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エンダスの親善大使の一団が帝都ガルディアに到着したのは、その四日後のことである。
「あ~もう。ついにこの日が…」
「しゃんとしてください」
往生際が悪い主人に向かって、侍女シュニアがピシャリと言う。
もしかしたら、先日のニールとの一件のことをまだ根に持っているのかもしれなかった。
「そう言われてもな…」
そう簡単に克服できれば苦労しないと思うラスだった。
意を決してラスはリニルネイアとの再会に臨んだ。
帝国の代表として皇太子のレグルスがリニルネイアと会談することになっている。
ラスはその側室として、また親善大使のリニルネイアの姉ということで、レグルスの横でリニルネイアを迎えた。
「親善大使の任を仰せつかり、聖エンダス公国より参りました。リニルネイア・フラウ・ルーエンダスと申します」
笑みを浮かべたリニルネイアがそう言うと、周囲がどよめいたのがラスにはわかった。
リニルネイアは今年17歳。薄紅色の髪に深い青色の瞳を持つ、可憐な少女である。
その美しさは大陸全土でも有名で、求婚の申し入れの数は両手では足りないほど。
声さえもまるで天上の小鳥のさえずりと言われ、誰もがその存在に引きつけられずにはいられない。
「私がガルダ帝国皇太子、レグルス・ベルライ・レイ・ガルディアだ。エンダスからようこそいらっしゃった、リニルネイア姫。今回の訪問をエンダスと帝国、かつて争った両国が手を携える第一歩としていきたいと思っている」
レグルスはいつものように堂々とした態度だ。
口上の内容は少々嘘くさいがな、とラスは内心そう思った。
気に入らなければ滅ぼす、くらい平気でいいそうな男だからだ。
一方のリニルネイアは、レグルスの顔を見て動きが止めてしまった。
無理もない。レグルスの美貌に熱をあげた女性は数知れないのだ。
側にいるお付きの者、おそらく今回リニルネイアの補佐として派遣された者だろう男に声をかけられ、ようやくリニルネイアは言葉を返す。
「はい。私も、このたびの会談が両国にとって実りのあるものにできればと思っています」
先ほどの失態を恥じてか、僅かに頬を赤らめながらリニルネイアはレグルスに微笑んだ。
ラスは息をのんだ。
見てしまったのだ。
あのレグルスが、すべてを見下すような傲慢な男が、リニルネイアの笑顔を見て目を丸くしたところを。
驚いたようなその反応の後、彼が浮かべたあまりにも優しげな笑みを。
「セラ姉様、お久しぶりです」
久しぶりの再会に、リニルネイアはラスに笑いかけた。
「え、ええ、久しぶりね、リニルネイア。道中つつがなかったですか?」
「はい。姉様こそ、お元気そうでなによりです」
動揺を押し隠し、なんとかラスは笑顔で言葉を紡ぐ。
そのかいあって、リニルネイアのほうはラスの変化に気付かなかったようだ。
「リニルネイア姫。こちらへどうぞ」
そう言って、レグルスは自らリニルネイアの手をとり、会談用の場所へと案内していく。
(なんだよ、その態度…)
ラスは驚く以前に、妙な感情が湧きあがってくるのを感じた。
レグルスの態度はまるで壊れ物を扱うような、ひどく大切なものに触れるようなものだったからだ。
(俺、一度だって、そんな扱いされたことないぞ)
むしろラスの場合、帝国に来た当日から暴言だらけであった。
いくらリニルネイアがエンダスの親善大使という立場であり、ある程度礼を払わなければならないとはいえ、別にレグルス自らあんな行動をとる必要はないはずである。
それも、あんなに大切そうに。
(どういうつもり、なんだよ…)
会談の場にラスは同席できる立場ではない。
遠くに離れて行く二人の後ろ姿を、複雑な気持ちで見送った。
「何か、あったんですか?」
部屋に帰ってきても表情が硬いラスに、シュニアは問いかけた。
「別に…」
その声はそれ以上の質問を拒絶していた。
何かあったわけではない。
それなのに自分が何故こうなっているのか、ラス自身にもよくわかっていなかったのだ。
その日の夜は、エンダスの一団を歓迎する宴が開かれた。
今宵は白のドレスを身にまとったラスは、一人会場を歩いていた。
レグルスはリニルネイアのエスコートだ。
美男美女の一対に、貴族たちは感嘆の息を吐く。
二人の組み合わせを言葉にだして賛辞する者たちもいたが、ラスが通りかかるとその声をひそめた。
一応ラスの立場上、気を使っているつもりらしい。
(全部丸聞こえだがな!)
