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お待たせしました。
第三章開幕です!!
「さて。雨にも飽きたし、そろそろ始めることにしようか」
暗雲の中で光る稲妻を眺めながら、彼はぽつりとつぶやいた。
「シュニア…」
目の前にいる女性の名を呼ぶラスは、どこか憂いに満ちた表情であった。
漆黒の髪をひとつにまとめ、身にまとうのは同じく漆黒の戦装束である。その腰には、武骨だが使いこまれた剣がある。
夜が明ければラスはその身を戦場に置き、その剣を使って何人もの命を奪うことになる。敵兵かもしくは自分自身の血で、その漆黒が完全に赤に染まるまで。
「ラス。どうしても、どうしても、行かないと駄目なのですか。勝ち目は万に一つもないのでしょう?」
勝ち目のない戦だ。
それはシュニアにもわかった。ラスとてそうだろう。
けれど、だからといってラスは引くことができない。そのことも、シュニアはよくわかっていた。
「すまない。シュニア、俺は…」
「いいんです!」
シュニアは謝るラスの言葉を遮った。
「わかっています。あなたはそういう人だって。ただ、我が儘を言ってみただけなんです」
ラスにはシュニアが必死に強がっているとわかった。
言葉ではなんと言っていても、シュニアの瞳は抑えきれない悲しみに潤んでいるのだから。
「シュニア…」
ラスは再びシュニアの名を呼び、そして彼女の体を抱き寄せた。
触れればシュニアの体が僅かに震えていることがわかり、ラスはゆっくりとその背を撫でてやった。
しばらくしてシュニアの震えがおさまると、一度ラスは体を離した。
するとシュニアは一瞬不安そうな顔をするが、けれどすぐにあるものに目を奪われることになる。
「ラス、それ…」
ラスがとりだしたのは、ネックレスだった。
貴族がつけるような豪奢なものではないが、繊細なシルバー細工に小さな紫の石がはまっている。
呆然とするシュニアの首に、ラスはその鎖をとめてやる。
「似合ってる」
ラスは微笑んでそう言って、再びシュニアを抱きしめた。
「絶対に帰ってくるって、約束したい。でも、それはたぶん難しいだろうから。だからせめて、おまえが無事であるようにと、そのネックレスに願いを込めたんだ」
「ラス…」
「ずっと側にいてくれてありがとう。おまえがいてくれたから、いつだって俺は強くあれたんだ。とても感謝している。これからは俺を忘れて…」
「待っています!」
シュニアは強くそう言った。
ネックレスを軽く握り、ラスの目をまっすぐに見つめる。
「あなたのお帰りを、いつまでだって。だから、絶対に…」
帰ってきてください、とシュニアは言った。
それ以上の願いなど、彼女にはないのだ。
シュニアの決意を感じてラスは僅かに微笑み、そして確かにうなずいた。
「シュニア…」
「ラス…」
「…何をやっているんだ?」
扉を開け、レグルスは半ば呆然とそう言った。
目の前にいるのは、なぜか男装姿で赤髪の侍女と抱き合う、自分の側室。
他の侍女たちはそれを少し離れたところで固唾をのんで見守っている。
レグルスの存在に気付いて、侍女たちは慌てて後ろに下がって控えた。
「何って…ラス・アロンごっこ?」
一人その場に残された形のラスは、きょとんとした顔でそう答えた。
「死地に赴く前の恋人との一幕バージョンらしいぞ」
と付け加える。
ちなみに脚本、監督はシュニア、衣装その他諸々は侍女三人娘が担当している。
役は基本的にラスはラス・アロンで固定だが、あとのヒロインなどは持ち回りだ。
「ごっこって…おまえたち、いつもこんなことをしているのか?」
呆れた、と言わんばかりにレグルスは額に手をあてた。
「いつもってわけじゃないが…まあ時々?」
暇つぶしの一環で時たま行っているのである。
今回は、以前シュニアの機嫌を直すために言ったことを実行に移していたのだ。
これまた用意することを約束したプレゼントを渡すイベントつきである。
「なんだ?混ざりたかったのか?」
「…せっかく忠告に来てやったんだが、その気が失せた」
「はぁ?忠告って…」
ラスの疑問をよそに、レグルスはそのまま回れ右をして部屋を出て行こうとする。
「ちょっと待て!」
ラスはレグルスを止めようとその背を追いかけ、そしてレグルスが部屋を出る前に素早くその袖をつかむことに成功した。
「その忠告とやらのために来たんだろうが!ちゃんと言うだけ言ってけ!!」
レグルスの忠告を無視すると、碌なことにならない。
聞いておかなければ必ず後悔すると本能的に悟り、ラスの表情にはやや本気が混じっていた。
その体勢は、まるでラスがレグルスに行かないでくれとすがっているようにも見える。
いや、行って欲しくないと思っているのは本当なので間違ってはいないのだが、少々違う状況も想像できる格好だったのだ。
レグルスはそれを見て少々機嫌をなおしたのだが、ラスはそのことには気づいていなかった。
レグルスは自分の袖を握るラスの腕を逆に掴み、引き寄せた。
ラスも特に抵抗しなかったので、その体はあっさりとレグルスの腕の中におさまる。
実はそれを見た侍女三人娘が顔を赤らめ、小さくキャーキャー言っていたりしたのだが、レグルスもラスもまったく気にしてはいなかった。
「小さな嵐が戻ってくるぞ」
「小さな、嵐…?」
