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シルヴァジェント大公記  作者: 楓猫
第三章
59/81

56


「今度こそ……」


 茂みに隠れつつ、ヴァイオラは周りの様子をうかがっていた。

 その視線の先には、廊下を歩く二人の女。

 一人は銀の髪を持つ皇太子の側室。もう一人はその侍女である赤髪の女である。

 図書室に行くつもりなのか、侍女の手には数冊の分厚い本が抱えられている。


「シュニア」


 前を見据えたまま歩きながら、ラスは小声で自分の侍女に声をかけた。

 戦場に長く身を置いていた彼女にしてみれば、潜んでいる未熟な少女の位置など、目を向けずとも容易に把握できた。その気配が鋭さを帯びていることさえも。


「お嬢様が仕掛けてくるらしい。通行人の相手を頼む」


「はい」


 シュニアが短く返事を返す。

 ラスは立ち止り、シュニアが少し足早に離れて行くのを目の端に捕えながらぽつりとつぶやいた。


「うまくいくといいけど。さて、こっちはこっちで相手しなきゃな」


「覚悟!!」


 ラスの呟きが空気に溶けるのを待つことなく、薄紫色の髪の少女が飛び出してくる。

 同時に複数の炎の塊がラスへと降り注ぐ。

 赤々と燃える炎が向かってくる様はいっそ壮観でさえあったが、触れれば何もかもが灰に帰すだろう。

 しかしラスはそんな光景を見ても慌てることはなく、むしろ笑みさえ浮かべてその手を広げた。


「甘い!」


「えっ!?」


 炎はラスにぶつかる直前その動きを止めたのだ。


『炎よ、我が手に集まりて新たなる姿を得よ』


 ラスがそう言うと、炎はラスの差し出した右手に集まり、彼女の手に浮かんだ魔方陣にそってその姿を変えて行く。

 そうしてできたのは、渦巻く風の玉だ。

 自分の見た光景に、ヴァイオラは思わず悲鳴をあげたくなった。


「相手の魔術を取り込んで、自分の魔術に再構成したですって!?そんな馬鹿なこと……」


「構成が甘いし、タイミングもいまいち。サービスして40点ってとこか」


 右手に風の玉を持ちながら、ラスはヴァイオラの先ほどの攻撃を評価する。


「何事も大きければ良いってわけじゃない。例えば……」


 ラスはわずかに右手を握る動作をした。

 すると風の玉はぐっと小さくなり、手のひらいっぱいだったそれがつまめるくらいまでになる。


「こうすれば、同じ魔力の量でも貫通力が上がる。硬い装甲や結界だって打ちぬける。まあ、その分高密度な魔術を安定させる技術と、命中させるためのコントロールが必要になってくるけど」


