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その日もシュニアにこってりしぼられ、侍女三人娘はふらふらになっていた。
訓練には基本的に、仕事のない空いた時間帯が利用されている。最近は主人であるラスが外部へ出かけたり、早めに休むことが多いため、比較的訓練にあてられる時間が増えていた。
もしかしたらそれはラスの、侍女たちの負担を減らすための気遣いかもしれなかった。なんとなくそれが察せられて、侍女たちは余計に早く上達しようと意欲を燃やしていたのだった。
そしてもう一つ、特にマリアとフィリーナには別の思惑もあった。
「「セシル(さん)!」」
既に退室したシュニアに次いで出て行こうとするセシルを、二人がそろって呼びとめた。
セシルはいぶかしげに振り返って二人を見る。そんなセシルに、フィリーナは柔らかく微笑む。
「これから三人一緒に自主練習しませんか?」
それはセシルにとっても意外な申し出であったらしい。一瞬目を見張って、そして今度はマリアへと問いかけの視線を向ける。
「わからないところとかも、三人で教えあったり一緒に考えればなんとかなるわ。一緒に練習すればお互いの得意なところや苦手なところがわかって、今後連携とかもしやすくなると思うし」
視線を受けたマリアがそう付け加える。
それは言葉通りの意味を含むと同時に、いつもどこか一線を引いたセシルとの距離を縮める試みでもあった。
いきなりは無理でも、共に過ごす時間が長くなればそのうち、ということである。
「…結構よ」
けれどセシルの返答は、ひどく温度を持たない言葉だった。
今度はマリアとフィリーナが息をのむ番だった。そう、二人とも心のどこかで、セシルのほうも歩み寄る努力をしてくれるはずだと、根拠もなく考えていたのである。
「わからないことがあるなら、明日を待ってシュニアさんに訊いた方がいいわ。中途半端な知識で教えあっても非効率的よ」
セシルの言うことは、確かに正論であったかもしれない。
だが、それ以上に強い拒絶を、二人に感じさせたのであった。
「あなたたちだって、まだまだ未熟で、やるべきことはいろいろあるはずよ。人の心配より自分の心配をしなさい。…お願いだから、私のことは放っておいて」
そう言うと、二人を残してセシルは退室した。
マリアとフィリーナは何も言うことができずに、ただ呆然と立ち尽くすのみだった。
(ある意味、とってもわかりやすいよな…)
本を読みながら侍女たちを観察しつつ、ラスはそう思っていた。
部屋を包むどことなく重い雰囲気。何か言いたげな様子で時折同僚をちらりと見る、マリアとフィリーナ。そしてそれを頑なに拒み、二人と少し間を空けて一人立つセシル。
(何かあったのか、なんて愚問か)
「あの、セシ…」
戸惑いがちに、マリアが声をかけようとする。
しかし、それを遮るようにセシルはラスへと申し出た。
「申し訳ありません、姫様。体調がすぐれないので、退室してもよろしいでしょうか?」
それは、非常にあからさまだった。
ラスはセシルの体調はいつもどおりだとわかっていたが、それでも頷き許可を出した。
「…わかった。今日はそのまま休んで構わないよ」
本来なら私的に何か問題が起こっていたとしても、それを勤務中の態度に出すのはよろしくない。
その点を注意してもよかったのだが、ラスとしてはセシルの性格なら次までにしっかり立て直してくるだろうと考えていた。
逆に言うなら、そのために少し時間が必要だろうとも。
間違いを自覚してそれを次回に直すことが出来るなら、わざわざ人前で注意する必要性は薄い。それに必要な時間を与えるのが、ラスのするべきことだと思っている。
少なくとも次は、表面上はなんとかなっていることだろう。…本当のところはどうあれ。
「失礼します」
そう言ってセシルが出て行くと、部屋は一瞬奇妙にシンと静まりかえる。
「なんか青春っぽいなぁ。まあ頑張れ、若人よ。シュニアなんかもっと手ごわかったぞ」
どこか明るく言うラスに、シュニアが眉をひそめた。
赤髪の侍女はその綺麗な顔を不機嫌そうにゆがめていたが、怒っているというよりは、過去の自分を恥じているという意味合いが強かった。
それでもピシャリと言い放つ。
「何を年寄りじみたことを。あと、余計なことは言わないでください。…それと、リクティス公爵から面会の申し入れが入っていますが」
どうしますか、とシュニアはラスに問いかける。
申し入れ自体はひどく急なものだった。
そのため日を改めることも可能であったが、ラスはあっさりと承諾した。
「…リクティス公爵、ね。あの子の親父さんか。いいよ、会おう」
場所を移し、ラスはリクティス公爵と対面した。
「このたびは、我が娘ヴァイオラが大変ご迷惑をおかけし、面目次第もございません」
真っ先に頭を下げる様は、とても帝国の四大公爵の一人とは思えなかった。
それだけ公爵が事態を重く受け止めているということでもあっただろう。
ラスはそれを静かなまなざしで見つめていた。だが、疑問もあった。
「謝罪なら私よりも皇太子殿下にしていただければよろしかったのに、どうして側室である私に?」
「いえ、その…私も真っ先に皇太子殿下にお詫びを申し上げたのですが、殿下はヴァイオラのことは妻に任せてあるから、とおっしゃられて…」
「妻、ですか…」
(そういえばレグルスのやつ、俺のことそう呼んでたな…)
