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ヴァイオラは栄えある帝国貴族、その最上位に当たる四大公爵家に生を受けた。
彼女はそのことを誇りに思い、またその名に恥じぬ人間になろうと心に決めた。
彼女の両親であるリクティス公爵夫妻は仲睦まじかったが、なかなか子供には恵まれなかった。
公爵家の跡取りとして本来なら男子が欲しかったのだろうが、こればかりは天からの授かり物である。
周囲から愛人をもってはどうかと勧められても、結局リクティス公爵は妻以外の女性を側に置くことはなく、一人娘であるヴァイオラを後継ぎとして育てることに決めた。
将来は婿を取り、公爵家の一層の発展、ひいては帝国のために尽くす。
いずれは自分が公爵家の中心になるのだと聞かされて育ち、彼女自身もその自覚を強く持った。
けれど、あまりにもその思いが強すぎたのか、いつからか彼女は周囲との温度差を感じるようになってしまった。
「やっぱりね、今の帝国の問題点は……」
「今の状態に満足していちゃ駄目なのよ」
「貴族かどうかに関わらず、もっと多くの人に対して門戸を開いたら……」
公爵家令嬢であるヴァイオラの周りには、当然それなりの数の人間がいた。
しかし彼女に対し、反応は極端に分かれた。
ある者は彼女の熱意に感心し、ある者は女の身で生意気なと眉をひそめ、ある者は元気なことだと苦笑した。
けれど、一番拒絶反応を示したのは、同世代の貴族の女子たちである。
政治についてなんだかんだと述べるヴァイオラを、まるでおかしな者でも見る様に遠巻きにした。
彼女たちにしてみれば、政治的なことなど、親や結婚相手の考えに黙って頷いていればいいからだ。
多数の意見に迎合する。
少なくとも、表面上はそうしておく方が賢い生き方だろう。
けれど、ヴァイオラにはそれが受け入れ難かった。
彼女の培ってきた誇りと生来のまっすぐさが、それを邪魔した。
わかってもらえなくてもかまわない。
逆にわからない向こうの方こそおかしいのだと、自分は違うのだと差別化することで、ヴァイオラは自分という存在を固めていった。
魔術の才能があったことは、彼女にとって大きな武器であり、また自身を肯定する大きな材料になった。
周りにいる人間は少なくなったが、ヴァイオラはそのことを気に病んだりはしなかった。
理解を示してくれる人間は少なくとも確かにいたし、なにより彼女のことを肯定してくれる家族がいた。
貴族の娘らしくはなくとも、彼女らしく才能を伸ばそうとするヴァイオラを、リクティス夫妻も温かい目で見守っていたのである。
そんな彼女の転機は突然、そして意外な形で訪れる。
母親の妊娠が発覚したのである。
通常よりも高齢の出産への心配はあったが、母子ともに無事の出産、そして何より生まれた赤子は待望の男子だったのだ。
これには公爵家全体が喜びにわいた。
そんな中ヴァイオラは一人、かすかな不安が胸に広がるのを感じていた。
誰かが何かを言ったわけではない。
だが、どうにも家に居づらくなって、魔術学院への進学を理由に家を出た。
しかし、家族が増えたことは純粋に嬉しかった。
短い帰省期間中にその小さな命に触れているうち、愛しさで彼女の胸はいっぱいになっていった。
不安など抱いたことすら忘れかけた頃のこと。
「ねーね。ぼく、こーしゃくになうの」
弟の口から出た言葉に、ヴァイオラは凍りついた。
幼い弟はようやく単語をつなげて話せるようになったばかり。
公爵の意味だって、きちんとわかっているはずがない。
けれどその瞬間、彼女は自身の不安がなんだったのか正確に理解したのだ。
そう、誰かが明確に言ったわけではない。
けれど、視線が、空気が、何か言いたげに開いて閉じる唇が、伝えてくるのだ。
「私は、私がここにいる意味は……」
そして、ある日父である公爵に告げられた一言。
「ヴァイオラ。魔術の勉強もいいが、おまえも年頃なのだから、いつ他家へ嫁いでも恥ずかしくないようにしておかなければならないよ」
ヴァイオラはがばっとその身を起こした。
息は荒く、額からは汗が滴っている。
「嫌なこと、思い出したわ……」
暗い中よく周りを見渡せば、そこは張り込みをしていた茂みの中で、しかもすでに日が暮れている。
記憶があまり鮮明ではないが、どうやら眠りこんで夢を見ていたようである。
よろよろと立ちあがると、毛布が彼女の体を滑り落ちた。
「なんでこんなものが?」
見覚えのないそれに疑問が浮かぶものの、答えてくれる相手がいるわけでもない。
しかもそれが些細に思えるほど、衝撃的なものが彼女の目に飛び込んできたのである。
「嘘……何で……」
淡く光を放つ魔方陣と、そこに倒れている見覚えのない使用人らしき人物。
「だって、あの女相手じゃなきゃ、発動しないはずなのに……」
なのにどうして、まったく関係のない者が倒れているのか。
「陣が、書き換えられている……?そんな馬鹿な。施術した人間以外がそんな操作できるわけ……」
そもそも不可視の効果を見破ること自体難しいのだ。
