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シルヴァジェント大公記  作者: 楓猫
第三章
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51


「チェス、やらないか?」


 珍しく早めの時間にやってきたレグルスに向かって、ラスがそう言った。

 既にテーブルにはチェス盤が広げられ、ラスの右手にはキングの駒が握られている。

 今までされたことのないラスからの要求に、レグルスは僅かに眉を寄せた。


「どういう風の吹きまわしだ?」


「別に。ただなんとなく、だ。それとも、俺の誘いは受けられないか?」


「…いいや」


 レグルスは薄く笑い、ラスの向かい側の席に座った。


「俺は白、おまえは黒な」


 ラスが勝手にそう決めたが、レグルスは特に何も言わずに黒を持った。

 ラスとレグルスはチェスでの対戦は初めてだ。お互い相手の力をはかりながら、慎重に駒を進めて行く。

 本物の戦場とは違う静かな戦いは、やがて中盤にさしかかる。序盤は五分五分であったため、勝負はこれからといったところだった。


「ポーンってさ…」


 途中ラスがぽつりと言った。


「一度で動ける距離も少ないし、一見弱く見えるよな。でも反対側にまでたどり着いたら大変身するだろ?場合によってはそれであっと驚く展開に持ち込むことも可能だし、やっぱり簡単には捨てたくないんだよな」


「それで?」


 盤上から目を離さず、平坦な声でレグルスが問い返す。

 ラスは軽く笑い、持ち上げたポーンを見つめる。


「俺は、可能性のあるやつって好きだよ。特にわくわくするような才能の持ち主には、思わず目をかけたくなる」


「…何が言いたい?」


「生かす手段があるなら、そうしたいってこと」


 そして出来る事なら、その可能性をきちんと引き出してやりたい。

 それは、チェスに限ったことではない。

 ラスは持っていたポーンの駒を再び盤上に置いた。


「あのヴァイオラって子。俺に預けたのは、そういうことだろ?」


「さあ、何のことだ?」


「相変わらず素直じゃないことで」


 いつもの笑みを崩さずとぼけるレグルスに、ラスは呆れたように息を吐いた。


「おまえこそ、期待している相手はその一人じゃないんだろう?」


 レグルスが言いたいのが誰のことかなど明白だった。

 ラスの脳裏によぎったのは、薄紅色の髪。

 思わぬ反撃に言葉に詰まったラスを見て低く笑い、レグルスが口を開く。


「もしチェスに置き換えるのならば、俺たちの立ち位置は、キングとクイーンとプレイヤーを兼任したものだろうな」


「確かにな…」


 ラスは軽くうなずいて同意する。

 ゲームの心臓であり、攻撃の要であり、そして他者を動かし勝利を導く存在。

 ある意味反則のような立場だが、だからこそ他とは比べ物にならないくらいの責任がのしかかり、敗北は即ち自らの死である。

 そして自陣の駒を生かすも殺すも、彼ら次第。


「使える駒は限られている。ならば少しでも多くの駒を最大限働かせるのが得策だ。それが優秀な駒なら尚更な」


 駒という言葉を借りてはいたが、そのレグルスの発言が意味するのはすなわち肯定であった。

 多少ひねくれてはいたが。


「人間の場合は味方だってすべて思い通りに動くわけじゃないし、何に変化するのかは本人が決める事だ。その上、変化するのはポーンだけとは限らない。まあ、だからこそ人生っておもしろいんだろうけど…あっ」


 ラスは思わず声を上げた。

 レグルスの一手が、巧妙にするりと自陣に忍び入ってきたのだ。

 ここからの挽回は難しいかもしれないと感じて、自然彼女の顔も渋くなる。


「ホント、素直じゃないというか…ある意味頑固だよな、おまえは。そのうえ性悪で、チェスにもそれが如実に現れてる。さらっと駒を動かす癖に、いろいろと怖いこと考えてそうだし」


