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一応初夜。
でも、R15にもならないです……
「皇太子レグルス・ベルライ・レイ・ガルディア……」
彼はガルダ帝国の第五皇子として生まれた。
皇帝フォーマルハウトの二番目の正妃を母に持ち、幼い頃からその聡明さは有名だった。
しかし、一番の後ろ盾となる母親は病弱で、療養のために帝都を離れていることが多かったため、その権勢はさほどでもなかったという。
レグルスには腹違いの兄が4人いて、帝位継承争いは熾烈を極めると言われていた。
それが決着したのが3年前。4人の兄を排し、レグルスが皇太子の地位に就いた。
当時彼は14歳。軍関係者の圧倒的支持を得ての勝利だった。
「つーか、今あいつ17歳かよ」
(俺より2つも年下じゃん……)
別にレグルスが老けているとかそういうことではなかったが、あのふてぶてしさはとても年下とは思えなかった。
「それは、俺に関する調査書か?」
気配を感じると同時に、声がした。
噂をすれば影である。扉のところに立っていたのは、レグルス本人であった。
もっとも、その場に現れたこと自体は別に驚くべきことではない。
ここはラスの寝室。
そして今夜は、所謂新婚初夜というやつなのだから。
「見てみるか?あまり詳しいことは書かれてないけどな」
そう言うと、ラスはあっさりと手に持つ紙を差し出した。
調査書などというのは、普通もっと厳重な扱いをする必要があるのだが、ラスは気にした様子は無い。
実際見られても問題のないようなことしか調べられていないからだが。
「……初夜の前に夫のことを知っておこうとは、なかなか感心だな」
レグルスは受け取った書類を軽く眺めただけで、すぐに近くのテーブル上に置いた。
実際のところ、その内容にはあまり興味が無かったのだろう。
「表面上の経歴だけ知っても、大して意味はないだろうとは思うがな」
参考程度にはなるだろ、とラスの口調はどこまでも軽い。
「なら、本当の俺というやつを教えてやろう」
レグルスは低く笑うと、寝台に座るラスの肩に手をかけ、そのまま後ろに押し倒した。
ぐるりと変わる視界。衝撃があまりなかったので、このベッド品質いいな、などとラスは状況に似合わず呑気なことを考えてさえいた。
ラスは暴れはしなかった。だが、そのまま体重をかけてこようとするレグルスの顔の正面に手を突き出し、待ったをかけた。
「ちょっと待て」
「俺を拒む気か?負けた国の人間のくせに」
そんな風に言われてもラスは冷静だった。
言葉の選び方や意地の悪そうな言い方といい、レグルスがわざと煽ろうとしているとわかったからだ。
冷静さを失ったら負ける、というのはどこの世界だって同じだ。
「別に俺はおまえを拒むつもりはない。自分の役目は理解しているつもりだし、それを放棄する気もない。だがその前に、聞きたいことがある」
「なんだ?」
「どうして俺を選んだ?」
ずっと疑問であったこと。
エンダスへ人質を要求する。それ自体はよくあることだ。けれど、数いる公族の中であえてラスを選ぶ理由がわからない。
「どうしてだと思う?」
レグルスは素直に教える気は無いらしい。
逆にラスに対して問い返す。
その性悪そうな笑みにラスは一瞬顔をしかめたが、早々に見切りをつけて自分の考えを話しだす。
「一応予想は4つたてた。一つ目は、ガルダ皇太子が俺に人質的価値があると本気で思うような馬鹿であるパターン」
仮定とはいえ馬鹿呼ばわりされたというのに、レグルスは面白そうに低く笑っただけだった。
「まあ、これはまずないだろうと最初から思っていた。そんな相手だったらノアンロンでの戦いの時点で負けるわけがないからな。二つ目は、俺がラス・アロンだと知っていて、その能力を自国に引き抜こうとしたってパターン。同時にエンダスの戦力も削げるし、これが一番現実的だと思うが、側室にしたくらいで俺を丸めこめるだろうって思われているのが心底気に入らない」
予想といいつつ、やや感情論が入ってきている。
話しつつ顔をしかめるラスに、レグルスはまた軽く笑った。
「三つ目は、俺自身が知らないながらも、おまえにとって有利になるような何らかの要素を持っているというパターンだ。もっともこれは確率的にあまり高くないと思っているが……」
そこでラスは言葉を止めた。そのまま黙りこみ続きを話す様子もなかったため、レグルスは続きを促した。
「それで、四つ目は?」
「聞きたいのか?一つ目と張るぐらい、いろいろとありえないぞ?」
「いいから聞かせろ」
やけにしつこいレグルスに、ラスはため息をついた。
「……おまえが俺に惚れてるってパターン」
それを聞いた途端、レグルスは沈黙した。
てっきり馬鹿にされると思っていたラスは、その様子の変化に少々戸惑う。
古来より一人の女に心捕らわれ、国を傾けた王は数多くいる。
だから可能性の一つとしてあげたまでだったが、反応が微妙でラスは逆に困った。
いっそ笑い飛ばしてもらった方がよかった、というのが本音である。
レグルスは少し考え込むようなそぶりを見せ、そして今度は睦言のように甘い言葉で囁いた。
「もしも、おまえのために4人の兄を倒して皇太子になった。俺がそう言ったらどうする?」
「俺のため、だと?」
ラスは驚いて目を丸くした。
けれど次の瞬間にはふざけるな、と吐き捨てた。
「おまえが俺をどう思っていようが、そんなこと関係ないだろう?おまえはおまえの望みのために行動した。だったらそれは、俺なんかのためじゃなくおまえ自身のためだ。そしてその行動の結果生じた利益も責任も、すべておまえのものだ」
勝手に俺を巻き込むな、とラスの態度はいっそ辛辣だった。
普通の女性なら一発でおちてしまいそうな口説き文句も、彼女の心を動かすことはない。
「俺を口説きたいなら、もっと上等なセリフを考えるんだな」
状況に似つかわしくない、ひどく挑戦的な態度だった。
艶やかささえ備えたラスの微笑み。けれどその強い視線は、まっすぐレグルスを射抜く。
ああそうだ、と彼は思った。
自分が欲しかったのはこういう女だった、と。
レグルスの瞳に獰猛な光が宿る。
「やはりおまえは、俺が思っていた通りの人間のようだ」
そうして重ねられた唇は、温かかった。
そのことにラスは少なからず驚いた。こんな男の唇など、絶対に冷たいと思っていたのに。
が、すぐにはっとする。
「おい、ちょっと待て。まだ答えを聞いてない!」
「答えると言った覚えはない」
「はぁ!?ふざけんな。ここまでひっぱっといてそりゃ無いだろ!!」
「なら、ヒントをやろう」
「ヒント?」
「一つ目は違う」
「おまえ、それのどこがヒントだよ……」
ただ単に自分が馬鹿だということを否定しただけだ。
ありえない項目が消えたところで、何の手掛かりにもなりはしない。
「もう黙れ」
「そう言われたぐらいで黙るかよ!」
「そんなに理由が気になるなら、見ていればいい」
「は?」
「俺の傍らで、俺を見ていればいい。そうすればいずれわかる」
「そんな、気の長い……」
「もう、黙れよ」
かすれたようなレグルスの声に、ラスは問答の時間は終わりだと悟った。
最後に大きなため息をつく。
答えは結局わからなかった。そもそもレグルスに真正面から尋ねても成果はあがらない、ということが分かった程度だ。
再び重なった唇は、やはり温かかった。
そして不思議と、ラスはもうその熱を拒む気持ちにはならなかった。