70
お待たせしました。久々更新です!
って、遅筆すぎて誰も待ってなかったらどうしよう(-_-;)
話の区切りもいいので、後一話で三章終了になる予定です。
皆さまもう少しお付き合いください。
でも明らかに全五章じゃ完結しそうにないな……
アノンにとっても、現在の状況は非常に不本意なものだった。
夜遅くまで残って仕事を片付け、さて帰って寝るかとあくびを噛み殺しながら通路を歩いていると、たまたま、本当にたまたま妙な様子の男女を見かけたのだ。
これが知り合いでなかったならあっさりと流してしまっただろうが、あろうことか片方はアノンの主であるレグルスで、もう片方はその側室。
二人の様子はどこか刺々しく、レグルスが側室の腕をつかみ、相手を引きずりそうな勢いで引っ張って歩いている。
側室が何か話しかけても、レグルスは無視しているようだった。
アノンは、思わずその後を追っていた。
レグルスと側室の間の不穏さはそうさせるのに十分であったのだ。
おいていかれないように、かつ適切な距離を取りながらアノンは二人の後を追った。
アノンの行動は通常なら気付かれていただろうが、先行する二人も他に気を取られるような心の余裕がなかったのである。
そして二人がたどり着いたのは、浴室。
これがアノンでなく、ニールであったなら、野暮なことはするまいと引き帰しただろう。あるいは、なんとかは馬に蹴られるという言葉を思い出せていたのなら。
だが残念ながら、アノンはそちらの方面には疎かった。
また、アノンは以前から側室の行動に不審を感じることがあった。
自分の主に何かあったら問題である、と彼は考えた。
この場合、アノン本人には体を張ってレグルスを守るなど出来ないが、何かあれば人を呼ぶことぐらいは可能だ。
そうしてひっそりと扉の隙間から二人の会話に聞き耳を立てていたのだが、色々と予想外の展開にアノンは混乱し、とりあえずその場を離れようとした。
しかし、慌てていたために近くにあった棚に体をぶつけ……現在の状況になったのである。
「……」
「……」
「……」
しばらく誰も言葉を発することが出来なかった。
が、その膠着状態を終わらせたのはレグルスである。
おもむろに濡れた上着を脱いだかと思うと、それを無言でラスの方へ投げつけた。
「ちょっ……」
一瞬視界が暗くなり慌てるラスを尻目に、レグルスは浴槽から出るとアノンまでの距離を一気に詰めた。
そのあまりの早さに、アノンは座り込んだまままたさらに姿勢を後ろに倒した。
呆然と主を見上げるアノンに、無表情のままレグルスが問うた。
「見たのか?」
「は?」
「見たのかと訊いているんだ」
アレを、と続けられ指差されたのは、浴槽に一人残された女の姿。
今はレグルスの上着をかぶせられているが、先ほどまでの彼女の格好はとても人前では出来ないものであるわけで……
一瞬頭をよぎった肌の白さにアノンは顔を真っ赤にし、次いでレグルスの顔を見て真っ青になった。
笑っていたのだ。
目を奪われるほどに美しく、そして目をそらしたくなるほどに危険な微笑み。
とりあえず、アノンの中で惰眠を貪っていた生存本能を呼び起こすくらいに、レグルスのそれは強烈な代物だった。
「あ、いや、これは、その……」
「アノン。おまえには特別に選ばせてやろう。頭の中身か自分の存在、消されるならどちらがいい?」
顔をひきつらせるアノンと、そんなアノンに笑顔でゆっくりと近づくレグルス。
そこに待ったをかけたのは、ある意味一番の当事者たるラスである。
「ちょっと待て、レグルス。もう少し落ち着いて……」
ラスはとりあえずレグルスの上着を身につけると、当人のラスを置いてけぼりにして暴走しかけているレグルスを止めようとした。
だが、そこでもまた問題が起こった。
ラスが立ちあがり浴槽から出たその瞬間、またもやビリッという嫌な音。
「「「あ……」」」
水を吸ったドレスは、当然重くなる。
ドレスの一部を引きちぎられた、その後動き回った影響は、存外大きなものであったのだ。
哀れドレスのなれの果ては、重力に従って床に落ちた。
もっとも、幸いと言うべきか、ラスはレグルスの上着を身に纏っていた。
