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やはり潜入は暗くなってからの方が都合がいいため、日が落ちるのを待った。
ラスはいつもの黒髪の男装姿。
一方のレグルスは暗い中では目立つだろうと金髪にはせず、身なりは庶民のものであったが、いつも通りの黒髪だ。
物陰に隠れながら、ラスはふと気がつく。
「そういえば、よかったのか?」
「何がだ?」
「リニルネイアと、約束してたんだろ?」
アノンの気遣いもむなしく、彼が言いかけていた続きは、聞かずとも容易に想像がついたラスである。
「今更、ここまで来ておいて何をいう」
現在地、敵の本拠地の真ん前。
その本拠地がとある巨大な商店であり、帝都見物のときに見て回った場所の一つで、それを知ったラスを少々脱力させたのは余談である。
「まあ、そうなんだが…」
ラスにしてみれば、約束すっぽかされて可哀想に、とつい妹のことを考えてしまうのである。
「おまえ、あの妹に対して甘過ぎるだろ。…いい加減気づけ」
レグルスの言葉は、後半は小さくぼそりと呟いただけだったため、どうやらラスの耳には届かなかったようだ。
「あ、そうだ。これ、渡しておく」
そう言ってラスがレグルスに手渡したのは、六角形にカットされた青い石だ。
おそらくは魔石、そしてよくよく見てみれば細かい魔術文字が刻まれている。
「なんだ?これは」
手の中に転がったそれを見て、レグルスが尋ねる。
「証拠品とか自分の手で持ちかえるのは面倒だろ?重かったりかさばったりするし。だからこれは、ちょっとした鞄みたいなものだ。これをかざすとその前にあるものが収納されて、重さも関係なく持ち歩ける。まあ、あまり大きなものは無理だけど…あとは、書類内容をコピーして情報を蓄積することもできるな」
「…やけに準備がいいな」
あの短時間の間に、どうやってこのようなものを用意したのだろうか。
「まあ、傭兵にもこういう仕事がまわってくるときはあるしな」
そのときあったら便利だろうと考案作成し、そしてちゃっかりエンダスから持ち込んでいたラスである。
「便利だな。これ、もらってもいいか?」
「別にいいけど」
珍しくレグルスが興味深げに見ているので、ラスは思わずそう答えた。
(別に、終わったら返せとか言うつもりもなかったんだけど…)
ラス自身はそこまでケチではないつもりだったのだが
「複製して間者にもたせよう」
「ふざけんな。特許料とるぞ」
ぽつりと出たレグルスの発言には、守銭奴魂全開で抗議してしまったのだった。
証拠品がどこにあるかわからない以上、二人一緒に探すよりも、二手に分かれたほうが効率的だ。
二人は早々にそう判断し、そして改めて合流する場所と時間だけを決めて別れた。
ラスは、暗闇の中を危なげなく歩く。
元々夜目がきく質ではあるし、夜中に奇襲をかけたりした経験もあったため慣れているのだ。
表通りに面したこの商店は、裏で店主の別宅と繋がっている。
本来、店と住居スペースがつながっていることは少なくない。
泊りこみで仕事をしたり、帰りが遅くなった従業員を泊めるなどということはよくあるからだ。
しかし侵入してみれば、そこには絢爛な燭台、最高級の絨毯、廊下には芸術価値の高そうな彫刻や、美しく花が飾られた高価な花瓶…
家、というよりも屋敷といった方が正しい。
しかも仕事とはまったく縁がなさそうな、まるで多くの客人を招待したパーティーでも開くような内装である。
そしてやはりというか、途中には見張りと思われる者たちもいる。
明らかにその手の訓練を受けたと思しき、屈強な男たち。
ラスはその数人をあっさり気絶させて侵入を果たしたが、この警戒態勢は普通ではない。
商品が置いてある場所はともかく、いくらこの商店が大きいものとはいえ、本宅でもない屋敷にここまで人員を配置する必要はないだろう。
だが、見張りの配置されている場所を確認していけば、自然と重要な物のありかが見えてくるというものである。
何の手がかりもなく動き回らなくて済み、ある意味その部分は好都合だった。
必要以上の見張りとの接触は避けつつ、ときには何人か沈めながらラスは進む。
やがてたどりついたのは、とある部屋。
どうやら屋敷の主の仕事部屋のようだ。それ用だろう大きな机が見える。
さっそくラスは、机の引き出しの中にある書類を調べていく。
(よし、見つけた)
少し見ただけだったが、どうやら人身売買の顧客リストであるようだ。
ラスはさっそく青い石をかざして、リストをコピーする。
これでオークション当日にやってくるのを待たずとも、関係した者たちを捕える事ができる。
(さて、あとはレグルスと合流して、ビチェたちを助けるだけだな…)
そう思い合流場所に向かう途中、ラスはふと足を止めた。
何か、妙な音が聞こえた気がしたからだ。
