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シルヴァジェント大公記  作者: 楓猫
第三章
66/81

63


 結果、マリアはセシルに追いつくことに成功した。

 二人して通路に座り込むはめになっていたが、しかしこの状況、セシルにしてみれば非常に不本意である。

 セシルはマリアの腕に巻かれたリボンをほどき、まとめ上げた髪の一部に結んだ。

 そのまま黙って立ちあがりその場を去ろうとしていたのだが、そこでマリアが待ったをかけた。


「ちょっと!ちょっとだけでいいから!なんなら次も私が鬼をやるから!!」


 そこまで食い下がられ、しかもセシルの腕はマリアにがっちり捕まっている。

 振り切るには、セシルはあまりにも非力だった。


「……手短にして」


「うん。ありがとう」


 硬い声ながらも腰を下ろしたセシルに対し、マリアはほっと息をついた。

 しかし、いざとなると何から話せばいいかわからない。

 仕方なく、頭に浮かんだことを順に述べて行くことにする。


「あのね。シュニアさんから話を聞いたの。セシルが結婚して、遠くに行くかもしれないって」


 マリアが語りだし、それを聞いたセシルはぴくりと肩を揺らした。


「しかも、セシルは家の事情で、好きでもない相手と結婚させられそうになってるって……」


 どうして言ってくれなかったの?と泣きそうな顔をしてマリアが言う。

 セシルの様子がおかしかったことに、もっと根深い理由があることはわかった。

 けれど、ならば何故自分たちには話してくれなかったのか。

 事情が分かれば、こんなことにはならなかっただろうに。


「話してくれればよかったのに……」


 そう言ったマリアに、ようやくセシルが口を開いた。


「……話して、それでどうなるのよ」


「え?」


「例え話しても、全部無意味よ。だって、だって……マリアに言ったってどうにもならないじゃない!」


「なっ……」


 いきなり声を荒げたセシルに、マリアはひどく驚いた。

 見た目に反して、セシルが熱い人間であることは知っている。

 怒ったところだって見たことがある。

 しかし、今、セシルはこれまでになく有無を言わせぬ雰囲気をまとっていた。

 そしてそれは、彼女の怒りの深さを示していた。

 凍りついたマリアになど気にも留めないのか、セシルはそのまま話し続ける。


「外からなら何とでも言えるわ。慰めも、同情も、言葉でなら簡単に言える。あなたは私じゃないもの!私の気持ちなんか、本当の意味ではわからない!!」


 セシルとマリアでは立場が違う。

 生きてきた道が違う。

 これから先に進むべき道も違う。

 背負うべきものが違う。


「他人事だと思って、勝手なことばかり言わないで!」


「マリア!私は……」


「黙ってて!」


 ぴしゃりと友の言葉をはねのける。

 泣きそうにゆがんだ顔が、視界に焼きついた。


 本当はわかっている。

 マリアは自分に正直なだけだ。

 自分の心が感じるまま、素直に笑い、怒り、そして泣く。

 セシルとは違って。

 決して半端な同情心から、申し出てきた訳ではないのだ。

 そんなことはわかっている。

 でも、だからこそ……


「言ったって仕方のないことなのに、どうにもならないことなのに……」


 家族との絆を感じられないこと、思い描いた夢をかなえられないこと、愛した人と結ばれないこと。

 そして、近い将来、今ここにある大切なものを置いていかなければならないこと。

 全部全部、話したところで、どうにかなるものではない。

 現実は、そう簡単には変わらない。


「それなのに、そんなこと話したら……あなた絶対泣くじゃない!」


「えっ」


「普段考えることなんか苦手なくせに、どうにかしようと一生懸命考えて、でも結局何もできないって結論しかでなくて泣くのよ、絶対。そんなの考えなくてもわかるわ!」


 この黒髪の友人は、そういう人間だった。

 仕方ないと割り切ることを知らないマリアに、そんなことを要求するほうが無理だ。

 セシルだって、完全に割り切ることなど出来ていないのに。


「セシル……」


「なんで、なんで放っておいてくれないのよ!私なんてどうせ足手まといなんだから、嫌なことばっかり言う嫌な女なんだから」


 こんな風に怒りにまかせなければ、本当のことさえ言えない愚か者なのだから。


「そんな私に構わず、自分のことを大切にしなさいよ!私のことなんか嫌って、嫌って、そして忘れて……」


