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レックスはラスとの話を終えると、フィリーナに送られて部屋を去った。
もちろんその送っていく人選では、ラスはあえてフィリーナを指名したのだったが。
妙に距離を開けつつも並んで歩く二人の様子を、ラスは廊下でほほえましく思いながら見つめていた。
「故郷の人間とはいえ、ならず者の男と軽々しく会うのはどうかと思いますよ」
そこに通りかかったのが、朱色の髪をしたレグルスの側近、アノンである。
アノンはかけた眼鏡を指で少し押し上げ、
「もう少しご自分の立場を自覚されたほうがよろしいと思います」
敬語なのだが、まるでラスを見下すような冷徹な言葉を投げかけた。
「無礼な」
そこで立ちふさがったのはマリアである。
「いくら皇太子殿下の側近とはいえ、言葉が過ぎます」
セシルもマリアの横に並び、アノンへと鋭い視線を向ける。
「マリア、セシル…」
ラスは侍女たちを落ち着かせるように名を呼んだ。
あらためてアノンに向き直り、ラスは言った。
「そうですね。確かに、この国の重要な役職にあるわけでもない方を自室に招いたことは私の落ち度と取られても仕方ないですね」
「姫様…」
マリアが少々不服そうにラスを見つめるが、それはラスが視線を向ける事で沈黙させる。
「そう思われるなら、今後は自重なさることです」
一方アノンは、その強固な態度を崩そうとはしない。
「私の行動が気になるなら、皇太子殿下にご報告していただいて一向に構いません。もっとも、殿下は特に何もおっしゃらないと思いますよ」
それはラスの中ではもはや確信に近い。
この程度でどうこう騒ぐような男ではないのだ、レグルスは。
「ああそうだ。これだけは伝えておきましょう。あなたが今どのように考えているかは知りませんが、先ほどの彼が所属する傭兵団は、別にエンダス大公の手駒というわけではないんですよ」
そこでようやく、アノンの表情が変わった。
「それは…」
どういう意味なのか、と鋭く視線で問いかけてくる。
「ここで私が何を言っても、おそらくあなたの疑いは消えないでしょう。ご自分で調べられた方がよろしいと思いますよ」
ラスは目だけで笑ってそう言うと、侍女たちをひきつれて部屋に戻った。
部屋に戻っても、侍女たち、特にマリアの怒りは収まらないようだった。
「なんて無礼な方なんでしょう。姫様の不義を疑っているんですよ、あれ」
「落ち着け、マリア」
「でも…」
「たぶんあのアノンという男は、ひどく真面目なんだ。ありとあらゆる可能性を視野に入れているんだろう。俺の立場を考えれば、ないわけじゃないからな。俺の行動に不審な点があるのは確かだし…」
現在レグルスには子供がいない。
ここでラスが子供を産めば、それが将来の帝位継承第一候補になる可能性が高い。
普通の姫ならば、ここでなんとしても子供を産もうと躍起になるところだろう。そう、たとえ父親をすり替えたとしても…
皇室の過去、そのような事例はいくらでもあっただろうし、そのたびに無用の争いが勃発する羽目になるのだ。
皇太子の側近たるアノンが注意するのも、当然と言えば当然と言えた。
それに、とラスは思う。
「たぶんそれだけでもないと思うしな…」
ラスの言葉はひっそりと空気に溶けた。
次の日も、リニルネイアはやってきた。
暇なのだろうか、と一瞬ラスは思ってしまったのだが、どうやら会談などの合間を縫ってきているようだ。
リニルネイアたちが滞在する屋敷よりも、皇太子宮のほうが会談場所には近い。
そうした利点もあって訪れてきているようだが、一番はリニルネイア本人の希望であるそうだ。
けれど、何の知らせもなくいきなりやってくるのはいい加減勘弁してもらいたい、と思わなくもないラスである。
万一ラスの不在がバレて、ややこしいことになっては堪らないからだ。
おちおち出かけてもいられない。
が、それでも笑顔でリニルネイアを迎えてやるあたり、ラスは自分の甘さを恨みたくなる。
たまには気分を変えようと、侍女たちの提案で庭でお茶をすることになった。
天気もよく、風も穏やかだ。皇太子宮の庭師はもちろん一流であり、庭は季節ごとに美しい花々が楽しめる。
急な企画ではあったが、若くともよく動いてくれる侍女三人娘の働きで、なんとか体裁を整える事が出来た。
「リナ、きちんと先触れくらいはよこしなさい。私相手だからいいものの、他の方でははしたないと言われても仕方ないですよ」
「ごめんなさい。でも、おかげで姉様のびっくりしたお顔を見れました」
「まったく…」
無邪気に楽しそうに笑っているリニルネイア。
そんな姿を見ては、ラスも力が抜けてしまう。
