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「どうしたんです?随分お疲れみたいですけど……」
与えられた自室に戻るなり、大きなため息ついて椅子に座り込んだ主人を見て、シュニアは問いかけた。
片づけは順調に進んでいた。
もともとラスは私物が多い方ではなかったが、必要なもの────それは大体見られてはマズイものであったりする────を運び込んで、かつそれをカムフラージュするのはなかなか大変だったりした。
もっとも、この優秀な侍女にかかればそれはそんなに難しいことではなかったが。
部屋の模様替えも、ラス好みに調整し終わっている。
元々日当たりよく、景色がよい部屋をもらうことができた。内装もそれほど華美ではなく落ち着いたものだ。特に今ラスが座っている椅子は座り心地よく、一発でラスの心をつかんだ代物だ。
部屋に文句がなければ、原因は人間だろう。可能性として高いのは、今日会った……
「皇太子って、そんなに変な人物だったんですか?」
「変っていうかな……」
少々理解しがたい印象であった。
ラスが今まで遭遇したことのないタイプだ。
しかも、この国の守護獣に選ばれし者。
(よりによって、あんなのが選ばれるのかよ)
苦笑とも呆れとも似た乾いた笑いが漏れる。
「でも、すごく顔はいいんじゃないんですか?女性には人気があるみたいですよ」
シュニアは昼間聞いた話を思い出しながら問いかけた。
彼女は片付けと同時に、情報収集も行っていた。
おしゃべり好きなのはどこにでもいる。
大体の人間はシュニアの容姿と人当たりの良い態度に油断してくれるので、最初の導入さえうまくいけば、あとは勝手に話をしてくれることが多い。状況把握には便利だ。
そういう面でも、シュニアは一流の侍女だった。
「使用人たちに話を聞いた感じだと、皇太子殿下の女性関係はなかなか派手みたいです」
容姿端麗で身分があり、その上優秀ときている。
例え一夜だけでも、その寵を得ようとする女性は後を絶たない。
それこそ高貴な身分から、下女にいたるまで……
「この皇太子宮の侍女や下女の中にも、お手付きが結構いるとか……」
それでも不思議と、一人だけを寵愛するということは無いらしい。
どんな美しい女性でも、相手をするのは一度だけ。悪い言い方をすれば抱き捨てだ。
それでも人気に陰りは見えないというのだから、なかなか大した魅力の持主である。
「なるほどな。昼間の敵意は、そのせいか……面倒くさい」
言ってしまえば嫉妬だ。
側室とはいえ、皇太子の女としての正式な地位をもつ存在。目障りでないはずがない。
しかも相手は小国の、しかも戦争で負けた国の姫だ。強力な後ろ盾があるわけではないからと、侮られたとしても不思議ではない。
その手の女の争いは、エンダス大公の周囲でもあった。
だが継承権争いにも通じるそれに、ラスはずっと関わらず来たため、あまり免疫がなかった。
まして今回は、ラス自身がその騒動の中心人物である。
「あの男の、何がそんなにいいんだかな……。確かに顔はいいし、地位も能力もあるんだろうけど、絶対にもっと誠実な人物と付き合ったほうがいいと、世の女性たちに大声で教えたくなる」
「ラス。たぶんそれを聞かれたら、宮廷中の嫉妬に狂った女に刺されますよ」
「それを言うなよ、シュニア……」
容易にそれが想像できて、ラスはまた大きなため息をついた。
皇太子の側室になるというので、多少はその手の争いも想定していたが、実際に目の当たりにすると気分がひどく重くなっていた。
「ドレスを着て男の関心を引くよりも、戦場で剣を振り回してた方が気が楽なんだがな……」
「それでも、負ける気はないんでしょう?」
シュニアは知っている。
ラスは持ちかけられた勝負から逃げたりしない。
それが剣を交えるものであろうが、女の戦いであろうが。
そして勝負を受けたからには、絶対に負けない。
鮮やかで苛烈な魂を持つ自分の主人には、何よりも勝利の微笑がよく似合う。
「当たり前だろ」
そう答えるラスの表情は、シュニアが一番好きな笑顔によく似ていた。
「おっ!帰ってきた」
