩音はコケットリーに笑った。


2  


 2016/11/21,金,45回目-56日目。やっと見つけることができました。苦労した甲斐がありました。あと少し。あと少し。


 

 俺の嫌いな音ベスト3。

 第三位!朝の目覚ましのアラーム。

 第二位!窓のシャッターの開閉音。

 そして第一位!ドゥルルルッ、ドン……何だっけ、まあいいや。

 つまるところ、俺は朝が大嫌い。朝なんて無くなってしまえばいいのに。世界に朝はいらない。

 

 寝呆けた頭でとんでもない極論を叩き出したところで、ドカッと扉が開け放たれた。


「バカ!サッサと起きろ!ベッドの下にあるやらしい雑誌捨てんぞあぁ?」


俺は目の前の∣驚異(いもうと)から身を守るため、咄嗟に布団で身を固める。

「それだけはやめてくれ!何でもするから! あと寝起きなんだから、もう少し静かにして!」


 ああ、思い出した。第一位はこいつ、紗雪(さゆき)の罵声。あまりに嫌い過ぎて脳内から排除していたぜ。


朝一番だというのに、ドアを蹴破り、俺のマイハニー(布団)を引っぺがすという鬼畜な悪魔。

 それよりちょっと待て。こいつ今なんつった?まさか俺の宝の在処を知っているのか?


「さゆは腹が減った!猛烈に空腹である!昨日は出船したばっかであんまり溶けてないコマセみたいなカチカチの米なんぞ食わせやがって!チャーハンもびっくりのポロポロ飯だ!いやフラッペ飯だった!」


「例えがよく分かんねーよ。つーかおま、……あのさぁ、米はチンして食えっつったろ?料理下手にも程があんだろ。皿を入れてボタン押せばいいんだよ?お兄ちゃん呆れるよ」


「レンジって、それ爆発したらどうすんだよ触れるわけねぇだろバァーカ」

「爆発してんのはお前の頭だバーカアーホ。お前バカだろ?バカなのか?いや違いないね」

「黙れぶち殺すぞ」

 

 俺は剥がされた布団をもう一度被り直した。ただいまマイハニー。

「あぁあ。まーたそんな汚い言葉覚えやがって。お兄ちゃんお前の将来が心配だよ。嫁入りできんのか。……いや根本的に、いろいろ無理だな。お兄ちゃんのお墨付きでありえないわ」


「今なんでもするって言ったな、言質取ったぞコッチは」

「なんでもしますからカッコなんでもするとは言っていない、は常識だバカめ。つかこんなオタクみたいなやり取りさせるな恥ずかしい」


「あああイライラする、ぶっ殺してやる!」

「だぁ喚くな喚くな。わかったから。ほら布団にお入り」

「ちっげーよ!」

「えー、じゃあなにー」

「メシだつってっだ──、舌噛んだぁぁ痛あい」


 そろそろイジるのも飽きたので、それと妹成分をたっぷり補充したので俺は起き上がり、大きく伸びをした。


「……ちょっと可愛いがりたかっただけだからさ」

「え?」

「いやなんでも」

 俺はニッと笑いかけた。


「ああ、そう」

「うん」

「……聞こえてないわけないだろ気持ちワリー!」

紗雪の後ろ回し下痢が俺のみぞおちにクリーンヒットする。

「グベラッ」


 このやり取りも何回やっているのだろうか。年365回くらい? 俺の可愛い従順で純情な妹はどこへ去ってしまったのだろう。


 妹の出来の悪さに瞑目し、かったるい体に鞭打ってベッドを後にする。

 夜更かしするんじゃなかった。そう後悔するも、結局する(・・)のだから人間というのは全く学習しないダメダメ生物だ。

 マイスイートルーム(6畳)は二階の最奥に位置し、長い廊下を歩き、階段を降りる必要があるのだが、階段を下りる途中後ろからガンガン俺の背中を蹴ってくるのが微妙に痛い。


