鳥籠姫(前)
番外編その1です。
過去話でラスと赤髪の侍女の出会い。
扉についた本来の鍵が壊れたとき、これでもう閉じ込められることはないのだと思った。
しかし、代わりに用意されたのは細長い鎖。
新たに壁に埋め込まれた金具と扉のノブが鎖で縛られ、その上錠がつけられた。
父は自分のことを、この部屋に閉じ込めておきたいのだ。
それほどまでに憎まれているのだと、鳥籠の中の彼女は既に悟っていた。
彼女の世界は、ひどく小さい。
少なくとも物心ついた頃から、彼女は自分の住む屋敷を出たことはなかった。
しかも、ここは彼女の家であるはずなのに、彼女は自分の部屋から出ることをほとんど許されない。
生活に必要なものはあらかじめ部屋に揃えられているか、その都度使用人が運んでくる。
水場を使いたいときなどには部屋を出てもいいが、常に使用人が彼女の側に張り付き、その動きをずっと見張っていた。
そして、用事が済めばすぐに部屋へと戻されるのだ。
彼女の自由に出来るのは、部屋に一つだけある窓の開閉くらいだ。
彼女の部屋は二階にあるため、外部との出入りが容易く出来るはずもない。
窓から外を眺めても、屋敷の裏にある林くらいしか見当たらなかった。
青い葉が覆う木々の上部から幹をたどり、視線を下へと動かしていくと、一つの切り株に目が向く。
その表面は平らで、何らかの原因で自然に倒れたわけではなく、人間が意図的に切り倒したことがよくわかる。
切り株は、他のどの木よりも彼女の部屋に近い場所にあった。
よくよく見れば、切り株の脇から新しい枝が生えてきている。
その光景を見て、普通なら自然の逞しさや力強さに感動を覚えてもいいはず。
だが、むしろ彼女の心はより沈んだ。
小さな唇から吐かれる重いため息が、それをはっきりと物語る。
彼女が何かを振り払うように軽く頭を左右に動かすと、美しい赤色の髪が一緒に揺れた。
赤い髪の持主は探せば幾人もいるだろうが、ここまで鮮やかなものは滅多に見られないだろう。
そんな見る者をはっとさせる髪色と、室内生活のせいか少々病的なまでに白い肌の組み合わせは、いっそ倒錯的と言えるほどだ。
顔立ちも愛らしさより美しさが勝ったもので、あと数年もすれば彼女への求婚者は山ほど現れることだろう。
もっとも、彼女自身に自分の容姿に関する自覚はあまりない。
精々自分の顔は亡くなった母親とよく似ているという程度。
彼女の生活では、普通の令嬢のように着飾る必要はまったくないのだ。
それに加えて親しい使用人もいなかったため、彼女は容姿を褒められるという経験がなかった。
いや、正確には一度だけ、その類の言葉をもらったことがあった。
そのときのことを思い出し、彼女は再び外へと視線を向けた。
そう、あの日もよく晴れた良い天気で、少しでもその明るさを感じようと窓を開けて……
『「やあ、こんにちは」』
唐突にかけられた声。
慌てた彼女は前方を見なおしたが、そこにあるべき木は随分前に切り倒されていた。
その事実に落胆する自分に気付きながらも、彼女は少しだけ落ち着きを取り戻し、そのままゆっくりと右側へ視線をずらした。
声の主は、彼女から見て切り株の右側に位置する木の枝に座っていた。
黒い髪の少年だ。年はおそらく彼女と同じくらい。
以前会った『彼』とは容姿も年齢も違うのに、登場の仕方が似ているせいか、おそろしく既視感を抱く。
だからだろうか、この時も同じように彼女は尋ねた。
「あなた、そんなところで何をしているの?」
「とりあえず、おそろしくつまらないって顔をしている美人がいたから声をかけてみた。この後何をするのかは、これから決めるところだ」
猜疑心と好奇心。
彼女たちの関係は、そんな感情から始まった。
コン、というあまり大きくない音が彼女の部屋に響く。
小さな石が部屋の窓にぶつかった音だと、彼女は確かめるまでもなく理解していた。
そして、その石を誰が投げたかも。
渋々といった表情で窓を開けると、いつものように木の上にいるラスの姿が視界に入る。
ラスと名乗った少年は、その後たびたび彼女の元を訪れた。
彼の目的はよくわからない。
ただ、木の上から彼女を呼んで、言葉を交わすのみ。
それほど長い時間話すわけでもなく、毎日来るときもあればしばらく日があくときもあったが、訪問回数自体は既にかなりの数にのぼっていた。
「物好きね。また来たの?」
「酷いな。邪魔なら帰るけど?」
こんなやり取りにも慣れてしまうくらい、随分と彼女たちの交流は続いていた。
会話そのものも、ひどく他愛のないものだ。
けれどだからこそ、彼女はラスを拒絶しきれなかった。
はっきり言ってしまえば、彼女は寂しかったのだ。
いけないと思いながら、結局いつも窓を開けてしまう。
同じ過ちを、繰り返したくないというのに。
またな、とラスが言う。
再会を約束する言葉を聞いて、彼女はいつもこう返す。
「……もう、来ないで」
それが、彼女にとっての一線だった。
中途半端に優しくされて、また置いていかれるのは耐えられなかったから。
「おまえさ、絶対に一度は、自分は世界で一番不幸だ、とか考えたことあるだろ」
つれなく返答されるばかりでどう思ったのか、ある時ラスがそんなこと言った。
