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何が起こっているんだろうか、とイーズは思った。
ニールという人物に連れてこられたのは、騎士団の宿舎。そしてその訓練場らしき場所である。
いや、間違ってはいないのだ。イーズの最終的な目的地はここだったはずであるから。
問題はイーズ本人をそっちのけで、いろいろと別件が進行していることである。
たぶん、世に言う痴情のもつれ、もしくは三角関係というやつだ。
「すみません、ラス」
まさかこんなに大事になるとは思わなくて、と赤髪の美女、シュニアはすまなそうにラスに言った。
「まあいいさ。俺もまさかこういう展開になるとは思わなかったけど、騎士団長殿の実力を確かめるいい機会だ」
そう言って親しそうに話す二人。
イーズとしては非常に会話に入りづらい。
二人が元から知り合いだったらしいことはわかるが、なぜそこで騎士団長などというものがでてくるのだろうか。
イーズたちをここに連れてきた張本人、ニールはどこからか模擬剣を持ってきてそれをラスに手渡した。
「そうだ。自己紹介が遅れたな。俺はこの騎士団の団長を任されているニール・ブロンだ」
ガルダ帝国騎士団団長ニール・ブロン。
歴代最年少でその地位についた彼の実力は、歴代最強と言われている。
入団するためにあらかじめ仕入れておいた知識が、イーズにその事実を教えてくれた。
途端イーズの顔色は悪くなり、そのままガタガタと体が震えだす。
ここに連れてこられたときから、彼が騎士団の一員であることはわかっていた。
しかし、まさか団長本人だなどとは思わなかったのだ。
「落ちつけよイーズ。別におまえが戦うわけじゃないんだから」
あまりにも激しく動揺するイーズを見ていられなくなって、ラスが声をかける。
が、イーズとしてはラスがどうしてそれほど落ち着いていられるのかがわからない。
「だって、あの人がまさか騎士団長殿だったなんて!絶対勝てっこないよ」
ニールは若いながらも幾多の戦場を勝ち残ってきた戦士だ。
敵軍からはその戦いぶりから、鬼や悪魔とさえ呼ばれている。
しかも皇太子の幼馴染にして側近。そんな人物に睨まれでもしたらひとたまりもない。
イーズたちのような一般市民など、吹けば飛ぶような存在だろう。
「素直に謝って許してもらったほうがいいって!」
「じゃあおまえは、シュニアが嫌な思いを我慢し続ければいいって言うんだな?」
「それは…」
イ-ズが口ごもる。
まさか肯定できるはずもないが、かと言って他にいい案は思いつかない。
まあ心配するな、とラスは軽い調子で言う。
「俺、負けるつもりはねーし」
「この俺相手に、よくそれだけの大口が叩けるもんだぜ」
目を細めてラスを見やり、ニールは言った。
彼のこれまでの実績から考えれば、当然と言えば当然の言葉である。
それに対し、ラスは不敵な笑みを浮かべる。
「本心から言ってるからな」
「その態度が、いつまで続くかな」
ラスとニール、両者は右手に剣を持ち、構えた。
イーズと賞品(?)たるシュニアは、少し離れた場所でその様子を見ている。
イーズにしてみれば、せっかく絶世の美女の隣にいるのである。もっとドキドキしてもいいはずだったが、状況的にとてもそんな気持ちにはなれない。
しかもシュニアはイーズのことなど眼中にないらしく、二人のほうだけを見ている。
そこに、もう一人の人物が現れた。
朱色の髪を持つ、眼鏡をした男である。いかにも文官といった感じで、騎士団の宿舎にはあまり似つかわしくない人物だった。
「一体何事ですか?」
「アノン殿」
現れた人物は、どうやらシュニアの知っている人物であるらしかった。
「実はいろいろとありまして…」
シュニアはアノンに軽く事情を説明する。
「まったく、仕事をさぼって何をしているのだか…。どうせすぐに決着はつくでしょうから、説教はそのあとですね」
