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シルヴァジェント大公記  作者: 楓猫
第二章
45/81

43

 セラスティアの世界は変わった。

 それも劇的な変化だったと言えるだろう。


 今まで彼女は誰かに必要とされたことなど、一度もなかった。

 それがエンダスの守護獣と出会ったこと、また彼らに力を貸すことで、自分の本当の生まれてきた意味を見つけられたような気がしていたのだ。


 止まっていた何かが動きだすように、セラスティアの世界は明るく色づいていった。






 それから数年後、セラスティアの周囲は比較的穏やかだった。

 未だセラスティアのことを見下す者も多いが、直接的な手出しはもうほとんどなかった。

 それには嫌がらせの主だった面子、セラスティアの異母姉たちが他国に嫁いでいったことが大きかっただろう。

 あの第2公女も、少し前に遠方の国へと輿入れした。相手はかなり年の離れた男性であり、あまり良い噂を聞かない人物だ。

 婚約自体はずいぶん前から決まっていたらしく、第2公女本人はそれをかなり嫌がっていたようだった。

 もしかしたらそれまでのセラスティアに対する行動も、身の内に抱えたわだかまり故であったのかもしれない。

 あくまでそれはセラスティアの推測にすぎず、まただからと言って第2公女がしたことを正当化するつもりも、セラスティアにはなかったのであるが。


 あるとき、セラスティアはエンダス公宮内にある図書室から自室に帰ろうとしていた。

 当時10歳になっていた彼女は、数ヶ月前に後宮をでて自分の部屋をもらっていた。他の公女と比べたらそれは貧相なものであったかもしれないが、生活するのには十分だ。

 最低限の世話係もいたため、後宮時代より生活水準はぐっと上がっていた。また、あの愛憎満ちた空間から離れられたことも、セラスティアにとっては嬉しいことの一つだった。


「セラ」


 名前を呼ばれ、セラスティアは声のした方を向いた。

 彼女のことをそう呼ぶのは一人だけだ。 


「兄上」


「図書室からの帰りかい?頑張っているみたいだね、セラ」


 声をかけてきたのは、セラスティアの異母兄だった。

 セラスティアとは一回りほど年が離れており、大公の子供の中でも長子にあたる人物だ。

 セラスティアが周囲から嫌がらせを受けていたときもそれに同調せず、むしろ見かねて相手方をたしなめ、兄弟の中でもセラスティアが近いと感じる唯一の人だった。


「勉学の成績も優秀だそうだね」


「いえ、それほどでは…」


 褒められ慣れないセラスティアは、兄のその言葉に照れくさそうに笑った。

 勉学に打ち込むことを教えてくれたのも、またこの兄であった。だからこの兄に認められることが、彼女にとって一番嬉しかった。


 ふとセラスティアは気付いた。

 庭をはさんだ反対側の廊下を歩く一団がいる。


「兄上。あの、あそこにいる子は誰ですか?」


 その中の一人に子供がいた。セラスティアより少し年少だろうか。薄紅色の珍しい髪をした少女だったが、見かけたことのない顔だった。

 だが、その衣服や、多くの侍女たちにも囲まれていることから身分の高い者であることは容易に想像がついた。


「ああ。あの子はリニルネイアだよ。大公妃殿下の子供で、セラにとっても母親違いの妹にあたる。年は、おまえより二つ下だったかな」


「大公妃殿下の子供なんですか?でも、後宮では見たことがありませんでした」


 普通大公の子供は、幼いうちは皆後宮で過ごすものなのに、とセラスティアは不思議に思った。


「あの子は特別だからね」


 兄はそう言って、軽く笑ってセラスティアの頭を撫でただけだった。







「守護獣は王様と契約するっていうけれど、あなたたちは父上と契約しているわけではないの?」


 セラスティアの疑問に、藍色の竜が答えた。


『否。現大公は守護すべき存在であり我らを縛る者ではあるが、真なる契約者にはあらず』


『古の契約により我らはこの地にとどまっている。だが長きにわたる契約者の不在は、我らの力を削ぐ』


 赤色の竜がその言葉を引き継ぐ。

 セラスティアには彼らがその先何を言いたいか分かった。


「わかっているわ。だから私の力が必要なのよね」


『そうだ。それゆえ我らはそなたを選んだ』


 選んだ、その一言がセラスティアの体にしみわたる。

 言われるたびに、どうしようもなく心が躍った。


 また、同時に期待してもいた。

 はっきりと言われたことはない。

 だがセラスティアは思っていた。


 父大公は守護獣との契約者ではない。いや、ここ何代もの大公もそうではなかった。

 でも、自分なら。

 彼らとここまで密接に関係を築きあげてきた自分ならあるいは…


 今はまだ無理かもしれない。

 セラスティアはまだ弱い子供でしかないからだ。

 だが、いつか…


 そう考えながらふと思う。

 そういえば竜たちに呼びかけるとき、いつも「ねえ」や「あの」と言って声をかけているだけだったと。


「あなたたち、名前はないの?」


『名なら、ある。守護獣としての名が』


 赤色の竜の答えはにべもない。もっとも、七頭の中では一番よく話すのだが。

