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「まったく、面倒なことだ」
長引く会議を中断して休憩とし、公爵たちが全員部屋を出たのを見計らってレグルスが息を吐いた。
そんな主兼幼馴染に、まあまあ、とニールは明るく声をかける。
「皇族が子孫を残すことは貴族以上に重要だし、仕方ないだろう?」
「そっちのことじゃない。結論がわかってるはずなのに、延々と無駄な時間を積み重ねるのが面倒だと言ったんだ」
この場合の結論というのは、先の可能性を見通してのものというより、結論として相応しいと公爵たちが考えている代物である。
希望をはっきり述べるのではなく、結果的にそうなるように遠まわしに話を進めるのだ。
最終的にたどり着くのは同じ場所だが、手間と時間はかかり過ぎる。
「一回痛い目見てるんだし、権力狙ってますってバレバレなことは避けたいんだろうさ。それに、やっぱり女で男は変わるもんだからな。時間かけて慎重に選ぶ必要があるのは事実だろう?何の権力のない一般人だって、惚れた相手のことが頭でいっぱいになって、常に彼女のことが気にかかり、仕事も手につかなくなる、なんてことも……」
ニールが話している途中、バタンッと何か倒れる音がした。
レグルスとニールが同時に視線を向ければ、床に真正面から倒れている朱色の髪の人物がいる。
しかも、頭がいっぱい、気にかかる、などという言葉を繰り返している。どう考えても様子がおかしい。
「どうしたんだよ、アノン。いくらおまえが運動神経ないからって、何もない平坦な場所で転ぶほどひどくなかったよな?」
「……喧嘩売ってるんですか?」
ニールに声をかけられてようやく正気に返ったのか、ずれた眼鏡をかけ直してニールを睨むアノンだが、転んだままでは格好はつかなかった。
「それくらい、らしくもなく動揺してただろうってことだよ」
「…………」
「何かあったのか?」
ニールだけでなくレグルスさえ視線をむけており、どうにも誤魔化せそうにないとアノンは観念した。
「いえ、それが……」
アノンは簡単に先日の黒髪の侍女との出来事を話した。
もちろん侍女の名前や彼女が仕えている相手などは伏せて、だったが。
「それで、あれ以来その侍女のことが、どうにも気になって、ですね……」
気付くとよく考えているのだ、とアノンは言った。
実際のところ、アノンにもその自分の状態がよくわからず悶々とした気持ちが続いていた。しかも彼の場合、自分から言い出すことなどできないので、この際相談出来たことはいっそ都合がよかった。
話を聞き、ふむ、とニールはうなずいた。
「それはずばり……恋だな」
「なっ!?」
その時のニールはどこか大げさでわざとらしささえ感じられたのだが、アノンは驚きすぎてそちらに気が回らなかった。
「そ、そんなわけないだろうが!適当なことを言うな!!」
動揺するあまり、アノンは敬語のことさえ忘れていた。
若干顔を赤くするアノンに、ニールはにやりと笑う。
「じゃあおまえ、恋がどんなものかちゃんとわかってるのかよ」
「え、あ、そ、それは……」
言われてみれば、アノンは恋愛話を噂で耳にすることはあっても、実際に誰かと恋愛をしたことはなかった。
仕事一筋すぎて恋などにうつつを抜かす暇などなかった、というのもあっただろうが、妙に潔癖なところがあるアノンは、その手のただれた噂などを聞くたび嫌悪感のようなものさえ募らせていたのだろう。
そうして恋愛事からずっと遠ざかってきたのであったが、そのためニールの言うように恋がどのようなものなのかアノンはきちんと理解しているわけではなかったのだ。
それに対し、ニールはそちらに関しては百戦錬磨。アノンよりよほど精通している。
ということは……
「……これが、恋?」
信じられない、とアノンは呟き、ふらふらと立ちあがると
「少し、外の空気を吸ってきます」
と言い残して部屋を後にした。
残りの二人はその背中を黙って見送ったが、扉が閉まったところでレグルスが口を開いた。
「それで、あいつをけしかけて、どうするつもりなんだ?」
「あ、やっぱバレたか」
「当たり前だ。あんな出来事で恋におちたら唯のマゾヒストだろ。精々未知の生き物に遭遇して驚いたってところだろ」
アノンは何事に対しても冷徹そうに見えるが、案外純粋培養であることを、昔から知っているレグルスは理解していた。
そしてそれは当然ニールも、であったはずだ。
見事幼馴染を勘違いさせることに成功したニールは、悪びれもなく笑う。
「いや~あいつ今まで女に興味なさそうな顔ばっかりしてたからさ。というか、ちょっとでも興味もった相手がいた時点でもう恋の第一歩だろ」
「……まあ、なんだっていいが」
自分の迷惑になりさえしなければ、と思う辺りレグルスもかなりドライだった。
だが、ふと思い立つ。
「そういえば、おまえのほうはどうなんだ?」
確かニールは、ラスの侍女に対してかまっていた。
それも、随分邪険に扱われていたようにレグルスは記憶している。
「あれだけ適当にあしらわれ続けて、どうして笑っていられるのか、理解に苦しむな」
もしレグルスならば、いつまでもそんな立場に甘んじていることなどあり得ない。
「俺もこんなに一途に人を思えるなんて考えてもみなかった。彼女に対してはまさしく純愛なんだよ、純愛!」
レグルスの呆れたような視線を気にした様子もなく、それどころかより一層ニールの言葉の熱っぽさは増していく。
だが、レグルスの反応はにべもない。
「まったくわからん」
「えーわかんないかなぁ?彼女が笑ってたり楽しそうにしてるのとかを見ているだけで幸せいっぱいなんだよ。で、そこに俺がちょっとばかり貢献できればさらに幸せ。まあそりゃちょっと困った顔も可愛いなとは思うけど」
「…………」
最後のだけはよくわかる、と声には出さずレグルスはつぶやいた。
つい思い浮かんだあの嫌そうにしかめられた顔に、自然と口の端が釣りあがる。
「なんだよ、レグルス。にやついて」
ニールがそう言うのとほぼ同時に、ガタリと音がした。
レグルスが急に立ち上がり、しかもそのままどこかへ行こうとしている様子である。
「え、おい、どこへ行くんだ?」
「思い出したら、あいつの顔が見たくなった。時間までには戻る」
そう言って薄く笑うレグルスを見て、ニールはからかうような笑みを浮かべる。
「……なんだ。公爵にあのお姫さんを寵愛してるから他の側室なんかいらないと思ってるだろうって言われて否定してたくせに、ラブラブじゃん」
「当たり前だ。ベタ惚れだからな」
「え?」
思わず間の抜けた顔をしたニールの横を素通りして、レグルスはそのまま部屋を出て行った。
先ほどの発言が本当ならば、おそらく皇太子宮のほうへ向かったのだろう。
「冗談のつもり、だったのに……」
そんなニールの力なき声が、彼以外誰もいなくなった部屋に虚しく響いた。