何にしても、この出会いはレグルスが仕向けたものであった。
それはもしかしたらレグルスの気まぐれかもしれなかったが、少なくとも状況に何らかの変化を与えるもの、と判断してもいいだろうとラスは思っていた。
「どうして、あの子を魔術師にしたのですか?」
そもそもヴァイオラが魔術師としての教育を受けなければ、今回の騒動は起きなかっただろう。公爵家の令嬢が周囲から失笑を買うこともなかったはずだ。普通の貴族のように、公爵が娘の教育を厳しく制限したのであれば。
ラスの問いに、公爵はうつむいた。
「私に長く男子ができなかったので、あの子には普通の貴族の娘より深い勉学をさせてきました。いずれは良き婿を迎えてその者に公爵家を継がせ、ヴァイオラは公爵家の血を引く者として夫を支えられるようにと」
魔術の勉学も、その一環であったのだ。
特にリクティス公爵家はたびたび強い魔力をもつ者が生まれ、ヴァイオラもその例に漏れなかった。
「知っての通り、強い魔力を持つ者はその反面力を持て余し、特に子供時代には暴走させやすい。ヴァイオラは我が公爵家の歴史の中でも、類を見ないほどの力の持主です。その分制御する術を身につけるのに、長く時間がかかりました」
「なるほど」
子供は感情にあわせて魔力を暴走させやすい。
それが一般的な魔術師クラスの魔力ならば少々やけどする程度で済むだろうが、ラスやレグルスほどではないにしても、ヴァイオラの保持する魔力は一般的なそれを大きく逸脱している。
当然、その分制御するのも難しかっただろう。
ラスの力が目覚めたのは6歳。魔力は普通生まれた時から発露するので、それに比べれば大分遅い目覚めであったと言えるだろう。しかもそれを制御する術を最初から持っていたため、暴走することもなく今まで過ごしてきた。
レグルスのほうはどうであったかラスは知らないが、彼が現在生真面目すぎる魔術を使いこなしているところをみれば、きちんとした教育を幼少期から受けたことは想像に容易い。
制御するために魔術を学ぶ。それに長くかかったというのならば、当然魔術に触れている時間が長かったということでもある。
それが、ヴァイオラの現在の道を決定づけた大きな要因であったことは間違いない。
「アルスティナ学院に通わせたのも、半ばあの子に押し切られる形であったのです。他にもいくらでもあっただろうに、あの子はあえて魔術学院を選んだ。…私は、すぐに諦めるだろうと思っていたのです。全科目で成績トップをとり、かつそれを維持し続けることを学院に通い続ける条件にしていましたから。ですが…」
「あの子は見事にその条件をクリアし、しかも最短、最年少で卒業にまでこぎつけた、と」
「…おっしゃる通りです」
公爵はさらに萎れた。
(そりゃ、この親父さんはかなりびっくりしただろうな。いくら飛び級が認められてるからって、まさか普通6年かける課程を、半分の3年で終わらせてしまうとはさすがに思わないだろうから)
そもそも、全科目トップという時点で普通ならリタイアしている。
それはつまり、ヴァイオラの非凡さを表していた。同時に、その陰にはヴァイオラの、血のにじむような努力があったことだろう。
才能だけで、全科目で一番をとり続けることなど不可能だからだ。
(才能もあって、努力もできる。そりゃ、いいことなんだけど…)
「熱中できすぎるっていうのも問題だな」
「はい…?今何かおっしゃいましたか?」
ラスの呟きを聞き咎めて、公爵は顔を上げた。
だが、ラスはそれを笑顔で黙殺し
「続けてください」
と話の続きを促した。
セシルが“それ”を見つけたのは偶然だった。
中庭近くの渡り廊下を歩いていると、茂みの中からのぞく橙色のスカート。茂みの向こうからはどうだかわからないが、セシルの側から見れば、まさしく頭隠して尻隠さず。しかもその色のせいで非常に目立っていた。
ちらりと長い筒状のものが見てとれ、どうやら望遠鏡を使って二階のとある一室を観察しているようだった。
それはつい先ほどまでセシルがいた部屋の方向で、何を見ているかなど簡単にわかってしまう。
「ちょっと目を離した隙に、どこ行ったのかしら。最近向こうも慣れてきたのか、ちょっと油断するとすぐ見失うのよね…」
などとぶつぶつ呟く声にあわせて苛立たしげにスカートが揺れ、周りの茂みがざわざわと音をたてる。
「あの、ヴァイオラ様…ですよね?」
セシルが呼びかけると、びくりとあからさまにスカートが揺れた。
「申し訳ありません。お邪魔をしていることは重々承知しておりますが、このような場所でそのような格好はさすがにどうかと…」
茂みに頭を突っ込んでいるなど、とても貴族の令嬢とは思えない格好である。
ヴァイオラのほうも、まさかそんな格好を見られ、しかも名指しされるのは思わなかったのだろう。
慌てたように体を動かし、けれどその焦りがまずかった。
ビリッと何かが裂ける音。
「「あっ…」」
ヴァイオラのスカートは、ものの見事に破けていた。おそらく質はいいが、傷つきやすい素材だったのだろう。
ヴァイオラが気付かぬままスカートの端をひっかけ、そのまま勢いよく体を動かしたせいで、深く太ももくらいまで裂け目は達していた。
このままではとても外を歩けない。
そして侍女も連れないヴァイオラが、手ごろな着替えを持っているとも思えず…
「あの…よかったら繕いましょうか?応急処置くらいは、できると思うので」
思わずセシルはそう申し出ていた。




