07:そして野口は加速する
お時間いただいてしまいました。
――そして野口は加速する。
ギルドのフロアへ戻ってきた加藤たち一行。
「えっ?」
その光景に、このギルドで窓口を担当しているルルア嬢が声を上げた。
普段なら少し閑散とする時間帯であるはずのギルド1階フロアには、現在数多くの冒険者や商人で溢れかえっていた。
「どうしたんだこりゃ?」
ガースニクスが訝しんだ声を漏らす。
それだけの人数が、一行が入って来た途端に静まり返って視線を集中させたのだ。
ギルド長室に居た4人は知らなかった。その日、瞬く間にこの街を様々な噂が駆け回ったことを。
曰く、上位冒険者しか目通りの叶わないギルド長ガースニクス・ヴェルスフェンドに、今日登録したばかりのひょろっちいぽっと出の新人が面会しているらしい。
曰く、冒険者ギルドへ大量の胡椒が持ち込まれ、商業ギルドの偉大なる母ハンナ・エルジュスタが動いたらしい。
曰く、受付のルルア嬢に大金を持って結婚を迫り、大声を出された馬鹿がいるらしい。
曰く……。
曰く……。
曰く……。
さほど時間が経ったわけではないにも関わらず、中にはズレたり歪んだりどうしてそうなった……? と変化したものもあったが、冒険者、商人、あと何かの親衛隊が動くには充分な理由だったのだ。
商業ギルドの長であるハンナだけは、ここに来るまでにある程度の予想がついていたのか、驚いているというより「困ったものね」という表情だったが。
ともあれ、ある種異様な空気を孕んだ冒険者ギルド1階フロア。そこへ4人の中で最初に一歩を踏み出したのは、両ギルド長でも看板窓口嬢でもなく、ひょろっちいぽっと出の新人、加藤だった。
「みなさん! 今日は俺、野口のためにお集まりいただき誠にありがとうございます!」
フロア内の全員が「違ぇよボケ」と思った。
だがその微妙な空気に、加藤はニヤリと口の端をつり上げる。
「……今日、登録したばかりの新人です」
ポトリと水面に落とすかのように放られた言葉に、冒険者たちが纏う空気を変えた。
「……先ほど、結構な量の胡椒を買い取ってもらいました」
次いで商人たちが表情を変える。
フロアに入ったルルア嬢たちの様子から、加藤はこれが日常とは違う状況にあるとすぐに予測した。
冒険者や商人たちが入って来た両ギルド長に注目したことから、何かを言いに来たのではなく聞きに来たということや、その原因に自分がいるだろうということにも思い至った。
そして、鎌をかけるように放った二言でそれを確信する。
……でも、じゃああいつらは何なんだ……?
中に十数人、ギルド長ではなくルルア嬢に注目した一団が居たのだが、残念ながら予想外に曲がった噂の内容を知らない加藤にその理由を知る由も無い。
……まあいいか。
「気にしたら負け」という、高校時代に生徒会長が言い放った言葉を思い出した加藤は、そうだなと先に進める。
「はじめまして、転移の魔力災害でハンナ母さんも知らないほどの遠くから飛ばされて来ました」
集まった者たちの多くは驚愕し、次いで見たことも無い加藤の服装や後ろで頷くハンナの姿に納得し、気の毒そうに顔を歪めた。
一部例外として、商人の中に「ハンナさん、また息子を増やして……」と呆れ顔を見せた者も居たが。
……やっぱり、善人が多いんだな……。
多過ぎないかと若干心配にもなったが、そこに至るまでにはギルド長たちの弛まない努力があったことを加藤は知らないのだから、仕方のないことだ。
「俺が野口だ!」
全員が「叫ばなきゃ自己紹介出来んのか」と思った。
「そんなこんなで右も左もわかりません!」
自信たっぷりに言い放つ加藤に、全員が「悲壮感ゼロだな!」と心の中で突っ込む。
「……が、今俺にはこいつがあります!」
そう言うなり買い物袋から先ほど貰った革袋を取り出す。見慣れたそれにフロアが色めき立った。
「というわけでクエストを出す!」
そして加藤は革袋から黄金色に輝くそれを取り出すと、勢いよくカウンターに叩きつける。
「『読み書きを教えて下さい』金貨1枚!」
「ちょっ、ノグチさん!?」
その金額にざわつくフロア。ルルア嬢が止めようとするが加藤は止まらない。
「『この国に馴染んだ服装や冒険者としての装備を見立てて下さい』金貨1枚!」
『おおっ……!』
「『この国、特にこの周辺の地理など教えて下さい』これは金貨……2枚だ!」
『おおぉ!』
「ノグチさん!?」
次々にクエスト依頼を口にする加藤に熱気を帯びるフロア。ハンナは額に手を置き呆れ果て、ガースニクスは面白いことになったと笑う。カウンターに置かれた革袋を手に取ったルルア嬢は、それでも止めようと声を上げるが、沸き返る喧騒に掻き消されて加藤にも、熱気に包まれたフロアの誰にも届かない。
「あ、『冒険者としてやっていけるよう訓練をお願いします』これも金貨2枚でどうだ!」
『うおおっ!!』
「あと何かあったっ、け……?」
『うおお……お?』
首を傾げる加藤に合わせてフロアの声も揺れる。ガースニクスは「何だこりゃ!」とさらに笑い、ハンナはギルド商人までが完全に踊らされている状況に溜め息を吐き、ルルア嬢はもうまごまごするしかなかった。
「よぉし、これで一通り出したか?」
さらにいくつかのクエストを出した加藤は、指折り数えて他に無いかを確認する。
「たぶん、もう無いかな……でもまだ余裕あるよな……よし!『この街で一番、飯と酒の美味い店へ案内して下さい』金貨……」
「ここの2階以上に旨いとこなんてないぞ!」
加藤にみなまで言わせずにガースニクスが声を上げる。
そうなの? とフロアを見渡せば冒険者のほぼ全員が頷いて返す。
「よし! じゃあ残り全部奢りだ! 宵越しの金なんて持たねえ! 行くぞ!」
『おおおおおおおっ!!』
「ちょっ、ノグチさん!?」
加藤を先頭にギルド2階へと突撃して行く冒険者と商人たち。ガースニクスとハンナもその最後尾に付いて行く。ガースニクスは豪快に笑いながら、ハンナもまあいいかノグチのお金だしという顔で。
残されたのは、馬鹿みたいなクエスト依頼と共に積み上げられた金貨とルルア嬢のみ。よく見れば他のギルドスタッフも居なかった。
「もうッ!」
積まれた金貨をギルドの金庫に仕舞うと、ギルドの2階へと向かう。
「最低限の生活費くらい残すようにして下さい!」
こうして異世界初日にお金持ちになった加藤は、お大尽ぶちかまして1日で使い切って伝説になったのだった。
ここまでがプロローグみたいなもんですかね。