La magie de trois lignes
映画は一人で観ることが多い。
でも、ごくたまに感想を語り合いたいときもある。
ただの時間つぶしで入り、まったく内容に期待をしていなかった映画が思いのほか自分好みでどうしても誰かと話がしたい。そう思いながら席を立つ。
ふと隣の席を見ると男性が一人、残っていた。周りにはもう、自分とその男性しか残っていない。
「……あの、まだ出られないんですか?」
マドカは男性に声をかけてみる。余韻に浸っているのか、男性は微動だにしない。
「そろそろ、次回入場になりますよ?」
この映画館は全席入れ替え制の指定席で、繰り返し観ることはできない。
「……あの……?」
さすがに何かおかしい。うん、放っておいてお茶にでも行こう。そう思って反対側の端へ歩き出そうとしたとき、マドカは突然手をつかまれた。
小さくあげそうになった悲鳴をこらえ、男性の方を振り返る。
すると、何かにすがるような目で男性はマドカを見ていた。
「や、ごめんね!さっきの映画の中にどっぷり浸かってて、なかなか戻って来れなくてさ」
明るく笑う彼は先ほどマドカの手をつかんだ男性である。
「えぇと、どの話に浸かってたのか、聞いてみてもいいですか……?」
今日の映画はオムニバス形式で、主人公が短時間で入れ替わるものだった。マドカは大学生同士の話が大好きだったのだが、目の前の彼は何が琴線に触れたのだろう。
「あ、聞いてくれる?おれはねぇ、……白いドレス着た討ち入り」
確かに、確かに一番印象深い話ではあった。あったけど……男性側が気に入るとはついぞ思えない話だった。
「それは……理由を聞いてみても、いいのかな……?」
「いや、おれと重ね合わせてみてた」
は?
あのストーリーは、婚約者が同僚に寝取られた話ではなかったか?
そして復讐するためにウエディングドレスと見紛うばかりの白いドレスを着て討ち入りをした女性の話のはず。一体どこに重ねあわせるのか。
「あー、違うよ?おれが裏切られた方ね」
さらりと爆弾発言。
き、聞くんじゃなかった。割と重たい話だった。
「えーと、それは……」
「あ、もう全然吹っ切れてるから気を使う必要はなし。でも、映画観て『あー、こういう復讐もあるのか』って思って観てたからさ」
「……ちなみに、込み入ったことをお聞きしますが、あなたは何か復讐を……?」
「いや、何も。当然式にも呼ばれなかったし」
で、ですよねー。びっくりした。
「まぁそんな訳でハマってた訳ですよ。納得?」
「は、はい。それなら動けなくなっても無理ないですよ、ね」
ぎこちなく返事を返す。
この人かるい笑顔で重たい話をしてくるなぁ。初対面なのに。でも、あの映画を観た後だからこそ「通りすがり」「行きずり」に気を許しているに違いない。
「それで……あぁ、名前聞いてなかったね。聞いてもいいかな?──あ、自分が名乗らずに尋ねるのは失礼だよね。おれが先に言えって話だよね!木野新、です」
「キノ、アラタさん……。あ、佐倉まどかです」
「まどかさんは何の話が気に入ったの?──最後までいたってことは結構長いこと余韻に浸ってたんだよね?」
「大学生同士の話が可愛くてすきだったかな」
「あ、確かに可愛かったよね!なんだっけ、ちょっと天然ポイ女の子の話だったよね」
「そう!小さいしあわせを見つけていける子がほほえましくて」
「あー分かるなぁ、おれもオタク気味だから、彼の気持ちのほうもちょっと分かるかなー」
「えぇ?何のオタクなんですか?」
「それ聞いちゃう?すっごい語るよ?なにせオタクだから」
「負けません!あたしもオタクですから」
「じゃ、せーので言うか」
子供みたい。『せーの』だって。
「パズル」
「マンガ」
「お、まどかちゃんはどんなん読むの?おれも結構読むよー」
──さりげなく、ちゃん付けになってる。でも、悪い気はしない。
「えぇ?パズルってオタクとかあるの?」
「あるよ!おれが特にすきなのはノーマン・ロックウェルのなんだけど」
「あ、知ってる!というか、あたしも作って持ってる。──あたしも、パズルすきなんだ」
「そうなの?やー、すごい偶然だなー。映画館でたまたま隣だっただけなのにね!」
本当だ。たまたま観た映画でそれが「行きずり」の人と交流を持ってたからなんとなく一緒に入って、そしたら趣味が似てる。これはもう、聞くしかない。
「携帯!の、アドレス。教えてもらっても、いい?」
ちょっとびっくりしたような顔をする新さん。
「もちろん。おれが聞こうと思ってたのに、まどかちゃんてば積極的」
と、笑う。
だって、今聞かなかったら後悔する類の出会いよ?これ。
──あの時のあたしの直感は間違ってなかった。
ほら、今来たたった三行のメール。
『もう、二度とこんな話はしないと思っていたけど』
『まどかに出会えた幸運を感謝します』
『おれと、結婚してください』
この二人が観た映画は有川浩先生の阪急電車です。
ちょうど公開時期だったもので。