そこにやってきたのは金髪の子供である。
「セラ~」
第6皇子アルタイルは、ラスの姿を見つけると手を振りながらそちらへ向かって駆け出す。
ラスはそんな元気な子供と、その少し後ろの方でアルタイルの行動を注意する女騎士の姿を目にとめ、つい軽く笑ってしまった。
駆け寄ってきたアルタイルを迎えるため、ラスは椅子から立ち上がって両手を広げた。
あやまたずそこへ飛び込んでくるアルタイル。
「部屋に行ってもいないから探しちゃったよ」
アルタイルはそう言って、甘える様に体を寄せてくる。
ラスはそんなアルタイルの背を、宥める様に軽く叩いてやる。
そして今度は膝を折り、アルタイルと視線を合わせる。
「よく来たわねアルト。でも、遊びに来るのはいいけれど、あまりミーシャに心配をかけては駄目よ」
「はーい」
返事だけはいいが、わかっているのかいないのか。
まだ6歳の遊びたい盛りの子供には、難しい注文ではあるのだろうが。
ラスは苦笑しつつも、今度はその姿勢のまま女騎士ミーシャを見つめる。
「ミーシャ。いつもながらご苦労様ね」
「いえ」
女騎士は恐縮といったように頭を下げる。
「あなたがいてくれるから、アルトも安心して走り回れるのでしょう。…ちょっと腕白気味だけれど」
「え~、そんなことないよ!」
ラスの言葉に反論するように、アルタイルが声をあげる。
「あら。女性に心配をかけるようでは、まだまだ一人前の殿方とは言えないわよ」
「う~ん…あ、でも、セラ。兄上は、好きな男のことに関して、女はみんな心配性になるものだって言ってたよ?」
アルトの言葉に、若干ラスの口元はひくついた。
(6歳児になんつーことを教えているんだ、あいつは)
「だから、ミーシャは僕のこと好きってことだよね?」
そう言って明るく笑うアルタイル。
まさかきちんと理解しているわけではないだろうが、聞き様によっては、まるで心配してくれるかどうかで愛情を試しているかのようにも取れる。
どの道、将来の女性関係が心配になる一言である。
まして手本となるのが、あのレグルスでは。
「アルト。確かに好きな人のことは心配にもなるわ。でも、それは男でも女でも変わらない。それに、好きな相手を必要以上に心配させないことも、人間としての度量というものです。あなただってミーシャには不安そうな顔じゃなくて、いつも笑顔でいて欲しいでしょう?」
「うん…そうだね!僕心配かけないよう頑張るよ!」
とりあえず、アルタイルは納得したようだった。
これで軌道修正が出来ればいいのだが。
表面上は笑顔のままでラスは思う。
(あんな性悪は一人で十分だ!)
それは、紛うことなき内なるラスの叫びだった。
よく考えてみれば、リニルネイアもアルタイルも、歓迎の宴で顔を見知っていてもほぼ初対面に近い。
そこで、あらためて自己紹介をすることとなった。
「アルト。紹介します。私の妹で、今はエンダスの親善大使として帝国に来ている、リニルネイアよ」
ラスの紹介で、リニルネイアは席を立ち、微笑みながら優雅に言った。
「リニルネイア・フラウ・ルーエンダスです」
アルタイルはリニルネイアのその笑顔に一瞬見とれていたようだった。
だが、それでも一国の皇子らしく素早く立て直し、礼にのっとり挨拶をする。
「アルタイル・リーク・フェナ・ガルディアです。どうぞお見知り置きください、リニルネイア姫」
「リナで良いわ。姉様のこともセラと呼んでいるのでしょう?」
「…いいの?」
アルタイルのその確認は、ラスに向けてのものであったらしい。
うかがうような視線に、ラスはうなずく。
が、しっかり釘もさしておく。
「公の場できちんと振る舞えるならね」
一応はリニルネイアは賓客なのだ。
公であまり馴れ馴れしい態度はいただけない。
アルタイルも皇子という立場にあるものだ。そのことはすぐに理解したらしい。
「うん!」
元気よく返事をして、今度はリニルネイアの方へと近寄っていく。
「リナ、遊んでくれる?」
「いいですわ。何して遊びましょう?私、チェスなら得意です」
「チェス?僕チェスはやったことがない」
「だったら私が教えて差し上げます」
楽しそうに言いあう二人。
見ている者も思わず顔を緩めるような光景であった。
ラスもその例に漏れなかったが、一言だけ言いたくなった。
「リナ、ほどほどにしなさいね…」
冗談ではなく、リニルネイアはチェスが強い。
そこらの、少しチェスを齧ったような輩など相手にならない。
ラスでさえ、なんとか勝てる、というレベルなのだ。
いくら聡明でも6歳のアルタイル相手に、あまり無茶なことを要求してもらっても困る。
が、その心配は杞憂に終わった。
ある人物の登場によって。
黒髪の美貌の皇太子、レグルスだ。