 そうすれば、友を思って彼女が泣くことはないはずだから。

 何も考えていないような、いやきっと間違いなくそうなのだろうが、ひどく能天気で、どこかずれていて、けれど見る者の心にも気持ちが届く、明るい笑顔でいてほしい。

 いつだって、大切な人には笑っていてほしいものだから。


 それは確かに、彼女の本音で。

 ぽろりと青緑の瞳からこぼれた涙が、一瞬きらりと光って、硬く握った彼女の拳に落ちた。

 築いた防波堤が決壊し、押し寄せる水がそのままあふれる。

 ぽたぽたと涙が落ちる。

 一瞬の温かさとじわりと広がる冷たさを繰り返す拳を、ふわりと包む熱があった。

 重なった手に驚いたセシルが顔を上げれば、マリアがさらにぎゅっと手を握った。


「でもね、セシル。確かに私は何もできないかもしれない。それで、何もしてあげられない自分が嫌になるかもしれない。でも、でもね……黙ってさよならは、もっと嫌よ」


「っ!?」


 マリアの言葉は、彼女の心そのもの。他人のことなんかお構いなしの、ひどく自己中心的な言葉だ。

 勝手なことを、と吐き捨てたっていいだろう。

 でも、いつだってその素直な言葉は、まっすぐ相手の心に突き刺さるのだ。


 これでは、まるで自分の方が駄々をこねているようではないか、と内心苦笑して、セシルは引き結んだ唇を少し緩める。

 涙は、もう止まっていた。


「えと、あの、セシル。泣いてくれて、ありがとう」


「は?」


 何を突然言い出しているのかと、セシルはマリアをまじまじと見た。


「えっ?違うの?だって、嬉しいときは、お礼を言うんでしょう?私のこと考えてセシルが泣いてくれるのが、嬉しかったからそう言ったんだけど……」


 もしかして間違えた?と不安げにセシルを見るマリア。

 ちょっと油断すれば、これである。


「……バカ」


 セシルがそう言ったのは、もはや反射に近い。


「そんなぁ」


 呆れたようなセシルの言葉に、マリアは肩を落とす。

 が、少しして何かに気付いたかのようにセシルを見た。


「セシル?」


「……?何、マリア。どうかし……」


 そう返事をするセシルは、マリアがよく知るいつもの彼女で。


「セシル~!」


「ちょっ!マリア!!重い!」


 唐突に抱きついてきたマリアを、セシルが支えきれるはずもなく、二人して通路に倒れて転がった。

 それを怒ったセシルが、なんとかマリアを引きはがして起き上がり、ついでに説教をし始める。

 が、今のマリアにはいつも以上にまったく効き目がないようで、途中でセシルは馬鹿馬鹿しくなって説くことを放棄した。

 大きなため息をつくセシルの横で、マリアはいつも通りマイペースに笑っている。


「じゃあ、これで仲直りね」


 そう言ってマリアが差し出したのは、小指を立てた右手で。

 一瞬意図がわからなかったセシルは、二度瞬きした後、まさかと思い当たる。


「もしかして指きり?マリア、それはちょっと違うわ……」


 指きりは約束をするときのものであって、仲直りの証ではない。

 力が抜けてがくりと肩を落とすセシルを見て、マリアはえっと声を上げる。

 そして恥ずかしそうに目を伏せ、ちらりとセシルを見る。


「実は私、友人と仲直りするのは初めてなの」


 そう言って半泣きで笑うマリアを見て、セシルはまたも数秒黙り込み、そして釣られて笑った。


「そんなの……私もよ」


 仕方のない人ね、とセシルも小指を差し出す。


「仲直りに指きりしましょう」


 もう何も言わぬまま遠ざかることはしないという約束と一緒に。

 普通のやり方とは違うけれど、でもこんなのもいいかもしれない。


 そうして、セシルはふと思い出す。

 昔読んだ本に出てきた医者のこと。

 姫を救った医者の周りには、たくさんの笑顔があふれていた。

 あのとき、幼かったセシルが欲しかったのは、大切な人とこんな風に笑いあえることだったのかもしれない。








「お~青春っぽいねぇ」


「自分で仕掛けておいて、何言ってるんです。大体、その言い方は年寄りくさいですよ」


 笑いあうセシルとマリアは気付かなかった。

 二人の少し離れた場所で、彼女たちの主とその腹心がある意味非常に恥ずかしい一幕を眺めていたことに。


「というか、マリア。あれで頭を使ったつもりなんでしょうか?やってることは類人猿とそう変わらない気がするんですが……」


「あ~、道具を使えるようになっただけ、進化したんじゃないか?」


 少しは人間に近づいた……はずだ。


「姫様~」


 そこで声を上げたのは、フィリーナであった。

