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シルヴァジェント大公記  作者: 楓猫
第四章
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 レグルスに具体的な出発の日付を聞かされ、それまでに時間の余裕がほとんどないとわかっても、ラスは声を荒げたりはしなかった。

 ただ、こんなにあっさりと、自分の頭の中に書きつけられていた予定が狂うことに、若干の苛立ちは感じざるをえなかった。まあ、要するに、ちょっとばかり目の前の男にむかついていたのである。


「あのな、レグルス。俺にだって都合ってもんがあるんだよ。おかげで予定を早めないといけなくなったじゃないか」

「予定?何のだ?」

「何って、ただのデートだよ」





「そうしたら、あいつあの日以来、一言も口利かなくなりやがったんだ」


 揺れる馬車の中、ラスは不満そうにそう赤髪の侍女に漏らした。

 ラスの証言によれば、ここ最近のレグルスは……


『なあ、どうして黙ったままなんだ?』

『…………』

『こんなのがもう五日になるんだが』

『…………』

『つーかおまえ、人のこと見過ぎ。そろそろ俺の体に穴があきそう』

『…………』

『レグルス?レギー?皇太子殿下?ええい、サービスだ。ねえ、あ・な・た?』

『…………』

『……俺、流石に怒っていいよな?』


 といった感じで、会話が成立しない。


「喧嘩なら買うけど、あいつ何故か毎日俺の部屋には来るし、泊っていくし。でも、何も言わないで、ただじっと俺のこと何か言いたげに見てるだけなんだぜ。何もする気がないなら、せめて自分の部屋で寝ろっての。せっかくしばらくは一人で寝られると思ったのに……」

「ラス、堂々と惚気るのはやめてもらえますか?こちらとしても反応に困るので」

「いや、掛け値なしの本音だよ。俺だってたまには広々とベッドを使って、思い切り手足を伸ばして寝たい」


 それが惚気というのだと、侍女たちは思ったわけだが、自覚がない主人にそう言ったとしても無駄だろう。むしろこれ以上何か飛び出してくるほうがまずいので、その話題はそこまでになった。


「あ、あの、今回姫様が皇太子殿下に同行されるのは、マリューシャ側の希望なんですよね」


 おずおずと、フィリーナが問いかける。

 侍女三人娘のうち、今回ラスが連れてきたのはフィリーナだけだった。全員を連れてくることも可能だったのだが、それだとラスの留守中に宮中で何かあった場合に情報が遅れる可能性がある。できれば最低一人は残ってほしかったのだ。

 留守番役に立候補したのはセシルだった。


『私が残ります。私的に色々と準備があって、この時期にあまり国を離れるのは不便ですし、適任だと思います。ついでに、良い機会ですから、マリアがしっかりと知的な侍女として振る舞えるよう仕込んでおきます』

『え、ちょっと待って。私も残るの?私は姫様と一緒にマリューシャに……』

『何言ってるの。姫様はまず間違いなく、あちらの王族とだって顔を合わせるわ。あなたのその最低限度の礼儀作法じゃ、他国の王族の前になんか危なっかしくて出せないわよ。私がここを離れる前に、いい加減、その野生の勘に基づく不用意な行動から卒業させてあげるわ』

『酷いわセシル!私まだマリューシャの料理は食べたことなかったのにー!』


 こうして、イイ笑顔のセシルとうなだれるマリアに見送られ、一行は帝都ガルディアを発ったのだった。

 図らずもその一員となったフィリーナは、事前に勉強した内容を元に言葉を述べる。


「確か、ミュノシア教でしたっけ、マリューシャとエンダスで信仰されているのは。その関係だとうかがったのですが、つまり姫様はそのミュノシア教徒ということになるのでしょうか?」

「俺もエンダス公女だからな。一応そういうことになる。ミュノシアってのは、自然にある種の人格と意思を見出すもの、要するに自然崇拝なんだけど、かつて勢力を誇った聖ミュノン皇国によって広まったんだ。ミュノンは大陸史上最大の領土と最長の歴史を持っていた国で、ミュノンの国主は聖皇と呼ばれ、ミュノシア教徒のトップでもあった。マリューシャとは同盟関係だったけど、宗教上の理由で立場の上下はかなりはっきりとあったみたいだな」


 ちなみに、初代エンダス大公は元々はこのミュノンの公爵であった。聖皇は宗教的象徴の意味合いが強く、国土は七分割されて各公爵によって治められていた。現在のエンダスの領土は、この公爵時代に初代エンダス大公が管理していた土地とほぼ等しい。