 そしてラスはにっこりと笑いかけた。


「さて、問題です。さっきの炎を全部集め、かつ圧縮して作ったこの風。もしもぶつかったらどうなるでしょう?」


「ま、まさか……」


「正解は、実際に体験してください」


 ラスが軽く振りかぶって投げる動作をすると、風の玉はそのままヴァイオラへとまっすぐ飛んでいく。


「えっ、ちょ!!」


 風の玉はヴァイオラの顔すれすれを通り抜け、そのまま彼方へと飛び去った。

 その瞬間何かが割れるような音がした気もするが、ヴァイオラせわしなく動く心臓の鼓動ばかりが気になってそれどころではなかった。

 攻撃がはずれたことにほっと息をつく間もなく


「攻撃は、相手が驚いたり気を抜いているときの方が有効なんだよ」


 既に第二陣が控えていたのだ。

 ラスは詠唱もなしで風を集めると、そのまま呆然と立っていたヴァイオラに手を向ける。

 さきほどに比べれば大した威力ではなかったが、ヴァイオラは完全に不意を突かれた。

 風に煽られてその小さな体が空中へと舞い上がる。


「お、おぼえてなさーい!!」


 飛ばされる直前、そんな叫びを残してヴァイオラの姿は消えた。

 正確にいえば、吹き飛ばされる途中に木の枝に引っかかって、そのまま生い茂った葉っぱの中に体が埋もれた。

 埋まるその瞬間、少女らしからぬ妙なうめき声がラスには聞きとれたのであった。


「本当にそういうとこはずさないよな、あの子……」


 ラスはしみじみとそう言った。











 シュニアのやるべきことは、ラスがヴァイオラを相手している間、他の者にその様子を目撃されないよう隠蔽と時間稼ぎを行うことである。

 どうせその辺を歩いているのなら使用人の誰かだろう、とシュニアは思っていた。

 だから、こちらにむかって歩いてくるはねた金髪の男を見た瞬間、シュニアの表情はこわばった。


「あ、シュニア殿ではないですか!」


 一方のニールは喜色満面。背後に花でも飛ばしそうな勢いである。

 その笑顔でシュニアはさらに回れ右したい気分でいっぱいになったが、同時にこれが自分の主の差し金である可能性を考えずにはいられなかった。

 別にシュニアが止めずとも、結界をはるという手段だってあったのだ。それをわざわざシュニアに行かせたのは、ニールの気配を察してわざと鉢合わせさせようとしたともとれる。

 どうにもあの主は事あるごとにシュニアとニールを二人きりにしようとするのだ。ラスは善意でしているのかもしれないが、実際のところシュニアにしてみれば余計なお世話である。

 しかし、ラスの頼みを了承したのはシュニア自身だ。主の命があるのだから、ここは一歩たりともひけはしないのである。


「奇遇ですね、今からどちらに向かわれるので?」


「この本を返却しに行くところだったのです」


 本当は主と一緒にいくはずだったが、これではそれも難しそうだ。ならばせめて返却だけは済ませておきたい。


「それなら荷物持ちがてらお供します」


 女性が見たら一瞬で融けてしまいそうな笑顔で提案してくるニールを見て、この人はよほど暇なのだろうか、と正直シュニアは思った。

 だが同時に好都合だとも思った。この場から引き離すのに丁度いいのである。

 シュニアが了承を示した途端、ニールはシュニアの持つ本を半ば強引に、けれど粗雑さを感じさせない動作で受け取ると、彼女の横に並んで歩きだす。

 心なしか、ニールの足取りは軽く見えた。

 彼があまりにうきうきしている様子なので、思わずシュニアは問うていた。


「前々から気になっていたのですが、ニール殿は一体私のどこを好きになったというのです?」


 初対面のときから妙に馴れ馴れしいとは思っていた。シュニアは自分が男からどう見えているのかをきちんと自覚していたので、ニールもその例に漏れないだろうと思っていたのだ。

 しかしそういう男は、シュニアがずっと冷然と接すればすぐに諦める。中には逆切れして実力行使に出ようとする者もいたが、そういった手合いはすべて返り討ちだ。

 ずっとそういう態度をとっていれば、自然と男は離れていく。

 それはむしろシュニアにとってどんとこい、といったところなのだが、この帝国騎士団長だけはどこか勝手が違うのだ。


 ニールは驚いたように目を見張ったが、けれどすぐに夢見るようなうっとりした表情を浮かべる。


「初めてお会いした瞬間から、私はあなたの美しさに心を奪われてしまったのです」


「……そうですか」


 所詮顔か、とシュニアは思った。

 何故かはわからなかったが、その瞬間シュニアは自分の心が冷え込んでいくのがわかった。

 ならば自分はどういった答えを期待していたのか、と浮かんだ時点で頭を振ってそんな考えを追い出す。

 そしていつものように、いやそれ以上に冷たい声でシュニアは言った。


「生憎ですが、ニール殿が気に入ってくださったこの顔。私は大嫌いなんです」


「えっ…」


「やはり自分で持ちます」


 そう言ってシュニアはニールから本を取り返そうとする。

 しかしさすが騎士団長というべきか、そう簡単にはニールも奪わせてはくれない。

 シュニア以上にニールも必死だった。ニールは何故かはわからなかったが、自分がシュニアの機嫌を損ねたらしいことはわかった。しかしここで引き下がっては印象を悪くしたまま別れることになる。

