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シルヴァジェント大公記  作者: 楓猫
第三章
62/81

59


 急がなくてはならない。

 早急に事を運ばなければ、せっかくのチャンスが無駄になってしまう。


「ああ、いいところに」


 連絡を取ろうとしていた矢先、目的の人物が丁度いいタイミングで現れ、彼女はほっと息をついた。


「そう。事は一刻を争うのよ。大至急、邪術師を呼んで」







 傾きかける日が皇太子宮に差し込み、温かみのある光が満ちる。

 夢中になって魔方陣を描きあげたヴァイオラは、ふと陣の上に伸びてきた影に気がついた。

 顔をあげれば、モップを持った若い女が一人立っている。

 紅茶色の髪をした侍女らしき女は、どこか困ったような風情でヴァイオラを見つめていた。


「あなた、誰?何か用でも?」


「え~と、私は侍女のティアと申します。あの、お邪魔するつもりはなかったんですが、えっと、あの、できればここの掃除をさせていただきたいんですけど……」


 ヴァイオラの問いかけに、ティアと名乗った侍女はさらに困ったように笑った。

 ヴァイオラが廊下を陣取っていたせいで、侍女の業務に支障をきたしていたらしい。

 しかもどうやらヴァイオラの行動を妨げないよう、長らく待っていたようだ。乾いたモップの先がそれを物語っている。

 慌ててヴァイオラは立ち上がった。


「ごめんなさい。仕事の邪魔をしてしまったわね」


「いえ、お気になさらず。それにしても、そんなに熱心に何をしていらっしゃるんですか?何か模様を描かれているみたいですけど」


「魔方陣よ。あなた知らないの?」


 本物を見たことはなくとも、正方形を重ねてあると言えば容易に想像できるものだろうとヴァイオラは思ったが、やはりティアの反応は芳しくない。


「はあ。魔術のことはとんと疎くて……ここで働くぶんには別に覚える必要はありませんし」


「ふーん」


 もしかしたら魔術師も滅多にいないような田舎出身なのかもしれない。

 ヴァイオラはそう自分なりに納得する。

 どちらかと言えば、ティアの反応のほうが一般のものに近いのかもしれなかった。ヴァイオラほど魔術に精通しているほうが異端なのである。


 侍女の中にも貴族出身と平民出身がいる。

 どちらも主人の側近くでその世話をするが、前者は話相手や知恵袋的な役割が強く、後者は前者と比べれば肉体労働が多いと言える。もっとも、それでも下働きをする下女よりはよほど待遇はよかったが。

 また、侍女の中には明確な主人をもたない者も多い。実は宮中で働く侍女の大半はこれで、個人ではなく国に仕え、配属された場所で求められる仕事をこなす。多くは各宮の建物や部屋の管理を行い、客人などがいれば一時的にその専属の侍女となって世話をすることもある。

 しかし、結局のところ勤める場所や相手によって仕事は様々である。

 廊下の掃除などしているところからして、おそらくティアは平民出身で、誰か個人に仕えているというわけではないのだろう。皇太子宮で働いているからにはそれなりの教養はあるのだろうが、専門外な魔術については疎くても選考には関係ないに違いない。


「あ、でもせっかく描いたのに、掃除したら消えてしまいますよね……」


 どうしよう、という顔をしたティアは、本当に魔術については詳しくないらしい。

 ヴァイオラはため息をついて説明してやる。


「大丈夫よ。ちゃんと描きあげたものだから。不可視の効果もつけたし」


 ほら、と言ってヴァイオラが手をかざすと、魔方陣は一瞬光り、そしてあとかたもなく消えてしまった。しかし本当に消えてなくなったわけではなく、普通には目に見えないようになっただけでその場にはきちんと存在している。掃除をしても問題ない。

 物珍しいのか、すごいすごいとティアは興奮する声を抑えきれない様子だった。


「その何とかの効果をつけると、見えなくなるんですか?でも、どこにあるのかわからなくならないんですか?」


 好奇心が強いのか、ティアは目を輝かせてヴァイオラを見つめる。

 いかに天才と呼ばれ、既に魔術学院を首席で卒業した身であっても、ヴァイオラとて15歳の少女である。感心されて悪い気はしなかった。


「不可視の効果は描いた本人以外には見えなくなるの。だから描いた私にはちゃんと知覚できるのよ」


「それじゃあ、ヴァイオラ様にはどこにあるかちゃんとわかるんですね。でも、うっかり他の人に見られちゃうことはないんですか?」


「そんなのまずありえないわ。まあ、すごく魔力が強いと不可視の効果が弱くなるとは聞いたことはあるけど、そんなの化け物級に強くなきゃ駄目だろうし。あとはそれこそ人外の魔物とかくらいよ」


