代償
「君は、派手で煌びやかなものを好む女だ。」
そうだろう?と嘲笑を向けられ、アリーシェルは心の中で大きく首を横に振った。
(いやいやいや。何か盛大に誤解されている気がするのだけれど)
しかしそんなことはおくびにも出さず、アリーシェルは告げる。いつものように、少し首を傾げて不思議そうに。
「あら、それのどこかいけないの?」
と。
アリーシェルは、自分が他人にもたれる印象を理解している。それは世間のいう《我が儘姫》そのものであり、《頭の軽い女》と思われがちなものである。彼女自身は賢く聡明な美女であるが、残念なことにその外見からもたれるイメージが、その全てを壊してしまっていた。
腰までの緩くカールした濃い蜂蜜色の髪。キラキラと輝くアメジストの瞳は長い睫毛に縁取られ、滑らかな白い肌に陰をつくるほどだ。派手な外見というだけで目を引くのに、極めつけは、気の強そうな上がり気味の眉である。
それだけで色々な人から、感じが悪い、我が儘だ、傲慢だなどと憶測で勝手に悪役に仕立て上げられる。外見だけで、彼女の本質など誰も理解しようとはしないのに。だが、そんな中で今までアリーシェルが生きてこれたのはきっと、家のおかげであろう。と本人は思っている。
アリーシェルは、れっきとした貴族である。アリーシェルの正式な名前は、アリーシェル=カイス=ローゼンウォールという。アリーシェルが名を、カイスが位を、ローゼンウォールが家名を表しており、カイスというのは王族に連なる者であるということを示している。一応は王族の血をひいているため、国王や王妃、王子とも懇意にさせてもらっているが、それすらも周りから見れば媚びを売っているようにしか見えないようで。 「あの我が儘姫はまた王族の方々に媚びを売っているらしい」
「いくら血縁といっても、やっていいことと悪いことがある」
などと、陰口は止まらない。 そして、そんな人々は知らないのだ。アリーシェルがそのことについて、どれだけ多くの涙を流したのかを。どれだけ血の滲むような努力をしたのかを。
(どうやら、また私の努力は報われないらしいわね)
アリーシェルはため息をついた。今までの嘲笑に耐え、たとえ屋敷中の人間から嫌悪や侮蔑の眼差しを向けられ、一人の味方もいなくてもずっと、ずっと我慢し続けてきた。
(でも、もういいわ)
さすがに、我慢の限界だった。三年だ。三年間、アリーシェルは我慢し続けてきたのだ。
(もういいわよね?私は十分過ぎるほど頑張ったわよね?こんなところ、早く出て行きたい…。父様、母様、兄様、姉様、会いたいよ……どうしてあの時私だけ生き残ってしまったの………?)
アリーシェルは俯いた。涙が浮かび、視界がぼやけていく。けれど今涙を流すことは許されなくて。
「どうした。泣き落としか?はっ、今更そんなことをしたところで何も変わりはしない。目障りだ」
容赦なく浴びせられる罵声に唇を噛んだ。ドレスをつかむ両手が、小さく震える。
「ああ、それと。もうすぐメリーヌが嫁いで来る。手を出すなよ?もし、手出ししたら……分かっているな?」
最初からアリーシェルが虐めることを前提にして話す夫に、俯いたまま小さく頷いた。それを見下した目で見ていた夫は、フン、と鼻を鳴らして去っていく。
それからしばらくそのままじっと立っていたアリーシェルは、大きく息を吸い込むと顔を上げた。
「よし。もう良いわ、こんな家。どうなったって知るもんですか」
そう言うと、アリーシェルは涼やかな声ですらすらと言葉を紡いでゆく。
「《天を駆け、空を舞い、水に遊び、光に消える。地をはい、生命を育み、慈しむ。万物を司る精霊よ。我が願いに応え、姿を現せ。―――《解放》」
言葉が終わると同時に、アリーシェルの周りに強い風がおきた。すると次の瞬間、彼女の前に六人の男女が跪いていた。
「久しぶりね。アーリャ、シュスリ、リューイ、フィオレ、ディオール、ミュラン」
アリーシェルは彼ら一人一人と目を合わせ、抱き締めた。嬉しさに涙が込み上げ、ほっとしたのかアリーシェルは気を失ってしまった。
「リーシュ、どうしてもっと早くあたし達を喚ばなかったのよ?」 倒れ込んだアリーシェルを受け止めた後、苛立ったように言葉を発したのは、燃えるような深紅の髪と瞳を持った美しい美女だった。そしてその言葉を皮切りに、他の者達もアリーシェルに問いかける。 「どうして、こんなになるまで……」
「こんなにやつれて……」
「嗚呼、人間共めが。我等の姫を傷つけるなど絶対に」
「「「赦さない」」」
全員の声が重なったとき、それは起こった。
空が黒く染まり、大地は割れ、海は水を増して家屋を飲み込んだ。それはまるで、この世の終わりのようだった。人々は逃げ惑い次々と傷つき倒れていく。人々は身を守るために魔術を使うが、精霊達がそれに応える筈も無く。 「どうしてっ!?そんな………」
精霊の怒りを買ったのだと、人々に広まるのは早かった。精霊と話のできる人間が、伝えたのだった。そして、その原因が、アリーシェル=フラン=ローゼンウォールが傷つけられたからだということも。
人々は知っていた。アリーシェルが《精霊の愛し子》であることを。それ故に、彼女を傷つけたらどうなってしまうのかも。知っていながら、黙認した。彼女が精霊を喚ばないのをいいことに。精霊が、全て見ているのにも気づかずに、罪を犯し続けた。
ある者は語った。報いだと。彼女の本質を見ようともせず傷つけた、それに加担した、そして、それを知りながら何も言わなかった、報いだと。
それを聞いた人々は怒り、嘆き、悲しみ、泣き叫んだ。
「私達は何ということをしていたのだ」
「嗚呼、どうすれば良いのだろう」
そして、追い討ちをかけるようにして人々の頭の中にいくつもの映像が流れこむ。
「この前の日照りに強い小麦は、アリーシェル様のおかげだったのか…!?」
「子供達がみんな病気にかかったときの特効薬も、あの方の……!?」
「あの人は、俺たちの為にあんなに努力してくれていたのに…俺たちはあんなに素晴らしい人を今まで……っ!!」
全てを知った人々は、崩れ落ちた。自分たちが憎み、嘲ってきた相手が本当は命の恩人だったのだ。次々と人々は倒れ込んだ。自分たちの犯した罪の大きさに、気づいたのだった。
だが、崩壊の音は鳴り止まなかった。止められるのはただひとり。眠りについた、精霊の愛し子だけ。彼女が目覚めるのはいつなのか、誰も知らない。そして、世界は徐々に崩壊への道を辿っていく。世界はどうなるのか、それは彼女が目覚めたとき、彼女の想いで決まるだろう。
さぁ、眠り姫のお目覚めだ―――。