昼時から姿が見えなかった皇太子が、執務室に戻ってきた。
声をあげたのはガルダ帝国騎士団団長のニールである。彼はレグルスより年かさだったが、明るい金髪がところどころはねていて、その言動も合わせてやや子供っぽい印象を与える。
「なんか機嫌良くないか?レグルス」
自国の皇太子に対し少々馴れ馴れし過ぎる態度だったが、レグルスは気にした様子は無い。
ニールはレグルスにとって世間で言うところの幼馴染というやつであり、公的な場を除けば終始こんな態度であった。
「機嫌、良さそうに見えるのか?」
「滅茶苦茶な。戦場で強いやつを見つけた時並みに嬉しそうだ」
騎士団団長たるニールらしい意見だが、あながち間違っていないな、とレグルスは思った。
らしくなく気分が高揚している自覚はあった。
間違いなく強敵だろう、あの銀の竜は。
自然と口元がほころぶレグルスを見て、ニールはぴんときた。
「おっ!さては新しく来たお姫様、美人だったんだろ?」
からかうようなニールの言葉で、レグルスの脳裏にラスの姿がよぎった。
冴えた月のような女。世間一般的に言っても十分美人で通る容姿だろう。
「まあ、否定はしない」
レグルスが初めて心動かされた存在だ。
もっとも、見た目が美しいだけのお人形ではないのだが。
「ちぇ。いいよな、レグルスは。放っておいても美女が集まるんだから」
そういうニール自身もご婦人がたにはなかなか人気で、いろいろと浮名を流しているのだが、本人はそのことを棚に上げて幼馴染を羨ましがった。
「何を馬鹿なことを言っているんですか。さっさと仕事をしなさいニール」
そんなニールを叱ったのは、彼と同い年のもう一人の幼馴染であった。
きっちり結んだ朱色の髪を流し、眼鏡をかけた秀麗な顔立ち。アノンという名の彼は、ずっとこの執務室で黙々と仕事をこなしていたのであった。
この二人がレグルスの幼馴染にして、現側近である。
「俺には注意するのに、レグルスに対しては何も言わないのかよ……」
拗ねたように唇を尖らせるニールのことなど知ったことではないと、アノンは彼を冷たく一瞥した。
そのまま黙ってニールに彼の分の書類を押し付ける。
ニールはうげっと妙な声を上げたが、書類を放り出しはしなかった。そんなことをすればアノンが怖い、と長い付き合いで知っている。
「レグルスは仕事だけはきちんとこなしますからね。サボり魔のあなたと一緒にはしません」
アノンの視線は、既に手元の書類へと移っている。
彼は自他共に認める仕事中毒であった。
仕方がない、とニールは渋々自分の机に戻る。
「レグルス。あなたがどこへ行こうが勝手ですが仕事だけはしてください。エンダスとの戦後処理はまだ終わっていないんですからね。片付けなければならないことは山積みです。あなたのわがままを含めて……」
ニールとは違う意味でアノンもレグルスには遠慮がない。特に仕事に関しては厳しかった。
「わがままか……おまえにはそう見えるか、アノン」
「本来ならば、とっくにどこかの大国の姫でも娶って子供でも作ればいいのに、のらりくらりと結婚話をかわして、ようやく側室を持つ気になったと思えばエンダスなんかの、しかも第6公女です。わがまま以外のなんだっていうんですか」
「なるほどな。おまえの言うことにも一理ある」
だがな、とレグルスは続ける。
「今更俺に何が必要だ?この大陸随一の大国は、この帝国だ。逆らう者がいるなら、ねじ伏せるだけのこと。俺にはそれだけの力がある。娶った女の与えてくれる金も力も必要ない。それに俺は一応、この国のためを思ってあいつを選んだつもりだ」
俺の横に立てる女なんて、あいつ以外いない。
そう語るレグルスを、側近二人はあっけにとられた様子で見ていた。
てっきりいつもの気まぐれで指名したのだろうと思っていたのだ。きっとすぐに飽きてしまうだろうと。
エンダスごとき小国の姫、そうなってしまってもかまわないと思っていたのだが、これではまるで……
「わぁ~レグルスがそこまでいうなんて、俺ちょっと興味でてきたかも」
「一度会っておかねばならないかもしれませんね」
皇太子の側近二人が、セラスティア・アロンという人物に対して関心を持った瞬間だった。