01:野口あれ
野口あれ。こうして、野口があった。
そういう仰々しさとは無縁であると言わざるを得ない。
野口とは、加藤が直前まで読んでいたネット小説『ドルオタが異世界で推しメン(女騎士団員)を見つけました』の主人公である。
人生をかけて応援していた地下アイドルグループの推しメンがスキャンダル脱退&引退し、意気消沈していたアイドルオタクの野口。そんな野口が、ひょんなことから異世界に行き、そこで新人女騎士団員に出会う。不器用だけど頑張り屋な彼女の姿にドルオタとしての熱意を取り戻した野口は、彼女を応援し、陰ながら支え、そして彼女をセンター(騎士団長)に立たせるべく、冒険者となり貢ぐ資金と支える力を付けていく……という内容だった。
怒涛の勢いで一級冒険者に登りつめた野口による陰ながらの支えと、自らのへこたれない頑張りによって、女騎士がようやく部隊の副長に任命されたところだったのだが、残念ながら圏外に来てしまった為、もう続きを読むことが出来なかった。
「ならば俺が野口だ」
加藤は小さく呟く。
読めなくなった小説の続きを自分で。
だが加藤は野口ではなかった。つまり、アイドルオタクではなかったのだ。そもそもアルファベット3文字のいくつかが何の略なのかもわからない。
加藤が小説を読むのは、知らない世界を知ることが出来るというところが大きかった。
例えばカフェで、自分の隣りに座った人物がどんな世界の住人なのか。熱っぽく連れと語り合うその世界の、どこに興味を持っているのか。そしてどんなことをしているのか。それを知りたい。
ただ、勘違いして欲しくないのが、だからといってその世界に興味があるわけではない、ということだ。
その世界の住人になりたいわけではない。知りたいだけなのだ。
初めはそういう人達に話し掛けたりしていたのだが、その多くが後に面倒くさい勧誘員となっていった。
徐々に話し掛けるのは止めるようになった。
そんな加藤を満足させたのが読書だったのだが、それはまた別の話。
とにかく、加藤は正しく野口になれるわけではない。推しメン(女騎士団員)を見つけて陰ながら支えるなんて出来るわけがなかった。
読みかけの小説の続きにはなれない。
だが加藤は野口を名乗った。
何故か?
特に理由などなかった。正直、もうどうにでもな〜れの気分なだけだった。
せっかくの異世界だし、じゃあ自分なりの野口になるか、程度だった。
加藤は「キミヤス・ノグチ」と書かれた冒険者の証、鉄製のギルド証を首から掛ける。
見ず知らずの異世界。
ポケットにはスマホ。手には買い物袋。
言葉は通じれども心許ないはずの状況で、しかし加藤は笑った。
「さあ、野口を始めようか」
そうして加藤は野口を開始する。
ちょっとかっこつけて言ったみただけのセリフに、思いのほか羞恥心を刺激されながら。
『ドルオタ(略)』読んでみたいので誰か。
次話は翌日にはどうにか……。