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シルヴァジェント大公記  作者: 楓猫
第三章
76/81

鳥籠姫(中)


「そういえばおまえ、いい加減名前くらい教える気になったか?」


 ふと口を開いたラスは、唐突に思い出したという感じで問うてきた。

 初めて会った時、ラスは彼女に自分の名を教えたが、彼女は名乗らなかった。

 それは単純に、不審な人物に名を明かすことをためらったということもある。

 けれど一番の理由は、名乗るべき名前が、彼女自身にもよくわからなかったせいだ。


 名前がわからずとも会話は出来る。

 だが、いつまでもこのままでは、なんだか自分の存在すらもふわふわと浮いてしまう気がした。


「アリア、とみんなは呼ぶわ」


 そんな妙な言い方をしたのは、彼女なりの抵抗だったのかもしれない。

 途端にラスはいぶかしむように眉を寄せた。


「それ、本当か?」


「……どうして?」


「そう呼ばれても嬉しくないって顔してるぞ」


 言われてドキリとした。

 図星だったからだ。

 驚いたせいか、次の言葉はするりと出た。


「アリアは、元は母の名前なのよ」


 平民ならば家名の他に名前を一つ、貴族ならば二つの名前をもつ。王族、皇族ともなれば、三つ以上だ。

 複数の名前のうちの一つに親と同じ名前を入れること自体は、あまり珍しいことではない。

 しかし、子供のことを親とまったく同じように呼ぶことはまずない。

 そんなことをしてもややこしくなるだけだからだ。


 けれど、彼女は“アリア”と呼ばれる。

 周りの使用人にも、そして彼女の父親にも。


 案の定、ラスのほうも違和感を覚えたらしい。


「それ、面倒じゃないか?どっちのことかわかりにくいだろうし」


「母は、もう亡くなっているから……」


「死んでる死んでないは、この際関係ないと思うけど」


「…………」


 黙りこんだ彼女を見てどう思ったのか、ラスは軽く肩をすくめた。


「シュニア」


「え……?」


 落とされた音の意味がわからず、彼女は数度瞬きした。

 名前だよ、とラスが笑う。


「そんなに気に入らないなら、新しい名前を考えればいいじゃないか、と思ってさ。思いつきで言ってみたんだ」


「……あまり、名づけのセンスは良くないのね」


「ちぇ~、文句があるなら自分で考えろよ」


 ふてくされるラスに、彼女は思わずクスリと笑った。

 そんな自分に気付いて、こんなにも自然に笑ったのはいつぶりだったろうかと内心苦笑する。

 まるで半分死んだ自分の中に、温かい何かが吹き込まれたかのようだった。


「シュニア、ね」


 仰々しさも清楚さも垣間見えない、けれど彼女のために考えられた、彼女だけの名前。

 きっと呼ぶのは、このお節介な名付け人くらいなものだろう。

 周りにいる人間に主張したところで、やはり彼女は母の名前で呼ばれる。そんなことは重々承知だ。

 だが、確かにその日から、彼女は“シュニア”になったのだ。






 楽しい時間は、長くは続かない。

 もっとも、その時間が楽しかったことをシュニアがきちんと自覚したのは、その終わりが見えてからのことである。


「アリアお嬢様、お話がございます」


 部屋にやってきてそう言ったのは、初老の女性。

 今いる使用人の中では、最古参の一人だったはずだとシュニアは記憶している。

 基本的に不干渉の彼女らが、こうして直接物申しにくるなど珍しい。

 嫌な予感しかしなかった。


「わかっておいでのこととは思いますが、身元もわからぬ輩とお話するのはお控えください。これ以上続くようならば、私も旦那様に報告せねばなりません」


 言外に今までは見て見ぬふりをしていたのだと告げられる。

 それは一人の少女を閉じ込めていることへの罪悪感か、はたまたどうせ何もできはしないだろうという判断なのか。

 どちらにしても使用人たちの雇い主はシュニアの父親で、彼の意向こそが絶対だ。

 こうして直接言いに来たのは、最後通牒ということだ。


「彼があの少年のようになっても、よろしいのですか?」


 それが、決定打だった。

 彼女の脳裏をよぎったのは、金色の髪をした少年の姿。

 彼はもうシュニアの元を訪れない。

 訪れることができないように、されてしまった。


 同じ過ちは繰り返さない。

 彼女は再び己の心にそう刻んだ。






 いつものように、またなと言って去ろうとするラスを、その日シュニアは呼びとめた。

 珍しいことだと目を丸くするラスに、彼女ははっきりとした声で言った。


「あなたと話をするのもいい加減飽きたわ。もう、二度と来ないで」


「それ、本気で言ってるのか?」


 もはや挨拶代りとなりつつあった掛け合いだが、今日は明らかに様子が違った。