よって、全体的に見れば、それは大した被害ではないと言えたかもしれない。太腿の半ばから下の足が晒されてしまっただけなのだから。
ただ、タイミングが最悪だった。
僅かな露出も許せないくらい、非常に心の狭い人物がその場に居合わせてしまったのだから。
「……アノン、覚悟はいいか?」
「……!?」
「ちょっと待てって言ってるだろうがー!!」
色々な叫びが響き渡る。
こんなことで皇太子が本気で怒る現在のガルダ帝国は、ある意味非常に平和なのかもしれない。
「それで、なんで俺叩き起こされたわけ?」
自分の屋敷に戻り既に寝ていたニールは、突然の知らせに慌てて皇太子宮へと出向くはめになった。
ベッドに戻りたくなる衝動を振り切り、夜中だというのにレグルスの執務室へとやってくれば、何故かそこにいるのは幼馴染二人とその片方の側室という微妙なメンバーである。
「その耳は飾りですか。今きちんと説明したでしょう!」
あまりにものんびりとした様子のニールに、アノンは苛立つ。
あの後なんとかラスがレグルスを止めている間に再起動したアノンは、とりあえずレグルスが落ち着くと場所(と服装)を変えてから主に対し事情の説明を要求した。
その時のレグルスとラスの様子はと言えば……
「どうする?」
「あ~もう別に言ってもよくないか?どうせ言いふらしたりはしないだろうし、下手に誤魔化すとややこしくなりそうだし……」
「まあそうだな」
なんとも焦りのない会話である。
そうしてアノンはにわかには信じられないような、けれどそうであれば辻褄があう真実を知ることになる。
アノンは慌ててニールへと使いを送った。
無論レグルスから口外を禁じられているのだが、もう一人の側近であるニールには現状を正しく認識してもらう必要があるのだ。
それなのに、揃いも揃って色々と危機感が足りない。
アノンのイライラは頂点に達しようとしていた。
「ああ、うん。実はその姫さんの正体があのラス・アロンで、レグルスと同じくらいに強い……んだっけ?」
ちょっと信じられないけど、とニールは苦笑する。
突然深窓の姫君がそんな物騒なものだと言われても、簡単には同意できない。
それほどまでに、ラスの演技は完璧に近かった。
もっとも、既にばらしてしまったことに開き直ったラスの現在の言動はいつも通りになっていたので、ニールの方も信じざるを得ないといった感じなのだが。
「いや、この場合正体がエンダスの第6公女だろう」
「まあ、そうだよな。一応俺の元々の出自はそっちで、傭兵団作ったほうが後なんだし」
「そんなのはどっちでもいいんですよ!というか、あなたたちは真面目に話をする気があるんですか!?」
アノンが怒って叫ぶのも無理はなかっただろう。
何しろレグルスの膝の上にラスが座った状態で会話に参加してくるのだから。
「いや、だってこうしてれば突然レグルスが暴走しても、一撃目くらいは妨害できるだろ」
「と冗談のつもりで提案してみたら、案外簡単に乗ってきたので俺の方も驚いた」
「えっ、冗談なのかよ。じゃあもうやめるか」
「それは却下だ」
「お二人さーん。仲良くアノンをいじってるとこ悪いんだけど、そろそろ本当にアノンがキレそうだから勘弁してやって」
噴火寸前の幼馴染の様子を察して、ニールが口を開く。
「というか、もしかしなくても前に騎士団の宿舎で俺を負かしてくれたのは、そこの姫さんだったりするのかな?」
「その通り。あれから少しは成長したかい、団長さん?剣の腕だけじゃなくて、意中の相手へのアプローチの仕方も」
「どっちもボロ負けしたらしいな、ニール」
からかうように言うラスと、それに便乗するレグルス。
あれ、今度は俺に矛先が向いてる?とニールは軽く頬を掻いた。
「まあ、俺の方は完全に個人の事情だからいいんだが……問題は、そんな俺でも手に負えないような人物がレグルスのすぐそばにいるってことだ」
苦笑から一転、ニールの表情は一気に剣呑さを増す。
「場合によっては、力尽くでも排除しないとな」
明らかな警戒と敵意を向けてくる皇太子の側近たちに、けれどラスは薄く笑った。
「今まで何の手も打てなかった自分たちの無能ぶりを棚に上げて、よくそんなこと言えるな」
小首を傾げ嘲笑う彼女に、ニールの眉は一瞬ピクリと跳ね上がった。
