18
「不思議な方ですね」
シュニアがいなくなった後、フィリーナがぽつりとそう言った。
記憶の書きかえられたフィリーナにしてみれば、ロッソはちょっとおかしな人、といったところだろう。
「フィリーナ。あいつは不思議ちゃんとかでは済まないから…」
どちらかと言えば、厄病神に近い。
ラスはとりあえず受け取った紙束を引き出しにしまった。ロッソに接触した直後で、今は読む元気がないのである。
「そう言えばフィリーナ。エレイナの言っていたイヤリング、あれはエレイナたちの勘違いじゃないのか?」
ラスは栗色の髪の少女に問いかけた。
ロッソがいたときからそうだったが、セシルもマリアもいるというのに、ラスの口調はいつもの、お世辞にも女性らしいとは言えないものである。
先日フィリーナに口調のことが知られてしまったため、この際ラスの事情を説明し、セシルとマリアにもばらしてしまうことにしたのだった。フィリーナが脅され、働かされていた事情とともに。
最初は驚き、またラスの態度にひどく面喰ったような反応の二人だったが、それでも事情に理解をしめし、またフィリーナと一緒にこれからも働いて行きたいと言ってくれた。
持つべきものは理解ある侍女である。
そういうわけで、ラスは自室で演技する必要はなくなったのだ。
「えっと…やっぱりそうなんですかね?ずっと探していたんですけど、全然見つからなくて…」
フィリーナはラスの動向を探るとともに、エレイナからイヤリングを探し出して持ってくるようにも言われていた。
夜に部屋で探し物をしていた影は、フィリーナだったのだ。
「どういうやつだって言われてたんだ?」
ラスは勝手に、レグルスが以前つけていた金と緑の宝石のものを想像していたのだが、実際のところ誓いの印とやらがどんなものなのか、正確には知らないのである。
「えっとですね…」
「セラー、遊びに来たよ」
思い出すようなフィリーナの言葉を、子供の無邪気な声が遮った。
レグルスの異母弟、アルタイルである。
扉が開ききるをのも待たずに駆け込んでくる姿は、まさしく元気いっぱい。
アルタイルは、自分の母親がしたことを聞き、また彼女が遠く離れた地へ行くことを知った。
泣きわめくこともできただろうに、彼は不思議と静かだった。
ただ、あの花の入った硝子の玉を、出発する母親に渡しただけである。それが、彼が母親にしてあげられる、精一杯のことだったのだろう。
マルガレーテは目に涙を浮かべながら、それを大事そうに抱えて旅立っていった。
アルタイルは彼女の乗る馬車が見えなくなるまで涙一つ見せなかったが、馬車が見えなくなった途端、火がついたように泣きだした。
しばらくしてアルタイルは落ち着きを取り戻したが、それでもさびしい気持ちはあるようで、よくラスの部屋に遊びに来るようになっていた。
最初に会った時とラスの口調が違っているのには気づいているのだろうが、幼さゆえの順応力の高さか、特に気にした様子は見せなかった。ついでに、彼の異母兄と同じように、アルトと呼ぶようにラスにねだった。
ちなみに、アルタイルの護衛のミーシャは扉の外に控えている。
だから、ここにアルタイルがいるのは不思議なことではない。
「ねえ、これなあに?」
問題はアルタイルが触れようとしたのは、例の銀の小箱であったということである。
「ちょっと待てアルト!触るんじゃない!!」
ラスは思わず叫んでいた。
魔剣をおさめておくための箱には、安易に誰かが持ち出さぬよう、特殊な加工がされている。
この箱の毒は命に影響はないが、だからといって子供の体にいいものでもない。
あともう少しで触れるというところで、ラスは箱を払いのけた。
ガチャンという大きな音が響く。
箱には目もくれず、ラスはアルタイルの状態を確認した。
「大丈夫かアルト?痛いところはないな」
「うん、大丈夫。あ、セラ、あのイヤリングなに?」
「は?イヤリングって…」
あの箱に入っているのは赤い石だけのはずだ。
が、アルタイルが嘘を言っているとも思えない。
そういえば底が二重になっていたのだった、とラスはそのときになって思い出した。
アルタイルが指差していたのは、金細工をまとった緑色の宝石を含む、卵型のイヤリング。
どこかで見たことのある、それ。
「え…」
ラスは一瞬思考が停止した。
「あ、これです!私が探すように言われたイヤリングは!」
フィリーナの声が、さらにラスを打ちのめした。
そして、頭に浮かんでくる記憶。
5年前。
帝国とエンダスの国境。
そのとき助けた、生意気な少年。
報酬にとこのイヤリングを渡してきた彼は、確か黒髪に緑の瞳…
「あーっ!?」
思わずラスは叫び声をあげた。
…いろいろと、思い出してしまった。
気まずい。
ラスの心情はその一言に尽きた。
(あいつ、絶対気付いてて、あえて言わなかったんだよな…)
あのイヤリング、どうにも見覚えがあるわけである。
その片方を持っていたのは、ラス自身だったのだから。
ラスはまた頭を抱えた。
とりあえず、状況を整理してみる。
五年前、当時14歳のラスは、自らの作ったレイクウッド傭兵団が、ようやく軌道にのってきたところだった。
あのとき依頼されていたのは、国境付近で暴れる盗賊の退治である。
盗賊自体は大した規模でもなかったため、ラスは少数の仲間をつれて帝国との国境に来ていたのである。
本来ならば、ラス・アロンとして動くとき、正体がばれないように髪を黒く染めていた。
だがこのときは丁度豪雨に当たって、せっかく染め粉をつけてもすぐに洗い流されてしまったのだ。このため苦肉の策としてラスはフードをかぶって髪色を隠し、連れて来る人間もラスの正体を知る団の古参のメンバーだけを選んでいた。
盗賊を退治しようと待ち伏せしたところ、レグルス、当時の第5皇子がのる馬車が襲われる場面に偶然出くわしたというわけだ。
あの後、受け取ったイヤリングを売り払ってもよかったのだが、ラスがあの時助けた少年のことを気に入っていたこともあって、思い出代わりにとっておくことにしたのだ。
無くさないように銀の小箱の底に入れておいたのだが、別に使用することもなかったため、いつしか入れておいたこと自体忘れていたのだった。
(どうすればいいんだ…)
どう対処するのが適切だろうか。
そのまま無視しておけるほど厚顔無恥にはなれない。かといって謝るのもなんだか違う気がする。
また、ラスを悩ませているものはもう一つあった。
あのロッソが残していった資料である。
読み終えて、いろいろとわかってしまったこともあり、彼女の悩みは尽きない。
ラスが、ああでもないこうでもないと考えていると
「何を唸っているんだ」
あきれたようにレグルスが言った。
一瞬、ラスの思考が停止する。まだ対策を考えついていないというのに、一番顔を合わせたくない人物がやってきたからだ。
呆然とするラスに、レグルスはあるものを放った。
反射的にそれを受け取るラス。
そろりと確認すると、渡されたのは訓練用の刃をつぶした剣であった。
「へ?」
これはまた一体、どういうことなのか。
「さっさと着換えろ」
短くレグルスはそう言った。
相変わらず、説明が足りない。
状況はよくわからない。だが一つだけ、ラスにも言いたいことがある。
「そうして欲しいなら、さっさと部屋から出て行け!!」