「おそいぞ。さっさと歩け」

「俺は囚人か」

「うーんぬるいな。奴隷」


 どうやら彼女の空腹パラメータと俺の人権は底をついているらしい。


「わあったから、乱暴はやめてくれ」

 と言っても無駄なのは分かっていた。


 「早く早く」と急かされるままに、キッチンへ足を運ぶ。

 現在、母親は海外に出張へ、父親が仕事の何とか会議だとかで数週間ほど単身赴任しているので、ここ最近は紗雪と二人で暮らしている。

 二人暮らしには大きすぎる冷蔵庫を開け、残っている材料を確認し手早く料理の支度を行う。幸い、紗雪は好き嫌いなく何でも食べてくれるのでこちらとしては料理のレパートリーが増えるので助かる。


「卵が結構あるから、何が食いたい?」

「じゃあエッグベネティクト」

「舐めんなクソ」


「んー、しょーがないなーもー。ならオムレツで」

「しょうがないってなん…いえ何でもありません。チーズとか入れるか?」

 キッと睨まれた。怖い。


「ではよろしく頼もう」

「あいよー。飲み物は珈琲でいいんだよな?」

「むろん―」

「はいはい挽けって言うんだろ。インスタントは邪道だって言いたいんだろ」

然様さよう、即席は糞」

 このおませめ。


 妹は珈琲にうるさい。そのくせ、自分では淹れられない。その前にお湯を沸かせらない。蒸気で夜間の蓋が吹っ飛んで鼻を折るのが恐いからだそうだ。……ホントにこいつ将来大丈夫だろうか。餓死しそう。


「で、種類はなに」

 我が家は、妹だけのために貴重なキッチンスペースを無駄にして何種類もの珈琲豆入れの瓶が設置されている。勝手に淹れて飲もうなんてしたらそれこそ逆鱗に触れてしまう。俺は珈琲より紅茶派なので戦争勃発は免れている。兄妹で嗜好が違うと何かと融通が効く。男兄弟ならば、一緒の趣味でもあった方がいいかとは思うが、それは知らない。例えばゲーム対戦だとか、スポーツだとか。このバイオレンス小娘を忠実な弟と交換したい。


「朝は米式に限る」

 アメリカンという意味だ。


「前はキリマンジャロの高知で育った豆の深煎りのローストでそのフルボディを際立たせて油分を生かすために金属ステンレスドリップでなんちゃらでローストがなんとかって言ってなかったか」

「あの時はその時。ぜんぜん違うし、ローストって二回言ってる」

「あっそ」


 もうこいつの事だ。面倒な時は受け流す。紗雪は気分というかマイブームもちょくちょく変わってくる。兄への態度もちょくちょく悪くなっている。


 お湯を沸かしている間に、卵を2つ溶く。因みにアメリカなんかでは二個か三個かと聞かれるらしいが、こいつに卵3つは勿体ない。ざまあみろ。せめてもの恨み晴らしに、殻の欠片を一つぶち込み、溶いた卵を油の敷かれたフライパンに流し込む。するとジュワーと音を立てて食欲をそそる香りが立ち上る。


冷蔵庫からチーズを取り出しパラパラと振りかけ、フライ返しで勢いよくひっくり返す。ある程度熱を通したら皿に盛る。仕上げにケチャップで流れるように『My LOVER』と書いて完成。次に珈琲豆を挽き、フィルターに移し、円を描くように淹れる。オムレツと珈琲を紗雪の前まで運んでやった。


