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「ちくしょ~一体なんだったんだ」
「あのガキ、絶対とっちめて…」
「でもまたあの男がいたら、どんな酷い目にあわされるかわかんねーぞ」
男たちは、ひそひそと会話をする。
三人とも立派な体躯の持主だけに、その様は異様だった。
「もし、すみませんが…」
そこに声をかけた人物がいた。
「その子供のことについて、詳しく教えていただきたいのです」
ラスは再び町に降りてきていた。
リニルネイアの来訪を聞いて以来、それまで以上に落ち着きがない。
逃避だと気づいてはいたが、部屋の中にこもっていても気がめいるだけなのである。
(どうするかな…騎士団の宿舎にでも行って遊び相手でも探すか?)
この場合むろん遊びとは剣の稽古である。
適当に相手を見つけて剣をふるっていれば、少しは気がまぎれるだろう。
そう思い、近道をしようと裏路地に入る。
元々、ラスは記憶力がいい。
一度通った場所ならば迷わない。
だから、足を止めたのは迷ったせいではなかった。
明らかに不審なものを見かけたからである。
もうすぐ夏だというのに全身を黒いローブでおおい隠して、麻袋を担いでいる人物。体格から言っておそらく男だろう。
そして、麻袋に入れられた何か。担がれた状態で、バタバタと動いている。おそらくは生き物で、かなり大きい。そう、たとえば、人間の子供くらい。
ラスは決断も迷わず下した。
すなわち、ローブの男の足をわざと引っ掛け、見事に転ばせたのである。
ローブの男は突然の出来事に驚いたらしかった。
麻袋が路上に転がる。
ラスがその袋を開けると、中から出てきたのは…
「おまえは…」
どこかで見覚えがあると思ったら、確か先日も三人組の男たちに暴力をふるわれていた子供だ。
子供は両手両足を縛られ、猿轡もされている。どう考えても任意の同行ではなさそうだった。
ラスはとりあえず子供を縛っている縄を解き、猿轡もはずしてやった。
捕まることを恐れたのか、いつのまにか男は姿を消していた。
子供は今日はフードつきの服ではなく、布をターバンのように頭に巻きつけていた。
が、袋の中で暴れていたせいだろう。布がはずれて、子供の頭があらわになった。
「その頭…」
ラスに指摘され、子供は慌てて布で頭を隠そうとするが、焦りのせいでうまく巻きつけることができない。
布の端からこぼれるようにして再び現れたのは、耳である。
ただし、顔の横についているものではない。
髪の中からピッと生えている二つの耳。どことなく、猫のものに似ている。
「おまえ、獣人だったのか」
獣人。
それは獣の特徴をもった者たちを指す。
大昔に獣と人間との交配によって生まれたとされ、人間世界では少々肩身の狭い思いをしている種族である。
そのため、普段はその特徴となる部位を隠すことが多いらしい。
実際、ラスも間近で目にするのは初めてだった。
ラスがじーと見ていると、子供はたじろいだ。
「何見てるんだ!」
そう言って、怯えるのを隠そうと必死になって虚勢を張る。
「おまえさ、牙とか爪とか、鱗はあるのか?翼があると最高なんだけど」
「はあ?見てわかるだろ。ねえよそんなの。ちょっと歯は鋭いけど…」
「どれどれ」
「!?」
ラスは子供の口に指を突っ込んで開かせると、その歯をまじまじと見つめる。
「お~これか。なんだ、まるっきり子猫の牙じゃん」
「ふぁふぃふぃやふぁんふぁよ!へふぁひふふぁへひへんふぁ!!」
訳:何しやがんだよ!ってかいつまで見てんだ!!