アノンは呆れたようにそう言ったが、彼がニールの勝利を確信していることがイーズにもわかった。
それもそうだろう。なんといっても帝国騎士団の団長だ。
しかし一方的になるものと思われた試合は、思っていたよりもいい勝負になっていた。
ラスは強いだろうとイーズも思っていたが、実力は予想以上だ。
帝国騎士団団長と言えば、騎士たちのトップである。その騎士と互角に渡り合っているのだ。
「ほう。あの黒髪の彼、なかなかですね」
アノンも感心した様子だった。
「当然です」
と、何故かシュニアは得意げだ。
ラスの方にもまだ余裕が見られ、戦闘中だというのにニールに話しかけている。
「あんた、プレイボーイだってご婦人がたに人気があるのに、シュニアに対しては妙な態度だよな」
「何?」
「やたら付きまとうばっかで、いろいろとアプローチの仕方がお粗末だし」
「!?」
「まあ、それだけ本気だっていうなら俺も考えなくはないんだけど…」
その会話が聞こえていたのだろうシュニアが叫んだ。
「ラス!何を余計なことを!!」
赤髪の美女からは鋭い怒気が漂っている。
シュニアは怒った顔まで美しかったが、美しいからこそ一層その感情がよく伝わってくる。
美人は怒らせると怖い、とイーズは知った。
「悪い悪い」
ラスは戦闘中だというのに片手をあげてシュニアに謝罪した。
その様子を見てニールの機嫌は下降する。
今は戦闘中だ。しかも自分の思い人と親しくするなど、ニールにとっては不快極まりないのである。
「おまえ、ふざけてんのか?それとも、俺のこと見くびってる?」
「ふざけては、ないさ」
澄んだ金属の音が響いた。
ラスの剣はニールの剣の根元にぶつかる。そのあまりの衝撃にニールは剣を手放していた。
鈍い音をたててニールの剣が地面へと転がる。
驚きに目を丸くするニールの首に、ラスは剣の切っ先を突き付ける。
「はい一本。見くびってたのは、おまえのほうじゃないか?」
試合前と同じ不敵な笑みが浮かべ、ラスは言った。
「本気で来いよ」
それを見て、ニールはうつむいた。
「やっべぇな」
そう小さく呟くと、地面の剣を拾い、そして何を思ったのかその場を離れ、宿舎の壁に立てかけられていた剣をつかんだ。
その剣を抜き、再びラスの前へと戻ってくる。
「おーい。どうした?」
先ほどまでとは明らかに様子が違うニールに声をかけるラスだったが、反応はない。
「あ~、もしかして、なんかスイッチ入れちゃった?」
ニールが持つ二つの剣。それは彼の体にすんなりと馴染む。
二刀流が彼の本来のスタイルなのだろう。
つまり、ここからが本番ということだ。
ラスは再び剣を構え、気合いを入れ直した。
ニールのその様は、まるで嵐のようだった。
剣が二本になった分、攻撃は激しさを増し、隙をつくのが難しくなる。
それでもラスは攻撃を避け続け、時には剣で受け流す。
「やべぇな。本気で楽しくなってきた」
ニールの顔には笑みがあった。
その姿は、獲物を狙う獰猛な獣そのものである。
ラスの方は先ほどと同じ要領で剣を弾き飛ばそうとしているのか、ニールの剣の根元ばかりを狙って攻撃している。それも左右順番に。
確かに剣の数が減れば攻撃の回数も減る。
だが、本気になったニールにそんなものは通じない。
「さっきと同じ手は通用しないぜ!」
「………」
攻撃をかわすことに集中しているのか、ラスは沈黙したまま、それでも狙いを変えようとはしなかった。
ニールの二つの剣が、同時にラスへと振り下ろされる。
ニールの力ならばラスの細い体など容易く吹き飛ぶだろう。
いくら模擬剣は刃が潰してあるといっても、ニールほどの人物が使い手なら大怪我するのは目に見えている。
ラスが怪我をするイメージがイーズの頭をよぎった。
「危ない!!」
とっさにイーズはその場を飛び出していた。
辺りに、鈍い音が響き渡った。




