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ビシッと突き付けられるヴァイオラの人差し指を見て、ラスは乾いた笑いをもらした。
どう考えても面倒くさい状況にあることは間違いない。
「え~と。あの、人違い…」
「殿下から聞いて、あなたのことは調べさせてもらったわよ。セラスティア・アロン、またの名をラス・アロン。今みたいに男装で身分も隠して、凄腕と評判のレイクウッド傭兵団を一からつくり上げた。その魔術の腕も超一流だそうね」
逃げ道はあっさりと潰されてしまった。主にラスの後ろでおんぶお化け状態になっている人物によって。
さらにヴァイオラは言葉を続ける。
「そのあなたに勝てば、将来私を皇室認定魔術師として認めてくださると、皇太子殿下が約束してくださったのよ」
ピクリ、とラスの眉が動いた。
「おいコラ、レギー坊や。何ひとの承諾もなく、勝手に約束してるんだ?」
俺はそんなこと一言も聞いてないぞ、と自分の肩に乗っている顔をぎろりと睨む。
「いや、あまりにも皇室認定魔術師にしろってうるさくてな。それで、つい?」
レグルスは(表面上は)無邪気な笑顔を浮かべながら、ことりと首をかしげる。
その瞬間、ぷつり、とラスの中のなにかが切れた。
そのままレグルスの襟首をつかみかかる。
「このド阿呆!!今更かわいこぶっても痛いだけだ!つーか、結局全部おまえのせいじゃないか!」
忠告が聞いてあきれる。
やはり糸を引いていたのはレグルスだったのである。
「やっぱりあのときの一発じゃ足りなかったか。そうだ、もう二、三発殴ってやるよ。なーに、遠慮するな。うまくすればそのねじ曲がった性格もなおるかもしれないぞ」
ラスがそう言って空いた右手の拳をかまえた。
「ふっ、いいだろう。おまえとはいつか決着をつけなければならないと思っていたんだ」
一方のレグルスも器用に左手でラスの右手を抑え込みつつ、挑発的に笑った。
「あ、あの…」
両者の力は一進一退。
「えーと、あの、聞いてます?」
拳は二人の間を行ったり来たり…
「聞けって言ってるでしょうが!!」
完全にその存在を忘れ去られかけていたヴァイオラ。
彼女は大きな赤い瞳をわずかに潤ませながら、必死に声を上げた。
「とにかく!私は必ず勝つわ。とりあえず今日のところは見逃してあげるけど、覚悟しておきなさい、セラスティア・アロン!!」
そう言って鼻息も荒く、ヴァイオラは部屋から出て行った。
入場は窓、退場は扉からであった。
少しして、ラスはぽつりとつぶやいた。
「…おもしろい子だな」
ラスの言葉を聞いて、レグルスは機嫌よさげにそうだろう?と軽くうなずく。
「俺もそう思ってな、ぜひともおまえに紹介してやろうと思ったんだ」
「そっちが本命かよ。なら普通に紹介しろよな」
「それではおもしろくないし、インパクトにも欠けるだろうが」
「…まあ、その気持ちはわからなくはない」
わかるぞその気持ち、と言わんばかりに、ラスとレグルスはお互いの肩に手を置いた。
先ほどまで一触即発だったはずなのに、一変して和やかな雰囲気である。
いつの間にこの二人はそんなに仲良くなったのか、と侍女たちは非常に疑問に思った。
そして同時に、似た者夫婦、という言葉を思い出さずにはいられなかった。
ヴァイオラ・ヒューズ・リクティス。
ガルダ帝国四大公爵家の一つ、リクティス公爵家の令嬢にして、これまた魔術の名門、アルスティナ魔術学院を若干15歳で主席卒業した才気あふれる少女である。
「珍しいな。貴族の、しかも公爵家の令嬢が魔術学院に通うだなんて…」
ラスはシュニアの報告を聞き、頬づえをつきながらセシルが入れてくれた紅茶を一口飲む。
行儀が悪いはずなのだが、その動きからは不思議とあまり粗野さが感じられない。
ラスは定まらぬ視線をぼんやりと天井に向け、小さなため息をつく。
王族や上級貴族は、婚姻関係が散在することが少ないため、血統による遺伝から魔力保持者が多い。
けれど実のところ、魔術師が多いかといえばそういうわけではない。