「公爵だったって言っても、初代エンダス大公は最後の聖皇の異母弟だったらしい。とはいえ、聖皇の地位は皇の第一子しか継ぐことが出来なかったから、二百年前のミュノン滅亡から一気にミュノシア教自体が廃れた。一番聖皇に近い血を引いていたうちのご先祖が国をつくったけど、信仰色はかなり薄くなって、今じゃ聖エンダスなんて名ではあるけど、国の重要な儀礼にちょっとそれっぽいことするくらいだし、俺としてもあまり自分がミュノシア教徒だと意識したことはないかな」


 現在このエナレア大陸では、一部を除いて、宗教に対しては大らかな国がほとんどだ。特定の宗教に属さない者も増えており、表立っての立場はともかく、ラス自身はそういった者の一人だった。

 エンダスでミュノシアの教えがほぼ失われる一方で、ミュノンの滅亡とともにマリューシャは現存する最も歴史の長い国となり、華々しい産業はないが、民はミュノシアの教義を守って豊かな自然と共に慎ましく暮らしている。聖皇の血を引くエンダスよりも、他国であったマリューシャの方がしっかりと信仰の形が残っているのだから、なんとも不思議なものである。


「エンダスは外交に関しちゃ保守的というか、やや閉鎖的な感じだからな。マリューシャともほとんど交流がない。だから、ガルダ帝国皇太子の側室がエンダスの出身だと聞いて、この機会にマリューシャが聖皇の血筋を招きたいと言い出すのも、まあわからなくはない」


 時折忘れそうになるが、ラスは元々人質として帝国にやってきたのだ。ラス自身は特に制約を受けることなくかなり自由に暮らしているが、それとてレグルスの計らい(ラスからすればやつの趣味、となるが)に過ぎず、その身柄は帝国の所有である。

 そして、マリューシャの協力を必ずとりつけたい帝国からすれば、ラス一人連れて行けば労せずして相手の心証が良くなるのだから、これを使わない手はない。


「別に、ある程度利用されるのはいいんだよ。こっちとしても、俺に利用価値があるほうが安心できるし。でも、あんまり調子に乗られるのは問題だ」


 レグルスの選択は当然と言えば当然で、ラスもそこについて怒っていたわけではない。あくまで、レグルスがわざと直前までそれを黙っていたことが気に障ったのだ。


(レグルスのことだから、どうせ人の慌てふためく様が見たかったとか、そんなところだろ)


 レグルスは気まぐれの中に策を混ぜ込むこともよくあるが、その三倍はただ彼の気の向くまま、面白いと感じた行動をとるだけなのだ。今回は絶対に後者だと、ラスは確信していた。


(生憎と俺は、「彼が笑っていてくれればそれだけでいいの」なんてひたすら尽くすだけとかは御免だ。一方的に振り回されてたまるか)


 などと思っているラスだったが、自分の方こそ五年前から現在進行形でレグルスを振り回しまくっているという考えには、全く思い至らなかったのだった。


「まったく、痴話喧嘩も程々にしてください。側室というのは色々と微妙な立場なんですから、精々愛想を尽かされないように」

「そりゃ、どっちかって言うと俺の方……くしゅん」

「ちょっと、ラス。まさか風邪ですか?……何かの天変地異の前触れ?」

「おい。本当に俺のことをなんだと思って……国境を越えたあたりから、少し調子が良くないんだ。気温が下がったからかな?」

「前に傭兵団の仕事のとき、脱出経路が他になくて仕方なく冬の川に飛び込んでも、一人ぴんぴんしていませんでしたか?」

「あれは、みんなが溺れないよう魔術を使ったはいいけど、さすがに全員分の温度を調節する余裕はなかったんだ。今なら失敗しない。あと、俺だって一応人間だから、風邪もひくし、熱も出す」


