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シルヴァジェント大公記  作者: 楓猫
第二章
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 予想外の発言に驚き、思わず振り返ったラスにむかってレグルスが笑う。


「同情してもらって、慰めでもしてほしかったのか?」


「違う!!」


 ラスは反射的にそう言っていた。

 同情など、してほしいと思ったことは一度もないのだ。

 そんなラスの顔を見て、レグルスは何かを思いついたようだった。


「…そうか。おまえは俺に、失望してほしかったんだな。俺の関心を完全に引き剥がすために」


「っ!?」


 ラスは一瞬、レグルスが何を言っているのかわからなかった。


「俺がおまえに失望すれば、自然と俺が妹のほうに流れるとでも思ったのか?大した愛情だな、それも妹のためか?」


「違う!俺はもう終わらせたくなっただけだ。無理な夢を見続けるのは…」


「本当に何もかも終わらせたくなったのなら、おまえは話す相手に俺ではなく、信頼する腹心を選んだだろう。そいつに失望されるのが一番つらく、そして手っ取り早いからな。まあその腹心がどういう反応をするかは知らないが…そうじゃない時点でおまえは本気でそんなことは思っていない」


「違う」


「潔く身を引く?いい子ぶるな。おまえはそんなに物わかりがいい人間じゃない」


「違う…」


 最後の否定はひどく弱々しかった。

 レグルスの言葉に、ラスの中の何かが、小さく、けれどはっきりと脈打ったのを感じてしまったから。


「畜生。知ったような口ききやがって…」


 苦々しげな表情のラスを見て、レグルス口の端の片方を釣り上げた。


「わかっていないふりをしているのはおまえだろう?だが、本当に何もかも終わらせたいというのなら、すべてに疲れたというのなら…」


 レグルスはそう言いながら、ラスの肩と腰に手をかけた。

 ラスの視界が一転する。ベッドの跳ねる音がして、ラスはベッドに仰向けになっていた。

 そこをレグルスが上から覗き込んでくる。


「なら、すべて投げ出してしまえ」


 緑柱石のような瞳が、例えようもない熱を宿してラスを見ていた。

 レグルスの手がラスの頬をなでるように触れ、あまりに優しいその手つきに、彼女の体は震えた。


「何を…」


 言っている、とはラスは続けられなかった。


「辛いなら、もう何も考えるな。俺に全部預けて楽になってしまえ。このまま俺の腕の中にいれば、どんな風にも当てずに守ってやる。もうどんな辛い目にもあわせない」


 そう言ったレグルスの顔は、ラスが今まで見たことがないほど優しげだった。

 誰もが見惚れるような、美しい微笑み。


 そのままレグルスはラスの上にゆっくりと体重をかけてきていたのだが、ラスはそんなことを気にしてはいられなかった。


 おそらく本当にこのまま動かなければ、レグルスはまるで壊れ物でもあるかのようにラスに触れ、そして大切に大切に扱ってくれるのかもしれない。

 そう、まるでリニルネイアがエンダスで受けているような扱いを、ラスに対してしてくれるのかもしれなかった。

 また、どれだけ性格が悪いとはいっても、レグルスは優秀だ。ラスが今抱え込んでいることをすべて話してしまえば、問題なくすべて解決してくれるだろう。

 元々ラスはエンダスの第6公女で、帝国の皇太子の側室だ。他のことはすべて忘れ、本来の務めだけに専念して何が悪いというのだろうか。


 ラスは一瞬そこまで考えた。

 けれど、どうしてだろうか。あの脈動が止まらない。


 ドクン、ドクンと、心臓とは別の何かが騒ぐのだ。

 それはどうしようもないくらいに治まらない、彼女の奥底にある、本能とさえ言えるもの。


 湧き上がってくる、この感情は…


「…冗談じゃない」


 そう言ったラスの声は、何故かはっきりと暗い部屋に響いた。

 続いてパシンという乾いた音。


 ラスがレグルスの手をはねのけたのだ。


「ふざけるなよ。誰がおまえの玩具になどなるものか。何が守ってやるだ?おまえはこの俺に、ただの愛玩人形にでもなりさがれと言うのか!!」