それがひどく気になり、ラスはその音がしたほうへと歩いていく。
ある部屋に目がとまった。扉が少し開いて、そこから明りが漏れている。
おそらくその部屋から聞こえてくる、低い唸り声。
ラスは廊下の壁に張り付き、扉の隙間から中の様子をうかがった。
そこにいたのは、二十代後半くらいの金髪の青年。
そして檻に捕らわれた、一頭の獅子。
「百獣の王とか言われても、こうなってしまえばただの獣だね」
金髪の青年は、獅子を見降ろしながらそう言った。
一方獅子は青年を鋭く睨みつつ、ずっと低い唸り声をあげている。警戒しているのだ。
青年は獅子から視線を外すと、ぼんやりと天井を見上げるような格好のまま言った。
「おや、なんだか見かけない人だね」
青年は、ラスの存在に気付いた。
ラスは内心ひどく驚いた。しっかりと気配を消しておいたため、余程の手だれでなければ見破ることなどできはしないはずなのだ。
迷ったのは一瞬だった。
ラスは驚きを隠しつつ、堂々と扉を開けて部屋の中に入り込んだ。
それで初めて、ラスは青年の顔をしっかりと見る事ができた。
肩より少し伸びた金色の髪、まるで翡翠を埋め込んだようなその瞳、白い肌に繊細な顔立ち。
格好からして、どこかの貴族の若様、といったところだろう。
一瞬ラスの脳裏に何かが浮かび、誰かに似ている、とそう思った。
「…あんた、この屋敷の客人か?」
「まあ、そうだね。ここのお客、かな」
はっきりしない返答に、ラスは少々苛立ちを感じたが、次いで青年の後ろのものに視線を向ける。
「その獅子は?」
ラスの質問に青年は、ああこれ?と笑顔で答える。
「予定より早くついてしまって暇だったからね。珍しいものを見せてくれるというから来たんだけど、少々期待外れだったかな」
「期待外れ?」
獅子など本来帝国にはいないのだから、十分珍しい代物だろう。
ラスはそう思いつつ、檻へと近付く。
閉じ込められた獅子に目を向ける。互いの視線が合ったことが分かると、ラスはふっと笑った。
ラスが鉄格子の隙間から手を入れると、獅子は唸るのをやめ、ぺろりとラスの手を舐める。
「へえ、すごいね。どうやったの?」
金髪の青年は純粋に感心しているようだった。
「別に…ただ、こっちに敵対する意思がないって伝えただけだ」
帝国の守護獣シュリエラさえ陥落させたラスには、普通の獅子など恐るるに足らない。
「つーかこれだけ警戒されるなんて、あんた動物に嫌われる質なのか?」
「…そうだね。たぶん私は、獣を懐かせるのには向いていないんだろう。数年前にもそれで痛い目をみたから」
それはどこか憎しみさえも感じさせる、暗い笑みだった。
そのあまりの変化に、ラスは思わず目を見張る。
「そうだ。ちょっと聞いてみたいんだけど」
先ほどまでとは雰囲気が一転、明るく青年は問いかけた。
「君は、獣人とはどういう存在だと思う?」
「どういう存在って…」
突然の質問にラスは戸惑う。
「頭脳や身体能力に優れ、人とは少々違う姿だけれど見目麗しい。そんな彼らは一体どこから来たんだろうね。獣との混血だなんて言われているけど、遥か昔の記述なんかには存在しない彼らは、けれどいつの間にかあらわれて現在も細々ながら生き続けている…」
「あんた、学者か何かなのか?」
「いいや。でも君がどう考えているか、聞いてみたいと思ったから」
ラスは青年の意図が理解できなかった。
だが、一息ついて自分なりの考えを述べる。
「…俺は、あんたの問いへの答えは持っていない。けどな、今生きている獣人たちにしてみたら、どうして生まれてきたのかなんてものよりも、どうすればこの先幸福に生きていけるのかのほうが重要だろう。希望を求めてもがき続ければ、そしてそれに本当に必要なら、どうして生まれたのかなんて理由は自然とわかってくるだろうさ」
「…なるほど」
男はおもしろそうに笑っていた。
「引きとめてしまってすまなかったね。連れを待たせているんじゃないのかい?」
「………」
何故そんなことを知っているのか。
ラスは一瞬、この青年を殴って気絶でもさせたほうがいいだろうか、と考えた。
しかしラスの勘が、青年が一筋縄ではいかない人物だと告げている。
今のところ敵対するつもりはなさそうなのだ。
ここで余分な時間をつかったり、騒ぎを起こす危険をおかすより、早々にレグルスと合流し脱出の算段をしたほうがいい。
そう考えたラスは、警戒しつつも身を翻して、黙って部屋を立ち去った。
青年は去っていくラスの姿を見て、ぽつりとつぶやく。
「あれがレグルスの…」
再び部屋には青年と獅子だけになった。
獅子はラスがいなくなると、また青年を睨み、唸り声を上げる。
青年は、閉じ込められ、逃げる事もできない獅子を見ながら薄く笑った。
「きっとまた会うことになるよ。竜に魅入られし者、セラスティア・アロン・ルーエンダス」




