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シルヴァジェント大公記  作者: 楓猫
第二章
35/81

33

「セラ、もしかして兄上と喧嘩でもしてたの?」


 レグルスとリニルネイアが去った後、アルタイルが心配そうにそう言った。

 幼いながら、先ほどの状況のおかしさには気づいたらしい。


「そんなことした覚えは無いのだけれど…」


 それはラスの本心だった。

 何故レグルスがあんな態度だったのか、本当に意味がわからない。


「セラスティア様。申し訳ありませんが、アルタイル殿下はそろそろ戻りませんと…」


 アルタイルの護衛たる女騎士がそう申し出た。

 アルタイルとて暇を持て余しているわけではない。おそらく勉学があるのだろう。

 女騎士がすまなそうにしているところを見ると、どうやらアルタイルだけでなく、ミーシャにまで気を遣わせているようだった。


 確かに、常識的に考えればそういう状況なのだろう。

 いきなり夫が冷たい態度をとり、しかも他の女と仲良く歩いていったのだ。

 普通は怒ったり、落ち込んだりするものなのだろう。


 だが、生憎ラスはレグルスの先ほどの態度への怒りは確かにあったが、それよりも心配だったのはリニルネイアのことである。

 彼女の様子を見るに、レグルスにかなり惹かれているようだった。

 リニルネイアは将来エンダスを背負って立つ身だ。

 親しい友人程度ならともかく、レグルスに本気でのめり込むようなことは避けなければならないだろう。

 よって、ラスは夫を他の女にとられるということよりも、自分の妹がレグルスの毒牙にかかることを心配していたわけである。

 少なくともラス本人はそう認識していた。


「大丈夫だから、心配しないで」


 ラスはそう明るく言って、二人を送り出したのだった。









(大丈夫って、俺言ったよな…?)


 もてなすべき相手がいなくなったため自室に戻ってきたラスだったが、帰ってきたら帰ってきたで侍女三人娘の気遣わしげな視線にさらされることになった。

 室内はどうにも妙な雰囲気で、ラスは思わず苦笑した。


「何か、あったんですか?」


 扉を開けた瞬間のシュニアの第一声がそれだったのだから、よほどおかしな雰囲気だったのだろう。


「別に…シュニア、少し遅かったな」


 ラスの言葉で、シュニアの興味はそれたようだった。

 遅れたことを詫び、軽く頭を下げる。


「少々手間取ってしまって…遅れてすみません」


「構わないさ。さて、それじゃ報告を聞こうか」


「はい。やはり、帝国内部で不穏な動きがみられるようです。他国からの間者の数も増えているようで…」


「やっぱりな」


 それがアノンが警戒を強めていたもうひとつの理由だろう。

 側室というラスの立場は、情報を漏らす元にもなりうる。

 レグルスに限ってまずないだろうが、男が女に対する寝物語に重要な情報をぽろりと漏らすのはよくあることだ。

 娼婦などは、そうして得た情報を商売の種にする場合もあるのだ。


「戦でも始まるのか?」


「それはなんとも…絶対にないとは言い切れませんが」


「やはり詳しいことはわからないか…」


「申し訳ありません。引き続き情報収集は続けますが…」


「頼む。…側近殿に関しては、空振りに終わったしな」


 そうぽつりとラスは言った。

 後半はぼやきのようになってしまいラスにそんな意図はなかったが、侍女の一人がその言葉にピクリと反応した。

 黒髪の侍女、マリアだ。

 今にも泣きそうな顔で頭を下げた。


「あ、あの…申し訳ありません、姫様。私の、せいですよね…」


「マリア?」


「私が取り乱したせいで、アノン殿から情報を得るのを邪魔してしまったんですよね?」


「…アノンとのこと、気づいていたのか。やはり察しがいいな」


 レックスから話を聞くだけなら、別にラスは自室を選ぶ必要はなかった。ラスならば変装してどこか別の場所で落ち合うことも可能だったのである。

 夫以外の人間を自室に入れる、そんな不審に思われるような行為をあえてとったのは、ある意図があったからだ。


「あの手のタイプは大抵、間違っていることを見過ごせない性分なんだ。たぶん真面目すぎて見て見ぬふりができないんだろうな。それに普段は冷静に物事を進める分、取り乱した時は脆い」


 レグルスに対する忠誠心からでもなんでも良かったのだが、アノンが逆上してくれることをラスは期待したのである。

 人間怒ったりイライラしているときは、強そうに見えて案外無防備なものだ。そしてそこに付け入る隙ができる。


「アノンはレグルスの側近で、帝国内外の重要な情報を持っている可能性が高い。エンダス側にも探りをいれているみたいだし、怒りにまかせた罵倒でもなんでも、情報になるようなことを吐いてくれたらとは思ったがな…」


