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リニルネイアとマナをはじめとした襲撃者たちは、連絡をつけておいたレックスに引き渡した。
事情も話してあるので、帰りの道中もうまくやってくれるだろう。
部屋に残っているのは、ラスと顔をしかめたヴァイオラのみ。
「どうして、私にあんな話を聞かせたの?」
「答え、もうわかってるんじゃないか?」
「……」
ラスの返答に、ヴァイオラは再び沈黙する。
そう。答えはたぶん、もうわかっている。
『覚悟も力もないくせに、中途半端に出てくるなよ』
ヴァイオラは自分の胸元をぎゅっとつかんだ。
リニルネイアに突き付けられた言葉は、同時にヴァイオラの心にも届いていた。
「今日はもう帰るわ」
そう言って、ヴァイオラは部屋の扉へと足を向ける。
考えるべきことは色々とある。
見失っていたものが、何だったのか。
足りないものは、何なのか。
そして、この先何をするべきなのか。
彼女の目はまっすぐ前を向いていた。
「あ~、なんかどっと疲れたなぁ」
一人廊下の柱にもたれながら、ラスは大きなため息をついた。
演じるだけなら、ここまで苦にはならなかった。
けれど、先ほどリニルネイアに言った言葉は、多少大げさではあったが、確かにラスの本音だったのだ。
心は隠すより晒す方が難しい。
『皮一枚など、手ぬるいな。どうせなら襲撃者の首の一つくらい、切り落としても良かっただろうに』
ふっとラスの頭の中に、そんな言葉が流れてきた。
誰の声でかといえば、言うまでもなくレグルスである。
(容赦ないよなぁ……うん、すげぇ言いそう)
そして言ったことは躊躇いなく実行出来るのだろう。
それがレグルスの強さで、怖さである。
けれど同時に、こちらの本気を理解させるのに、それくらいは許容範囲だと思う自分がいることをラスは知っていた。
有りだ、と判断した時点で、ラスもレグルスと大した違いはない。
今回の件にしても、くすぶらせたままにして後々問題を残すよりは、きちんと始末をつけたかったのだ。少々他の件も便乗させたが。
レグルスに詳しい事情を話さなかったのは、出来る事なら帝国側の介入を最小限にして、エンダスのみの問題として処理したかったからだ。
別にラスは実家の大公家がどうなってもいいと思っている。たとえ不満を爆発させた民が決起して宮に押し寄せても、それはある意味当然の報いなのだ。
しかしラスは、他国の侵略などによって、エンダスという国がなくなるのは避けたかった。
理由は民のことなど、あげようと思えば色々と出てくるが、一番の理由は……
「まあ、超個人的な理由なんだけど……」
「ラス」
後ろから声をかけられて、ラスは思考を一時中断した。
「シュニアか。何か問題でもあったのか?」
「いえ、倒れていた者たちは全員運び終わりました。しかし、何人かの意識が戻ったので彼らの話を聞いたところ、皆自分がどうして倒れたのかわかっていないようなんです。その前後の記憶が曖昧で、寝ぼけて部屋を抜け出したのではないかと言うんです。おそらく魔方陣にそういう細工がされていたのかと」
「なるほどな」
「それと魔方陣の方ですが、描かれた数は多いですが、どうやらすべて根元では繋がっているようです。解除するには、その大本となっているものを見つける必要があります」
わかりますか?とシュニアに言われ、ラスは瞼を閉じた。
「ちょっと待て。今探してみる」
視覚情報を遮断して離れた場所の魔力の反応を探る。
そんな主を見て、シュニアはぽつりと言った。
「良かったのですか?」
「何がだ?」
「妹君にあの女の処遇を任されて」
「ああ、そのことか」
目をつぶったまま、ラスは苦笑する。
「リナはあの場で侍女を殺させないようにと考えていたが、普通主家の血筋を手にかけたなら、例え未遂だとしても実行犯の命はまずない。良くて終身刑、悪ければ一族郎党皆殺しだ。それを改めてリナ自身に命じさせるんだから、我ながら性格が悪いな」
「ですが、国に帰ればまた状況は変わります。妹君が懇願すれば罪は軽くなるかもしれません」
それだけの影響力を、リニルネイアは持っている。
しかし、それはラスとてわかっていた。
「そうなったらそうなったまでだ。ただ……」
ラスはそこで一度目を開け、左手でドレスの腰のあたりを掴んだ。
そう、まるで剣の鞘を握りしめるように。
「三度目はない。それだけだ」
それは、次こそ容赦なく切り捨てるということ。
色々と踏み切れなかったリニルネイアのことに対して、これがラスなりのけじめのつけ方だったのだろう。
言葉で言われずとも、シュニアはそれを察した。
「場所が特定できたから、今から行ってくる」
そう言ってその身を翻し、片手をひらひらさせながら離れて行く背中を見て、シュニアはぽつりを呟いた。
「あなたは人には優しいけれど、自分には厳し過ぎますね」
チャンスを与えるには、時にリスクが伴う。
シュニアの主は、自分の選択の結果として、あらゆるものを背負う覚悟を既に決めているのだ。
元の魔方陣の位置を特定したラスは、急いでその場所へと向かった。
夜も更けてきて、もはや誰もが寝ているだろう時間帯。走ったところで見咎める者はいない。
そうしてたどり着いてみれば、明らかに怪しげな人影が膝を折り、その足元にある魔方陣へと手をかざそうとしている。
おそらくはそれが魔方陣の大本なのだろう。
「ご丁寧に証拠隠滅しようってか?ちゃちな小細工して、気を使ったつもりか?」
余計なお世話なんだよ、と言ったラスは、けれど顔をあげた相手の顔を見て息をのんだ。
「おまえは……」
「やあ、また会ったね」
その顔にラスは見覚えがあった。
金色の髪、翡翠の瞳。整った顔で穏やかに微笑む貴族の子息のような男。
人身売買のオークション会場で会った人物だった。
これにはラスもかなり驚いた。
てっきりこの場にいるのは、あのモノクル男だと思っていたのだ。
同時にラスは、男の発する異様な気配に気づいた。
「おまえ……破術師か!?」
破術師。
それは魔術師の天敵にして、そのなれの果てとも言われる存在。
魔物をその身に宿して、自らも異形となり果てた者。
人の枠を超えたことでどんな魔術も見破ることが出来るようになるが、それと引き換えに大きな代償を支払わなければならないという。
高いリスクを背負う破術師の数は、それほど多くは無い。
おそらくヴァイオラの術を破ったのもこの人物なのだろう。
「一体どういうつもりだ」
前回遭遇した状況を踏まえても、偶然再会したなどとはとても考えられない。
鋭いまなざしで問い詰めるラスに対し、男はやれやれといった風に肩をすくめた。
「つれないなあ。せっかく君に会いに来たというのに」
「何?」
男の意図が何なのか、疑問に意識を散らしたラスは、一瞬行動が遅れた。
その間に、男が距離を縮めてくる。
「そう。私は君に会いたかったんだ、セラスティア・アロン・ルーエンダス」
とろりと甘い、熱を帯びた声が響く。
そうして男の手が、ラスの頬に触れようとしたその瞬間。
「こいつに触れるな、ハダル」
ラスの体は、急に後ろへと引っ張られた。
後ろから回された腕で肩を抱え込まれる、覚えのある格好。
そう、ラスはこの腕の感触を知っている。
「レグルス……」
半ば呆然と、ラスは後ろの人物の名を呼んだ。
そこには、確かな怒気を宿らせたレグルスが立っていた。