 僅かな攻防の後、ニールは本を片手に持ったまま高々と頭上に上げた。そうすればニールより背の低いシュニアには届かないからだ。そうして顔を上げたシュニアの前に立ちふさがる。

 ニールは空いた手をシュニアの肩にのせた。


「待ってください。私の発言に気を悪くされたのならば謝罪します。ですが、先ほどは私はシュニア殿と一緒に図書室に行くことを約束しました。騎士にとって約束は絶対に守らなければならないものです。そして重いものを女性に持たせたまま知らん振りをするのも、騎士道にもとる。ですからどうか、図書室まではこれを持たせてください」


 そのときのニールは格好こそいささか間抜けだったが、いつもの軽さが薄れてひどく真摯に見えた。

 その力強い視線に、シュニアは思わず目を見張る。服越しに肩に伝わる手の熱さが、彼女の何かを揺さぶった気がした。


「……わかりました」


 ニールの言ったことは確かに正論で、シュニアは渋々了承した。

 しかし言ったと同時に歩きだし、肩に置かれたニールの手は振りきっていた。

 そんなシュニアの態度に怒るでもなく、ニールは苦笑してその横に並ぶ。


 約束したのだから、仕方がないのである。ラスに頼まれたこともある。本は確かに重いし、荷物持ちがいれば都合がいい。そう、それだけなのだ。

 何故かこの時、シュニアはずっとそんなどこか言い訳めいたことを考えていたのだった。










 ラスの魔術に吹き飛ばされ枝に引っかかったヴァイオラは、ようやく地上へと降り立った。


「ひどい目にあったわ……」


 ヴァイオラは既に全身葉っぱまみれで、見た目からしてぼろぼろだった。

 しかし、彼女の闘志は燃え尽きてはいなかった。


「次こそは勝つわ!」


 しかし、すでに何連敗もしている相手である。

 正攻法では勝てないことはヴァイオラにもよくわかっている。


「応用力なんかは向こうが上だし、一体どうしたら……」


 そう言ってしばし考え込み、やがてヴァイオラは勢いよく顔を上げた。


「そうよ!何も直接私が攻撃しなくたって……」










「マナ~、ご飯一緒に食べましょ!」


「ティア……」


 相も変わらず明るい同僚に、マナはため息をついた。

 その時点で一緒に食事をとることは決定事項である。


「隣、座るね」


「好きにすれば……」


 そう言ってマナが許可を出すよりも早く、既にティアは席についていた。

 堂々とし過ぎて、もはやマナとしてはそれを注意する気にもなれない。


「そう言えば、さっき妙なものを見たの」


 放っておくと大抵ティアは勝手に話しだす。

 大体はつまらないことばかりでマナも聞き流しているのだが、たまには例外がある。

 そして今回はその例外だった。


「あのリクティス家のお嬢様、さっき廊下で妙な言葉をぶつぶつ言いながら、変な模様を描いてたのよね。なんだか四角がいっぱいあったけど、あれって何か意味のあるものなのかしら?」


「チャンスだわ」


 マナが思わず声に出した一言は、けれどティアの耳にはしっかりとは届かなかったらしい。

 ティアが首をかしげて訊き返す。


「え?何か言った、マナ?」


「いいえ、何も。さあ、早くご飯食べてしまいましょう」


 珍しく笑顔のマナに、ティアは半ば押し切られる形となった。


「う、うん?あ、これおいしい!」


 再開された食事の時間に、もはやさきほどの話題は流されて消えてしまった。


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