そこに責めるような響きを感じ取って、彼女は僅かに眉を寄せた。
見当違いもいいところだからだ。
「一番不幸なんて思ったことはないわ。比較する相手さえ、見たことがないんだから」
そう、彼女にとっては、この狭い世界こそが己の基準なのだ。
本からの知識はあれど、実際に触れたことはない。
この状態が異常なことは理解できる。
しかし、そこには明確な誰かとの比較が存在せず、当然実感も薄い。
だから、彼女は自分の状態を、己の不幸に陶酔し悲嘆にくれているなどと思われるのは不本意だった。
少々投げやりな説明だが、なるほどとラスは納得したようだった。
「それじゃあ、それなりに幸福だと思って毎日過ごしてるわけだ」
「いいえ」
「どうしてだ?何の義務もなく、部屋で適当に過ごしていれば勝手においしいご飯が出てきて、夜は暖かいベッドでぐっすり眠れる。なかなかいい生活だろう?」
少しだけ意地悪げにラスが問いかけてくるが、それでも彼女は淡々としていた。
「確かに楽、なのかもね。でも、それだけよ」
他には何もない。
不幸でもなければ、幸せでもない。
けれど、彼女は既にその状態を受け入れていた。
「そういうあなたはどうなの?」
自分が一番不幸と感じたことはあるのかと、彼女はラスへと同じ質問を投げた。
「俺?思ったことあるよ。ちょっと色々あって一時はかなり荒れてたし」
「……随分あっさりと言うのね」
意外にも肯定されて、彼女はやや戸惑った。
それに荒れていたなどと穏やかでない単語も、どうにもラスの飄々とした態度とは結びつけにくい。
そのことを告げると、ラスは少し困ったように笑った。
「うーん、一気にどん底まで突き落とされたのが、逆に良かったのかもしれないな。……少しずつだとさ、痛みや辛さがだんだんよくわからなくなるんだ。もしあのままだったら俺は、そのままゆるゆると死んでいったのかもしれない。俺の場合、突き落とされて初めて自分が心底不幸だって認識できた。自分ほど不幸なやつもいないだろうって思ったらひどくくやしくて、だから絶対に幸せになりたいって思えた。まあ、落ちたならあとは這い上がるしかないだろ、ってのもあるけど」
「諦めたりしなかったの?」
そのほうが楽だったかもしれないのに、と言えばまたラスが苦笑する。
「さっき自分で言ったじゃないか。楽だけど、それだけだって。それ以上は何も手に入らない。その時は自分の心を守ったつもりでいても、状況が変わるわけでも、ましてや幸せになれるわけでもない。なら、少しばかり手を伸ばして、他のものを手に入れようと思わないか?」
それは純粋に共感を求められているというより、別の何かへの問いかけのように感じられた。
彼女はふと思い当たった。
「……あなた、私に会いに来るのはそういう理由なわけ?」
自分と彼女を重ねているのだろうか。
だからラスは、飽きもせずに顔を出すのだろうか。
「うーん、ちょっと違うかな。一緒にいて面白くないやつのところへ熱心に通うほど、俺は酔狂じゃないよ。しかも、毎度こんなに邪険にされてまで」
困ったように肩をすくめるラスが、おまえだってそうだろう?と尋ねる。
嫌ならば、拒絶すればいい。律儀に窓を開ける必要はないのだから。
否定されることを少しも考えていないラスの顔はなんだか眩しくて、彼女は思わず視線をそらした。
「……バカ」
とっさに彼女はうつむいたが、自分がらしくない表情をしていることを自覚しないわけにはいかなかった。
当然というべきか、ラスのほうが彼女より話題は豊富だった。
知っている世界の広さが違うのだから当たり前だったが、それでもラスが一般人とはかなり違った人生を歩んでいるのは、なんとなく彼女にもわかった。
師と呼べる人がいること、家族とは疎遠だが生活その他の支援をしてくれる人がいること。
この辺りまでならそれなりにありえるだろうが、傭兵崩れのごろつきを締め上げ、おまけにその者たちを集めて傭兵団なるものを結成したと言われれば、誰だって耳を疑いたくなるだろう。
傭兵は有事の際のみ雇用される戦闘のスペシャリスト、などと言えば聞こえはいいが、実際は金のためならなんでもするような無頼の輩だ。
彼らの資本は己の体と命であり、自軍が負けそうになると命惜しさに敵方に寝返ることも珍しくない。
基本的には戦うしか取り柄がないものだから、平和なときはその力を持て余し、盗賊紛いのことをしでかす者もいるという。
下手に関わると危ない、いや関わるのも遠慮したい相手だ。
それを彼女と同じ12歳の少年が、あっさりと従えているのだという。
そんなわけあるか、と思いたくなるのが普通だ。
もちろん、どこまで本当のことなのか彼女には確かめる術はないわけだから、ラスの話がすべてが嘘、またはかなり脚色されている可能性だってある。
だが、ラスの話はなかなか具体的で、そしてどこまでも淀みない。
辻褄合わせを考えて話している風でもないものだから、彼女は疑うべき箇所さえもよくわからなくなって、結局概ねの話を受け入れることにした。
もっとも、どうせなら夢があった方がいいだろうという、信用とはほど遠い理由からではあったのだが、少なくともそう思う程度には、ラスは彼女の心の中に受け入れられていたのだろう。