 その様はいっそ過激で、苛烈で、そして鮮烈だった。

 高い矜持をもってレグルスを真っ向から睨みつけるそれは、確かに王者の瞳であった。

 治めるべき国を持たず、従う獣がいなくても、確かに彼女は『王』だった。

 それこそが、彼女の本当の姿。


 その様子を見て、レグルスはどこか満足そうに笑った。


「それでいい。それでこそ…」


 レグルスはそう言ってラスの上から体をどけた。

 すっと急に冷めた頭になって、ラスは気付いた。

 目を細め、重石がなくなった体を起き上がらせて言う。


「レグルスおまえ、わざと俺を怒らせたな…」


「おまえは怒っている時の方が本音が出やすいようだからな」


 してやったり、と言わんばかりのレグルスの顔。

 つまりは、まんまとレグルスに誘導されてしまったわけだ。

 普段ならかわせただろうに、ラスはその可能性さえ考えつかなかった。


 レグルスはラスがそれほど精神的に不安定だったと見抜き、そしてわざとラスが怒るような言動をした。

 ラスから本音を引き出すために。

 揺らぎかけたラスの心に、彼女自身の本音を思い知らせるために。


 周りを気にして、ずっと納得したふりをしていた。

 幸い、都合のいい事情とやらもできた。

 だから物わかりの良さを装って、潔く身を引こうとした。


 でも同時に気付いてもいた。

 自分が真っ向からリニルネイアと相対することを避けるのは、冷静に考えてそれが一番いい方法だと思ったからではない。

 たぶんきっと、そう思う以前に、戦って今度こそ立ち直れないくらい傷つけられるのが怖くなってしまったからだ。

 だから反論を呑み込んで、すべてに納得して現状に甘んじているようにふるまっていた。


 けれど結局のところ、ラスは許せやしないのだ。

 誰かに屈服させられることも、支配されることも。

 何より、気持ちが引けての敵前逃亡など。


 そんなこと、ラス自身が一番わかっていた。

 わかっていて見ないようにしていたのに、レグルスはわざわざそれをもう一度ラスに突き付けたのだ。


(ああクソ、ムカつく…)


 レグルスのなんでもお見通しとでも言わんばかりの態度に、ラスは苛立つ自分を抑えられなかった。

 倒れる様にして自分の額をレグルスの左肩にぶつけた。


「あ~あ。俺はどうせこういうやつだよ。わかってたのに、一生懸命見ないふりしてただけなんだ」


 そんなことを言うラスにレグルスは一瞬驚いたようだったが、すぐに飄々とした態度に戻って問いかけた。


「なんだ?今度こそプライドが傷ついて、本当に慰めてほしくなったのか?」


「阿呆か。おまえの言動に一々傷ついてなんかいられるか。大体、おまえなんかに慰めを期待するか馬鹿。もっと別の人選をするわ」


 レグルスの言動に逐一反応していたら身が持たない。

 レグルスはラスの背中に左手をまわしながらさらに問うた。


「それなら、どうしてだ?」


「ただの愚痴だ、愚痴。それぐらい黙って聞いていやがれ」


「愚痴だと?俺にそんなに弱みをさらしていいのか?」


「弱み?何の話だ?」


 そこでラスは顔をあげて低く笑った。

 そのままレグルスの肩を押して、ベッドの上に押し倒してやる。

 先ほどまでとは反対に、今度はラスの深青の瞳が、レグルスを覗き込む。


「俺が述べたのは事実と、それに対する俺の感情だ。言葉に出したのは、自分の中でいろいろと整理するために過ぎない。さっきの愚痴が弱み?違うな、これは決意だ」


 かつてラスは強くなりたいと願った。

 それは誰よりも強くなることで、もう自分が傷つかないようにしたかったからだ。


 けれど今は違う。

 この生き方が、ラスなのだ。

 期待を裏切られ、傷つけられることを恐れるからではない。

 強くあること。それが、ラスがラスらしく生きるために必要なことなのだ。

 それがわかったから。


「そうだ、俺はこういうやつなんだ。だから俺はもう立ち止まらない。後ずさりもしない。例えそれでボロボロになろうが、誰よりも己の信念を貫いて生きてやる」

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