だが、一度大きく息を吐くと、すぐにいつもの気楽な表情に戻る。
「見かけによらず、人を怒らせるのがうまいな、姫さん。あ~いや、俺たちが見かけに騙されてただけか?何にしても化け上手だな」
「おだてても何も出ないぞ」
挑発に乗らなかったニールに、ラスは少しだけ認識を改めた。
やはりレグルスの側近だけあって、戦うだけが取り柄ではないらしい。
「何か起これば、俺としても出来るだけのことはするつもりだ」
「それは、いざとなればエンダスを裏切って帝国側につくということですか?」
すかさずアノンが口をはさんでくる。
ラスは警戒心を溢れさせるアノンへと視線を向けると、真剣な表情で言葉を紡いだ。
「悪いが俺にも一応表立っての立場ってものがあるからな。明言は避けさせてもらおう。今のところはっきり言えるのは、俺にはあんたらと積極的に敵対する意思はないってことだ」
それは、ラスの本心だった。
政略結婚で嫁いだ以上、嫁いだ相手国のことだけ考えるわけにはいかない。
未だラスにとって、エンダスという国は捨て去るには大きすぎるものだった。
「無理に信じてくれとは言わない。俺が怪しいのも危険なのも明白すぎるからな。……でも、ここの居心地は案外悪くない。だから出来る事なら壊したくないし、協力体制が取れればと思っている」
多くの時間を過ごしたエンダスには、当然大切なものが多くある。
けれど、同様にこの帝国にも、切り捨てたくないものが出来てしまった。
ラスが軽く振り返れば、それを察したかのようにレグルスと目があった。
喜んでも怒ってもいないのに、どこか物言いたげな緑の瞳に、ラスは僅かに口元を緩めた。
レグルスは言わない。
ラスに、何もかも捨てて自分と生きろと。
ラスが他に目を向けることに不快感は示しても、ラスの身動きがとれなくなるようなことはしないのだ。
他者を平気で弄ぶレグルスからの待遇としては、破格のものであるに違いない。
それは尊重というほど上等なものではないだろう。
けれど、義務や責任といった堅苦しい理由があるわけでもない。
名状しがたいそれが何なのか、おぼろげながらもラスは理解し始めていた。
初めて抱く感情に戸惑いを感じながらも、それでも……
(こいつの手を離したくないって、思っちまったんだよな……)
自身が持つ不穏な因子を、一つの気持ちを主張することで誤魔化せるとはラスも思っていない。
けれど、ラスに出来るのは自分の思いを伝えることと、それに見合う振る舞いをしていくことくらいなのだ。
「……わかった。とりあえずは信じよう」
「ニール!そんなあっさりと……」
「実力行使しようにもうまくいく可能性は低そうだ。それに、もし姫さんの死角から攻めようとしても、レグルスのほうに妨害されそうだしな」
「よくわかっているじゃないか」
にやりと笑って肯定したレグルスを見て、アノンもため息をつく。
「……仕方ありませんね」
しばらくして、アノンも了承を示した。
渋々、というのをあらわにしてではあったが。
「二人とも、案外あっさりと承知したな。もっとごねるかと思うが」
意外だな、と言うレグルスに、ニールは片目をつぶって笑い、アノンはやれやれといった感じで眼鏡をかけ直す。
「だてに幼馴染やってないしな」
「あなたはこうと決めたら絶対に動かないじゃないですか。だったら、もうそちらの対応を考えたほうが効率的です」
「なんだつまらん」
言葉通り心底つまらなさそうな顔でため息をつくレグルス。
そんなレグルスの態度に、今度こそアノンがキレた。
「つ、つまらんとはなんですか!人を散々振り回しておいて!!」
「まあまあ、アノン落ち着け。こんなのいつものことだろ」
「ニール!大体あなたがそんなチャランポランだから……!」
「えっ、ちょっ……」
アノンの怒りは、なだめようとしたニールに飛び火した。
口論というより、むしろアノンが言葉で一方的に殴っている状態だ。
その元凶たるレグルスはと言えば、二人を興味なさそうな顔をして見ていた。
だが、ラスは見逃さなかった。彼の唇が一瞬弧を描いたのを。
(なんだかんだ言いつつも、結構良い組み合わせなのかもな)
周りに気付かれないよう口元に手をあて、ラスはまた小さく笑った。




