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ドラゴンの肩ロース

 息が切れるまで走った。

 といっても、足の遅い俺のことだ。足場が悪くて何度か転んだりしたし、膝擦りむいたのもある。ろくな距離じゃない。


 ドラゴンの咆哮も、おっさんの雄叫びも、ときどき耳に入る。ドラゴンが飛び上がれば目に入る距離だ。


 だから、胸が痛くして仕方ないけど、まだ走らないといけない。

 おっさんがあんなに頑張ってくれたんだ。おっさんの親切を無駄にするわけにはいかない。


 大丈夫。痛いだけだ。走れないわけじゃない。さっき見た炎の息吹に比べれば、全然大したことのない話。無理とか限界とか、そんな言葉が出てくる場面じゃない。

 そう自分に言い聞かせて、岩山を駆け下りていく。



                 ◆



 ほどなくして激しい爆発音が響き、それから地面が揺れた。空中からドラゴンが墜ちた衝撃だ。俺はその場に伏せ、手の届く範囲で一番大きな岩に掴まる。


 そうして揺れが収まるのを待っているうちに、おっさんが駆けてきた。


「無事だったか! 良かった。良かった」

「おっさん……!」


 おっさんが手を伸ばして来たので握手かと思ったら、そのまま抱きかかえられた。おっさんの肩に乗せられる俺。筋肉超熱い。物理的にも厚い。


 そのまま凄い勢いで走っていくおっさんに抱えられて、俺はドラゴンの前まで戻ってきた。

 断崖を駆けのぼった時とか、吐くかと思った。いや、お腹空かせて夕飯のこと考えてる時間だったから吐かないで済んだだけで、夕飯後だったら吐いてたと思う。


 地面に倒れ込んだ俺の前で、ドラゴンがテキパキと解体されていく。


 大剣で削ぎ取った鱗が宙を舞う。煌びやかな鱗が見る間に積み上がっていき、宝石の山みたいだった。

 一皮剥けば、艶のある鮮やかな紅色。不規則な脂肪の筋が作る模様も、建物や家具にあしらわれていても不思議じゃないくらい絵になっている。

 それを一枚一枚、紙みたいに薄く切っていく。


「待ってろ。もうすぐ出来るからな」


 岸壁に対して垂直に突き刺さった鯨包丁ティアマトーの上に、薄切りのドラゴン肉が並べられていく。おっさんの指パッチンで手の中に灯った火が、大剣を加熱する。


 ――鉄板焼きだ。


「ドラゴンは火耐性が高いから、火の通りが悪いんだ。こんだけ薄く切っても、焼けるには時間がかかる。生っぽいのが苦手なら、しばらく待つことになるぞ」


 そう言っておっさんは箸を差し出して来た。


 紫檀八角の禊ぎ箸。攻撃力7060。……攻撃力とはいったい。


「ま、とりあえず一口食べてみろ」


 俺に差し出して来たのとは別に、おっさんが改めて取り出した箸で肉をひっくり返していく。その最後の一枚だけを、ひっくり返さずにそのまま持ち上げ、俺に向かって突き出して来た。


 血生臭いおっさんが迫ってくると、断るに断れない。もう迫力がヤバい。


「ほい、あーん」


 ……! ヤバい、ヤバいっておっさん! ただでさえ、おっさんに抱えられて内蔵がシェイクされてるんだぞ! 肉の良い匂いだけじゃまだ胃が回復しないんだって。待っておっさん!


「なんだ、熱いのは苦手か? 俺がふーふーしてやろうか?」


 おっさんがふーふーした息で、焼肉の良い匂いと、おっさんの汗が薫る。


「ふーふー」

「く……食えばいいんだろ。食えば!」


 おっさんの箸から肉を奪おうとすると、ひらりとかわされた。


「食前の祈りは?」

「……いただきます」

「よろしい。ほい、あーん」


 おっさんは満足げに微笑んだ。焼肉をそっと優しく、俺の舌の上に置く。


 ――ッ! 見た目にはあんなに薄い肉なのに、噛み切る瞬間にどっと肉汁が溢れ出して、何倍・何十倍もの重厚な肉のような錯覚を受ける。次いで霜降りが口の中に溶けだして、口の中全体に深い旨味と優しい甘さが広がった。


 ごくり。肉汁が喉を降りていく中、全身で肉の美味しさを抱きしめる。


「おいしい……っ」


「ドラゴンの肉をその日のうちに食べられる幸運に感謝。そしてこの肉を育んだ竜蹄山脈に感謝し、この日、この場所で神の恵みにあずかれることに……ハレルヤ」


 おっさんが頭を伏せて、仰々しい祈りを捧げている。


 どうでもいい。もう、この肉の美味しさだけしか考えられない。

 鉄板の上の肉に箸を伸ばす。


 今度の肉は両面焼き。うっすらとした赤みのジューシーさも良いが、脂の落ちた肉もまた逸品。さっきより香ばしくて、さっきより熱い肉。舌に触れる瞬間の熱いと美味いの入り混じった衝撃。


「鉄板焼きは二巡目からが本番だ。脂で焼けた肉はまた格別だぞー」



                 ◆


「まあ、水でも飲んで落ち着けや。こっから焼く部位を変えるからさ」


 おっさんが持ったコップに、おっさんの手から流れ落ちる水が注がれていく。

 蒸し料理を極めると、水蒸気の温度を操作して大気から自由に水を取り出せるようになるらしい。


 おっさんから渡された純水を一息で飲み干し、鉄板の上に残った肉を食べる。


 一枚一枚が薄いのもあって、食べても食べても限界が見えてこない。ただ満足感・幸福感だけが際限なく高まっていく。なんか危ないんじゃないかってくらい幸せだ。


「感動した……」


 そりゃあ良かった、と笑いながら答えたおっさんは、再びドラゴンを捌き始める。

 そうして、おっさんはその野太い声で話し始めた。


 ここが異世界であること。突然こっちに飛ばされてきた人が何人もいること。飛ばされてきた場所が悪くて、何が何だが分からないまま死ぬ奴が結構いること。

 そして、飛ばされてきた人だけが、特別な力を持って戦えること。


「この世界での生活は、選んだクランによって決まる。クランごとに違う成長方法と特技があって、クランごとに目的――グランドクエストがある」


 おっさんの話を聞き流しながら、最後の肉を味わう。箸を滴る脂を吸う。


「魔法剣を操り東西南北の四大魔王と戦う円卓議会クランとか、本部の地下に封印された最強の大魔獣を滅ぼすために魔物を育てる九天の鞭(ナインテイル)クランとかな。っと、こんなもんでいいか」


 おかわりが用意できたらしい。今度は部位が違うのか、肉の赤色が濃い。


「肩甲骨の下は、腕ん中じゃ一番脂が乗ってるんだ。その肉を、これまでの肉から出た脂を使って高温で一気に焼いて、脂を閉じ込める……! ちょっと離れてろよ~」




 おっさんはその後もいろいろ説明してくれていたが、正直肉のことで頭がいっぱいで、あまり覚えていない。


包丁を加熱すると、切れ味が落ちることがあります。通常の包丁では真似しないでください。

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