基本的には貴族も王族も己自身が戦場に立って前線で戦うということはほとんどなく、どちらかといえば内政に関わることに比重が置かれた教育がなされる。
むしろそうした実戦的な技能を必要以上に身につけるのは高貴な身分にふさわしくなく、実際に戦場へ行くことになる庶民に任せておけばいいという風潮が強いのだ。
特に良家の女子は、悪い言い方をすれば有力者と強いパイプをつなぐための重要な駒に成り得る。この場合、駒は自分の意思を持たず、親兄弟の言うがままに動いてくれたほうが都合がいい。
しかも帝国やその他多くの国は、継承権も男性有利な仕組みになっており、やや男尊女卑な傾向が強い。
よって良家の子女は美しく貞淑であることのみを求められ、あまり余計な知識を身につけないように教育される。
言ってしまえば、上流階級の女性の社会進出はあまり歓迎されていないのだ。
「皇室認定魔術師にこだわるのは、そういうことがあるからかな…」
皇室認定魔術師になれば確かに名声は高まるが、その一方でしがらみも多く、個人的な研究をするにはあまり向かない。
名門アルスティナ魔術学院を首席で卒業したのなら、例え女性だろうと引く手数多だろう。普通どこの魔術研究機関からも引っ張りだこのはずで、そして個人の研究を深めるにはそちらに進んだほうが余程自由度は高い。
「それでもわざわざ皇室認定魔術師を目指すのは、そうしなきゃならない理由があるからだ。本人の意思なのか、実家からの圧力のせいなのかはわからないが…」
どんな事情があるにせよ、おそらく実家の公爵家とはあまり折り合いが良くないに違いない。
公爵家の令嬢がそのような下賤な───少なくとも上級貴族的にはである───職業につくなど、世間体が悪すぎるのだ。
身分的には皇室や小国相手なら他国の王族に嫁いでも不思議ではないのだから、公爵家としても使える駒は多い方が良いに決まっている。
「さて、どうするべきか」
結局なんだかんだヴァイオラ嬢の件を引き受けることになってしまったラスであったが、どう対応していくかは迷うところである。
わざと手を抜いてあっさりと終わらせるのもありだろうが、あまりあからさまだとヴァイオラも気づいてしまうだろう。しかもそういうことをされるのを一番嫌がりそうなタイプだ。
かと言って本気で戦うのも遠慮したいところである。
悩みに頭痛を感じつつ、再びラスはため息をついた。
「あ~困ったな」
「とか言いつつ、ちゃんと相手をしてあげるんでしょう?まったく…年下の女の子には甘いんですから」
渋い顔でそう言うシュニアに、ラスは気楽そうに笑った。
「それは自覚済みだよ。まあ、なんとかなるって」
もっとも、結論から言えば、ヴァイオラという少女に関してラスは少々後悔することになる。
「姫様…」
涙目で自分を見つめる栗色の髪の侍女を見て、ラスはややたじろいだ。
彼女の言いたいことがわかったからだ。
「フィリーナ、その、すまない…」
俺もちょっと泣きたい気分だ、とらしくもなく弱気な発言のラスである。
理由は明白だった。
ヴァイオラ嬢は非常に一生懸命な少女であった。
自分の体裁を気にせず、状況も気にせず、ところ構わず騒動を起こすくらいに。
まずヴァイオラは、ラスの行動を観察することから始めたようだった。
四六時中、それこそ朝から晩まで、辺りを探せば必ずラスを見つめるヴァイオラがいる。
時には窓の外から部屋をのぞき込み、時には扉に張り付いて僅かに空いた隙間から中の様子をうかがい、またある時には衣装棚の中からキラリと光る赤色の瞳が見える。
それだけでも十分ラスとその侍女たちの精神力を削ってくれたのだが、ヴァイオラは観察だけでは終わらなかった。
ラスが隙を見せたと判断するや否や
「覚悟ー!!」
などと叫びつつ、ヴァイオラは強力な攻撃魔術を放ってくるのである。
例えそれが真夜中だろうが、場所が人の行き交う廊下だろうが、相手が風呂に入っている時だろうが。
まあ、攻撃されること自体はいいのである。ラスの実力ならばあっさりと攻撃を退けられるからだ。