よほど優秀な魔術師か、もしくは……
嫌な予感がした。
「急ぎなさい」
闇に紛れて、うごめく者たち。
女はそれを先導する。
目撃者を出さないよう、遭遇したものたちは全員昏倒させた。
また同時に、いたるところに罠を仕掛けていた。
紹介された破術師は、よほど優秀であるらしい。
公爵令嬢の魔術を見破り、あまつさえそれを一部書き換えて罠として使用する。良い手際だ。
これで余計な邪魔が入らなくて済む。
「さあ、あの部屋よ」
扉には鍵はかかっていなかった。
それも当然だった。こちらが行くことは告げてあるのだから。
「リナ、なの?」
扉を開け無言で入ってきた女を見て、部屋の主がそう言った。
部屋の主、皇太子の銀髪の側室が。
側室は、他の人間からすれば十分美しいと言えるその顔を不安げな表情に揺らしていた。
その声が震えている理由は、怯えか、はたまた罪悪感か。
今更、そんな風にしおらしくしても、すべて遅いというのに。
「リナ、なんでしょう?何も言わずに入ってくるからびっくりしたわ。でも、よかった。あの手紙を見た時、私は本当にうれしかったの。もしかしたらもう口もきいてくれないかと思っていたから。それなのに、二人きりで話をしたいといって、わざわざそちらから会いに来てくれるなんて。さあ、いつまでもそんな外套なんかはおってないで、顔を見せ……」
「言いたいことは、それだけですか?」
そこが、女の我慢の限界だった。
怒りに燃えるその声に、側室はようやく重要な事実に気付いたらしい。
「っ!?あなた、リナではないの?ならどうしてここに……」
「どうして?そんなことは、あなたが一番ご存じではないですか?あなたは私の主を傷つけた。それなのに、謝罪の一つもしようとしないとは……」
フードをはずし、女は顔をあらわにする。
「あなたリナの侍女の……」
そう、女は先日側室に嘘の伝言をして屋敷におびきだした、あのリニルネイアの侍女である。
「マナと言います。ですが、覚えていただく必要はありません。あなたはここで息絶えるのだから」
マナがそう言うと、その場に複数の人間が現れる。
皆屈強な体躯をもつわけではなかったが、人に殺意を向けることを厭わぬ、酷薄な瞳をしている。
魔石らしき装飾品を身につけていることから、おそらく魔術師のたぐいであろう。
この状況を明確に理解し、側室はマナへと鋭い視線を向けた。
「こんなこと……リナも承知の上なの?」
「姫様は何もご存じありません。お可哀そうに、お優しいあの方は、半分血が繋がっているというだけで卑しい血を引くあなたを姉として慕い、深く傷つけられても憎みきれずに苦しんでいる。あなたの罪は何物にもかえられないほど重い。せめてその命だけでも差し出してあがなってもらわなければ」
「勝手なことを……」
「勝手ですって?あなたにはあの方の素晴らしさがわからないのですか?あの美しい姫様こそ、この世で至上の存在。あの方をお守りするためなら、私はどんなことでも出来ます」
「……」
恍惚とした表情でそう述べるマナに対し、側室は唇を引き結んで沈黙したままだった。
「あの愚かな公爵令嬢のおかげでこの皇太子宮にも入り込む隙が出来ました。この好機、逃すわけにはいきません」
魔術師を使っての殺害ならば、万一不審に思われても、まず疑いの矛先がむくのはヴァイオラである。
なにせあの公爵令嬢と皇太子の側室が敵対していることは、この宮にいる者すべてが知るところなのだから。
マナに、ましてやリニルネイアにまで嫌疑がかかることはあり得ない。
「さあ、おしゃべりはここまでにしましょう。もう死んでいただいて結構です」
そう言って、マナは側室に向けて手を振りおろし、魔術師たちに攻撃を命じた。
ヴァイオラは必死になって走っていた。
側室の部屋に近づくにつれ、設置された罠の数とそれに付随して犠牲者の数が増えて行く。
書き換えられたとはいえ、元は自分の魔術である。
そのせいで仕掛けられた罠にかからずに進むことが出来るとは、なんという皮肉だろう。
腹が立っていた。
誰よりも自分自身に対して。
こんなことに利用されてしまった、自分の不注意さに。
相手はこちらの魔術に干渉出来るだけの力を持っている。だから真っ向から勝負したとしても、今のヴァイオラには勝ち目はなかったかもしれない。
けれど、もっと慎重に行動していさえすれば、少なくとも今倒れ伏している使用人たちを、今のような目にあわせずにすんだはずなのだ。
悔しかった。
けれど同時に焦ってもいた。
この状況で侵入者の刃が向かう先など、一つしかない。
目的の部屋にたどり着いたヴァイオラは、勢いよく扉を開け放った。
そこで見たものは……
「まったく、俺もなめられたもんだな。リニルネイアの名前を出せば、俺がほいほい釣られるとでも?あんな挑戦状寄こされて、こっちが何も対策を講じてないと思われてるだなんて、心外だな」
手を抜く気なんかこれっぽちもないぜ?と不敵な笑みを浮かべて女に剣を突き付ける銀髪の側室と、黒ずくめの男たちを地に伏させている側室の侍女たちだった。




