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エンダス公宮。謁見の間。
その玉座に座る者こそ、エンダス大公である。
そして、大公に対して膝を折っている男が一人。若い鷹を彷彿とさせる、強い視線を持つ美男子である。
「親善大使、ですか?」
「そうじゃ。帝国との戦が終結して、少し時間もあいたことだ。これからは国同士の結びつきを強め、ともに手を取り合っていく必要があるだろう。そのために親善大使を送ろうと思うのだ」
「その親善大使に、リニルネイア姫を任命されたと」
それが男、レックスには意外で仕方なかった。
エンダス大公が手中の珠のように可愛がっていたリニルネイアを、国外に出そうというのであるから。
「あれも、そろそろ国政に携わる必要があるだろうからな。今回の件はその始まりとして丁度よかろう。無論、補佐はつける」
「それで、我らへの依頼とは…」
「うむ、そなたらにはリニルネイアの身の安全を確保して欲しいのだ。そなたらの働きはよく存じているからのう」
エンダス大公がリニルネイアのことを可愛がっているのは周知の事実である。
それはつまり、彼女には利用価値があるということだ。
公宮で大切に守られているうちはいい。だが一歩その外へ出たならば、彼女を狙って様々な者たちが魔の手を伸ばすことだろう。
帝国への行き帰りの旅路が、もっとも危険性が高いことは想像に容易い。
「命令じゃ。我が娘、リニルネイアを守れ。レイクウッドの新頭領の働き、期待しておるぞ」
そう言ってエンダス大公は玉座を離れ、謁見の間を出て行った。
レックスは頭を下げ、黙ってそれを見送った。
ラスの部下、そして現在レイクウッド傭兵団を率いているレックスは悩んでいた。
エンダス大公からの新たな依頼。それは、大公の愛娘リニルネイア姫をガルダ帝国への道中護衛することであった。
これは、別にそう難しい仕事ではない。
依頼ではなく命令と言い切った大公の態度は気に入らなかったが。
だが、行き先はガルダ帝国。これには正直気が進まなかった。
レックスが団員たちに未だ告げられぬ秘密を保持していたからだ。
もっともその秘密をレックスが知ったのだって、割と最近のことである。
あの日の衝撃は決して忘れられないだろうと、レックスは思った。
「結婚するので引退することになった」
ラスのその言葉を聞いた瞬間、レックスの頭には仲間の傭兵たちの顔が次々に浮かんだ。
彼の頭の中には、傭兵団全員の情報が入っている。
恋人がいる者はいても、そこまで具体的な話が出ている者がいただろうか。やめるとなると、今後の戦力にも影響してくるのだが…
「そんな報告は誰からも聞いていませんが…めでたい話ですね。誰ですか?」
「俺だ」
「…は?」
「だから俺だよ。結婚してガルダ帝国に行くことになった。もしかしたら二度とエンダスの地は踏めないかもしれない。そんな奴を頭領にはしておけないだろ?だから引退するんだ」
と、ラスはあっさりと重要なことを言う。
「レックス…おまえ信じてないだろ?」
驚愕の表情のまま固まった部下に、ラスは大きなため息をついた。
レックスとしては信じていないというより、意味が理解できなかった。
常人より優秀な彼の頭脳が、あえて理解を拒否している。質の悪い冗談なのではないか、と。
頭領が…結婚!?
いやいや、顔のつくりはいいし、戦士としての実力もある。
詳しい出自はしらないが、立ち居振る舞いを見るに、中流階級以上の家の出であることは間違いない。
やや背が低いのが難点かもしれないが、それでも十分優良物件だ。
ただ、ラスという存在に男女の仲というのが縁遠いものだったのだ。
特定の人がいるようなそぶりも見せなかった。
自分たちより優先される誰かなど。
「お相手は誰ですか?無理やり押し付けられた婚姻なら俺がつぶしますから、心配無用ですよ」
レックスの声は剣呑さがにじみ出ている。
ショックからの立ち直りの早さは流石と言えた。
レックスがはじき出した答え。
それはラスが脅しをかけられて、無理やり結婚させられそうになっている、だった。
傭兵団のことを引き合いに出されたら、ラスが火の粉をかぶろうとする事態だって発生するだろう、と。
「それは…やめておいた方がいいんじゃないか?」
「何故です?俺の実力を見くびらないでください」
レックスはそのくらいのこと、軽くこなせる自信はあった。
それでもラスは浮かない顔だ。
「相手はガルダ帝国皇太子。世間的には俺のライバルらしいな。まあ、直接会ったことはないが…」
そんな結婚なんて珍しくないだろ?と笑って爆弾を投下した。
「………」
レックスは数瞬思考が停止した。
相手は、ガルダ帝国皇太子…
「…って男ですよね!?」
「そうだな」
「…結婚って普通男女間でするものですよね?」
「例外はあるかもしれないが、少なくともエンダスとガルダ帝国ではそうだな」
「あなた、いつ女になったんですか!?」
「強いて言うなら生まれた時からだが…なんだおまえ気づいてなかったのか」
てっきりレックスならとうに知っていると思ってたんだがな…とラスは軽く頭をかく。
「だってあなた、どう見たって男…」
ラスは細い方だが、体つきは男のものだ。胸もくびれも見当たらない。
「ああ、これは魔術でそう見せかけてるだけだ。声もちょっと低めに出してる」
意外と誤魔化せるもんだなーと呑気なことをいうラスだが、実際のところ体力、魔力ともに常人のそれを遥かに逸しているためにできた芸当だ。
ラス以外には絶対にできない。
そしてそのすぐ後、第6公女セラスティアがガルダ帝国皇太子の側室として嫁ぐことが正式に発表され、驚愕とともにレックスはラスの本来の名前を知ったのだった。
「言えないよな。頭領が実は女で、しかも今の帝国の皇太子の側室だなんて…」
というか、言ったところで冗談だと思われ笑い飛ばされるに違いない。
どうするべきか、とレックスは再び頭を抱えた。
「リ、リニルネイアが来る…」
それを知った時、ラスはいつもの彼女らしくなく酷く動揺した。
ラスにだって苦手なものは存在する。その数少ない一つが、彼女の異母妹リニルネイア・フラウ・ルーエンダスであった。
別にリニルネイアの人格に問題があるわけではない。
彼女の方はむしろラスを慕っている。だからこれは、ラスの一方的な苦手意識なのだ。
「大丈夫ですか?ラス」
「駄目かも…どうしようシュニア」
「とりあえず、ドンとかまえて待つしかないでしょう。それとも、道中暗殺でもしてみますか?あなたの部下たちを傷つけてもいいのなら、ですけど」
おそらくシュニアはラスがそう言えば本当に実行してくれるだろうが、既にレイクウッド傭兵団がリニルネイアの護衛に就くことは情報として入ってきていた。
それにラスは顔を合わせたくないだけで、別にリニルネイアを殺したいとまで思っているわけではないのである。
「…いえ、結構です」
ラスは消沈しつつもそう言った。
わかればよろしいと胸をはる自分の侍女が、いつもより頼もしく見えたラスであった。




