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派手に魔術をぶちかましておきながら、ラスの感情はまだおさまりを見せなかった。
ちぎっては投げちぎっては投げ、という表現そのままに、次々と男たちを倒していく。
男たちもその腕をかわれ雇われている者たちだ。おそらくはそれなりの技量の持ち主なのだろうが、ラスの前では遠く及ばない。
まして怒りに燃える今の彼女には。
レグルスは片手間に自分に向かってくる者を倒しながら、ラスのその様を見てやや寒気を覚えた。
もしかしたらあれがそのまま自分に向けられていたかもしれないのだ。
けれど同時に、それはそれで面白いかもしれないとも彼は思っていて、戦士としての闘争本能を刺激されてもいたのだが。
もはや動ける者がいなくなったと思われた矢先、一人の男がラスの前に現れた。
顔は見えないが、体格からして男だ。
そしておそらく、先ほどまではおらず途中で参戦してきた人間だろう。その男はあの町で見たローブを身に着けていた。
それまでの男たちとは違い、なかなかに手ごわい。
が、ラスは相手の一瞬の隙をついて蹴りを叩きこみ、男は気絶して床に転がった。
吹き飛ばされた反動でローブが外れ、男の顔があらわになる。
何故だかラスはその一瞬、怒りを忘れたようにじっと男の顔を見ていた。
だが、それも長くは続かなかった。
「へへ…貴様らこいつらを助けに来たんだろう?こいつの命がどうなってもいいのか?」
そう言って甲冑男は檻から引き出した子供に向けて剣を突き付ける。
どうやら指示を出すばかりだったため、魔術からもラスの攻撃からも逃れていたらしい。
「ラ、ラス…」
しかもよりにもよって、人質になっているのはビチェだ。
ラスはやや陰りのある笑みを浮かべた。
それを見て、甲冑男のほうは怯えたように体をふるわせた。
「俺はなぁ、ガキを人質にとるようなクズなんか、地上から消えてなくなればいいと本気で思ってるんだ」
結論からいえば、このとき甲冑男がとった行動は完全に誤りであった。
「風よ」
ラスが短くそう言い、地上を蹴る。
するとラスの体は宙高く舞い上がり、そしてある程度まで上がった後そのまま落下した。
そしてラスはその落下の力を利用して甲冑男の甲冑にかかと落としを食らわせたのだった。
すさまじい衝撃を与えられた甲冑はへこみ、そして中の男の頭を激しく揺さぶった。
あっけなく甲冑男の体が倒れる。
ラスは吐き捨てる様に言った。
「一生伸びてろ」
それで終わりだった。
もはや男たち全員が床に転がって気絶していた。
解放されたビチェは、自由になったはずなのに目の前の人物に声をかける事ができなかった。
以前に助けられた時には、もっと穏やかな印象しか受けなかった。
それが、さきほどの別人のような戦いぶりを目の前にして、本当に本人であるのか不安になってしまったのだ。
「ようビチェ。久しぶりだな」
振り返りそうビチェに明るく言ったラスは、もういつものラスだった。
ビチェは目を涙でうるませ、そのままラスへと駆け寄った。
「ラス~!!」
「なんだよビチェ。泣いてるのか?そんなに怖かったのかよ?」
怖かったと言うよりは驚いたり不安だったことが大きかったのだが、わんわんと泣くビチェはそれ以上言葉を紡げなかった。
また、安心したことで今までの緊張が一気に融けてしまったこともあった。
そんなラスとビチェのところに、レグルスが歩いてくる。
「気はすんだか?」
レグルスの静かにラスに問うた。
もしかしたら気のせいかもしれないが、若干ラスと距離を取り過ぎているようにも見える。
ラスはそんなレグルスの行動を少し疑問に思いはしたが、特に気にしなかった。
「まあ、とりあえずはな。しかし、片付いたは片付いたが、この後はどうするべきか…」
そのとき、遠くの方から大きな音がした。
そして馬のいななきや、大勢のおそらく武装した者たちの足音。
一瞬敵の援軍かと思ったラスだったが…
「我らはガルダ帝国軍である!おとなしく全員投降しろ!!」
やや遠くだが、はっきりと聞こえてきたその声に、ラスは隣の男を見やる。
レグルス、とラスはビチェに聞こえないよう小声で男を呼んだ。
「おまえ、正規軍は動かせないって言ってなかったか?」
「ああ。このためにせっかく準備しておいたんだからな」
つまりはレグルスも元々奇襲してやる気満々だったというわけで…
「言えよ。それ」
ラスにしてみれば怒るよりも呆れが強い。
「全部言ってしまったらつまらんだろう?」
そう楽しそうに言うレグルス。
「帝都でことを起こすなど、俺をなめているとしか思えない行動だ。やつらの目と頭の悪さを、たっぷり後悔させてやる」
証拠はしっかりつかんであるしな、と青い石を掲げてにやりと笑う。
(もしかしてこいつ、そのためにわざわざ自分で町行って調査したり、潜入したりしたのか…?)
