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皇太子宮へと連れてこられたリニルネイアは、倒れた使用人たちを見て息をのんだ。
「これは……」
「おまえの行動の結果の一つだ」
そして、ラスの選択の結果でもあった。
が、それは今伝えるべきことではない。
倒れた者に走り寄ろうとするリニルネイアに、ラスが声をかけた。
「どうするつもりだ?」
「どうって、すぐに手当てを……」
「心配ない。気絶しているだけで、命に別状はないはずだ。大体、応急手当ての知識もないおまえに何が出来るっていうんだ?」
「でも……」
「行くぞ」
冷然とそう言い放ち、ラスは黙って歩き始める。
振り返ることさえしない。
リニルネイアはちらりと倒れた者を見やり、そして振り切るようにラスの後に続いた。
戻ってきたラスに、さっそくヴァイオラは大声で質問をぶつけようとした。
が、その後ろに見えた薄紅色の髪の人物に気付き、途中でその勢いは失速する。
しかも、ラスに視線だけでまだ待っていろと言われ、完全に彼女の言葉は行き場を失った。
よくよく思い出してみれば、薄紅色の髪の人物は初めて見る相手ではない。
宴の席で見かけた、エンダスからの親善大使。
どこか不安げな様子の彼女が何故ここにいるのか、問いたくてもそれが許される雰囲気ではない。
「みんな、ご苦労だったな。ここはもういいから、外で倒れている者たちの介抱をしてやってくれ」
ラスがそう告げると、見張り役をしていた侍女たちが退室する。
残されたのはラスとリニルネイアにヴァイオラ、それに縄で縛られた襲撃者たち。
その中の一人に目を止めて、リニルネイアは顔色を変えた。
「マナ!どうしてここに!?」
リニルネイアにしてみれば、自分にとって一番近しい侍女が捕らわれているのである。
しかも、せっかく主と再会できたというのに、侍女はガタガタと体を震わせている。まるで何かを恐れてでもいるかのように。どう考えてもおかしい。
「ひ、姫様……」
「何故マナが……どうして、こんな酷い……」
今すぐ彼女の縄を外してください、とリニルネイアはラスに詰め寄った。
こんな酷いことを、一秒でも早くやめさせたかったのだ。
いつもの朗らかさなど捨て去って抗議するリニルネイアに対し、けれどラスの対応は淡々としたものだった。
「それは無理だ」
「どうしてです!?」
「そいつが、俺の命を狙ったからだ。周りに倒れているやつらを使ってな」
「えっ……」
それは、リニルネイアにとって思わぬ答えであった。
あまりにも衝撃的で彼女は言葉の意味を理解するのに数秒を要した。
「う、嘘です!」
「何故そう思う?」
「だって、マナはいつだって私に優しく……」
「おまえに優しいから、なんだ?」
誰か一人に優しいからといって、他の人間に対しても優しい態度をとり続けるとは限らない。
けれどリニルネイアは、そんなことさえも知らなかった。
誰もが皆、彼女に優しく接してくれたから。彼女の前では優しい人間であろうとしたから。
だが、ラスはもうそうしないと決めていた。
「満たされた箱庭の中で過ごしてきたおまえは、とても純粋に、そして無知に育ったな。自分の側にいる者がどんな人間なのかもわかっていない。確かにこの侍女はおまえに対して優しかったのかもしれない。でも、俺に対しては下賤だの身の程をわきまえろだの、散々なことを言ってくれたぞ。あげく殺そうとさえした。それも、たかがおまえの失恋が原因で」
「そんなの嘘です!マナがそんなことをするわけがないです。……そうでしょう?マナ」
「ひ、姫様……私は……」
リニルネイアの懇願するような質問に、マナはうつむき目をそらすことしか出来なかった。
明確な言葉はなくとも、答えは明白だった。
ラスは呆れたようにリニルネイアに言う。
「本人も認めているようだが」
「そんな……で、でも、姉様だって悪いんです!私のことを陥れようと、皇太子殿下と共謀して……」
「泣いているときに、そうやって慰めてもらったわけだ。何も変わっていないな、おまえは。その耳は都合のいい言葉しか聞こえないのか?自分できちんと考えようとしないなら、その頭は見た目を褒められるだけの飾りだぞ。大体、レグルスに関してはおまえの見る目がなかっただけだ。人のせいにするな」
「酷い……私は、こんなに苦しんで……」