ヴァイオラは確かに優秀で才能ある魔術師ではあったが、いかんせん実戦経験はない。ラスが戦場で培ったノウハウ、あるいは直感ともいえるものが二人の実力差を明らかなものとしていた。
しかし、一つだけラスが困ったことがある。ヴァイオラは人目を気にせず仕掛けてくるのだ。
ラスはその立場上、自分の力を隠して生活している。一方でヴァイオラは、貴族の令嬢であるのに魔術師になったことである意味非常に有名であって、彼女が魔術を使うこと自体は不思議でもなんでもないことだった。
よって、ラスは表立ってヴァイオラに反撃することができなかったのだ。
周りの人間たちにばれないようにこっそり魔術を使う、もしくは結界を張って他の人間に認知されないようにした上で戦うことしかできないのである。
「これ、やっているのが皇太子宮で、しかもそれをレグルスが許しているからギリギリセーフなだけであって、他だったら完全にアウトだよな…」
一体どういう命令をしたのかわからないが、皇太子宮全体にレグルスの命が行き届いており、警備兵たちの助けはない。
さすがのラスも、隠蔽工作をしながらの反撃には神経を使うのだった。
根競べになるか、とラスは長期戦も覚悟していたのだが、しかし結果として、この状態を打破しようとある者たちへの決意を促すことになる。
現状を黙って見ていることはできないと立ちあがったのは、ラスの侍女たちであった。
一つの丸いテーブルを、シュニアと侍女三人娘が取り囲むように座っていた。
「それでは、これより第一回セラスティア・アロンの侍女たちによる総会、略して侍女会を始めます」
朗々と声を上げた司会進行役は、もちろんシュニアである。
「現在、我々の主は危機的状況に瀕しています。それに関して、皆さんの意見を聞かせてください」
まっさきに手を挙げたのは、セシルだった。
「やはり外部からの支援が期待できない以上、これ以上姫様に負担をかけないためには、私たち侍女が動く必要があると思います」
冷静な意見に、ふむとシュニアはうなずく。
「なるほど。では具体案はありますか?」
「はい!」
今度手を挙げたのはマリアだ。
「やっぱりここは、私たちがあのお嬢様に対抗できるだけの力を身につける、というのが一番いいと思います。主人を侍女が守るのは当然のことですし、私たちが相手をできるようになれば人目に触れる場所で姫様の力がばれてしまう危険性を減らせるはずです」
マリアらしい剛毅な意見である。
その意見を受けて、今度はフィリーナが口を開いた。
「シュニアさん。シュニアさんは私たちよりも多くの技術を持っていらして、その力でずっと姫様をお守りしてきたのでしょう?その中で私たちにも身につけられるものはないのでしょうか?」
フィリーナの言葉を聞き、シュニアは僅かに沈黙する。
「…わかりました。ならばその力を、私が授けましょう。私の課す修行は厳しいですが、皆さんついてこられますか?」
「「「はい!」」」
三人娘はそろって力のある返事をした。
四人の侍女たちは決意を燃やしていた。
「あのーシュニアさん。これは一体…」
完全にのけもの扱いのラスが、恐る恐るといった感じで問いかける。
シュニアはとてもいい笑顔でラスを見た。
「安心してくださいラス。私こう見えて教えるのもうまいので」
「あ~うん。そこのところは心配してないけど…」
問題はどんな技を三人娘に仕込もうとしているのか、という部分である。
「大丈夫です。侍女として私が必要だと思う技能を改めて付け加えて指導して、少なくとも私の足を引っ張らない程度には育てようと思います」
それはおそらく一般の侍女の範囲を確実に逸脱している、とラスは思ったが口には出さなかった。
いや、闘志を燃やすシュニアに対して、口を出せなかったという方が正しい。
三人娘もやる気に満ち溢れている。
すべて自分のためにやってくれていることだと思えば、ラスとしてもそれ以上何も言えなかった。
「ほ、ほどほどにしておけよ~」
乾いた笑いで、言えたのはそれだけだった。
こうしてよくわからないうちに、事態は複雑な様相を呈していくのだった。