 それでもまだ不審そうに見てくるシュニアにラスが頭を抱えていると、乗っていた馬車が停止し、ついで扉がノックされて車内がしんと静まり返る。

 ラスがどうぞと返事をすれば、開いた扉から現れたのは、癖の強い金の髪の持ち主だった。


「ご機嫌いかがですか?麗しの姫君方」


 とびきりの笑顔を振りまいてそう言ったのは、帝国騎士団団長のニールだ。

 相方であるアノンは帝都に残ったが、ニールは皇太子一行の護衛の総括として同行していた。


「湖に到着しましたので、せっかくですし周囲を散策されてはいかがですか?私は何度かここを訪れたことがありますので、それなり以上のご案内ができると思いますよ」


 それは一応ラスに対しての提案であったのだが、ニールの思い人とその進展しなさ具合を知っていれば、彼がどういった展開を望んでいるのか察するのは容易だったろう。

 案の定、と言うべきか真っ先に反応したのはシュニアだった。


「ニール殿、護衛の任お疲れ様です。お忙しい中お気遣いくださり大変有り難いのですが、残念ながらそれらはどちらも片手間にこなせるものではないと考えます。第一、我が主をエスコートするには、いささか役者不足に思いますが?」


 にっこり笑うシュニアだが、その言葉は慇懃無礼を通り越して、もはや悪意しか見えない。

 レグルスの側近たちがラスの正体を知ったことは、既にシュニアたちに伝えられていた。となれば、これからは前ほど気を張る必要はないわけだ。だが、それにしても、シュニアの態度はあからさま過ぎる気もする。


(身内ばかりとはいえ、誰かがいる前でもこうなら、二人きりだともっと遠慮なく話してるんじゃないか?)


 それはそれで、仲が進展している、と言えるかもしれない。どんな方向へかはわからないが。

 シュニアの辛辣な言葉を受けても、ニールはやはり笑ったままだった。


「そんなつれないところも素敵ですが、残念ながら俺はおまけのようなものです。本命は……」


 そうしてニールの後ろから現れたのは、その緑の瞳を無愛想に歪めたレグルスだった。いつもの意味ありげな笑みを完全に放り出している。しかも……


「行くぞ」


 ようやく喋ったと思えば、これである。


(マジで喧嘩売ってるのか、こいつ)


 内心青筋を浮かべつつ、ラスは負けじと不機嫌そうに鼻をならした。


「絶賛無言キャンペーン中じゃなかったのかよ」

「気が変わった。さっさと降りろ」

「はあ?嫌だね。面倒くさい。俺はここにいる」


 そうしてそっぽを向けば、次にラスが感じたのは急激な浮遊感だった。

 レグルスに、横抱きにして抱えあげられたのだ。


「ちょっ!おまっ!?」

「体がつらいのなら、そのまま寄りかかっていろ」


 暴れてでも降りようとしたラスの動きは、耳元でささやかれたその一言で完全に止まってしまった。


(なんで、わかるんだよ……)


 本当は、なるべく動きたくないくらいに体が重たいことも、それを周りに悟られないようにしていたのも。

 レグルスのなすがままになって、ラスとしてはとても不本意だった。その腕の中で、ひどく安堵をおぼえてしまったことを含めて。


「……言っとくが、普通の女より大分重いからな」

「問題ない。おまえが暴れなければ、だがな」

「隠してある武器で刺してやろうか?」

「馬車の外、人目がある場所でそんなことをするつもりか?」


 そんな風に言われてしまえば、ラスは黙るしかなかった。

 既に安全地帯と言える馬車は遠く、時々すれ違う護衛兵らしき者たちの視線がちらちらと向けられているのがわかる。冗談だって下手なことはできない。精々レグルスの耳元で、罵詈雑言をささやき続けるくらいだろうか。


(……やだな。これじゃあ、駄々をこねてる子供みたいじゃないか)


 先日から、自分が少々大人げないことをしている自覚は、ラスにもあった。寛容に、寛大にと思っていても、どうにもレグルス相手にはうまくいかない。

 それが相手に甘えているのだと、認めたくはないのだけれど。


「なあ」

「何だ?」


 問題ないとの言葉通り、レグルスの腕の支えも足取りもしっかりとしたもので、一定の間隔での小さな揺れは、少しラスの心を落ち着かせてくれた。

 そのままこぼれた呼びかけに対するレグルスの返事は、どこか柔らかく感じられた気がして、ラスは胸の内にしまっておいた真実を教えることにしたのだった。


「前言ったデートってのは、ビチェと読み書き用の教材買いに出かけただけなんだ」

「知っている」

「だから……って、はっ!?」

「知っていたが、引っ込みがつかなくなったおまえが、いつそれを申し訳なさそうに白状するのかを楽しみに待っていた」

「っ…………」


 やっぱり刺してやろうかな、とラスが真剣に検討したのは内緒である。

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