 レグルス本人に問いただすよりは勝算があると思ったのだが、流石レグルスの側近というべきか、アノンはほとんどぼろを見せなかった。

 侍女たちが怒りだしてしまったせいで、揺さぶり自体が十分でなかったのもあるが。


 ラスが改めて情報を与えたので、アノンは少々動揺していた様子だった。それでまたイライラしてくれれば良し、ついでにアノンがラスについてよく調べようとすることで、ラスが探りを入れられない範囲のラスに関わる危険因子まで暴き立ててくれればなお良い。


「しかし、あのときはどうしたんだマリア。どうにもらしくなかったが…」


 普段マリアはマイペースで怒ることもほとんどない。

 どちらかと言えば、理知的な割に飛び出すのは片割れのセシルの方で、マリアはその抑え役に回ることが多いのだが…


「それは、あの、こんなこと言い訳にもならないんですが、私山暮らしが長くて…」


 そうしてマリアは語り始めた。


「私は小さいころから母と二人で生活していたんです。その場所が人が滅多に立ちよらない本当に山奥で、数は多くないながらちょっと危険な獣がうろついていたりもするところでした。生き残るために必要な知識や技術は最低限母から教わりましたが、あとは自分で寝床を確保したり、食べ物をとったりして山の中で生活して…だから私の価値観は人とちょっと違うみたいなんです。そのうち父の実家に引き取られることになって…本当は気が進まなかったんですけれど、礼儀作法やら何やらを教えられて、奉公に出されることになったんです」


 マリアの実家タイレン家は、爵位は無いがかなりの名家だったはずだ。

 おそらく実家の者たちは仰天したことだろう。令嬢がそんな野生児では。

 奉公に関しても、おそらくマリアを普通の女子に戻そうとした苦肉の策であるに違いない。


「シュニア?」


 ラスはやや引きつった笑いでシュニアを見た。

 そんなマリアの事情は聞いていない。


「すみません。侍女としてやってきたときに一応身辺調査はしたのですが、実家とその友好関係が主で、個人の育ちに関してはそれほど詳しくは…」


(まあ、そんな事実マリアの実家ももらすまいとしただろうしな…)


 たおやかに見えて実は野生児だったなど、嫁入り先どころか奉公先さえ見つかるかどうかあやしい。


「姫様に一目お会いした時、私は確信しました。この方こそ私の主人ボスだと」


 マリアの紫の瞳はひどくキラキラと輝いている。

 彼女の頭の中には社会の身分とは別に、野生動物の群れのルールが適応されているらしい。

 そして本能的にラスの強さを悟ったのだ。おそらくは野生の勘といえるようなもので、自分の上に立ち群れを率いるボスであると。


「その点でいえば、失礼ながらアノン殿は頭はよくても、肉体的にはダメダメです。頭でっかちなだけで、野生では生き残れないタイプですもの。だからあんなひょろひょろ…じゃなかったアノン殿が、ボス…じゃなかった姫様に対して逆らってきたのでつい頭にきてしまって」


 マリアにとってアノンとのことは、弱いくせに群れのボスに逆らうよそ者を思わず威嚇した、という感じらしい。

 それまで普通に話をしていたマリアは、けれどそこでシュンと体を縮めた。


「いえ、こんなこと、本当に言い訳にもなりません。姫様の侍女としての自覚が足りませんでした。本当に申し訳ありません」


「姫様。それなら私も同罪です。申し訳ありませんでした」


 そんな同僚の姿の、金髪の侍女も進み出た。

 マリアとセシルが深々と頭を下げる。

 二人の濃い反省の色を見てとって、ラスは苦笑した。


「わかっていて次回から気をつけられるなら、俺からは何もいうことはない。シュニアは?」


 ラスはそう言って、赤髪の侍女を見つめた。

 シュニアは侍女たちの先輩であり、筆頭でもある。つまりは一応、彼女たちを監督する立場でもあるのだ。

 自分の懐に入れた者に対して甘い自覚がラスにはあるが、シュニアならばその点、ばっさりと切ってくれる。

 また主人であるラスから直接注意するより、立場的にもシュニアが指導する形にした方が無難だ。


「ラスがそう言うなら、私からも特には…。ただアノン殿の振る舞いが少々目に余っても、こちらの対応が不適切であったことは事実ですし、その点に関しては謝罪を。心の中では何を思っていようが自由ですし、それを言動に出さなければいいだけなんですから、これからは気をつけてください」