 セラスティアはあちらに意味合いが少々違うようにとられたことに気付く。


「そうではなくて、あなたたちは七頭いるのでしょ?でもその名前は七頭で一つで個別のは無い。みんなそれぞれ性格が違うのに…ずっと話をしていればわかるわ」


『我らは異にして同。故に本質は一つ』


「でも名前は一つなんて不便じゃない?そりゃあみんなを一度に呼ぶときは便利かもしれないけれど、一頭だけに話しかけたいときだってあるわ」


『我に話したことは、同時に他の六頭にも伝わる』


「それでも!」


『………』


 セラスティアの言葉に赤色の竜が沈黙する。

 迷っているのか、あるいは言葉なく他の六頭と話し合っているのか。

 そこでセラスティアは提案する。


「私がつけては駄目なの?」


『…どういう意味だ?』


「別に今後の自己紹介の時に全員がその名前を名乗れとか、強制する気はないわ。私が呼ぶときに不便なのよ。だからこの場限りの、私限定の愛称だとでも思ってくれればいい。あなたたちは私が誰を呼んでいるか認識して反応してくれればいいわ」


 別に仮初のものでいい。

 セラスティアは彼らを、名前という形で縛り付ける気はないのだから。


『ならば構わぬ』


 赤色の竜が答えた。

 その目がどこか温かく笑っているような気がした。


 セラスティアはひどく嬉しかった。

 名前をつけても許されるくらい、彼らと距離が近づいているのだと。







 しかしそんなセラスティアの思いは、儚く散ることになる。







 よく通う図書室の近くで、セラスティアはとあるものに遭遇することになった。


 ガサガサという大きな音とともに木の陰から何かが飛び出してきた。

 セラスティアは見事に避け損ない、その何かと正面衝突した。

 尻もちをつきその後改めて相手を見れば、葉っぱまみれだが、その薄紅色の髪に見覚えがある。

 確か以前見かけた大公妃の娘だ。

 どうしてその娘がこんなところでこんな状態になっているかはわからないが、どんな状況にしろとりあえずはあいさつをしようと、セラスティアは考えた。


「はじめまして、私はセラスティア。あなた確かリニルネイア、よね?大公妃殿下の娘の。私は一応あなたの姉にあたります。母親は違うけれど…」


 セラスティアがそう言うと、リニルネイアは先ほどまでうずくまって泣きそうだった顔をぱっと明るくした。


「はじめまして。姉様のお一人ですか?でしたらどうか、リナと呼んでください。姉様のことはセラ姉様って呼んでいいですか?」


「ええいいわ」


「わあ、嬉しい!私、年の近い兄弟の方とお会いするのは初めてなんです。セラ姉様、一緒にかくれんぼをしましょう」


 どうやらリニルネイアは、セラスティアをいい遊び相手だと認識したらしかった。

 セラスティアは本当はこのあと図書室で読書をするつもりだったのだが、そんなに期待された目をされたら断れない。


「いいけれど…二人で?」


 それならば二手に分かれなければいけないはずだが、リニルネイアの手はセラスティアの服の袖をしっかりと握っている。これでは隠れようがない。

 どういう意味なのか、セラスティアは測りかねた。


「大人たちが追いかけてくるの。だから私と姉様で一緒に隠れるのです。私、ここにずっと住んでいるので、隠れる場所には詳しいんですよ」


 リニルネイアは抜け出してきたらしい。

 それもどうやら常習犯のようだ。

 が、それよりもセラスティアは気になった。


「リナ、あなたいつからここに住んでいるの?」


 公宮はエンダス大公の住まいであり、またある程度成長した公族たちも住んでいる。

 後宮は大公の妃と幼いその子供たちが住む場所である。子供たちが暮らす年月はまちまちだが、比較すると血筋が良く大公からの寵愛が深い者ほどその期間は短く、早く公宮に移ることになる。


「いつから…?私は生まれたときからずっとこの公宮に住んでいます。なんだか予言がどうとかって。だから大人はみんなとても心配性で…」


「リニルネイア様!」


 年配らしい女性の声。

 どうやらリニルネイアには聞き知った声らしかった。


「あ~見つかってしまったわ」


 リニルネイアはひどく残念そうな顔をした。

 あっというまにセラスティアたちの周りに人が集まってくる。

 そのなかで、おそらくはさきほどの声の主で侍女と思われる女性が口を開いた。


「もう勝手な行動はお控えください、姫様。大切な御身なのですから」


 それは間違ってもセラスティアに対してではなかっただろう。

 むしろリニルネイアの隣にいるセラスティアには特に何も声をかけず、そのままリニルネイアを連れて行こうとする。


「セラ姉様、また遊んでくださいね」


 歩きながら振り返りリニルネイアが無邪気な笑顔でそう言ったが、セラスティアは何も返せなかった。

 さきほどリニルネイアを迎えにきた者たち、特にあの侍女が、見下す程度ではなまぬるいような視線をセラスティアに送ってきていたので。

 無視されたり、嫌なことを言われるのにも慣れている。

 しかしこの時は、セラスティアの心の中に妙なしこりが残ったのだった。


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