 どうやら今までは側に潜んでいたらしい。

 しかも妙に悲しそうな顔をしている。


「どうした、フィリーナ。そんな泣きそうな顔をして」


 気配自体には気づいていたラスは、栗色の髪の侍女の登場にも特に驚くことなくそう問うた。


「あの、私は攻撃系の魔術より、防御とか探知の方が得意なんです。だから、皆さんの位置を確認しつつ隠れていたんですけど……」


 隠れ上手逃げ上手だったのが、ある意味不運だった。

 フィリーナを置いてきぼりにして、色々と話が進行していたのである。


「そりゃあマリアさんとセシルさんが仲直りしてくれれば私も嬉しいです。でも、私だって一緒の職場で働く仲間なわけで、でもなんか完全に私のことなんか忘れられてて……」


「あはは……」


 ラスは乾いた笑いをもらした。

 フィリーナに関しては放っておいたも同然なので、少々罪悪感がわかないでもない。


「フィリーナ、悪かったな。おまえが他の二人より精神的に大人だからって、ちょっとばかり負担をかけすぎたな」


「姫様……」


「よしよし」


 ラスはフィリーナの頭を撫で、涙を目にためる少女を慰めにかかった。

 が、そこで黙っていなかった人物がいた。


「あなたはいつもそうですよね。年下の子にばっかり夢中になって。すみませんね、同い年で。どうせ私のことなんかもうどうでもいいんでしょう?」


 わかりやすく、赤髪の侍女は拗ねていた。


「……なあシュニア、そのネタいつまで引っ張るんだ?」


「もちろん、私の気が済むまでです」


「あーうん。なるほど」


 どうにもご機嫌斜めらしい。

 これからはもう少し親友を構うことにしようと、ラスは心に誓った。


「あっそうだ、フィリーナ。暇なら頼みたいことがあるんだが……」







 獲物が罠にかかるのを待ちながら、ヴァイオラは悩んでいた。

 原因はあの紅茶色の髪の侍女に言われたことである。

 貴族の女性の事情、思い、覚悟。

 そんなこと、ヴァイオラは今まで深く考えてこなかった。

 いや、正確には考えないようにしていたのだ。

 考え、そして受け入れてしまったら、自分の中の何かが壊れてしまうような、もう立っていられなくなるような、そんな気がしていたから。

 けれど、こうまでしっかりと突き付けてしまわれては、今更綺麗さっぱり忘れることなどできるはずもない。


「あの、ヴァイオラ様?」


 頭を悩ませていた彼女に声をかけてきたのは、見覚えのある人物で。


「あなたは、確か……」


「そういえば、名乗ることもしていませんでしたね。申し訳ありません。改めて、私はセシルと申します」


 服が破れた時に、助けてくれた金髪の侍女だった。

 セシルという名前だったのか、と思うのと同時にヴァイオラは思い出す。


「あ、そうだ」


 ヴァイオラはそう言って、ごそごそと側においてある荷物から一つの袋を取り出し、侍女へと差し出した。


「これ、借りていた服」


「ご丁寧に、ありがとうございます」


「いいわよ、このくらい。ちゃんと返すって約束してたし」


 それに、助かったのは本当だったのだ。

 年頃の娘としての羞恥心くらいは、ヴァイオラだってもっているのである。


「あの、ヴァイオラ様。そのお礼というわけではないですが、これを……」


 差し出されたのは、小さな籠。

 思わず受け取って中身を見てみれば、軽食と水分の入った瓶があり、ヴァイオラは一瞬瞠目する。

 その様子に、セシルが焦ったように尋ねた。


「あ、もしかしてもう食事は済まされましたか?」


「い、いいえ。まだだけど……」


「それならよかったです」


 無駄にはならなかったようだとわかって、セシルはほっと息をつく。


 今はもう昼過ぎ。

 本来ならもう少し早く来られるはずだったのだが、セシルにも色々と事情があった。

 マリアとのことがあって、折りよく時間も丁度昼時。

 セシルはマリアと共にそのまま食堂に向かった。

 急いで昼食をとっていると、セシルたちのところにフィリーナがやってきて、はいどうぞ、と手に持っていた籠を渡された。

 籠にかけられた布をつまんでみれば、中身は軽食と飲み物らしきものだった。

 どうして、と疑問に思う間もなく


「マリアさんと仲直りできてよかったですね」


 フィリーナにそう言われ、セシルの思考は停止した。


「なっ、なんで……?」


「えっと……見ちゃいましたから」


 そう言ってフィリーナが小指を立たせたのを見た時には、このまま憤死できるかもしれないとセシルは思った。