自身の手で完膚なきまでに叩き潰すために。
性格が悪いというか、執念深いというか、何とも言えなくなったラスである。
「大体、この件に関してはおまえも共犯だろう?」
「は?」
レグルスの言葉に、ラスは思わず疑問符を飛ばした。
ラスのその様子に、レグルスはまた意地の悪い笑みを浮かべる。
「ここまで協力しておいて、無関係だとでも言うつもりか?立派な共犯者だろうが」
「共犯者、か…」
一緒に潜入し、しかもここまで大暴れしたのだ。
確かにその呼称は甘んじて受けるべきかもしれない、とラスは思った。
それに、少しストレス発散ができたからだろうか。何故だか不思議と、ラスはそう呼ばれても嫌な気はしなかったのだ。
レグルスはともかく、ラスが現場に残っているのはいろいろとまずい。
ビチェや他に捕まっていた者たちのことはレグルスに任せ、ラスは一人自分の部屋へと帰ってきたのだが…
「シュニア…」
帰ったのは夜だったが、赤髪の侍女は部屋で不機嫌そうに待っていた。
ラスは、そういえば行き先を告げるのを忘れていたことを思い出す。
レグルスに連れ出されたとき、そのことを侍女に話すだけの余裕がなかったのだ。
「まったくもう、あなたって人は。私にだっていろいろと思うところはあるんですからね!」
黙っていなくならないと約束したばかりなのだ。
シュニアが怒るのも無理はない。
「…埃だらけなんですから、とりあえずお風呂に入ってください」
そう言われ湯殿へと追いやられる。
むろんラスは、おとなしくそれに従った。
浴槽につかりながら、ラスはふうっと息を吐いた。
いろいろあって疲れていたのもあるが、もちろんシュニアから今日の出来事をきっちり尋問されつくしたからだ。
ちょっとでも言葉を濁そうとすると、すぐに切り込んでくる。ついでに文句もその倍くらいはつけられた。
怒りに燃える赤髪の侍女は、いろいろとしつこかった。
衝立の向こう側でラスの着替えの準備をしながら、それでもシュニアはまだ不満げにぶつぶつと何かを言っている。
「ああ、もう。たまには置いて行かれるほうの身にもなって…」
「シュニア」
ラスのその声がひどく真剣味をおびたもので、シュニアは怒っていたことも忘れ、衝立の横から湯につかるの主人を見つめる。
ラスは両手で湯をすくい、少し持ち上げてから手の力を緩める。
「捕まってるやつらを助けるために、何人かをぶっ飛ばしたんだ。だが、殴りたおした中に、な。見覚えのある顔があったんだ」
落ちていく湯を眺めながら、ラスのその表情はどこか虚ろだった。
「父上の、近衛の中で見た顔だ。それもたぶん、そこそこ父上に近かった…」
思わずシュニアは息をのんだ。
ラスの言いたいことを瞬時に理解したからだ。
「それは…」
「もしかしたら偶然かもしれない。でもな、もしそうじゃなかったら…」
ラスは持ち上げていた腕から完全に力を抜いた。
力なき両腕は水面に落下し、バシャンという大きな音が湯殿に響いた。
夜遅くだというのに、ラスのもとには訪問者があった。
どこかで見た顔だと思ったら、確かリニルネイアの侍女の一人だったはずだ。
聞けば、リニルネイアが話をしたいと言っているため、今からエンダス一行が泊る屋敷へと来てほしいというのだ。
「こんなに夜遅く…いくらなんでも非常識ではないですか?」
と、シュニアは不満顔だ。
普通高貴なる人間というのは、約束なしには会うことも難しいものだ。
それが例え、血のつながった親兄弟であっても。
よほど親しかったり、緊急事態なら別だろうが、それでもこの国の皇太子の側室たる人間を夜中に連れ出そうなど、非常識にもほどがあるというものだろう。
「その申し出、明日では駄目なのですか?」
シュニアがそう提案するも、リニルネイアの侍女は頑なだった。
「姫様は今すぐとおっしゃられているんです」
「わかりました。行きましょう」
ラスは決断した。ここにいて問答するばかりでは何も始まらない。
「では私も共に…」
「なりません」
シュニアの申し出に、リニルネイアの侍女は姫様は姉妹水入らずで話をしたいのだ、と強硬に主張する。
「シュニア」
反論したそうにする自分の侍女を、ラスは名を呼ぶことで抑える。
「もう遅いから、あなたは私を待たずに休んでいいわ」
シュニアを安心させるように、ラスは穏やかに微笑んだ。
不審な点は確かに多い。
けれど、この機会を逃せば、本当にもうリニルネイアと話をすることはできないかもしれないのだ。
そうしてラスは迎えの馬車にのりこみ、リニルネイアの待つ屋敷に向かったのだった。




