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シルヴァジェント大公記  作者: 楓猫
第二章
39/81

37

 部屋に入ってきた人物を見た時、アノンは目を見張ったし、ニールは思わず身構えた。

 銀色の髪をもつ皇太子の側室、セラスティア・アロン。


「お話が、あります」


 その声から感じる意思は固く、そしてその視線はまっすぐ、目の前の皇太子レグルスに突き刺さっていた。

 その様は覇気に満ち、まさしく戦場に向かう戦士そのもの。

 うかつに手を出せば返り討ちにあいそうで、非常に近寄りがたい。


 ニールとアノンは同時に思った。

 まずい、これは修羅場だ、と。


 例の噂が、側室たる彼女の耳に入っていないわけはない。

 今までずっと通いつめてきていた夫の、突然の浮気。しかも相手は、自分の実の妹。

 下世話な貴族たちの嘲笑を受けたり、最近は収まってきていたはずの嫌がらせもまた増えてきたらしい。

 ないがしろにされた彼女の心中はいかばかりか。

 そして一体どういうつもりでここに来たのか、考えるだけ怖ろしい。


 だからレグルスが側近二人に退室を命じたとき、ニールとアノンは正直どうするべきか迷った。

 いくらレグルスがおそろしく強いとはいえ、この側室と二人きりにするものはいかがなものだろう。

 まあその側室が危険な人物と化しているのは、どう考えてもすべてレグルスが悪いわけだが、臣下としては主の身の安全を確保する必要があるのである。


「いいから出て行け。夫婦の会話を邪魔するつもりか?」


 再びそう命じられた上、レグルスに鋭く睨まれる。

 仕方ない、と二人は決断した。


「な、何かあれば呼んでください」


「お、お手柔らかに頼みます…」


 アノンはレグルスに、ニールは銀髪の側室にそう言って渋々部屋を出て行った。

 が、おそらくいつでも助けに入れるよう、扉の外に待機していることだろう。


 レグルスが軽く手を上げると、室内の空気が少し変化した。

 結界を張ったのだとラスには理解できた。おそらく、盗聴防止のためだろう。


「それで、用件はなんだ?」


「ビチェが攫われた。居場所が知りたい」


 久しぶりなはずの夫婦の会話は、何とも殺伐とした内容であった。


 自分で思っていたよりも、ラスはひどく冷静だった。

 誘拐されたであろう者たちの未来がかかっているのだから、割り切ろうとは思っていた。

 けれどもしかしたら、レグルスの顔を見た瞬間、飛びかかって心ゆくまで殴ろうとするかもしれない、とも考えていたのだ。

 おそらくは、立場云々を抜きにして、自分はそれだけのことをされているだろうとラスは思っていた。

 だが、向かい合うレグルスの瞳に、きちんと感情の色が宿っていたから。

 もしもう一度あのときのようながらんどうの瞳を向けられたら、ラスは今度こそ強力な攻撃魔術で宮ごとレグルスを吹き飛ばしていたかもしれない。


 けれど、目の前にいる人物は、確かにラスが知るレグルスだった。

 そのことがわかって、不思議とラスの心は凪いでいた。


「知らないと言ったら?」


 やはりというか予想通りというべきか、レグルスは素直に教える気はないらしかった。


「オークション会場に関しての情報は押さえてあるはずだろう。それにビチェについては、おまえの魔術の反応を追えばすぐに居場所がわかるはずだ」


 ビチェにはレグルスが追跡用の魔術をかけていた。

 どこまで本気で考えていたのかは知らないが、ビチェを囮として使うつもりだったのなら当然と言えば当然の措置だ。

 ラスがビチェに関して何の対策もしていなかったのは、同じような魔術を二重にかける必要はないと思っていたからだった。


「確かに居場所はわかる。だが、オークションは明日だ。それまでビチェに危害は加えられないだろうし、明日動けばオークションに参加しようと会場にきたやつらも一網打尽にできる」


「それじゃ駄目だ」


 ラスはピシャリと言い切った。


「わかってるはずだ。いくら人が多いからといって、この国の最高権力者の住まうこの帝都で、人身売買とそのために必要な獣人の確保をしているんだぞ。そんなことするのはよほどの馬鹿か、じゃなきゃ足がつかないよう周到に対策しているってことだ。正攻法で乗り込んだとしても、するりと親玉は抜け出ちまうのが落ちだろう。だったら、秘密裏に潜入して決定的な証拠になるようなブツや書類なんかを見つけたほうが手っ取り早くて確実だ」