 しかも、私ともしてくれますか、とフィリーナに言われ、当然断れるはずもなく……

 マリアが助け船を出すなどありえないのだ。それどころかにこにこ笑って二人のやり取りを見ていた。

 セシルは真っ赤になった顔をなんとか冷まして、ここにやってきたのである。


 だが、もしかしたらヴァイオラは既に食事をしている可能性もあったわけで、そうなったらせっかく用意してくれたフィリーナにも申し訳ない。

 だから、間にあってよかったとセシルは思った。


「あ、ありがとう……」


 どこか言いにくそうにヴァイオラは礼を述べた。

 眉を寄せたまま、しかもいまいち視線が合わないのは、悪気があるからではなく、きっと言い慣れていないからだ。

 まったく他人事ではないセシルとしては、苦笑を禁じ得ない。

 やはり、どこか自分と似ていると思えるのだ。


「あの、ヴァイオラ様。少しよろしいですか?」


「何?」


「以前ヴァイオラ様は、自分の理想について語ってくださいました。自分が貴族の社会を変えてみせると。今の状態が最善でないことは、私もわかるつもりです。数年前まで末端とはいえ貴族の一員でしたし、それなりに勉強もしていましたから」


 こう見えて国立学院でも成績はかなり良かったんです、とセシルは笑う。

 突然の告白に、ヴァイオラは息をのんだ。


「それは……」


「医者に、なりたいと思っていました。動機はとても不純なものだったんでしょうが、夢にむかってかけた情熱は本物でしたし。でも、たぶん、この先そうなることはないでしょうね……」


 最後の一言がひどく寂しそうに聞こえたのは気のせいだろうか。

 何も言えぬヴァイオラを見て、セシルは言う。


「私も偉そうなことは言えません。正直、自分の気持ちの整理でいっぱいいっぱいですし。でも、これだけは言わせてください。前を向いて歩くことは、とても大切なことです。でも、他から目をそむけるために前だけを見ていれば、結局自分も他人も大切には出来ません」


 もしかしたらヴァイオラは、セシルとは違う道を選ぶのかもしれない。

 そんな予感はしたが、けれどこのままでは、いずれ一歩を踏み出すことさえ難しくなるだろうから。


「逃げないで、一度ちゃんと向き合って下さい。たぶん気付いていないだけで、あなたが思っている以上に多くの人があなたのことを案じています。そのことをお忘れなきように」


 否応なく、ヴァイオラの頭をめぐるのは、紅茶色の髪をした侍女の言葉。

 あの話は、もしかして……


「ちょっと!待ちなさい。……あなたは、この先どうするのよ?」


 理不尽なこと諦めて受け入れるつもりなのか、と強く睨むことで問う。

 けれどセシルは、軽く首を振り


「どうか、あなたが大切にしなければならないものを、大切にしたいものを、見失われませんように」


 そう言って淡く微笑むその瞳にあるのは、確かな決意の色。

 そのまま彼女は去って行った。


 治まらないのは、言われるだけ言われたヴァイオラだ。


「何なのよ!みんなして!!」


 どうして、皆、わかってくれないのか。

 どうして、皆、自分のことを否定するのか。

 止まらなくなった心のざわめきを抑えるために、ヴァイオラは籠の中にあった瓶を取り出した。

 どうやら葡萄酒ではなく、ただの葡萄の果汁のようである。

 それでさらに自分が頑是ない子供だと馬鹿にされたように感じて、ヴァイオラはそのままの勢いで瓶に直接口をつけた。

 行儀が悪いとはわかっていたが、構わない。

 果汁が舌の肥えたヴァイオラを唸らせるほど美味だったのが、余計に腹立たしかった。


 おかしいと思ったのは、それからしばらくしてからのことだ。

 体がふわふわとして、力が入らない。

 耐えきれなくなって体を横たえる。

 瞼がひどく重かった。


「自分の身は自分で守れないと駄目だぞ。人からもらった物を簡単に信じるのは、時として命取りになる」


 声が降ってくる。

 聞き覚えがあるそれが誰のものだったか、ぼんやりした頭では思い出せそうもない。


「戦うには、まだまだ力が足りない。でも、それでも強く望むなら……」


 自分の足で歩いておいで、と低いとも高いともつかぬ、けれど不思議と耳に通る声が言う。

 それは決して、不快なものではなくて。


「それじゃ、しばらくお休み」


 徐々に広がる黒の世界。

 最後に感じたのは、彼女の頭を撫でる温かな感触。

 最後に見えたのは、紅茶色の髪と……手の指の一本に巻かれた白い包帯だった。

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