ラスはその気になれば数人の話を同時に聞き分けられる上、耳もいい。
貴族たちの気遣いは無用の長物でしかなかった。
「セラ、気にしちゃ駄目だよ」
まだ幼いアルタイルまでそう声をかけてきたのには、さすがに苦笑したのだが。
大体ラスは、リニルネイアのすごさなど、エンダスにいた頃から耳タコだ。
今更言われずともわかっているのである。
それにラス自身、確かに似合いの二人だなと思ってしまったのだ。
客観的に、誰が見ても鑑賞に値する一対であるに違いない。
リニルネイアが時々頬を染めるのが、少々気になりはしたが。
(頼むから、誑かされるなよ)
エンダスの未来のため、リニルネイア自身の将来のためにも、ラスはそう思わずにいられない。
(あんな男に引っ掛かっても、ろくなことはない)
その男が自身の夫だということは、完全に棚上げしているラスである。
昼間は二人の様子を見て、妙な気分になったラスであったが、夜になったらそれも落ち着いていた。
レグルスとリニルネイアが談笑している姿を見て心が少しざわついた気もしたが、それも視界に入れなければ何ということはないと気づき、早い段階で二人の傍から離れていたため問題なかった。
貴族の中には寵姫であるラスに取り入ろうとわかりやすい世辞を述べてくる者もいたが、ラスはそれらを軽くかわして、会場を歩く。
そして、ようやく探し人を発見した。
女性からダンスに誘われるのを避けるためか、完全に壁の華と化している色男。
明らかに不機嫌そうなその男の姿に少し笑ってしまったが、そのままラスは男に近付き、周りには聞こえないよう小声で話しかける。
「久しぶりだな、レックス」
「っ!?…お久しぶりです」
声をかけたラスに、レックスはかなり驚いた様子だった。
「一瞬誰かと思いましたよ…」
どうやらラスのあまりの変貌ぶりに、とっさにかの傭兵団頭領と一致させられなかったらしい。
「ええとこの場合俺は、お美しいです、とか褒めたほうがいいんですかね?」
「…つまりおまえ、いつも女にそんなこと言ってるんだな」
もてる部下の女性遍歴を垣間見た気分のラスである。
「えっ、あ、いえ、そう言うわけでは…」
慌てて否定するレックスを見て、ラスはからかうのはこのあたりにしておこうとクスリと笑う。
「元気そうでなによりだ、レックス」
「あなたも…」
そこでようやく、レックスは安堵したように少し笑った。
「みんな、変わりはないか?」
「ええ。最近は戦もないですし、元気が有り余っているくらいですよ。もしよければ会ってやってください」
「そうだな。できればそうしたいが…」
久しぶりに会った上司と部下が、世間話に花を咲かせる。
が、そこで突然、乱入者が現れた。
「あなたがセラスティアね!」
名を呼ばれ、ラスは声の方へ振りむいた。
だが、思っていたよりも声の主は小柄で、ラスが大きく視線を下げてようやくその姿が視界に入る。
立っていたのは薄紫色の髪をした少女である。
ドンと仁王立ちしており、小さい体に反してその態度はおそろしく大きかった。
「あの、どなたでしょうか?」
ラスの記憶には無い顔だ。
おそらく初対面だろう。
「私は、私は負けないんだから!!」
少女はそれだけいうと、鼻息も荒く立ち去った。
まるで嵐のようである。
「何だったんですか、あれは」
呆然、というようにレックスはラスに問いかける。
「さあ…」
ラスとしてもこんな席であれほどまでに堂々と、喧嘩を売られる覚えはないのである。
何が何だかわからない、というのが本音だった。
だが、わからないことをいつまでも気にしていても仕方ない。
レックス、とラスは部下の名を呼んだ。
「明日、時間あるか?」
ラスの瞳に宿る光を見て、レックスはその意図を悟る。
おそらく、この場で話せないような用件なのだ。
「はい」
レックスの小声だがはっきりとした返事を聞いて、ラスは満足そうに笑った。
その笑顔は、確かにかつて傭兵団を率いていた人物のもので、レックスはようやく本当に自分の頭領に会えたような気持ちになったのだった。




