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異世界ルール

 チェルシーは草の上に座ることをためらったが、疲れが優っていたのだろう。やがてその場に座って、あとは胸に手を当てて呼吸を整えている。赤く熱を持った頬を汗の滴が落ちる。長い髪も濡れて、肌に張り付いていた。



 走って追いついてきて、少し歩いて、俺と距離が離れたらまた走る。あれではチェルシーも疲れて当然だ。まだ一定のペースで走っていた方が楽なくらいだ。子供のころ、鬼ごっこで延々と鬼をやっていた俺には分かる。小刻みに走るのが一番疲れるんだ。



 だから、肩で息をするチェルシーには声をかけず、一人で食事の用意を始めた。


 ゆるほわ食堂が作ってくれた昼食はベーグル。ドーナツ状のもちもちしたパンだ。自宅で作れない料理なので詳しいことは知らない。

 ゴマ入り、くるみ入り、外がカリカリに揚がっているものや、生地が緑色になっているもの。いずれもまだほんのりと温かく、包装から取り出すと香ばしい匂いが解放される。

 元から半分に割ってあるベーグルに、用意されていたジャムやクリームチーズを塗っていく。野菜や、魚の切り身の燻製も、挟んで食べる用だろう。

 主張が強そうな揚げベーグル・緑ベーグルはとりあえず様子を見ることにし、まずは手を加えず、貰った包丁で四分の一サイズに切るに留めておく。味を見てから対応を決める。


 さて、こんなところか。


 チェルシーの方は、まだ回復に時間がかかりそうだ。口の中の水分を奪っていくパン類は辛いかもしれない。


 とりあえず、レモン水の入った水筒を渡す。

 受け取ろうとしたチェルシーの手から、水筒が滑った。


「ごめんあそばせ」


 気取っているわけでも、冗談を言ったわけでも無く、さらりと。口元を抑える手の隙間から除く、少しだけ上がった口角。伏目で微笑むところまで含めて、きっと身体に染みついた習慣。

 それだけで、俺とは生きてきた世界が違うんだと思い知らされる、洗練された動作だった。


「っ!」


 草の上に落ちた水筒を拾おうとする俺の手に先んじて、チェルシーが水筒を掴み取って抱く。俯いた顔を長い金髪が覆い隠した。


「あなたにやってもらわなくても、大丈夫だから。ベーグルにジャムを塗るくらい、私だってできる」


 ジャムを塗らずに残しておいた揚げベーグルを取って、チェルシーが俺に背を向けた。


「早く食べて、すぐ出発するわよ。並のペースなら、一日で目的の村まで着くんでしょ」


 風が草を揺らしていく。チェルシーの髪がはためく。

 髪から飛び散っていく滴を目で追った先、草葉の間に砕けた煉瓦片が見えた。


 かつてこの先まで大きな街が広がっていたことの名残りだ。それが、ここが異世界なのを俺に思い出させる。


 やっぱり、チェルシーには休んでもらった方が良い。途中で歩けなくなったらどうしようもない。正直、俺だってわりと疲れている。昨日、竜から逃げて山の中を全力疾走したのが今頃祟ったのか、少し足が痛い。チェルシーを背負って歩くとかは勘弁願いたい。


 それに、このあたりには魔物が出ないとは言っても、野宿は避けるように言われている。たとえ魔物が出なくても、林の中で野宿するようなことになると、野生動物が怖い。

 

 けど、ここでまた休憩を提案したって、跳ね除けられるに決まっている。空気の読めない俺だって、さっきの一件でチェルシーとの間の壁が厚くなったのは分かる。何がどう気に障ったのかは分からないけど。



 なら、とりあえず食事時間を長く取るか。ろくに味わいもせずにベーグルを平らげていくチェルシーの気を引いて、なんとか休憩時間を引き延ばすのだ。


 ……とはいっても、何を話しかけたものか。とりあえずゆるほわ食堂謹製のベーグルをもっと味わうべきだと主張したが、あまり取り合ってくれなかった。

 もったいない。美味しいのに。ふっくらしているのに、それでいて生地が詰まっていて、一口一口の満足感が素晴らしいのに。


 初対面の相手と話すときは趣味を聞いてみるのが安定していると聞くが、その手のことは歩いている間に試した。返答は決まって「私のことはいい」だ。


 まったく、人付き合いは難しい。


 いろいろと苦心しながら話しかけ続けた結果、この世界についての疑問に反応してくれた。そのまま質問を続けて会話を引き延ばす。



                 ◆



 元の世界で死ぬ瞬間に、この世界に飛ばされてくる。

 そうしてこの世界にやってきた人々は、世界を守る精霊たちの加護を受けて特別な力を得ている。


 異なる言語を使っているのに意思疎通が成り立つこと。見ただけで、ある種のアイテムが識別できること。魔物を見るとある程度の強さが分かること。魔物を倒すことで成長していき、常人を遥かに超える身体能力を得られること。

 こういった力を総称して、ブレスと呼ぶ。


 そして特定の精霊と契約することで、さらなる加護が得られる。同一の精霊から力を授かった人々の集まりがクラン。


 たとえば円卓議会の魔法剣士たちは、精霊から与えられた剣に魔力を注ぐことで武器を強化でき、また魔法を吸収して自らの剣に付与することができる。地脈の乱れた土地から魔力を吸い取る役割も果たしている。世界に平和をもたらすために戦う、世界の護り手。


 ただし、精霊たちも無条件で力を貸してくれるわけではなく、目的がある。クランは精霊の願いのために行動する。あまり精霊の意に反したことをしていると、加護が失われることもあるという。

 円卓議会の精霊は基準が厳しくて、クラン内のルールを破ると除名されるし、他クランからの移籍も認めていないという。


 傭兵クラン天秤と剣(ユースティティア)の精霊は、かつて他の精霊の力を借りる対価として、一度だけどんな命令にでも従うことを誓った。そして今は、そのとき作られた13枚の誓約文を回収することを目的としている。

 黄金暁(こがねあかつき)は魔法の真髄を極めんとし、ゆるほわ食堂はみんなを笑顔にする。


 ……やっぱり浮いてる。名前の時点で思っていたが、ゆるほわ食堂浮いてる。


 名前と目的がおかしければ、加護もおかしい。好きな料理欄に応じて補正が入るけど、肝心の効果は確認不能。うちの担当精霊さんはテキトーすぎると思う。

 三次元的に伸びるというゆるほわスキルツリー制。よく分からない、の一言で済まされたスキルラインシステム。ゆるほわ食堂はいったい何ができるんだ。


 チェルシーの説明はよくまとまっていたが、ゆるほわ食堂に関する部分だけ何かがおかしい。


 しかしまあ、ゆるほわ食堂についてツッコミを入れているうちに空気が変わっていたのも事実。チェルシーとの間の気まずい空気は、ゆるほわトークによって吹き飛ばされていた。

 みんなを笑顔にする、という理念には適っているのかもしれない。


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