おっさんサンキュー
食事を終えて、いっぱいになった腹を抱えて寝転がっているうちに、段々と肌寒さを感じてきた。最初は間近に迫った危険で気にならなかったが、動かないでいるとどんどん熱を奪われていく。高い所は寒いってのは知ってたが、こういう寒さなんだな。
あー、でももうちょっとごろごろしてたい。食後の幸福感に浸っていたい。
「あー、初期ステだと辛いよな。ちょっと待ってろ。すぐ街に連れてってやるから」
綺麗に剥がされたドラゴンの皮から、鱗を削ぎ落していく。鱗を落とし切ったら、今度はそれを集めてひとまとめの山にする。
「愛! 注入!」
腰を落として脇を締め、左手を胸元に、右の手の平を前に向ける体勢。中国武術か何かの構えみたいな格好から、おっさんの掛け声と共にビームが放たれる。
おっさんのビームに当たった端から鱗の山が凍り付いていき、見る間に厚い氷の壁に閉ざされていく。
なお、既にドラゴン本体の方は氷漬け。周囲の血も、おっさんの手から出る水で洗い流されている。肉を切り取られた部位が見れない角度からだと、ドラゴンはまるでクリスタルに封印されてるみたいな神秘的な光景になっている。
異世界最初の1シーンが絵的に衝撃的すぎたのもあって、俺はもう多少のことは受け入れられる。そりゃあ異世界だもの。冷凍ビームくらいあるだろうさ。しかし……。
「その掛け声はなんなんですか……」
ついつい漏れる本音。だってムキムキのおっさんが満面の笑みで「愛! 注入!」ですよ。
「料理の基本は愛だからな。一工程ごとに、しっかりと真心を込めることが上達への一番の近道だ」
「そうなんですかー……」
「ついでに言えば世界でもっとも尊いものも愛だ。そう、食すなわち世界」
「へー……」
良い人っぽいのは分かる。分かるが……。なんだこのおっさん。
「そういえば、なんで鱗まで冷凍するんです? 別に鱗は腐らないですよね?」
「腐らないが風味は飛ぶ」
「えっ……食べるの?」
命の恩人相手だが、つい敬語を忘れてしまった。
ドラゴンの鱗って武器とかの材料にするんじゃないの?
「細かく砕いて煎餅にしたり、衣付けて揚げたりな。結構いけるぞ」
「消化に悪そうなんですけど」
「ジュエルドラゴン系はそうだけどな。それ以外のドラゴンは捨てるとこが無いくらいだぞ。骨も出汁に使えるし、頭は割って荒汁にすればいい」
「へ、へー……」
さも当然のようにドラゴン料理を語るおっさん。食べ慣れている……!
ドラゴンっていうとモンスターの頂点じゃないのか? 種族で言ったら、野生動物最強、場合によっては神に近い存在だったりするのがドラゴンじゃないのか?
それとも、この世界だとドラゴンは日常的に食卓に上がるものなのか?
いや、無いって。実際に対面したから分かる。ドラゴン怖い超怖い。
それをこんな風に語るおっさんは一体何者なんだ。あと美味しすぎて無我夢中になって食べちゃったけど、俺は大丈夫なんだろうか。ドラゴンの強すぎる魔力が体内で暴れて死ぬ、とかなったりしないだろうか。
だってあんな美味いもの食べたの初めてだよ。俺の美味いものランキングを圧倒的な力で塗り替えたよ。
1修学旅行で行ったホテルのカレー、2某漁港のラーメン、3ばあちゃんの煮っ転がし→1おっさんの焼肉ミディアム、2おっさんの焼肉レア、3おっさんの焼肉ウェルダンだよ!
もう麻薬でも入ってるんじゃないかってくらい美味かったよ。食べ終わった瞬間、今なら死んでもいいって思ったもん。そんなこの世のものとは思えない味だったせいか、ドラゴンの強すぎる魔力が体内で暴れて死ぬ説が深刻な問題に思えてきた。
そうおっさんに打ち明けると、おっさんは「俺がそんな料理出すわけないだろ」と一喝してから「そんなに褒めても何も出ないぞ」と照れていた。
スッキリした。そうだよな、おっさん命の恩人だし、ドラゴンも捌き慣れてる感じだったしな……。
「で、こっちの準備は整ったけど、そっちは大丈夫か? 落し物とか無いか? 何か今の内に聞いておきたいこととかあるか?」
「走って逃げてる最中に手提げ袋落としちゃったみたいなんですけど、まあ今更教科書なんか気にしても仕方ないですし」
「あっちの知識は意外と役に立ったりするんだが、まあいいか」
「やっぱり、元の世界の知識で技術革新とか起きてるんですか?」
「世界を変えそうな新技術が実用段階に入ると、いつも魔王軍に襲われて研究が途絶える。元の世界の技術で、定着したのはあんまり無いな」
なるほど。研究施設を狙うのは確かに筋が通っている。でもその言い方だと、まるで完成直前を狙い撃ちされているようにも取れる。魔法の水晶とかで監視されてる? 内通者がいる? ともかく、異世界の暮らしはなかなかハードなようだ。
「さて、じゃあ転移結晶使うぞー」
おっさんが腕まくりした。いくつもの革紐のブレスレットが手首にあり、その一つ一つから水晶が釣り下がっている。それらをまとめて外して、いくつか水晶を見比べてから一つを選び取る。
見れば、水晶の中に白い線で何かの絵が描かれている。適当に万華鏡を覗いたみたいな、幾何学的な図形だ。
「転移、キブリ城へ」
水晶から光り輝く滴が落ちる。光の筋は左右に広がって円を描き、その内側に複雑な模様を描いていく。水晶の中にあった図形と同じものみたいだ。
その図形が出来上がると、目の前が真っ暗になり、視界が晴れていくとまったく別の場所にいた。
石造りの堅牢な壁、赤絨毯の敷かれた床。正面には見上げるばかりのステンドグラス、その左右に階段。全身鎧の兵士が控える大広間だった。
「とりあえず好きなクランに入れ。ここだと今は、ゆるほわ食堂・天秤と剣・九天の鞭の受付をやってるはずだ」
じゃあな、と手を振って、おっさんは広間の正面に向かって歩いていく。
「え!? ちょ、ちょっと待って! どこ行くんだよおっさん」
「止まれ!」
おっさんに追いすがろうとする俺を、兵士が止めに入る。
ここでお別れなのか? まだ聞きたいことがたくさんあるのに。強くなるためのコツとか、何をしたらいいのかとか、天秤と剣ってなんだよとか。
「城主に挨拶しておこうと思ってな。あと、料理長の様子を見ておきたい」
「そのあとは戻って来てくれるのか?」
「言わなかったか? この後はすぐに食材の回収に戻る」
「ごめんなさい。肉に夢中で聞いてなかったかもしれない」
「そうか、それなら仕方ないな。そんなに喜んでもらえれば、ネフィリムドラゴンも浮かばれるだろう。で、一応聞いておくが、他に聞き漏らしたこととか無いな?」
全然聞いてなかったです、と言おうかと思ったが恥ずかしいのとおっさんに申し訳ないのとで言葉に詰まってしまった。
ああ、おっさんが行ってしまう。
改めて手を振って、おっさんの肩が風を切る。
「おっさん! サンキュー!!!」
何か言わなければ、と思って絞り出した言葉は、これだった。
何がサンキューだよ俺!