 あまりにもわかりやすい犯罪行為の裏には、なんらかの強大な権力が控えていることが多い。

 ラスはどうせやるなら、裏で糸を引いているようなやつらまでしっかり捕まえろというのである。

 そのうえで、捕まっている者たちを助け出す、と。


「確かに一理あるな。だが、だとしても、わざわざおまえに教えてやる必要はないだろう?」


 納得した様子は見せても、レグルスは意地の悪い姿勢を変えようとはしなかった。

 だがそれは、ラスの方も予想済みである。


「今回の迷惑料代わりだと言ってもか?」


 その一言はレグルスにとって、意外なものであったらしい。

 わずかに揺れた緑の瞳に、ラスは優越感を覚えながら言葉を続ける。


「この俺をさんざん虚仮にしてイライラさせといて、まさかそのまま何もなかったことにするつもりじゃねーよな?」


 ラスはレグルスの胸倉をつかむと、そのまま間近で睨みつける。

 その言い方はまるで喝上げするチンピラのようでもあったが、その手の者の持つすさんだ色は見られず、そのかわり深い青の瞳は焼けつくような何かを宿していた。


 レグルスは思わずそれに見とれた。


「やはり本物は違うな…」


 レグルスはぼそりとそう言った。

 ラスはその意味がわからず内心首をかしげた。

 僅かな沈黙の後、レグルスがにやりと笑う。


「いいだろう。ただし正規軍は動かせない。俺たちだけで潜入ということになるが、それでも行くのか?」


 ラスは迷いなくコクリとうなずく。

 それを見てレグルスはまた笑って言った。


「ついてこい」






 部屋を追い出されたニールとアノンは、なんとか中の様子が探れないものかと廊下でうろうろしていた。

 壁や扉に耳をあてたりもしていたのだが、一向に物音ひとつ聞き取れない。


 しばらくして部屋からレグルスが出てくる。

 どうやら五体満足、怪我ひとつしていないようで、二人は同時に安堵した。 


「出かける」


「いや、しかし、確か今日はこれから…」


 リニルネイアと会う約束があったはずである、と言いそうになってアノンは言葉を止める。

 レグルスのすぐ後ろに、彼の側室が立っていたからだ。


「え、レグルス。もしかして出かけるって、二人で、か?」


 驚いてニールが尋ねる。

 むろん二人とは、レグルスとその側室のことである。


「そうだが、何か問題でもあるのか?」


 レグルスの返答は質問の形をとってはいたが、有無をいわさぬ強制力を秘めていた。

 説明を求めて後ろの人物にも視線を向けたが、側室は口を開くことなく沈黙を守っている。


「あ、いや、別に問題はないと思うけど…一応護衛を」


「必要ない。足手まといだ」


「いや、そりゃおまえにとってはそうかもしれないけど…」


「なら、もう行くぞ」


 そう言った後レグルスは、僅かに側室に視線を向けてから歩きだす。

 それを見て側室もレグルスの後に続く。

 

 先ほどまで一触即発だったはずの二人。

 それがどうして、何がどうなって、二人仲良く外出するなどということになるのか。


 中で一体何があったんだ?

 二人の側近はその質問を口に出せぬまま、徐々に小さくなっていく二人の後ろ姿を呆然と眺めていた。







「あら、レグルス様はいらっしゃらないの?」


 思い人の不在を告げられて、リニルネイアはひどく残念そうな顔をした。

 その顔は見る者すべてを同情させるような不思議な魅力があったが、いないものはいないのである。アノンもニールもどうにもできない。


「はい。急を要する案件が舞い込みまして…」


 アノンは努めて冷静にそう言った。


「そうですか。楽しみにしていましたのに…」


「申し訳ありません。皇太子殿下からは、約束を守れず姫にすまないと…」


「お仕事なら仕方ないですわ。約束は、またにしましょう」


 そう言って去っていくリニルネイアの姿を見て、アノンは安堵のため息をついた。

 仕事が入ったことや、レグルスの言葉など、すべてはアノンの作り話である。


 真実など、言えるわけがなかった。

 皇太子がリニルネイアとの約束をすっぽかし、リニルネイアの姉たる側室を連れてどこかへ出かけたなどとは。


「何が一体どうなっているんだろうな?」


「俺が知るか!」


 疲れたような様子のニールの質問に、アノンは半ばやけになってそう答えた。


 どうしてこうなったのかなど、彼のほうこそ教えてほしかった。

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