スライムは食べ辛い
謝っても、チェルシーの機嫌は直らなかった。挙句に、不愛想なまま「もう怒ってない。そんなことでいつまでも目に角立ててるような子供じゃないから」なんて言い出した。
どうしたらいいのか分からないまま日が暮れる。
ゆるほわ食堂にあったような魔法の光は高級品だそうで、普通の民家にそんなものはない。夜になれば何もできなくなる。
チェルシーと俺はそれぞれ別室をあてがわれて、わだかまりを残したまま別れることになった。
二階建ての庭付き。手芸職人さんの一人暮らしには、この家は広すぎる。
それでいて、俺に与えられた部屋まで掃除が行き届いている。
クローゼットを開けると、家主とはサイズの異なる服があった。
たぶん、彼の家族の使っていた部屋なのだろう。
魔王軍に街が襲われたときに失われた、家族の。
居辛い。異世界重い……。
◆
昨日振る舞われた夕食が正直あまり美味しく無かったので、朝はゆるほわ食堂製の食事をおすそ分けすることにしようと思っていた。
だが起きた時には既に食事が用意されていた。
腕時計で時間を見ると、6時前だった。それでも、異世界では遅い方らしい。
ゆるほわ食堂の朝食はもっとゆっくりだったのに。でも、ゆるほわ食堂を基準に考えるのは危ない気がする。
うん、昔の人は早寝早起きが基本だったというし、多分ゆるほわ食堂の方がおかしい。
ゆるほわ食堂で作ってもらった食事を職芸職人さんに分けて、感謝を述べて村を出る。彼がベーグルを食べる頃に、俺らは目的地に着くはずだ。
◆
異世界基準での林は、険しい森を指してたりするんじゃないか、なんて心配もあったが、これなら大丈夫そうだ。
元は金持ちの庭園だったらしく、道が舗装されていて歩きやすい。これなら、間違えて獣道に入ることもないだろう。なんか石像が立ってたり、垂直に切り立った岩壁から吹き出す滝があったり、俺には縁の無さそうな豪勢な場所だった。
見たことの無い花が乱れ咲く光景や、動かなくなった噴水跡やらを見るたびに足を止めてしげしげと見る。それを、チェルシーが早く行こうと急かす。どうやら彼女にとっては、人工の滝くらいは別段珍しくないらしい。俺が足を止める度に、冷めた目で見られる。
だから、俺がそれを見つけた時も、チェルシーの反応は鈍かった。
「なんだあれ」
「いいから早く行くわよ」
「いや、そうじゃなくて、あれ……」
うっすらとした靄のようなものが集まって、糸のように絡み合い、少しずつ大きくなっていく。
「男にくせにそんなに花が好きなの?」
「違うって」
見えてないのか? もうあんなにはっきりした塊になっているのに。
「……?」
大きな塊に成長した靄が、風に吹き飛ばされるようにして散っていく。それでも吹き飛ばされなかった質量感のある塊が地面に落ちる。粘ついた液体を思わせる、緩やかな落下。ベーグル一個分くらいの大きさのそいつの横には、情報表示のウィンドウが見えた。
「あれって」
「ああ」
「スライムだな」
「スライムね」
レベル1くらいのスライム、そう表示されている。調理:マリッド系につき困難 という追加情報は、ゆるほわ食堂の加護を受けた影響だろう。
スライムの一つ目が俺たちの姿を捉えた。体当たりしてくる。それをチェルシーの包丁が裂く。スライムは元の靄になって消えていった。
なるほど、食べるのは難しそうだ。倒した瞬間に消えてしまうとなると。踊り食いするしか無い。
……いや、この思考はおかしい。ゆるほわ食堂に毒されている。
今問題なのは、魔物が出ないって言われていたこの場所でスライムに遭遇したっていう事実だ。
「どうしてここに魔物が」
「魔法が使われたってことでしょうね。それも、ある程度強力なのが」
「どういう意味だ? 魔法と魔物って何か関係あるのか?」
「ナガツキ、魔法や魔物のこと、どのくらい知ってる?」
「マジカルな何か、程度の認識しかない」
「そう、じゃあ説明してあげる」
何故だかチェルシーは、嬉しそうだった。
「魔法を使うには魔力が要るんだけど、人の身体にある魔力って大した量じゃないから、大掛かりな魔法を使うときは、土地から魔力を引き上げる。でも、土地から魔力を引き上げると、地脈がおかしくなるの」
「地脈ってなんだよ。専門用語の解説に専門用語を使わないでくれ」
「土地を回る魔力の流れよ。川みたいなものって聞いたわ。それくらい、感じ取りなさいよ。ファンタジー小説ではよくある話じゃない」
分からなくはない。しかし魔法を使う度に環境が壊れるとは、なんとも困った話。この世界では、工業の代わりに魔法が環境汚染を引き起こすのか。
「それで地脈の狂った土地からは、魔物が生まれるのよ。ああいう魔力単体で存在してるタイプの総称がマリッド系。中でも一番弱いのが、スライム」
「じゃあ、ちゃんとした肉体を持ってるのも、あんな風に突然出てきたりするのか?」
「もともといた動物に魔力が絡むと、魔物化することがあるって」
「それ、人間は大丈夫なんだろうな?」
「普通は大丈夫だけど、死にかかってたり、死体になってたりすると大丈夫じゃない」
「うわ……異世界怖いな……。じゃあ早く行こう。俺、よく目が死んでるとか言われるし、何かの間違いで魔物化しかねない」
「何言ってるの? レベル1のスライムなんて丁度いい相手じゃない! 私はここでレベル上げするわ!」
満面の笑みで、チェルシーは包丁を掲げた。
二体目のスライムが生まれ落ちる。