 つまり、まず間違いなく見破られることはないのである。


「へ~すごいんですね。あ、そういえばこれは何のための魔方陣なんですか?」


「ふふ、よくぞ訊いてくれたわ」


 ヴァイオラはこの魔方陣の発動をとある対象に限定したと言った。他者が触れても発動しないため、非常に安全かつ事前に対象に気付かれて回避される心配がないのである。むろん、目の前の侍女が魔術に疎いことを考慮して、対象限定の魔術の難しさについてもわかりやすく説明する。

 解説の途中時々入るティアからの称賛の言葉に、ますますヴァイオラは鼻高々といった感じであった。


「名付けて、高性能地雷大作戦。これで私は皇室認定魔術師になれる!狭く固まった貴族社会に、風穴開けてあげるわ!!」


「……いや、それは楽観視しすぎだろ」


 ぼそりとした呟きは、けれど自分の考えに夢中になっていたヴァイオラの耳には入らなかった。

 そのままの勢いで、ヴァイオラは自分の目指すものについて延々と語りだす。

 今の貴族、特に貴族における女性のあり方に対する批判。彼女の目指す理想。いつまでも続きそうなそれを、ティアは途中で遮った。


「つまりあなたは、貴族の女性がお嫌いなんですか」


「貴族の女というか、今の貴族のあり方が、よ。その中でも特に気に入らないのが貴族の女なだけで」


「本当に、それだけですか?」


「……どういう意味?」


 紅茶色の髪の侍女の質問にどこかそれまでとは違う雰囲気を感じ取り、ヴァイオラはいぶかしげに訊き返す。


「いえ、他意はありません」


 打って変わって明るい調子で、あ、そうだ、と思いついたようにティアが言った。


「え~とですね。私の知り合いに、実家が没落してしまった女性がいるんですけど」


 随分軽い調子で話しているが、侍女の話は出だしから妙に重かった。

 ヴァイオラは思わず一瞬体ごとひきそうになったが、それをなんとか意地でこらえた。


「その人には夢があって、しかも幸いなことにその夢と同じ方面の才能もあったみたいで、学業の成績も優秀でした。でも、あるとき彼女に縁談が持ち上がります。もちろん家の地位向上のための政略結婚です。家を守るためには彼女がどこか有力な貴族に嫁いだ方が簡単ですし、むしろそれ以外の方法だとかなり難しいでしょう。しかしその縁談を受ければ、彼女は夢を諦めることになります。才能をいかすことなくただの貴族の女としての凡庸な人生を送る、ヴァイオラ様が嫌う生き方です。夢か結婚か、の選択ですね。けれど、もし彼女が夢ではなく結婚することを選んだとしたら、あなたはそれを責めることができますか?」


「それは……」


「家を守るということは、自分の血のつながった一族だけでなく、自分の家に仕えてくれる多くの者たちの生活を守ることにもつながります。むしろヴァイオラ様の考えとしては、貴族というのは民の生活を守ることこそ義務なのでしょう?……確かに貴族の女性は社会的な活躍がしにくいのかもしれません。でも、だからと言って彼女たちの生き方を、無知さゆえに流されている愚かな行動と一概に言いきるのはどうなんでしょう?」


「…………」


 黙り込んでしまったヴァイオラをどう思ったのか、ティアははっと何かに気付いたようだった。


「あ、でもヴァイオラ様にはあまり実感の湧かない話でしたね。ヴァイオラ様の場合はご実家が公爵家ですし、変な所に無理やり嫁がされるということはないんでしょうから」


 わかりづらい例えですみません、とティアはすまなさそうに謝罪した。

 ヴァイオラはそれに対しても何も言わなかった。けれどティアの言葉は、確かにヴァイオラの胸に深く突き刺さっていた。









 自分の部屋の前で扉を開けようとして、ラスはふと足元に落ちているものに目を留めた。

 折り畳まれた紙である。

 ラスはそれを拾い広げると、中に書かれていた内容に口の端をつりあげた。


「ほーう。こうくるか……」


 奇しくもそれは、彼女の夫とよく似たあまり良くない種類の微笑みだった。


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