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第二章開始です。
「限界だ」
ぽつりとつぶやいたラス。
その目は見事にすわっている。
「いつまでもこんな引き篭もり生活やってられるかー!!」
「ラス。引き篭もりではなく、姫君生活です」
そう言いながらシュニアは、まあよく持った方だろうと思っていた。
エンダスにいたときは、毎日いろいろなところに足をのばしていたラスである。
帝国に嫁いできて一ヶ月弱、長期にわたる姫君生活は、ラスの精神にとって強いストレスとなっていた。
「どっちだって同じだろ?」
ラスは吐き捨てる様にそう言った。
別にラスは忙しいのが好きというわけではない。どちらかと言えば、毎日楽して暮らせた方がいい。
だが、性にあわない、というのは誰にだってある。
ラスは卓越した演技者だったが、だからといって演技を続けて精神的疲れをまったく感じないということはなかった。
姫君、というのは元々ラスとはだいぶかけ離れた人間像であるから、余計に力がいるのである。
(ああ、せめてここにあるのが花やドレスやお菓子じゃなくて、貴重な魔術書と実験器具だったらよかったのに…)
そうであれば、ラスだって喜んで部屋の中でおとなしく(?)しているのである。
「遊びに行ってきます」
手を挙げて宣言するラス。
その反対側の手には妙な籠。
侍女は出て行くラスを目線のみで見送った。
行き先はわかっている。そこにはラスと、その夫である人物しか入れない場所なのだ。
「シュリエラー」
ラスが訪ねたのはシュリエラのいる温室である。
呼び掛けに応えて、白い獣が姿を現す。
人間風に言うなら、今にもため息をつきそうな顔である。
ここのところラスはほぼ毎日シュリエラのもとを訪れているからだ。
「そんな顔するなよ。今日は土産もあるし」
そう言って、ラスは籠からあるものを取り出す。
色とりどりの石。魔石だ。
シュリエラはそれを見ると少し機嫌を直したようだった。
守護獣は普通の獣のような食事は必要ない。
彼らのエネルギーとなるのは魔力である。
通常契約者のものをもらうのだが、他から摂取できなくもない。
魔石は魔力の結晶。当然、それを取り込めば力になる。
気に入りの場所に移動し腹這いになったシュリエラは、器用に前足で魔石を押さえ、ペロリと舌で舐めている。
彼女にしてみれば、デザートかおやつを食べているような感覚だろう。
若干顔がほころんでいる。
ちなみに、この魔石を作ったのは他ならぬラスである。
ラスはシュリエラと契約しているわけではないので、直接魔力のやりとりはできないが、こうした形にすれば魔力を与えることができる。
魔石は購入すればかなり高価だが、自分で作ればタダである。
最近は特に魔力を使うあてがなかったラスである。繊細な形の芸術品を作るならともかく、ただの塊を作るぐらいはなんてことはなかった。
しかもある程度集中力が必要な作業であるため、最近の暇つぶしのひとつになっていた。
(癒されるなぁ)
魔石を舐めているシュリエラをラスはぼうっと眺めていた。
別に、平和なら平和でいいのである。
騒ぎばかり起こるよりは、こうしてのんびり過ごせる方がいいに決まっている。
問題は、自分の好きなことができない、ということなのだ。
ラスの趣味は金儲けと人材収集だったが、それも傭兵団の運営に必要だったから始めたことだ。
帝国に来るにあたり、資金源になるような事業はすべて引き継ぎを済ませてある。
問題が起こればラスに連絡が入るようになっているが、今のところは何もない。
人材を発掘しても、それでどうするといった感じなのだ。
別にやたらと人に頭を下げさせたいわけでもなく、宮廷の女たちのトップに立ちたいわけでもない。
先日の事件の影響で嫌がらせが大分減ったのも、やる気をなくしている原因だった。