「おまえは、自分のことばっかりだな。……頭痛くなってきた。やっぱりさっさと済ませるか」
そう言うと、ラスはあの深紅の石を握り、一瞬にして剣へと変化させる。
そしてその切っ先を、捕らわれた侍女の首へのぴたりと当てる。
ひやりとした凶器の感覚に、マナはヒッと小さく悲鳴を上げた。
それを見てリニルネイアは慌てた。
「な、なにを……」
「俺は皇太子の側室として、この宮へ入り込んだ不審者を見逃すわけにはいけないし、エンダスから嫁いで帝国との間を取り持つ役割を帯びているからには、こんな火種になりかねない輩は始末するべきだ。何より命を狙われた立場として、中途半端に甘い処置など出来ない。ああ、安心しろ。この剣で切れば血はでないから汚れる心配はない。死体も適切なルートで処分するから、この件が露見する可能性は……」
「死体って……殺すのですか!?」
「何を当たり前のことを。おまえを呼んだのは、おまえの安易な言動の結末を見せるためだ。ここまでやれば、その沸いた頭も少しはましになるだろ。そうだ。あれだけ虚仮にしてくれたし、生きたまま少しずつ切り刻んでいくのもいいかもな」
あまりにも平然と怖ろしいことを言うラスに、リニルネイアは絶句する。
そう、リニルネイアはラスのことを批判しながらも、けれどやはり心のどこかで信じていたのだ。
怒っても、最終的には逃げ道をきちんと用意してくれると。
それが違うことを、改めて突き付けられたのだ。
一方で、この状況に黙っていられなかったのは、ずっと成り行きを見ていたヴァイオラだった。
「ちょっと!それはいくらなんでもやりすぎでしょ!!一体どういう……」
「おまえは黙ってろ」
ラスは声を荒げたわけではなかった。
けれど、あまりにも強いその視線は、再びヴァイオラの唇を縫いつけた。
気圧されてヴァイオラが大人しく口を閉じるのを確認して、ラスは視線を移す。
すっかり委縮した様子のリニルネイアを見て、ラスは大きなため息をついた。
やれやれ、と言わんばかりに。
「それならリナ、おまえが責任をとるのか?」
「え?」
突然のラスの提案に、リニルネイアは何を言われたか理解が追い付かず呆然となった。
「従者の責任は、その主人の責任だ。そんなことも知らないのか?」
「そ、それは……」
「まあ、おまえには出来ないだろうな。守られるしかない、甘ったれのお姫様には」
それはあまりにも冷たく、そして突き放した言い方だった。
一筋の涙がリニルネイアの頬を伝った。
「姉様……そんなにあなたは、私のことがお嫌いなのですか?」
リニルネイアを容赦なく責め、彼女の親しい人間を、その眼前で傷つけることを厭わぬほどに。
悲嘆にくれるリニルネイアの姿は、ひどく儚げだった。一目見れば、誰もが同情してしまうことだろう。
しかし、ラスはリニルネイアの涙に動揺するどころか、微笑さえ浮かべてはっきりと告げた。
「嫌いだよ。俺は昔から、おまえのことなど大嫌いだった」
再びリニルネイアは言葉を詰まらせた。
まぎれもなくそれが姉の本心だと、わかってしまったからだ。
そこでラスは、唐突に自分の話し方を変えた。
そう、リニルネイアにとって馴染みのある、優しい姉の口調へと。
「ねえ、リナ。あなたは知らなかったでしょう?あなたが幸福に過ごしているその横で、私がどんな生活をしていたのか」
庶民の母親をもつというだけで、まともな衣食は与えられなかった。
時にはひもじさに唇を噛みしめ、冬の夜は何もない部屋で寒さに震えた。
周りから蔑まれるために生かされている、そんな気さえしていた。
「私がそんな状況だったのは、少しでも後宮に出入り出来るものなら皆知っていたわ。でも、誰も助けてなどくれなかった。罪悪感を抱きながら見て見ぬふりをしたり、それこそ本当に虫けらでも見るような目を向けてきたり、中には積極的に危害を加えてくる人たちもいた。だから私は、そんな私でいることをやめたの。いつまでも誰かに助けを求めるだけの子供でなどいられなかったから」
けれど、リニルネイアはそんなラスに臆面もなく近づいてきた。
そして語った。リニルネイアにとってはあまりにも当たり前な、けれどラスにしてみれば夢にさえ見られない、幸福な日常を。
無邪気で悪気がないだけ、言葉の刃は一層鋭くラスの心を抉った。