 身も蓋もない言い方だが、事実ではある。

 セシルとマリアも、深くそのことを心に刻むようにうなずいた。


 ラス、とシュニアは主人の名を呼んだ。侍女からの視線で、ラスはどうやらまだ伝えていない情報があったらしいと気づく。


「もうひとつだけ、これは不確かな情報なんですが…」


 らしくなく言い淀むシュニア。

 そもそも、シュニアが不確かな情報をもってくる時点でらしくない。

 そんな段階で話さなければならないほど、厄介な内容なのだろうか。


「何だ?」


 ラスに促され、シュニアは決意するように口を開いた。


「エンダスの大地に、異変が起きていると…」


 シュニアの言葉に、ラスは目を細めただけで何も言わなかった。

 ただ、感じていた。何かの始まりを。










 考えを整理したくなったラスは、軽く散歩をすることにした。

 レックスの言っていた噂、シュニアの情報。

 彼女の中に一つの予想が生まれた。


「いや、でも、いくらなんでも早すぎる…よな?」


 そう言って、軽く首を横に振る。

 そうであってほしくないという気持ちが強いことを、自覚しながら。


 皇太子宮のなかを何ともなしに歩いていたラスは、途中とあるものに目を止めた。

 あまり背の高くない垣根の向こう側、植えられた木の根元にぽつんと小さな花が咲いている。正確には蕾をつけ、ほころびかけているのだ。

 とっさにラスは周囲の状況に目をくばった。垣根は所々庭師が出入りするためであろう隙間があり、また幸いにも周囲に人はいないようだった。

 本来ならドレス姿で垣根の向こうの植物だらけのところへ入っていくなど、姫君としてはありえない行動だ。

 だがそのときのラスは、その様子を人に見られなければいいだろうと思った。いざとなれば姿を隠す魔術だってある。


 あまり植物の根を傷めないように歩く場所を考えながら、ラスは先ほどの花のところまでやってきた。

 小さな白い花弁が、これからゆっくりと花開いていくのだろう。いくつか蕾があるので、もう何日かしたら本当に見頃かもしれない。

 膝を折って花を眺めながら、ラスはぼんやりとそんなことを考えていた。


 そんなラスのほうへ近づいてくる二人がいた。

 レグルスとリニルネイアだ。


 とっさにラスは声をかけようか、と思った。

 しかしそこで自分の状況を思い出す。

 レグルスはともかく、姉を普通の姫君だと思っているリニルネイアに今の姿は見せられない。

 また、先ほどのレグルスの態度が、ラスの中で妙に引っ掛かってもいた。


 ラスは植物の陰に隠れてやりすごそうと結論をだした。

 静かにしていれば、おそらくすぐに通り過ぎてくれるだろう。


 廊下を歩きながら、レグルスとリニルネイアは何かを話していた。

 リニルネイアは終始楽しそうでほころぶような笑みを浮かべていたし、レグルスのほうもいつもの性悪さは引っ込め、愛想よく会話をしているようだった。


(なんかあのレグルスの顔、いつも以上にむかつく…ってそうじゃなくて、リナ!そんな男の顔ばかり見てたらそのうち転ぶぞ)


 ラスが気にしていたのはリニルネイアのことだった。

 リニルネイアの視線はレグルスの顔にばかり集中しているのである。

 そして案の定というべきか、足元がおろそかになった彼女は、つまずいて体のバランスを崩してしまったのだ。


 が、そこで助けに入ったのはレグルスだった。

 リニルネイアの転びかけた体を自身に引き寄せる様にして支える。

 二人の体が、密着する。


 ドクン、と心臓が大きく脈打ったような気がした。


 そしてその瞬間、思わず身動きしてしまったラスは、ドレスを周囲の植物に触れさせてしまい、わずかながら音を立ててしまった。

 リニルネイアならばともかく、あのレグルスがそれに気付かぬわけもない。


 視線が交差する。あの緑の瞳と。

 だが、ラスは愕然とした。

 ラスを見るそれには、何の感情も宿ってはいなかった。


「あ、悪い…」


 ラスが言えたのはそれだけだった。

 そしてもはや音を立てる事さえも気にせず、ラスは二人とは反対側の垣根を抜け、その場を駆け出した。


 言葉遣いにさえ、意識がまわらなかった。

 しばらく走った後立ち止り、ラスはそのことに気付いた。らしくもなく、息も荒い。


 必要以上に気にすることは無い。

 あれはどう見たって偶然の産物だ。ラスが逃げ出す必要など、なかったはず。


 だが、ラスの頭にはあのときの光景が焼き付いていた。

 レグルスとリニルネイア。二人は転倒を回避するために身を寄せ抱き合ったあと、お互いの顔を見合わせ、楽しそうに笑いあっていたのだ。

 それはあまりにも美しい、似合いの一対。


 そしてなにより、あのレグルスの瞳。


 何故だかはわからない。

 考えなければならないこと、考えたくないこと。

 頭がもう、ぐちゃぐちゃだった。








「レグルス様?今、何か音がしませんでした?」


 レグルスの腕の中で、リニルネイアが無邪気に問いかけた。


「いいや。おそらく風のせいだろう。なにせあなたが倒れるぐらい、強い風だったようだから」


「まあ、ひどい」


 転びそうになったことを、からかわれているのだ。

 リニルネイアはそのことに気付き、仕返しに少々距離をとって、それから勢いよくレグルスにぶつかった。

 レグルスはそれも難なく抱きとめる。


 リニルネイアは楽しげに声をあげて笑った。

 こんな感情は初めてで、何もかもが喜びだった。さらに近付くよう、レグルスの胸部に顔を埋める。


 だから彼女は気付かなかった。

 そのときのレグルスの、質の悪い笑みに。

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