あったらあったで鬱陶しかっただろうが、ないならないで拍子抜けしてしまったのだ。要するに、張り合いがないのである。
かつてはラスにも夢があった。
将来はこうなりたいと願い、それに向かって邁進していた時期が。
それが帝国に来てからはぷっつりと糸が切れたようで、無為に時間が過ぎてゆくのが腹立たしくて仕方がない。
(平和ボケというよりは、何かが足りないんだよな…)
それはきっと目標や目的と言われるようなものなのだろうが、未だ明確なそれは定まらない。
辛気くさいため息をつくラスを見かねたのか、シュリエラは一度手を止めて、自分の尾をラスの顔にぶつけた。
「えっ…」
別に痛みはなかったのだが、突然のことでラスはひどく驚いた。
シュリエラはしなやかに体を起こし、そしてちらりとラスを振り返る。
寄越される金色の瞳の視線に、ラスはその意味を悟る。
「ついてこいって?」
シュリエラはラスがそう呟いたのを聞くと、そのまま茂みの中へと入っていく。
ラスはそのままおとなしくついていった。
シュリエラは途中何度も右へ左へ進路を変えたが、茂みの中には僅かにスペースが出来ていて、進むのはそれほど苦ではなかった。
しばらくして開けた場所に出た。
そこにあったのは、正方形を2つ重ねた、八角形の陣である。
「移動用の魔方陣…」
魔術における基本的な陣は正方形である。
これは魔術が一番安定しやすい形であることに起因するが、この正方形を重ねることで威力を上げたり、細かい設定ができるようになる。
どうやら不可視の効果は付加されていないらしく、ラスはその構造を簡単に見てとることができた。
(たぶん距離はそんなに長くない。跳べる場所は選択できて、東西南北一カ所ずつ。それに鍵付き、か)
鍵というのは、つまりは使用者を限定するものである。
今回の場合であれば、外へつながる扉は存在しているが、今は鍵がかかっている状態で、通ることができなくなっているのだ。
鍵の設定は魔術師やその用途によってもかなり違うが、この魔方陣は通る人間を識別するタイプではなく、暗号を解くことによって効果を発動させるものらしい。
(こんなものを作るのは…)
場所がこの温室のうえ、ラスに気づかせないくらいうまく偽装されていたことといい、該当する人物など一人しかいない。
「どおりで鉢合わせしないわけだ…」
つまりはこの魔方陣を作った人物は、これを使って外部と自由に行き来していたわけである。
なるほど、とラスは思った。
よくよく考えれば、バカ正直に部屋でおとなしくしている必要などない。
要するに、表立って騒ぎにならなければいいのだ。
ラスが触ると魔方陣は淡く光を放ち、四種の意匠といくつかの魔術文字が浮かび上がる。
意匠も文字も今はもう使われていないような古いものだったが、ラスにはその意味がすぐにわかった。
意匠は東西南北を意味しており、おそらくこの暗号を解くことは転移先の決定とも連動しているのだろう。
(それなら、最低でも四つは正解パターンがあるはずだ)
空中に浮かんだ魔術文字に触れて、少し魔力を込めながら動かすと、まるで組み合わせパズルのように文字がスライドする。
(よし。この要領で…)
手応えを感じたラスはにやりと笑うと、目の前のものに集中して取り組み始めた。
それはまるで新しい玩具を手に入れた子供のような熱心さだった。
すっかりその存在を忘れ去られたシュリエラは、そんなラスの様子を一瞥すると再び茂みの中へ入ろうとした。
「シュリエラ、連れてきてくれてありがとな」
去っていくシュリエラの背にラスは感謝の言葉を投げかける。
その視線は目の前の暗号に釘付けだが、物音一つたてないシュリエラの動きをしっかりと把握していた。
シュリエラは少しの間そんなラスを見つめると、再び茂みに向かって動き出す。
もしも彼女が人間であったら、苦笑のひとつでも見せていたかもしれなかった。