 大丈夫、まだ間に合うはず、と彼女は何度も心の中で繰り返す。

 この場を乗り切れるように、自分自身に必死に言い聞かせる。


「勿論本気で、本心よ」


「おまえ、嘘つくの下手だな。……手、震えてるぞ」


 ぎくりとして自分の手を見れば、その動揺をあらわすように確かにかすかに震えていた。

 目ざとく見つけたラスが凄いのか、それとも彼女の覚悟が足りなかったのか。

 ラスが呆れたように言う。


「なんでまた突然、妙なことを言い始めたんだ?」


 綺麗な深青の瞳が、まっすぐ彼女を見据える。

 媚びる色はないのに不思議と人を捕えるそのまなざしは、シュニアが逃げる事を許さない。

 どうやっても隠しきれないと悟ったシュニアは、震える唇で話しだす。


「以前にも、あなたみたいにここに来て、お節介にも私に話しかけてくる人物がいたわ」


 金色の髪をした少年だった。

 お調子者な性格に似たのかひどい癖毛の持主で、そばかすが浮かぶ顔でいつも明るく笑っていた。

 今は切り株しか残っていないその場所には、以前は大きな木があって、その枝は彼女の部屋にも届きそうなほど立派なものだった。

 偶然迷い込んできた少年は、ちらりと見えたシュニアの姿に興味を持って、その木に登って声をかけてきたらしかった。

 当初は驚いたシュニアも、初めて接する外の人間にひどく惹かれた。

 少年は幾度も彼女のもとへ訪れ、シュニアもその訪れを心待ちにして日々を過ごしていた。

 生まれて初めて出来た友人と過ごす時間はひどく温かく、そして眩しいものだった。


 そんな二人の交流が続いていたある時、少年は外へ行こうと彼女を誘った。

 閉じ込められたままの少女を可哀想に思ったのだろう。窮屈で退屈な生活に、少しくらい息抜きがあってもいいだろう、と手を差し伸べた。

 彼女は迷いながら、けれどその手を取ろうとした。

 しかし、あともう少しで触れるというところで、運悪く通りかかった使用人に見つかってしまったのだ。

 繋がれることがなかった彼女の手は空を切り、慌てた少年が逃げるところをそのまま見送ることしかできなかった。

 そのすぐ後に、二人の懸け橋となった木は切り倒され、少年はそれから二度と彼女の前に姿を現すことはなかった。


「それだけなら、まだよかったわ。でも……」


 そのあと、彼女の父が部屋へとやってきた。

 父は仕事の関係で、屋敷を離れていることも多い。

 時折彼女の部屋へとやってきて会話はするものの、どれもありふれた、というよりも義務的なことばかりで、親子らしい会話などしたことがなかった。

 シュニアは父が笑ったところさえ見たことがない。

 無表情に、何を見つめているのかさえ分からない目をして、父が一言言い放つ。


「あの少年は、もう来ない」


 少年のことを父が知っていたのは、おそらく使用人たちから聞いたからだろう。

 きっとこんなことがないように、屋敷の警備は厳しくなる。

 逃げた後も散々追い立てられてようであったし、少年も懲りてここには来なくなるだろう。

 残念だが、それは仕方がないことだった。

 しかし、父がそんなことをわざわざ言いに来る理由が、彼女にはわからなかった。


 だが、彼女は後日、仕事の合間にかわされる使用人たちの会話を聞いてしまう。

 街で少年が貴族の馬車にひかれたというのだ。

 不注意にも馬車の前に飛び出してきたその少年の命は、残念なことに助からなかった。

 綺麗な金色の髪が真っ赤な血に染まり、ひどい有様だったという。


 そしてその日、帰ってくるはずだった父が、急な仕事のために帰宅できなくなった。

 同時に、家が所有している馬車に不備が見つかったらしく、馬車はそのまま業者に修理に出されたのだという。


 それを知った彼女は、父の言葉を思い出した。


 少年は来ない。

 来ることができない。

 そうされてしまった。


 彼女はひどく後悔した。

 どうしてあの時、迷わず彼の手をとることが出来なかったのか。

 こんな風に置いていかれるくらいなら、いっそのことあの手をとり、最後まで一緒にいられたら良かったのに。

 いや、そもそも関わってしまったことが間違いだったのか。

 近づきさえしなければ、彼の命が失われることはなかったはずだ。

 少年の命を奪ったのは、彼女も同然だった。


「ラス、あなただって死にたくないでしょう?」


 このまま彼女に会い続ければ、遠からずラスも同じ目にあう。

 そんなことはもう、彼女だって御免だ。


「だから、これでさよならよ」


 話を聞き終えたラスは、しばらく沈黙していた。

 表情は険しく、こちらを見ようとしない。

 これなら大丈夫、とシュニアは僅かに安堵して、同時に自分の胸がちくりと痛むのを感じていた。


 ようやく動き出したかと思えば、ラスはごそごそと自分の荷物を漁りだす。