耳元で囁かれた言葉に、ラスは眉を寄せた。
(なんのことだかさっぱりわからんのだが…)
何か考えるヒントが欲しいところである。
だがそれ以上ラスが考える前に、事件は起こったのだった。
「ああ、遅かったようだな」
僅かな嘆きと多量の期待を含んだレグルスの言葉に、ラスは瞬時にその視線の先を追う。
レグルスが見ていたのはバルコニーだった。
正確にはそこにふわりと舞い降りる一人の少女。その動きからしてここより上の階から飛び降りたのではなく、おそらく風の魔術を使ったのだろう。
波打つその少女の紫の髪に、ラスは見覚えがあった。
「あの子は、確か…」
いつだったか、ラスに向かって宣戦布告をしてきた少女である。
(ってことは、もしかして…)
「私と勝負しなさい。セラスティア・アロン!!」
ラスの予想は的中した。
どういうわけかは知らないが、ラスに敵対する人物らしい。しかも、どうやら魔術師である。
「えーとあの、一体どなた…」
「問答無用!先手必勝よ!」
少女はラスの言葉を聞く気は全くないらしい。
それどころか敵意むき出しで、少女はラスに向かって手をあげ詠唱した。
『炎よ。我が手にその熱き魂を宿し、我が前の敵を打ち滅ぼせ』
「うげっ、炎系攻撃魔術…」
しかもなかなかに威力だろう、とラスは見抜く。
少女の手のひらから炎の玉が放たれ、すさまじいスピードでラスへと向かう。本来ならばそのままラスに直撃し、その威力の強さを披露するはずであった。
しかし…
「なっ!?どうして…」
炎の玉は、途中であっさりと霧散してしまったのだ。
自分の構築が間違っていたのかと、少女は何度も何度も詠唱するが、何度やってみても途中で炎の玉は消えてしまうのだ。
それは少女の失敗ではなく、ラスが以前に張っておいた結界の効果であった。
窓を境に、それより内側は外側からの魔術的攻撃を一切受け付けないのである。
よって、ラスを始めそれを知るレグルスと侍女たちは、必死な少女をよそにひどく落ち着いた様子であった。
「あー、侍女組は一応窓側からは離れておけよー」
ラスはのんびりとした調子でそう言った。
まずないだろうが、万一の場合もある。ラスやレグルスはともかく、魔術の素養のない者は危険から離れておくに越したことは無い。
それにこの結界は外側からの“攻撃”を打ち消すことはできても、侵入者を拒むものではない。よって少女が部屋に入ってくれば、彼女の魔術も普通に発動するのである。
それに少女が気付くには、今しばらくかかりそうではあったが。
「レグルス。もしかしなくても、嵐ってあれか?」
「そうだ」
レグルスはラスの背中から半ばのしかかる形で近寄った。
特に何か意図があるわけではなく、思いつきでの行動らしい。それを悟ってラスも体の力を抜く。
ただし視線は、未だ魔術を使い続ける少女に向けられている。
「なんか暗殺とかいうレベルじゃなく、かなり派手に狙われている気がするんだが、俺の気のせいか?」
「気のせいではないな。あっちは本気だ」
「…事情の説明を要求する。どうせおまえが裏で糸を引いてるんだろ?」
それはもはや疑問ではなく確認である。というか、もはやラスにとってレグルスが黒幕であることは確定事項であった。
レグルスはふっと笑った。
「おしえてもいいが、条件がある」
「…条件?おまえの交渉術って、完全に悪徳商法だよな」
自分で相手が困る状況を作り出し、要求や譲歩を認めさせる。
守銭奴のラスもびっくりながめつさである。
「一応聞くだけ聞くが、条件とやらはなんだ?」
「ラス・アロンごっことやらをやめろとは言わないから、そのかわり俺にも参加させろ」
しかもレグルスの発言内容は脈絡がなさすぎた。
「ごっこ遊びをしたい年頃でもないだろうに、何が狙いだ?ラス・アロンごっこなんだから当然主役は俺だし…まさかヒロイン役がやりたいとか言い出さないだろうな」
そうなればさぞや珍妙な光景となるだろう。
いや、レグルスの顔なら女装すればさぞや見栄えがする美女に変身するのだろうが、そんなことになれば噴出さない自信はラスにはない。
が、レグルスの答えはラスの予想の斜め上をいっていた。
「いや、捕えられた傭兵団頭領とそれを監禁・尋問する帝国皇太子、というのも悪くないと思ってな」
「…おまえの発言って、たまにちょっと危ないよな」
「お望みなら、今すぐ実行してやるぞ」
「なんか若干本気なのがわかったから、断固拒否しておく」
そこで二人の会話は途切れた。
ようやく少女が結界の仕組みに気付き、部屋に侵入してきたのである。
魔力の使いすぎのせいか、その足取りは少々危ない。
「な、なかなかやるようね…」
少女は余裕ぶりたいのだろうが、そんなによろよろしながら言われてもな、とその場にいる全員が思った。
とりあえず、ラスが代表して問いかけた。
「あのさ。とりあえず名前だけは名乗ってもらっていいか?あと、そもそもなんで、勝負とか言ってるんだ?」
少女は攻撃し疲れたせい熱が冷め、ようやく少し冷静さが戻ったらしい。
そして少々熱くなりすぎて、自分が最低限度の礼儀などを失していたことに気付く。
少女は軽く咳払いをして姿勢を正し、そしてはっきりとした声で言葉を紡いだ。
「私の名はヴァイオラ・ヒューズ・リクティス。私はあなたを倒し、この国の魔術師の最高峰たる、皇室認定魔術師になるのよ!!」