「はいおまちどう」

「さんきゅ……首を掻っ切られたいのか?」

紗雪は俺の渾身の『My LOVER』を指さした。


「え、どういうこと? あ、もしかしてハートとか入れてほしかったとか?」

「あ?」

「『My eternal lover』の方が良かったか? そうしたいのは山々だったけどスペースの関係で無理だった。……ごめんって、だからフォーク下して」

「次なんかいらんこと睾丸が一個なくなるゾ」

「はい」


 ホントなんなんだこいつ。ターミネーター軍団の中に混じっていてもわかんねーぞ。でも可愛い紗雪だから俺だけはすぐ見つけられる。

 よいしょっ、と唸り、席に着いてスマホを取り出しメールをチェック。まあ、いつもの馬鹿ども以外から連絡来た覚えなんてないけど。


 通知が一件。いつものように「w」一文字でも送って済まそうと判断する。が、みたことのないトプ画であった。……なんだこれ、歯車かなんかかな。はてと首を傾げ、確認してみる。

 俺の脳が一気に覚醒する。発信元が彩音だったからだ。


『昨日はどうもありがとう。早速で悪いけど、今日の12時に南公園に来られる?』


 答えは決まっている。

『もちろん。じゃあ12時ね』

 送信っと。何だろうな。えへ。


「どうした?顔が実娘に手を出した性犯罪者と同じだぞ。不愉快極まりないんだけども」

「あのな、この顔は俺の両親から頂いたものだ。つまり俺への罵倒は両親への罵倒。即ちお前自身の首を絞めてることになんだ。肝に銘じておけ。以後、お兄ちゃんの罵倒は慎むように」

「死ねよブス。それはさておき」


 小悪魔が俺のスマホをのぞき込んできた。

「え、おにぃが女の子と……?そんな、馬鹿な……、しかも12時に公園!?―おにぃ、せがまれても貢いじゃだめ!女は怖いんだから」


「見んじゃねーよ。つか俺が女の知り合いがいたって別におかしく……いやおかしいのか。そりゃそうだよな、ごめん俺が間違ってた」

「あ、いや、いいんだよ。その、こっちこそゴメンね」


「「……」」

「──なぁ」

「……ん」

「卵って肛門と同じ穴からでるんだぜ……」


 紗雪はこの世のゴミを見るような目でオムレツを見つめ、

「……安心したよ」


「え"」

「──あ、そうじゃなくてっ、ちゃんとおにぃは無事に帰ってこられそうだなって」

「ああなるほどね。……え?」



 言うやいなや紗雪はスマホに目を落としてしまった。スマホ片手に珈琲を啜るというのは中々の絵になった。俺に絵心があればデッサンしたいくらいだ。

 時計は9時を指している。ふむ、結構余裕があるな。昼飯でも作っとくか。


立ち上がって再度キッチンに戻る。パンにレタスとチーズを挟んで質素なサンドイッチを作る。

「なんか食いたいサンドイッチあるか?」

 紗雪はうーんと唸り、


「なら、ローストビーフサンドを作ることを推奨するよ」

「んな金があるかよ」

「知るか」

「知っとけ」


悪態を付きながら、俺は自室に戻り着替えた。追加のおやつ代として500円玉を玄関の靴箱の上に置き、ジャケットを羽織った。


「足りなかったら買って食えよ。じゃあね」

「ういうい」家の奥から力の抜けた返事が返ってきた。


 雲一つ鳥一羽いない冬の快晴が、俺を迎えた。

 今日また彼女に会えば、あのミステリアスでベールに包まれた奥を、少しは垣間見られるかもしれないという切なる期待を抱き、俺は身を震わせながらファスナーを引き上げた。


  ズボンのファスナーをね。

 初めまして

 新たな趣味でテキトーに始めました。この小説を書くというのは、普段なら味わうことのないだろう充実したなにかがありました。……というのは建前です。僕の妄想をぶつけるためにやってます。


 トキミや、これから登場する様々な人物にいろんなことをさせたい。そんな一心でこれからも執筆していこうとおもいます。彼の成長が楽しみです。いや、ちゃんとストーリー考えていての発言ですよ。多分。

 最後になりますが、この物語をご覧いただいた皆様。本当にありがとうございます。誠心誠意邁進して参りますので、何卒これからも御贔屓にお願い申し上げます。

って大人は言うよね。


twitter: @M4R1C9_nognog




 

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