 一瞬あっけにとられたシュニアのことなど気にした様子もなく、手に取った品物の状態を確認して、そのまま彼女の方に投げてよこした。


「えっ……」


 驚いたシュニアは、手元にばっちり届いたそれを反射的に受け取ってしまう。

 それはナイフだった。

 装飾も碌にない武骨な代物だ。革製の鞘もくたびれていて、長く使われてきた物だというのがわかる。


「それ、俺が師匠に最初に貰った武器なんだ。そんなに価値があるものじゃないが、それなりに思い入れのある品だし、俺としても捨てるつもりはまったくない」


 一応それがこのナイフの説明、らしかった。

 だが、いきなりそんなものを投げてよこした理由がわからない。

 しかも、ラスはさっさと木から降りて、そのまま去っていこうとするのだ。


「ちょ、ちょっと!?」


「ちゃんと預かっといてくれ。またな!」


 呆然とする彼女は、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。

 ようやく正気に戻ってまず見たのは、自分の手の中にあるナイフ。

 預かっておいてくれということは、いつか受け取りに来るということだ。


 ラスからの、ひどく一方的な約束の証。

 シュニアは今すぐそれを窓の外に投げ捨てられない自分に、どうしようもなく苛立った。






 父は、どうしてそこまで自分を閉じ込めようとするのか。

 シュニアとて、その理由が気にならなかったわけではない。

 ただ漠然と、彼女を母と重ねて見ているのだろうと思っていた。

 亡くなった母と瞳の色以外は瓜二つだと何度も聞かされていたし、彼女の部屋は元々母の部屋だった。

 呼び名にしてもそうだ。

 すべては母に繋がる。

 父は彼女を通して、母のことを見ているのだ。


 しかし、少年の一件の後、彼女はその執拗さがどうしても気になった。

 一度老朽化のせいで部屋の扉が壊れてしまったときも、修理の業者を呼ぶことはなかった。

 屋敷の中に外部の者を入れる事をとことん拒否しているのだ。

 まして悪意のない少年の命を奪うなど、どう考えても異常だ。


 人の命を簡単に摘み取ってしまえるほどの理由とは何なのか。

 罪悪感と同時に、彼女は義務感に駆られていた。

 このままにしておけるわけがない、と。


 真実は、案外すぐ側近くにあった。

 彼女はまず、自分の部屋にある母の物について調べる事にした。

 幸いにして部屋には生前母が使っていた物がそのまま残っており、手掛かりとなる母の日記を探し出すことはさほど難しいことではなかった。


 日記を読んだ彼女は、驚愕した。

 それは、まぎれもない恋情の記録。

 身分違いの恋だった。許されざる関係を、けれどやめることが出来なかったのだ。

 やがて、母は婚約者のもとへと嫁がされる。

 お腹に小さな命を抱えつつ。


 ぎこちなく次のページをめくる彼女を手を、するりと抜けていくものがあった。

 床に落ちたそれは、手のひらほどの大きさの絵だ。

 描かれているのは、一組の男女。仲睦まじげに寄り添っている。

 一人はわかる。彼女の母だ。彼女そっくりの顔と赤い髪。

 もう一人に見覚えはない。けれど、その瞳の色には覚えがあった。

 それもそのはず。ほぼ毎日見ているのだ、鏡越しに。


 何があったか、自分がどういう存在か、彼女が悟るには十分だった。


 ああ、そうか。

 自分は裏切りから生まれた存在なのだ。






 父は母を愛していたのか、それとも憎んでいたのか、シュニアにはわからない。

 いや、愛していたから憎んだのだろうか。母の裏切りを、より強く。


 けれどやはり、シュニアには理解できない。

 憎いのなら、いっそなにもかも消してしまえばいい。

 母の部屋や持ち物、そのほか彼女を思い起こすものすべて。

 わざわざその忘れ形見を“アリア”などと呼びと、彼女を連想させる状況に追い込んでいるのはどうしても腑に落ちない。

 それとも、これは亡くなった母へと復讐のつもりなのだろうか。

 その罪の証に、母の何もかもを背負わせることで、もはや直接ぶつけることの出来ない思いを遂げるのだろうか。

 しかし、外に出してもらえないこと以外、シュニアは父から積極的な危害を加えられることはなかった。


 わからない。わからない。わからない。

 恋や愛は、時に人を思わぬ方向へと駆り立てるという。

 だからシュニアは、そのどちらもが怖ろしかった。


 怖ろしかったはずなのに……


 母の日記に綴られている、会いたいという言葉。

 やはり自分は母と同じなのかもしれないと彼女は思う。

 駄目だとわかっているのに、もう一度あの深青の瞳に会いたいと心が叫んでいる。

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