「だからリナ、私はあなたが嫌いよ。何も知らないのに、何も出来ないのに、みんなから大切にされ、必要とされているあなたが。困ったことがあっても、泣きわめけば誰かが助けてくれるって思ってるあなたが。自分のことばかりで周りのことなど考えようとしないあなたが。私はずっと大嫌いだった」
そこでラスは再び口調を元に戻した。
昔とは変わってしまった、自分自身を晒すように。
「俺が今までやってきたことは、別にいいことばかりじゃない。でも自分で選んで進んできた道だ。この先どうなっても、自分のやったことには責任をとるさ。リナ、今のおまえは自分のやったことにも始末がつけられないガキだ。本当はさ、そんなおまえに同じ土俵にたたれるのも不快なんだ。覚悟も力もないくせに、中途半端に出てくるなよ。邪魔にしかならないんだから、せめてこっちの迷惑にならないように大人しくしていろ」
そこでラスは一息入れ、おしゃべりはここまでにしよう、と言って力なく座りこむマナへと向き直る。
今度こそ本当に、その手に持つ銀色の剣でマナを殺すつもりなのだ。
ラスの話にショックを受けたリニルネイアの頭の中は、どうすればいい?という言葉で一杯だった。
困った時は、いつでも誰かがなんとかしてくれた。いや、リニルネイアが煩わされる前に、ほとんどの障害はあらかじめ取り除かれていた。
けれど今は、泣いても手を差し伸べてくれる人はいないのだ。
誰もいない。自分でなんとかするしかない。
考えなければ、マナはリニルネイアの目の前で殺されてしまうのだ。
そうこうしているうちに、ラスがマナへと剣を振り下ろす。
「待ってください!!」
間一髪、というタイミングでリニルネイアは声を上げた。
銀色の剣がマナの首筋に触れて止まった。
ラスが言っていた通り血は出ていなかったが、マナの首の皮は剣によって切られていた。
リニルネイアはほっと息をつこうとしたが、ラスの冷たい視線を浴びて再び気を引き締めた。
安堵などしている暇はない。
「マナはエンダスの人間です。ならば帝国の法ではなく、エンダスの法によって裁かれるべきです。たとえ結果が同じでも、帰国してから罰せられるのが筋というものです」
自分にある知識を総動員して、リニルネイアは語る。
「何事にも例外は存在する。こっちは逆恨みなんぞで命を狙われたんだぞ。そんな相手をあっさり解き放てるものか。帰国云々は、この件が帝国にばれてエンダスに犯罪者の身柄の引き渡しを要求すれば、結局は同じ事だ」
「それは……私が、私が責任を持ってマナの処分を決めますから。帝国側にも納得してもらえるように努力しますから」
「努力?何を甘いことを。そんなもの、政治では何の言い訳にもならない。信用には値しない」
ラスの態度は変わらない。
これ以上どうすればいいのかわからず、リニルネイアはうつむく。
おのれの無力さに唇をひき結ぶリニルネイアの目に、恐怖に染まった侍女の顔が映った。
まだ、諦めるわけにはいかない。
「姉様は、マナの存在を消すことで今回のことをすべてなかったことにするつもりなんですよね。理由はわかるつもりです。せっかく落ち着いたエンダスと帝国が悪くなることは避けなければなりませんから。だからこそ、私に任せてほしいんです」
「おまえ、それ自分で言ってて虚しくならないか。そもそもの原因はおまえだぞ」
「……はい。ですが、実際に巻き込まれた人がいる以上、なにもかもなかったことには出来ません。ですから、問題が起こったことを隠蔽するのではなく、あくまですべてはエンダスだけの問題として処理をして、帝国には改めて謝罪をするほうが誠意ある態度だと思います」
これにはリニルネイアが帰国してから正式な手続きを踏んで、帝国も納得できるような処罰を与えることと、それにもちろん、ラスの協力が不可欠になる。
帝国とエンダスとの調整役を果たせる、ラスの力が。
それでも、リニルネイアにはこれ以上の答えは出せなかった。
ラスが沈黙する。
最後の審判を下すかのように。
実際にはそれほどでもなかっただろうが、リニルネイアにはその時間がひどく長く感じられた。
「……いいだろう。確かにすべてを誤魔化しきれるものじゃないしな。責任を持つといったその言葉、忘れるなよ」
「はい」
リニルネイアはようやく息を吐きだせた。
だが、同時に自分の肩にひどく重い物がのしかかったことを、感じずにはいられなかった。