文句を言われて、ようやくラスは手を離した。
「え~格好よくないか?いいじゃんか、牙に爪に鱗」
ラスは冗談ではなく、割と本気で言っていた。
あまりにも真顔で言うので、どうやら子供にもそれは伝わっていたらしい。
「…あんた、変わってんな」
「そっか?普通だろ」
ラスは知り合いが聞いたら即首を振って否定するようなことを、さらりと言ってのけた。
もちろん、子供のほうにその真偽がわかるはずもないのだが。
「絶対変わってるって。獣人ってきいたら普通もっと気持ち悪がる」
「そういうもんか?」
「そうだ。ちょっと姿が変わってるからって、俺たちのこと気持ち悪いって殴ったり、珍しいからって見世物にしたり…」
あまり良い思い出はなかったのだろう。
子供は痛みに耐えるような顔をした後、それを誤魔化すように笑顔を作った。
「俺はビチェ。助けてもらった礼だ。俺の働いてる店に来いよ」
連れてこられたのは、酒場だった。
昼間だというのに、人の入りは結構多い。
ビチェと名乗った子供は、ここで下働きをしているようだった。
「何にする?ここは酒場だけど、料理も評判なんだ」
そう言いつつ、ビチェはラスをカウンター席へと案内する。
(まあ、別にちょっとぐらい休んでいってもいいか…)
特に予定があったわけでもないのだ。
そう思って、何気なく周りを見渡した。
すると自分が座った席から一つあけた向こう側の席に、ラスは視線が釘付けになった。
ラスの様子が変わったことにビチェも気づく。
その視線の先を追うと、とある男が座っていた。
「レイ!」
ビチェは嬉しそうに声をあげた。
元気よく駆け寄っていった相手は、ラスにとって見覚えがありすぎる人物である。
(ああ、うん。そいつは“レイ”だけど…)
確かにそれは、男の本名だ。ファーストネームでないだけで。
男は一応変装しており、髪が金色だった。
が、瞳の色や顔のつくりなどはそのままである。
自分の夫を見間違えるぐらい耄碌した覚えは、ラスにはない。
(なんでここに…)
疑問が浮かびかけて、けれどその無意味さに気付く。
あの魔方陣の作り主なのだから、それを使えて当然なのである。
かわりに口からでたのは、ある意味非常に間抜けな質問だった。
「…隠し子?」
ラスが指差す先には、レグルスにひしっとくっつく獣人の子供。
「おまえ、何でそんなボケた言葉が出てくるんだ?俺がいくつか知ってるだろうが。計算が合わんだろ」
確かにビチェの年齢は7、8歳はいっているだろう。
もし本当に親子なら、レグルスが10歳以下のときの子供ということになる。
いくらなんでも無いだろう。
第一、そんなポコポコ隠し子がいるなら先日の皇妃の一件は有り得なかったはずである。
「ちなみに、こいつは今10歳だ」
「マジか!?」
(その割にはチ…)
「チビって言うな!!」
ラスの心を読んだかのように、大きな声でビチェが叫んだ。
どうやら、本人は非常に気にしているらしい。
一瞬店の客の視線が集まったが、すぐに散って行った。
おそらく、この叫びもよくあることなのだろう。
知り合いだとわかるような言動をした後で離れて座るのもおかしいので、ラスとレグルスは隣の席に座った。
注文は、とりあえず店のお勧め料理にしておいた。
ビチェは仕事に戻り、店の中をくるくると回っている。
その様子をちらりと見た後、ラスは口を開いた。
「それで、何でここにいるんだ?」
「俺だって息抜きぐらいしたくなるさ。こうして町の酒場で過ごすのも悪くない」
おまえだって人のこと言えないだろうが、とレグルスは言った。
確かに、ラスだって明確な目的があって町に来たわけではないのだ。深くは追求できない。
「それじゃあ、あの子とはどういう知り合いだ?」
これならば下手な誤魔化しはきかない。
ビチェに聞いて話が食い違っていればすぐにわかるからだ。
レグルスはふっと笑った。
「半年ぐらい前だったか、ボロボロなあいつを道端で見つけたんだ。見殺しにするのも寝覚めが悪いから、住み込みで雇ってくれるところを探してやった。ここの店主は物わかりがいいからな」
獣人は奇異の目で見られ迫害されることが多いが、普通の人間同士の間でも、獣人が生まれることがある。
これは、獣人の血の影響が必ずしもその子供に発現するわけではないためと言われている。
見た目は人と変わらない、けれど確かにその血脈を継いでいる者たち。
長い年月の間に、彼らが獣人の子供であった事実は記憶から薄れていく。
そして、ある日突然、その血が形となって現れるときが来るのだ。
大体の場合、そうして生まれた獣人の子供は、親からまともな扱いをされない。
世間に露見しないよう閉じ込めたり、見世物小屋に売り払ったり。最悪は親が子供を自分の手で殺してしまうことも珍しくない。
ビチェも、おそらくそんな扱いを受けていたのだろう。
「前は十分食べられるような環境じゃなかったらしいからな。体が小さいのもそのせいだろう」
「なるほどな。それであんなにおまえに懐いてるわけだ」
いわばレグルスは、ビチェにとって命の恩人なのだ。
もしかしたら、親からもらえなかった分の愛情も求めているのかもしれない。
仕事中のビチェに再びラスは視線を向けた。
その頭はターバンでしっかりとおおわれている。
笑顔で仕事をするビチェだが、獣人たる証を隠しながらでなければまともに生活さえできない。それが現実だ。
そしてその現実を作り出している一端は、目の前の男がになっていると言っても過言ではないだろう。
この国の枠組みを作っているのは皇族、しかもレグルスはその中でも最も強い権力を保持しているのだから。
だが、この国では現在法律上、獣人を差別するような事項は存在しない。
昔はあったが、レグルスが実権を握ってすぐに改正されているのだ。
それでもなお獣人が差別されるのは、その差別を人々の心が生み出しているからだ。
人間は自分とは違うものを恐れ、排除しようとする。
その意識を変えていくには、長い長い年月が必要になることだろう。
権力は万能ではない。
たとえそれを手にしていても、何でも思い通りになるわけではないのだ。
(ビチェを助けたのは、もしかしたらこいつなりに、罪悪感とかがあったからなのかもしれないな…)
おそらくレグルスに直接そうきいたところで、はぐらかされるだけだろう。
だがなんとなく、そんな考えがラスの頭から離れなかった。