 どうせ他にもいろいろと悪だくみしてるんだろ?とラスが問う。

 レグルスはそれには何も言い返さず、クイーンを動かした。


「チェックメイト」


「あう…やられた」


 白のキングは逃げ場がない。

 ラスの負けである。


「俺と一緒にいるのに、他のことを考えているからだ」


 憮然とするラスに、意地の悪そうな笑みを浮かべるレグルス。

 やや集中がおろそかになっていたのは事実だとラスは思ったが、だからといって負けて気分がいいものでもない。特にレグルスとの勝負は。


「さて、敗者には何をしてもらおうか」


 レグルスは行儀悪く肘をつくラスの右手をとり、両者の間にあるテーブルを迂回させつつ彼女を自分のほうへ引き寄せる。

 負けたからには仕方ない、とラスはそれに従い、そのままレグルスの膝の上に横を向いて座るはめになる。

 そこまではまだ許容できたラスだったのだが、次いで発せられたレグルスの


「どんな風に苛められたい?」


 にっこりという言葉がよく似合う不自然なくらいの笑顔つきの一言には


「阿呆。調子に乗んな」


 思わずそう言って軽くその頭をはたく。 

 といってもまったく痛みなどない範囲の反撃ではあったのだが。


 楽しげに笑うのみのレグルス。

 そんなレグルスを見て、ラスはなんとなく違和感のようなものを感じていた。

 いや、違和感というほどのものではないのかもしれない。レグルスはラスの腰に手をまわし体を密着させてくるが、その手はどこかあまり不埒な意図を感じさせなかった。

 しかしその割には、いつもよりべたべたとよく触れてくる気がする。

 ふと、ある考えがラスの頭に降りてきた。


「…まさかおまえ、ヴァイオラ嬢に妬いてるのか?自分で仕掛けたくせに?」


「………」


「沈黙は肯定とみなすぞ」


「………」


 レグルスからの応えはない。

 信じられないという気持ちが強かったラスだったが、数瞬して我に返り、今度はからかい交じりに戯れの言葉を投げかける。


「寂しかったのならそう言えよ?ちゃんと構ってやるぞ」


「絶対に言うものか」


 レグルスの短い返答に、ラスは息をのんだ。

 違う、と否定しないということはつまり…


「わ~ちょっと寒気がした。レグルス、今正気か?実は熱があるんじゃないか?」


 自分と相手の額に触れて思わず確認してしまったラスである。

 だが、レグルスとていつまでも言われてばかりいるわけがない。


「失礼なやつだ。不敬罪で投獄するぞ」


 額に触れるラスの手を掴みあげ、性悪な笑顔で物騒なことを言う。

 ようやくいつもの調子がでてきたレグルスに、ラスは軽く笑う。そのまま首の後ろに腕をまわし、明るい声で言った。


「うわっ、出たよこの横暴君主」


「何とでもいうがいい。その分このあと思い知らせてやる」


「お~怖い怖い。流石暴君」


 じゃれあいのようなやりとりが続き、かと思えばどちらからとも言わず、その唇を重ねる。


(ホント、素直じゃないやつ)


 そう思いラスは内心苦笑する。

 けれど寒気だなんだと言いつつ、悪い気がしなかったラスも、十分素直ではなかったかもしれなかった。





 互いの気持ちをわかりあって以来、ラスとレグルスの関係はそれほど大きく変わったわけではない。

 少なくとも、ラス本人はそう思っていた。

 精々会う時間が増えて、会話の内容に冗談が混じりやすくなった程度だろう。

 実のところそれは、傍から見れば十分明らかな変化だったのだが。


 ラスにとって一番の変化と言えたのは、レグルスが泊った夜の翌朝のことである。

 まだ日も昇りきらぬうちに目を覚ましたラスは、自分の隣に寝ている男に極力触れぬようゆっくりとその身をおこした。

 かけられていたシーツが落ちて、その体があらわになる。

 ラスは小さくため息をついた。


「あ~あ。こんな痕つけてくれちゃって…」


 白い肌にはひどく目立つ赤い痕。

 おそらくは問題のない範囲にしかつけられていないだろうが、いくつも散らされたそれが、男の執着心をよく表しているように思える。


 ベッドを下りてそそくさと着替えを済ませると、ラスは部屋においてあった毛布を抱えて廊下へと出た。

 音を立てぬよう慎重に開けた扉のすぐ横で、うずくまるようにして眠る人影。

 紫の髪の小柄な少女。ヴァイオラだ。


「途中まで頑張ってたみたいだけど、やっぱり力尽きたか」


 例にもれず昨夜もラスの隙をうかがっていたのだろうが、生憎昨夜は魔術で空間を遮断しておいた。

 ラスは自分の秘め事を他人に見せつけるほど悪趣味ではないのだ。

 ヴァイオラのほうはその魔術を破ろうとして一晩中悪戦苦闘し、そのまま眠ってしまったのだろう。

 何がそこまでこの少女を駆り立てるのか。


 ラスは今更かもしれないが、その小さな体に毛布をかけてやる。

 少しだけそのあどけない寝顔を見つめると、そのまま反転して寝室の方に戻る。


「いい加減起きろよ、レグルス」


 ラスはやや乱暴ともいえる動作でレグルスの体を揺する。

 目をつぶったままのレグルスから、ぼそりとした答えが返ってきた。


「…起こすときには相手の額にでも口づけるのが普通じゃないか?」


「何ボケたこと言ってるんだ。つーか寝たふりしてるやつには、絶対してやらないから安心しろ」


 ラスは自分が起きたのとほぼ同時にレグルスが目を覚ましていたことに、きちんと気付いていたのだった。


「ほら起きろ。それともこのまま二度寝でもするつもりか?」


 そこでようやくやれやれ、といった感じでレグルスが体を起こす。


「おまえも一緒ならそれも魅力的だがな…どうせ一人でも行くつもりなのだろう?まったく、どんな体力をしているんだおまえは」


「お褒めいただいて光栄のいたりだね。ほれ、さっさと準備しろ」


 そんな朝早くから何をするのかと言えば、剣の鍛錬である。

 ともに夜を過ごしても、この二人の朝はある意味健全過ぎるほど健全だった。


 屋外にでると、ラスはふと空を見上げた

 皇太子宮全体に張り巡らされたレグルスの結界が見えるのだ。

 常人には触れるどころか認識できないそれに手をかざし、ラスはぽつりという。


「天下のひねくれ者のくせに、魔術はとっても正統派なんだよな」


 おそらくはしっかりとした教師から学んだのだろうそれは、基本に忠実でぶれがない。 

 一方独学すぎるラスの方がおそろしく破天荒だろう。


「嫌味か?」


 そう言いつつも特に気にした様子もなくレグルスが問う。


「別にそういうわけじゃない。正統派の魔術っていうのは、それだけ安全性と利便性が確立されてるってことなんだから」


 悪いことじゃないだろう?と言いつつラスは剣を抜く。


「よし、やるか」


 剣を合わせる前に、ラスはもう一度だけ頭上に広がる結界を見上げる。

 淡い緑の光を放つそれは、日の出の空と陽光とがあわさってひどく幻想的だった。


「さて、いつ仕掛けてきてくれるかな」


 そう小さく呟いたラスは、どこか楽しげに笑っていた。

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