02:吾が輩は野口である
意外と早く書けましたので。
吾が輩は野口である。名前はまだ無い。
いや野口ですけどと加藤は自分に突っ込んだ。
「いや、これはある種の哲学か?」
「えっと、ノグチさん?」
「え? ああ、すみません。ちょっと故郷のことを考えてました」
「あ……」
もちろん嘘だが途端に言葉を失う受付嬢。冒険者登録の際にルルアという名だと教えてもらっていた。
ルルア嬢が言葉を失ったのには訳があった。加藤は冒険者登録の際に遠くから来たと言ったが、それがどうやら「魔力災害」というものの被害に遭ってのもの、ということになったのだ。
ギルド内にはフード姿に杖を持っている者も居たので、そういう魔法のようなもあるだろう、とでたらめに言ってみたら本当にあった、というのが真実ではあるが。
魔力災害。
それは例えば古代遺跡にてまだ生きていた埒外の魔術罠であったり、ダンジョン内における魔力の澱みが氾濫して起こるモンスターの大発生であったり。そういった魔力の関わる様々な要因によって起こり、様々な現象として人々に降りかかるものを、総じて魔力災害と言うのだそうだ。
そのひとつに強制転移というものがあり、あれよあれよという間に加藤はその被害者ということになってしまっていた。
ルルア嬢によると、魔力災害による被害者のほとんどが命を落とすため、命があっただけ加藤は運が良かったらしい。それどころか転移の際に浴びた魔力が作用して言葉が通じるようになっているのだから、かなりの強運の持ち主かも知れないとかどうとか。
強制転移は間違ってはいないが、規模がな……と話を聞いた加藤は思ったが。
ともあれ、ルルア嬢が言葉を失ったのにはそういう流れがあってのことだった。帰れない故郷を思う。そう見えた、というわけだ。
実際は意味が無さ過ぎてどうしようもないことを考えていただけなのだが。
「気にしないで下さい。それより今は、これからどうやって生きていくかですから」
それでも努めて明るく言うと、ルルア嬢はほっとした様子を一瞬見せ、すぐにギルド職員としての仕事を再開する。つまり、色々無知な新人冒険者への説明だ。
「……と、いうわけで今回は異例の事態ですから、少しではありますがギルドから借金という形で当面の生活費をお渡しすることが可能です」
そう言って借用書らしきものを取り出すルルア嬢。
だが新人冒険者、すなわち野口こと加藤はそれを手で制する。
「いえ……そうですね、ギルドでは買い取りも行ってますか?」
ルルア嬢は首を傾げ、借用書らしきものを直しながらも「ええ、行っていますが……」と答えた。
その視線が加藤を一周した後、手に持つ買い物袋で止まる。その視線に頷きを返す加藤。
「これ、意図せず向こうから持ってくることになったものなんですけれど……」
「えっと、大切なものなんでは……?」
「いいえ。たんに買い物帰りだっただけです。向こうではごく一般的に買えるものでした。でも、もしかしたらこちらでは稀少なものがあるかも知れませんし、一度見てもらってもいいですか? まあ、こっちで生活するなら先立つものも必要ですから」
言いながら加藤は、買い物袋からまずひとつ……と小さな瓶を取り出す。
「これは?」
「塩です」
「塩!?」
ルルア嬢の驚愕する声がギルドに響いた。それを聞いたギルド内の冒険者達からざわめきが起こる。それを無視して、また別の小瓶をカウンターに置く。
「こっちは胡椒」
「こ、胡椒!?」
再び驚愕するルルア嬢。ざわめきを大きくする冒険者達。ちょっと面白くなってきた加藤。
「さらに胡椒! 胡椒! 胡椒!」
「こ、こんなに……!」
「それから塩胡椒!」
「混ぜ合わせるだなんて!?」
加藤のテンション、ルルア嬢の驚愕、そして冒険者達のざわめきがさらに大きくなっていく。
「そしてこれが食べるラー油だッ!!」
「……え? 何ですかそれ?」
ものすごい落差でポカンとするルルア嬢と冒険者達。
……最後にスベったあぁぁッ!
加藤、渾身の一撃が外れた瞬間であった。
胡椒がクレイジーなまでに効いたラーメンを食べたい気分だったが、胡椒が無かった。理由はただそれだけだった。
いつもの店に行き、思いつきでそこにある胡椒を全種各1購入。ついでに無くなりそうだった塩と食べるラー油も買った。塩胡椒は何となくだ。
目的以外のものもついつい買ってしまう悪い癖が発動した為、他にも色々袋に入っていたが、ルルア嬢達のリアクションから今回はこれでいいだろうと判断する。
「と、とにかく、これをすべて、ですか……?」
羞恥に震える加藤を気にしつつも、並べられた塩や胡椒から目を離せないルルア嬢。その声は少し震えている。さっきまでざわついていた冒険者達も、固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
「あ、ああ、はい。とりあえず食べラー以外、塩と胡椒は全部」
「ぜ、全部ですか!?」
そのやりとりにどよめくギルド内。
「え? マズかったですか?」
ギルド内を見回しながら疑問する加藤に、ルルア嬢が身を乗り出して叫んだ。
「そりゃそうですよ! 胡椒だなんて、同じ重さの金と取り引きされるようなものをこんな不用意に!」
「ならばもうひとつ胡椒だ!」
「何が『ならば』なんですかッ!」
さらにもうひと瓶取り出した加藤に、ルルア嬢は叫びながら頭を抱え込んでしまった。
「あ、ちなみに胡椒はこれで全部ですから」
嘘である。
「こんな量、私の裁量では……」
完全に困り果ててしまったルルア嬢は、そう呟くとギルド長を呼んできますと言って席を立って奥の扉へと消えて行った。
「……とりあえず料理に使うという選択肢は?」
加藤が呟いた言葉は、残念ながら届くことなく虚空へと消えて行った。
次話は少し間が開くと思います。